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ぎをんやしろ
祇園社
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祇園社は下河原を南面とし鳥居は石柱にして感神院といふ堅額
あり。照髙院道晃親王の筆なり。西南の楼門には御随身います。
神殿の中央は大政所(午頭天王 東ノ間は八王子(三女 西ノ間は(稲田姫
素蓋鳴垂跡) 五男) 本御前)
抑祇園午頭天皇を愛宕郡八坂郷感神院に勧請せし濫觴は
聖武天皇の御字天平五年三月十八日吉備大臣唐土より帰朝の
時播广圀廣峯に垂跡し給ふを崇め奉れり。其後常住寺の十禅
師圓如上人に神託あつて帝城守護の為貞観十一年に遷座し給ふ
なり。中臣祓抄に曰清和天皇貞観十八年疫神崇をなして世の
人疾に悩むこと以ての外也。曩祖日良磨洛中の男女を將て六月七日
十四日疫神を神泉苑に送る。しかしより年々かたの如くしつけ
て祇園會といふなり。神輿を置所をば八坂郷感神院といふ寺
なれば神殿もなきほどに昭宣公の御殿をまいらせられて神殿
とす。祇園は尋常の殿舎造也。是を精舎といふ。後人又祇園の
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名を加へけり。(続古事談に曰)祇園の寳殿の中には龍穴ありとなん。延久の
頃梨本の座主(天台梶井御門主)其深さをはからんとせられければ五十丈
におよびてなほ底なしとぞ。
美御前は素戔嗚の御子なり。後見殿は大己貴命と申す。其外摂社
末社は圖画に見えたり。元三大師は神殿東の庇の間にありしが安永
七年繪馬堂の西にうつす(日本略記に曰天延元年五月
七日以祇園為天台別院)。
薬師堂は觀慶寺と号す。本尊は薬師如来。作は傳教大師也。陽成院
の勅願所として開基は円如上人といふ(當寺の鐘楼
に撞木なし)。
祇園御霊會六月七日十四日。山鉾の行粧祭礼の例式其外五月廿九日
六月十八日の神輿洗ひ等世の知る所なれば委く記するに及ばず。凡そ洛陽の
祭礼多しといへど此會は殊に奇觀のかず/"\しければ皆/\見つくす人稀
なり。臨時祭は近年三月十五日に執行ある也(古は六月十五日にして走馬勅楽東遊御幣
を感神院に奉らるよし日本略記に見えたり).
けづりかけの神事は元朝寅の刻なり。天下安全の御祈祷なり。
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