現在の県立熊谷高校周辺ではよく知られている話のようだが、夏目漱石の有名な小説「坊ちゃん」の登場人物「山嵐」のモデルは、当時「熊中」と呼ばれた県立第二中学校の先生だった。
漱石が留学先のロンドンから帰って、愛媛県松山市の「松山尋常中学校」で教えた後、「熊中」に赴任した際、同じ職場にいた弘中又一と交友を深め、その破天荒な人柄にひかれて「坊っちゃん」を書く際にモデルにしたのである。
「坊ちゃん」が発表されたのは、熊中時代の1906年のことである。弘中は当初からモデルとされたが、「私の知ったことではない」と無頓着だったという。
弘中は、埼玉県の人ではない。山口県出身で同志社普通高校(現同志社大学)卒業後、1895(明治28)年、松山尋常中学校に数学教師として赴任、たまたま同じ中学職員室の前の前の席にいた漱石と知り会った。
1919(明治33)年、弘中は、熊高の前身埼玉県第二中学中学校(熊谷中=現熊谷高)に着任した。弘中は次に京都の同志社中に移るまで19年間、熊谷市宮町1丁目の借家などに家族と住み、教師を続けた。
熊高同窓会では、弘中先生が熊中に着任して、120周年になるのを記念し、2021年8月リーフレット5千部を発行した。この記事はそれを報じた朝日新聞県版に基づく。
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