尾張廼家苞 五之上
永治元年譲位ちかくなりて夜もすがら月みてよ
み侍ける 俊成卿
わすれじよ忘るなとだにいひてまし雲ゐの月の心ありせば
雲井の月とは、禁中にてみる月をいひて、忘れじよは、此
禁中の月は、いつまでもわすれはせじと也。今宵今の御代
にてみる月を、
御代かはりて後も
わすれじと也。 わするなは、わがかやうに思ふことを、月もわす
るなといえへる也。今宵今の御代にてわがみし
事を、月もわするなと也。だにとは、名残をしさは
つくしがたきを、せめては一言かやうにいひなりともせん物をと
いふ心也。抑此御譲位は御心にもあらざりし御事なれば此歌ことに
哀深し。崇徳院御位をさらせ給ひて、近衛院にゆづらせ給ふ也。さるば御
父鳥羽院の御はからひなりしかば、御心にあらざりし也。
崇徳院に百首哥奉りけるに
いかにして袖にひかりのやどるらん雲ゐの月は隔てこしみを
ニ三ノ句は、袖のなみだに月のうつる事。下句は、殿上ゆるされぬ事、かの卿は御堂殿の玄
孫。いみじき公達なるを、時にあひ給はず。地下の諸大夫のやうにておはし、此の御うたなり。
文治のころほひ百首歌よみ侍けるに懐舊の歌とて
よめる 左近中將公衡
心にはわするゝ時もなかりけりみよのむかしの雲の上の月
三代のむかしとは、髙倉
院の御事なり。
百首歌奉し時秋の哥 二條院讃岐
昔みし雲ゐをめぐる秋の月今いくとせか袖にやどさむ
昔みしくもゐとは、二條院御時禁中に侍し事。一首の意は、昔禁中にてみ
たりしもゝ雲ゐををめぐる秋の月を、老後の涙に、今いくとせか袖にやどしてみんと也。
百首歌奉りし時 摂政
月見ばといひしばかりの人はこで槙の戸たゝく庭の枩風
上ノ句いひしばかりのとは、今來むといひしばかりに、長月の云々の
哥の詞にて、其下句にての意をこめて、有明の月を待ち出たる
ほどまでも其人、來ぬよし也。かやうにみざればばかりのといへる
詮なし。或人の説、月見ばゝ、月が出たらば也。則本哥の有明の月也。一首の意、
有明の月が出たならばとはうといひたるばかりに、待々た其人は
來ずして、庭の枩風が槙の戸たゝくと也。のもじはおだやか也。初句素性の
哥とは、などやらんやうかはりたりとふと思はる。月見ば必おもひ出んと契りし程
の、心ふかゝりし人は來ずして、庭の松風が槙の戸たゝくと也。
ばかりのはほどの也。此説も二三のつゞきなほ穏ならず。
※今來むといひしばかりに、長月の
古今集 恋歌四
題しらず
素性法師
今こんといひしばかりに長月の ありあけの月をまちいでつるかな