改修工事で休館していた長瀞町の「県立自然の博物館」が12年10月6日、1年1か月ぶりにオープンした。
秩父地域1市4町(秩父市、横瀬町、皆野町、長瀞町、小鹿野町)は2011年、国内で15番目の「日本ジオパーク」に認定された。その拠点になるはずの施設なので、期待して出かけた。
長瀞駅から一つ秩父寄りの上長瀞駅(秩父鉄道)で降りるのは初めてだった。駅からすぐ近くの荒川を臨むところにある。
荒川の館側(左岸)には、虎の皮の模様に似た有名な「虎石」があり、それを詠んだ宮沢賢治の歌碑が館の近くに立っている。
「日本地質学発祥の地」と大書した大きな石碑もある。東京帝国大学地質学科が設立された翌年、ドイツ人の初代教授エドムント・ナウマン博士が長瀞で調査したのがきっかけで、重要な研究拠点となり、多くの地質学者を育てたのを記念するものだ。
県内に自生する21種40本のカエデを移植した「カエデの森」も前庭に新たにできていた。道路の向こうには「月の石もみじ公園」もある。
天文学ほどではないが、地質学は地球の誕生以来をテーマとし、何億年とか何千万年というとてつもなく長い時間を対象にするので、歳をとればとるほど面白くなって来る。
館の目玉は、巨大ザメと恐竜の復元模型だ。
入ると、天井に巨大ザメの全身模型が吊るされ、正面にそのあごの復元模型が置いてある。
1986年、深谷市菅沼の約1千万年前の荒川河床の地層から、歯の化石がまとまって全部で73本見つかった。一尾のサメの歯で、上下の歯列がほぼそろっていた。これだけの数の歯が発見されたのは世界でも初めてだった。
これに基づいて、高さ約1.8m、幅約1.6m、奥行き1.3mのサイズで復元されたのがあごの模型である。
あごから全長を推定、天井に吊るしているのが約12mの全身。学名は「カルカロドン メガロドン」。ギリシャ語で「カルカロドン」は「ギザギザの歯」、「メガロドン」は「大きな歯」を意味する。
この模型を見ると、ギザギザに並んだ三角形の鋭い歯が印象的だ。あごは大きく開き、クジラなどを捕らえて食べていたらしい。
この巨大ザメは、今から400~2500年前に世界の暖かい海に生息していた。日本は元、大陸の一部だったが、日本海の形成が始まり、関東から新潟にかけて太平洋と日本海をつなぐ海ができていた。
約1500万年前には埼玉県の大部分は海で、奥秩父の山すそまで海が広がり、秩父盆地は東方の開く入り江で、「古秩父湾」と呼ばれていた。
海なし県の埼玉の秩父に暖かい海があり、このような巨大サメが泳いでいたとは、想像するだけで楽しい。
秩父市大野原の約1500万年前の地層から「チチブクジラ」と呼ばれる体長4~5mのヒゲクジラも見つかっている。
もう一つの見ものは恐竜である。1975、77年に秩父市大野原の荒川右岸で、頭骨、肋骨、背骨などが発掘された。これも1500万年前と推定され、「歩く」「泳ぐ」「食べ物をあさる」の3体の骨格が復元されている。(写真)
学名は、「パレオパラドキシア」という海獣で、ラテン語で「昔の変わり者」という意味。臼歯が海苔巻きを束ねたようになっている。
歯の生え方や骨格の発達状況からまだ成長途上だったと考えられ、体長約2.3m、体高約1mと推定されている。
この仲間は、長い間正体不明で、「幻の海獣」、「世界の奇獣」と呼ばれていた。
歯の形から海辺の海草や貝、ゴカイなどを食べていたらしい。カバのような身体をしていたと考えられている。海獣だから泳ぐこともできた。
この二つのほか見逃せないのが、アケボノゾウの骨格復元である。現存するアジアゾウ、アフリカゾウとは全く別の系統で、約60万年ほど前に姿を消したとされる。
約60~250万年前に生きていたゾウで、狭山市笹井で化石が発見された。埼玉にかつて巨大ザメが泳ぎ、海辺に恐竜がのし歩き、時代こそ違えゾウまでいたと思うと思わず楽しくなる。
安行を訪ねる際、立ち寄りたくなるのが、埼玉県の「花と緑の振興センター」である。昔から植物園歩きが好きなので、約2千種5千本の樹木のあるこの展示園は、どの季節に来ても面白い。興禅院のすぐ近くだ。
1953(昭和28)年、「県植物見本園」として開園、2003(平成15)年に「植物振興センター」から現在の名前に変わった。
園内は、「花木園」「コニファー(針葉樹)園」「カラーリーフ(紅葉)園」などに別かれ、最も有名な梅園をはじめ、ツバキ・サザンカ、ツツジ、サクラソウ、ハーブなど各種の花が楽しめる。
ホームページを見ると、ツバキ・サザンカ450種、サクラソウ300種、ハーブ40種とあり、名前と写真がついているので花の名を同定するのに役立つ。サクラも見たこともない珍しいものもある。次々眺めているだけでうれしくなる。
ホームページには、その月の見どころや園内の見頃情報も載っているので、出かける前にチェックできる。
「道の駅 川口・あんぎょう」を併設している「川口緑化センター」も見逃せない。1996(平成8)年に緑化産業の拠点としてオープン、「樹里安(ジュリアン)」というバタくさい名前がついている。(写真)
10月初めの3連休には「安行花植木まつり」が開かれ、庭木、苗木、鉢物、草花などが展示販売される。園芸資材も展示即売するほか、専門家による園芸相談もある。
