さいたま市中央区。と言ってもすぐに分かる人は少ないだろう。さいたま市と合併する前は与野市。大宮市と浦和市に南北を挟まれた小さな市で、その与野公園はバラ園で有名だ。
公園は全部で約5万平方m。1877(明治10)年開設。埼玉県では3番目の古さだ。バラと桜で有名で、バラ園は約5500平方m。180種類、約3000株のバラがある。
毎年「ばらまつり」が開かれ、5月下旬は大勢の人でにぎわう。私は、住んでいる南区からは自転車でも行ける距離なので、春にも秋にもほとんど毎年出かける。
24のブロックにそれぞれのバラがまとめて植えてあり、名前が書いてあるので、初心者には最適だ。私もバラの名はほとんど、ここで覚えた。だが、ほかのバラ園で見て名前を思い出すかどうかは、おぼつかない。
「花の命は短い」ので、バラの盛りを見るにはタイミングが必要だ。忙しい人には無理で、退職後にしかできないことだとつくづく思う。
ここには、アンネ・フランクにちなんだものを初め、英国女王にちなむ、私が大好きな「エリザベス」、悲運の「ダイアナ」のほか、かの有名な「モナコ王妃」。それに「プリンセス・アイコ」もある。
エリザベス女王に関心があるのは、オーストラア、ニュージーランドなど南太平地域をカバーしていた頃、両国の元首としてはるばる来られ時、二度も競馬場で近くでお目にかかったことがあるからだ。自分の持ち馬があるほど競馬がお好きなのだ。
このバラ園の一角に「プリンセス・チチブ」のコーナーがある。
昭和天皇の弟で、「スポーツの宮さま」として親しまれ、秩父宮ラグビー場に名を残されている秩父宮。そのお妃・勢津子さまにちなんだバラである。
宮家「秩父宮」は、秩父宮の成年式の際に創立された。屋敷の西北に秩父嶺があることからその名が選定された。その意味で埼玉県とも関係の深い方だった。
勢津子さまは、結婚前は松平節子。13年のNHKの大河ドラマ「八重の桜」で有名になった最後の会津藩主・松平容保(かたもり)の孫である。結婚の際改名された。
秩父宮は戦後、50歳で肺結核で亡くなられ、流産のため、ご子息はなかった。
1928(昭和3)年のご結婚の際には、「世紀の大恋愛」と話題になったこともあり、バラの「プリンセス・チチブ」は、英国のバラの新品種開発で知られる。
妃は84歳で亡くなられた。
13年に恒例のばらまつりの前日訪ねてみるは、サッカーJリーグの人気チーム「浦和レッドダイヤモンズ」の名を持つ新品種が20株登場していた。
埼玉ゆかりのバラが二つもあって、何となく楽しくなるバラ園である。
秩父で「桜」と言えば、最近ではまず、羊山公園の「芝桜の丘」を思い出す。戦前、県の綿羊種畜場があったのが、その名の由来である。
芝桜の植栽が始まったのは2000年。約17600平方mに9種類、約40万株以上が咲き誇り、今や季節には100万人を超す観光客が訪れる、「秩父夜祭」と並ぶ観光地になった。秩父市の年間観光客は15年度には500万人を超えた。
公園には、ソメイヨシノやヤマザクラもあるので、桜の花見客も多い。芝桜の方が花期が長く5月上旬まで楽しめる。
西武鉄道の御花畑(愛称・芝桜)駅から、徒歩で15~25分と交通の便のよさが売り物だ。
芝桜に押されて、日が当たらなくなっているのが、「美の山公園」である。
秩父市黒谷と皆野町にまたがる広大な公園で、「埼玉県にも吉野に匹敵する桜の名所をつくろう」という壮大な発想から、10年の年月をかけて、約70種類、8千本の桜を植えて、1979年に開園した。
「美の山」は、自称「関東の吉野山」にふさわしかろうと、「蓑山(586.9m)」を美しく読み変えたものだ。二つの展望台からは、秩父市街、秩父盆地、秩父のシンボル武甲山を初めとする秩父連山、さらには赤城山や日光連山も望める。
秩父市内を見下ろす夜景が特に素晴らしい。国民休養地にも指定されている。
だが、アクセスの悪さが致命的。
路線バスがないので、便数の少ない秩父鉄道の和銅黒谷、皆野、親鼻の三駅からタクシーに乗るか、徒歩しかない。駅から狭い山道を歩けば、2.7から3.7kmで約1時間半かかる。
マイカーなら「美の山公園道路」があるので便利だ。
これほどの桜の名所を見逃す手はないと、13年4月20日(土)、皆野駅から歩いて山道を登った。遅咲きのさくら見物を狙ったのである。(写真)
県立公園なので、埼玉県のホームページにある「美の山公園のサクラ観察日記」は、サクラ好きには興味深い。品種ごとの開花状況が一々分かるからである。
13年は4月8日、ヤマザクラが見頃を迎えた。枝垂桜、寒緋桜も見頃になり、御衣黄(ぎょいこう)、御殿匂(みどのにおい)、白妙、太白、妹背(いもせ)、八重紫桜も咲いて、「花の森」が華やかになった。
4月19日から八重桜が見頃になり、関山(かんざん)、ウコンが盛り。八重桜は5月1日に見頃を過ぎ、7日にシーズンが終わった。
この間、糸括(いとくくり)、天の川、御室有明(おむろありあけ)、梅護寺数珠掛桜(ばいごじじゅずかけざくら)、市原虎の尾、兼六園菊桜の開花が記されている。
私が訪ねたのは八重桜の盛りの時だったわけだ。現状を電話で聞いて出かけたのが成功だった。
3月26日に全部ではないものの、55種類、155本の桜の木に「樹名板」を設置したとかで、花の同定に役立った。桜は見てはいても、素人には一度で花の名を思い出すのは難しいからだ。
山頂には皆野町出身の金子伊昔紅(いせきこう)の銅像と句碑が立っていた。有名な「秩父音頭」の生みの親で、医師兼俳人。金子兜太氏の父親である。
句碑には「一目千本」と題し
万本咲いてかすむ美の山花の山
とあった。