尾張廼家苞 四之下

俊成卿女
露はらふね覚は秋のむかしにて見はてぬ夢に残るおもかげ
露はらふは涙にて、露といへるは秋の縁なり。秋の昔とは、
秋は人にあかれたる今の事にて、其今よりいへば、いまだ人のかはらで

逢見し事はむかしなるよし也。しからず。むかしのまゝにてといふ義夢に人
にあふとみて、覚たれば人にあかれし昔の
まゝにてといふ事。
本説いとむづかし。然らばたゞ昔とのみいおひてもよかるべきニ、秋の
といへるは、此歌にては、秋のといふ事なくては逢見し事は昔に
て今はあかれたる意あらはれがたければ也。一首の意は、人に
あかれ忘られたる比、夢に又あふとみたるか、見はてもせず
早くさめたる時によめる意にて、その夢がさめたれば、
もとのあかれたる時にて、夢に見たる逢事はむかしの
事にて、たゞ其夢のおも影のみ残りて、涙をなが
すとなり。此説のごとし。猶いはゞ、床も枕も涙の露がおびたゞ
しく置ねざめをして、おもふてみれば、我身はやはり
人にあかれし昔のまゝの我身にて、末もとほらぬかりそめの夢ニあ
ふとみて、おもかげばかりが残りて、傍さらでかなしとなり。

後撰、はらふばかりの露や何なり。涙川ながすね覚もある物をはら
ふ斗の露や何ならり。此歌引ニ及
ば
ず。古今、みはてぬ夢の覚る也けり。命にも増りてをしく有物は
みはてぬ夢の覚る也けり。
摂政家百首歌合に尋恋
慈圓大僧正
心こそゆくへもしらねみわの山杦の木末の夕ぐれのそら
本歌わが庵はみわの山本云々。上二句は人の心の外へうつり
ゆきていかになれるをしられぬを云。心こそといへるてにをはゝ、
宿をば尋來つれども、心はいかになれりともゆくへしらぬよし也。女
の
心の底のしられぬ也。今宵引入てあふべきか、障を
いひてかへすべきか。そこのしられぬをいふなり。 三の句より下は、夕ぐれニ
其宿へ尋ね來る意也。一首の意こよひ逢べきかあふまじきか心底は、し
らねど、教置きたる宿へ此夕ぐれ通來たりし事と也。
※後撰、はらふばかりの
後撰集 恋歌三
かへし よみ人知らず
涙河ながすねざめもあるものをはらふばかりのつゆやなになり
※古今、みはてぬ夢の覚る也けり
古今集 恋歌二
題しらず 壬生忠峯
いのちにもまさりてをしくある物は見はてぬゆめのさむるなりけり
※本歌わが庵はみわの山本
古今集 雑歌三
題しらず よみ人しらず
我が庵は三輪の山もとこひしくはとぶらひ來ませ杉たてる門
古今集 雑歌三
題しらず よみ人しらず
我が庵は三輪の山もとこひしくはとぶらひ來ませ杉たてる門