盆栽展も同時に開かれ、女性や外国人の姿も増えてきた。夏には「アサガオ・ほおずき市」が開かれ、風物詩になろうとしている。
学会も開かれる。08(平成20)年11月のシーズンには、「国際もみじシンポジウムinジャパン」があった。もみじの研究成果の発表や品種展示などが実施され、国内外から多くの関係者が参加した。
安行の植木の伝統技術の一つに「根巻き」がある。樹木を移植する際、根についている土が落ちないようわらや縄で巻く技術である。安行の根巻きは、縄の造形美が特徴で、仕上がりが美しいのが誇り。その根巻き技術の講習会も開かれた。
安行にはこのほか、「安行流」という仕立物の技術、「ふかし」という花の開花を早める技術など長い伝統が培った技術が生きている。
このセンターでは、「樹里安だより」という美しいカラーの広報誌などを出している。技術の話は、その中の一冊「植木の里 川口安行 緑化産業の概要」というパンフレットに書いてあった。
訪ねる度に新しいのが出ていないかと探すのがくせになった。この安行シリーズを書くのにも歴史や数字などいろいろ引用させて頂いた。
このパンフレットの「安行植木の歴史」によると、1982(昭和57)年、オランダのアムステルダムで開催された花の万博フロリアード(国際園芸博物会)に、日本を代表して川口市から植木5千本、苗木、盆栽などを出品、日本庭園が最高賞を獲得、安行の名を世界に知らしめた。
安行の植木のそもそもの起源は、390年前の1618(元和4)年、安行の赤山に城を構えた関東郡代第3代伊奈半十郎忠治が、植木や花の栽培を奨励したのが始まりという。
第二次大戦中は、陸稲や麦、甘藷などの畑に転換され、8件の農家と母樹園5haが残っただけで、壊滅状態になった。
1950(昭和25)年頃、朝鮮戦争の特需景気で、植木の生産が本格的に再開され、1960(同35)~1973(同48)年には、今度は高度経済成長の波に乗り、未曾有の緑化ブームが到来、需要が飛躍的に拡大した。
植木産業が景気に大きく左右されることがよく分かる。
10年から川口市造園協会が中心になって造園業者が作った庭や苗圃(びょうほ=植木の畑)を公開する「安行オープンガーデン」も、「安行花植木まつり」に合わせて始まった。この時に訪れれば、安行の全貌が分かる。
寒冬の影響で13年は、花のスケジュールが大きく狂った。先に安行をじっくり歩いた際、安行にイチリンソウの自生地群落があって、「一輪草まつり」が毎年催され、多くの人が見物に訪れるという話を聞いていた。
里山歩きの途中、ときおり、足元にニリンソウを見かけることはあっても、イチリンソウにお目にかかることはほとんどなかった。まして群落を目にしたことはない。
一度見てみたいものだと思っていたところ、今年は4月20、21の土日曜日とのこと。
念のために川口緑化センター「樹里安(じゅりあん)」に電話して確かめると、案の定、満開は1週間早い13、14日ごろになるという。
20日には、NPOの主催で「イチリンソウの咲く安行を歩こう」というのがあり、これに参加しようかと思っていたのだが、「善は急げ」とママチャリで急行した。
自生地は、川口市安行原にある。「樹里安」から北に向かって突き当たりの赤堀用水沿いの斜面林「ふるさとの森」(川口市保存緑地)の中で、「万葉植物苑」の裏側にある。安行中学校にも近い。
イチリンソウは昔、県内各地で見られたのに、しだいに少なくなり、県の準絶滅危惧種に指定されている。川口市の指定天然記念物になっていて、ここは、県東部の数少ない生息地の一つである。
1995年、植物調査を実施した際、生育が確認され、「安行みどりのまちづくり協議会」の会員らの手で保存活動が続けられ、06年には第1回一輪草まつりが開かれた。
NHKなどにも取り上げられ、花愛好者が訪れるようになっていたのに、10年には花泥棒にごっそり盗掘される事件も起きた。
それでも今、木の柵に囲まれた3か所に元気に育っている。約千輪が開花しているとか。イチリンソウがほとんどだが、よく見ると、ニリンソウもちらほら。
ニリンソウと比べるとイチリンソウの5弁の花びらはずっと大きく見栄えがする。サンリンソウもないかと目を凝らしてみたがなかった。
柵の中には、葉の中央に花が咲き、実がなるハナイカダやウラシマソウ、ジュウニヒトエなどもある。花はつけていないものの、ヒトリシズカやフタリシズカの表示もあった。
ここには小さな流れもあり、夏にはホタルも飛ぶ。
イチリンソウは、英語では Spring Ephemeral(スプリング・エフェミラル)と総称される花の一つである。
Ephemeral とは「はかなく短命」という意味。愛好者の多いカタクリと同じ仲間で、落葉樹である雑木林の林の縁に、樹の葉が開く前に早春に花を開き、晩春に葉が茂ると地面に消えてしまう。
見ていると、「美人薄命」という言葉が浮かんでくる美しさである。
安行は公共交通が不便なところだった。埼玉高速鉄道ができたおかげで、戸塚安行駅から徒歩で35分。駅から自生地まで「イチリンソウ」の旗のぼりが立っていた。
安行はどの季節に来ても花が素晴らしいところだが、春では安行寒桜(密蔵院など)に次ぐ第2弾である。安行寒桜は、早咲きで有名な河津桜よりちょっと遅れるようだ。
安行はPR不足のようで、まだ観光客が少ない。高速鉄道とも協力して誘致に力を入れたらどうだろうか。