利根大堰 行田市
湖沼などを入れると、滋賀県、茨城県、大阪府に及ばないものの、県土の中で河川が占める面積が3.9%と、埼玉県は川の占める面積が日本一と「川の県」である。
河川面積が広いのは、流域面積が日本一で、延長322kmと信濃川に次ぐ利根川が県北と県東の県境を流れ、埼玉県の「母なる川」荒川が貫通していて、その支流が数多くあるからだ。
流域面積とは、念のため、「河川の四囲にある分水界によって囲まれ、降水が川に集まる区域(広辞苑)」だから、河川面積とは違う。
県民には利根川より荒川の方がなじみが深い。私は若い頃、群馬県で仕事をしたこともあるので、利根川にも愛着があって、河川からの日本最大の取水量を持つ「利根大堰」にも興味を抱いてきた。
近くまで何度も接近しながら、行きそびれていたので、羽生市に出かけたのを機に、13年の夏の終わり、初めてこの大堰を訪ねた。
利根川と荒川は今も深く結びついていて、昔は荒川が利根川の支流だったこともあったことも分かって、二つの川への親しみが一層深まった。
利根大堰は、埼玉側は行田市、群馬側は邑楽郡千代田町にある。河口から154km、利根川のほぼ中間に位置する。全長692m、可動式のゲートが12門あり、サケなどが遡上する魚道が3基。約700mの「武蔵大橋」がかかっていて、両県を結ぶ県道が走る。
大堰の上流右岸に取水口が接していて、沈砂池を経て、江戸時代から300年の歴史がある農業用水「見沼代用水路」、「武蔵水路」、葛西用水などにつながる農業用水「埼玉用水路」、川底を潜って群馬県側へ導水する農業用水「邑楽用水路」、行田浄水場へつながる「行田水路」と5つの水路に送水する。
60億立方mを超す利根川の年間流出量のうち、約30%約20億立方mをここで取水する。その量が日本一なのだ。取水された水は、埼玉県と東京都の計約1300万人の水道水や両都県の約2万3300haの農業用水、隅田川の浄化用水などに使われている。
利根川には江戸時代につくられた8か所の取水口があった。都内からの需要も合わせて取水口を統合し、1か所から各地に水を送ることにした。2年半を超す工事を経て、68年4月に大堰からの取水が始まった。最大で毎秒134立方mの取水ができる。
運用から50年たった18年4月3日で累計取水量は900億立方mに達したという。琵琶湖の3.3杯になる。
私が最も興味を魅かれたのは、「武蔵水路」である。行田市から鴻巣市糠田の荒川まで14.5km、農業用水ではなく、水道水など都市用水を送っている。この水路で利根川と荒川が直接結びついているのである。
東京都水道局の約4割、埼玉県企業局の約8割の給水エリアの水道水を送っている。埼玉県民の水道はてっきり荒川の水に頼っていると思っていた。さにあらず、大半は利根川というから驚きだ。
武蔵水路で荒川に入った水は、埼玉県用はさいたま市の大久保浄水場、東京都民用は、ちょっと下流の秋ケ瀬取水堰の上流で取水され、東京都の朝霞浄水場などを経て都内へ送られる。
「坂東太郎」の別名がある利根川は今、千葉県銚子市で太平洋に注いでいる。
太平洋に向かったのは、江戸時代に行われ利根川東遷事業の結果である。それ以前は、埼玉県内では埼玉県内では荒川は利根川の支流で、利根川は東京湾に流れ込んでいた。
洪水防止と舟運のため利根川と荒川を切り離し、利根川を東に、荒川は西に移動させる大工事で、県内に「古利根川」「大落古利根川」とか「元荒川」などの名が残っているのは、そのためである。
武蔵水路は切り離された二つの川を、首都圏の水需要に応えるため再び結びつけたわけで、利根大堰から武蔵水路へ流れていく水を眺めていると、ある種の感慨を覚える。
完成したのが1967年で、老朽化し通水能力が3割方低下し、耐震性が不足しているので、通水しながら改築が進められている。