新古今和歌集の部屋

玉葉 養和二年春

玉葉
養和二年(1182年)

二月
三日甲辰。天晴。今日より大将風病。仍つて訪はんために行き向ふ。頗る辛苦の気あり。仍つて今夜より土公鬼気、招魂等の祭を行ふ。又仁王講を修す。晩に女房同じく訪はんために行き向ふ。伝へ聞く、院中三十日穢れあり。これ乞食法師門内に於て餓死すと云々。今朝見付く。疑ふらくは昨日よりこれにある者と云々。
六日丁未。天晴。年始の吉日たるに依り、大将白地に退出す。…略。
十五日丙辰。天晴。…略。大将今夕より邪気を渡す。智詮不動供を修しこれを祈る。
二十二日癸亥。天晴。早旦信範入道来る。未の刻許りより風病更に発り、浴湯の後、弥温気を増し火を加ふ。東西覚えず、訶梨勒丸を服す。瀉する後、夜に入り少しく減じ、温気少しく散ず。
二十三日甲子。天晴。今日風病頗る宜し。食事例の如くならず、力無く術無し。…略。
二十四日乙丑。陰晴定まらず。所労今日昨日より増す。然れども一昨日に及ばず。余来月命を慎しむべき夢想あり。若しは大漸の期か。全く歎きとなさず。只恨むらくは罪障多く積み、冥途の資根無し。悲しむべし悲しむべし。…略。余疾ひに依り参らず。
二十五日丙辰。雨下る。夜に入り雷鳴。巳の刻許り法性寺座主(慈円)来たる。疾ひに依り臥しながらこれに謁す。万事を談じ、晩に及び帰られ了んぬ。
二十六日丁巳。天晴。晩に及び雨下る。仏厳聖人来たり疾ひを問ふ。余臥しながら対面す。更に命危き無き由を示す。又大将(良通)を招きこれを見せしむ(所悩に依りてなり)。申して云はく、小邪気あるか。同じくその恐れに及ばず。邪気を渡す後、少し灸治を加ふべしと云々。…略。



玉葉
平安時代末期~鎌倉時代前期の九条兼実の日記。 66巻。現存の部分は,長寛2 (1164) 年から建仁2 (1202) 年まで。

大将とは、長男の良通。


訓読玉葉 第5巻
高橋 貞一/著
巻第三十六~巻第四十二
高科書店
1989.8
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「方丈記」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事