CSAの輪はまず小川町から、ついで町外にも広がりを見せた。
提携の先駆けになったのは1988年、町にある三つの造り酒屋の一つ「晴雲酒造」が、有機栽培の米を使って、「おがわの自然酒(純米酒)」を売り出したことだった。同じ年、小川製麦が有機の麦を使って「石臼挽き地粉めん」をつくった。1988年には児玉郡神川町の「ヤマキ醸造」は有機小麦と大豆で生醤油「夢野山里」を出した。
「とうふ工房渡辺」が乗り出したのは2001年のこと。小川町の青山地区の数軒の農家に残っていた大豆「青山在来」の産物を一括して買い上げてくれる。
町の観光案内所でもらえる「小川町てくてく散歩マップ」は、下里有機の里づくり協議会が作ったもので、「有機と和紙」という副題がついていて、有機コースは2時間で歩けるとある。有機には食堂や野菜直売所が挙げられている。
停車場通り(駅前通り)を少し左に入ると「べりカフェ つばさ・游」がある。有機野菜が主役で、シェフは日替わり。「べりカフェ」とは、「おしゃべりカフェ」のことだという。駅で降りて右手には「三代目清水屋」があり、「青山在来」を使う豆腐やおからスイーツを製造販売する。
停車場通りを下って右折して行くと、「有機野菜食堂わらしべ」、地元の有機野菜と食材を使った料理のほかお酒も楽しめる晴雲酒造の「自然処 玉井屋」・・・など、有機関係の店も増えた。
このほか、「道の駅おがわ」など有機野菜を売っている直売所が15ほどあるので、地元の人にたずねるといい。
社長がロハスに関心が深いさいたま市のリフォーム会社「OTAKU」では、有機米を買い上げ、社員、パート従業員、顧客に精米仕立ての有機米を届ける仕組みを作っている。
金子さんの有機農業は、全国ばかりか外国でも注目され、朝日新聞に「複合汚染」を連載中だった故有吉佐和子さんも農場を訪れている。1981年金子さんが「日本有機農業研究会」で知り合った友子さんと結婚したときには、主賓は金子さん側は有吉さん、友子さん側は婦人有権者同盟の市川房枝さんだった。
金子さんは、有吉さんの「複合汚染その後」(潮出版社」)で、有吉さんや司馬遼太郎さんらとの座談会の中で、「日本の食糧自給は可能だ」という論を展開している。
農場に住み込みで有機農業を習いに来る内外の若い人たちも多く、すでに120人が育ち、そのほとんどが農家の出身者ではない。
金子さんは、農業で使うエネルギーの自給にも取り組んでいる。使用済み天ぷら油の廃油を、トラクターや車の燃料にしたり、牛糞や生ゴミを活用するバイオガスをつくったり、太陽電池を利用したり、間伐材や家屋廃材などを使って、母屋の床暖房やお風呂用のウッドボイラー・・・と、農場の一部はエネルギー自給研究所の趣がある。
バイオガスは小川町も動き出し、バイオガス・プラントもできて、バイオガスの先進地になった。
目指しているのは、化石燃料に頼らず、自然の資源を生かした循環型の農業なのだ。
荒れている山を手入れしてカタクリを植えたり、耕地のあぜにヒガンバナを植えたりしているため、下里地区には菜の花、麦、稲穂と農産物を含めた花が季節ごとに咲くようになった。観光客も訪れるようになった。
「農業は文化である」「農民が元気になると農村が美しくなる」と金子さんは力説する。
ヨーロッパなどに比べて湿潤で、勢い病害虫も多い日本は、有機農業にとって障害が多い。実際、耕地に対する面積率では1%にも達してないほどで、まだまだ立ち遅れている。
小川町の例は、日本で無農薬、無化学肥料、無石油の自給農業が可能なのかを考える際の絶好の教材になることは間違いない。
小川町によると、町の有機農業者数は、金子さんの教え子らを中心に、町の各地に散らばり、現在23人、耕地面積は計32haに上るという。
小川町を中心に嵐山、ときがわ、鳩山町でも有機農家が増え、百軒近くに増えているそうだ。