尾張廼家苞 五之上
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熊野にまうで侍し時奉し歌の中に
秀能
おく山の木葉のおつる秋風にたえ/"\みねの月は殘れる
四ノ句、木葉のちるまふたえ/"\みゆる也。たえ/"\に月
のみゆる也。 殘れるとは、
残月をいふにあらず。木葉の落ちるにむかへて、残るとはいへる也。一
わ
たりはさる事なれど、猶
残月の心には有べし。 二ノ句よわし。実景おぼえて、
をかしき哥也。
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月すめばよものうき雲空にきえてみ山がくれを行あらし哉
空とみ山がくれとを相むかへて見べし。浮雲のありしほどは
あらしも其雲を吹て、空を行と見しが、雲の殘らず消
て後は、空をふくとはみえず。たゞ山の枝などを吹音の聞ゆる
を、み山がくれを行といへる。いとめづらか也。又月のすむは、嵐の
雲を吹はらへる故なるに、かへりて月のすめる故に雲もきえ、
嵐もみ山がくれを行やうにいひなせるもおもしろし。みなし
かり。
秋の暮に病にしづみて世をのがれ侍ける又の年の九月十日
あまり月のくまなく侍ければ 俊成卿
おもひきや別し秋にめぐりあひて又も此世の月をみむとは
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わかれし秋とは、去年の此比既に世をのがれて、此世をわかれ
たる意也。別し秋が出家したる意ならば、めぐりあひては還俗したる意に
なるべし。さやうの事哥によむべきにあらず。出家遁世の事は詞書
にはみえて、哥の上になし。詞書は實事とにてさる事ありて
かけるなれば、一々哥の詞に引あはずともくるしからず。 それに其時死ぬべ
かりし意をもこめたるべし。別し秋とは、秋に別れたる事にて、去年の秋の
暮し也。めぐりあひては、もはや秋にはあはじと思し
に、ことしの秋にめぐりあひし也。一首の意、もはやあふまいと思ふた秋にめぐりあ
ひて、同じ此世の月を又もみるであらうとは思ふた事が、中々ながらふべしとは思はざりしと也。
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