春歸不駐惜難禁
花落粉々雲路深
委地正應随景去
任風便此趂徼尋
枝空嶺激霞消色
粧脆溪閑鳥入音
年月推遷齢漸老
餘生只有憶恩心
ナレーション 脩子内親王の裳着から数日後、道長は土御門殿で漢詩の会を催し、伊周と隆家を招いた。
(道長登場)
伊周 私の樣な者まで、御招き下さり、有り難き幸せに存じます。
道長 楽しき時を過ごしてもらえれば、私も嬉しい。
講師 儀同三司藤原伊周殿
講師 春帰りて駐(とど)まらず、禁(た)え難きを惜しみ、。。。
(伊周) 枝は花を落とし、嶺は視界を遮る樣にそびえ、霞は色を失う。春の粧いは脆くも崩れて、渓は静かに、鳥の哢も消える。年月は移ろい、我が齢も次第に更けてゆく。残りの人生、天子の恩顧を思う気持ちばかりが募る。
斉信 真に健気な振る舞いであったなあ。伊周殿は。
公任 いやいや、あれは心の内とは裏腹だろう。
斉信 そう思うか。
行成 はい。
斉信 うっかり騙される所だった。
本朝麗藻 巻上 羣書類從
花落春帰路 以深為韻 花落ち春帰る路 以て深を韻と為す
儀同三司
春歸不駐惜難禁 春帰りて駐(とどま)らず、惜しむこと禁じ難く、
花落粉々雲路深 花落ちて紛々たり 雲路深し。
委レ地正應ニ随レ景去_ 地に委(お)つるは正に景に随ひて去るべし。
任レ風便此趂レ徼尋 風に任するは便ち是 蹤を趁(お)ひて尋ぬ。
枝空嶺激霞消レ色 枝空しく嶺を徼(めぐ)りて霞色を消し、
粧脆溪閑鳥入レ音 粧ひは脆く渓閑かにして鳥音を入る。
年月推遷齢漸老 年月は推し遷りて齢漸く老ひ、
餘生只有ニ憶恩心_ 余生は只だ恩を憶ふの心有り。
訳(新編日本古典文学全集による)
花びらが散り敷いて春が帰って行路
春は一刻も立ちどまることなく帰って行く。惜春の情は抑え難いものがある。
花びらは分分として落ち、まるで雲のように深々と(春が行く)道を埋めつくす。
地面の落花はまさしく春の陽ざしが移ろい去るのを追って散ったものだろう。
風のままに舞うのはつまり、去りゆく春の後を追いかけているのだ。
(花が散ると)枝は空しく透け、霞が姿を消すと山の稜線が現れ、
春の粧いがはかなくくずれ、鳥の声もしなくなって、谷間もひっそりする。
かくて歳月は写り行き、私も老いを意識するようになった。
余生はただ天の恵みを有難く思う心があるのみだ(惜しまれて去りゆく春の心がそうであるように)