新古今和歌集の部屋

『宇治拾遺物語』「猿神退治」考

コメント一覧

katumoku10
有難うございます。jikan様が賛成してくださると助かります。どうぞよろしくお願い致します(#^.^#)
jikan314
@katumoku10 今日も大きな図書館に行って、源俊頼の家集散木奇集の解説本をみましたが、不明でした。長期戦か?と思っております。
思い出した頃に、記事をアップすると思いますので、長目で、御覧戴ければ幸いです。
katumoku10
とてもいい記事をアップしていただきましたので、早速、論文をダウンロードしました。なんと百ページもあるので、直ぐには読めません。全部、細かいところまで読むとjikan様のご意見どおりになるのでしょうが、私の理解では猿田彦と猿田彦の一族というのは大国主でもあり、すべて同じものなのです。

これは古代人の先祖に対する感性なのだと思います。つまり先祖の霊魂を身に着けるから大業・偉業も可能になるという首長霊信仰です。これは男系首長の話です。2世紀末の倭国大乱から縄文系の人々のそれまでの祖霊信仰と穀霊信仰は乱暴に聞こえるかもしれませんが同じ霊魂なのです。記紀神話や神社伝承などで大国主とその祖スサノヲを同一人物のようにしているので、最初は分かりませんでしたが、当時の人にとって霊魂は引き継がれて、同じものだと見ているのだと気づきました。菅原道真もスサノヲの本地仏である大威徳明王の怨霊なのだと気づきました。

そして縄文・弥生人の神に対する現代人の思い込みが記紀のミスリードだと分かりました。
当時の人々は草木にも八百万の神が宿るというアニミズムだと学校で説明されていますが、歴史学者佐藤弘夫「日本人と神」(講談社現代新書2021年pp.32-34)に、「当時の人々が個々の草や木を、アニマをもつカミとして崇敬したという証拠は見いだせない。」とあり、原初の人類は太陽や月の運行など自然現象に人知を超えた力を見出しカミとして崇め、同様に大きな磐座、あるいは人類のもちえない動物を神として崇めていたとあります。ネットでもブログを出されていますのでご参照ください(^_-)-☆。
「日本の神はどこからきたのか? 自然現象から宗教が発生するワケ」

縄文時代中期から突然、蛇を頭にかぶる女神像が登場します。この時からヘビ神信仰が起こります。ヘビには人間にない能力があると見出したのです。大国主=猿田彦も、龍蛇神天御中主の子孫です。大猿に結びつけたのは道教の影響です。玉帝の両脇に猿神が居るので、日本書紀で大国主を大猿としたと分かりました(拙ブログ「「神」はサルタヒコを示す暗号文字だった?」、「「申」をなぜ「サル」と読むの?」参照)。

jikan様の宇治拾遺物語の東人の話で、「犬猿の仲」は何が由来なのかを調べたらいろいろ出てきました。例えば、「犬猿の仲に隠された6つの由来」参照!

しかし、申し訳ないですが、どれも納得できるものがありませんで、思案していたらやっぱり日本建国時代に答えがあるはずだと気づきました。

つまり大猿の仲は「大国主VS狗奴国」というのが日本の昔話としては自然です。古代からの日本人が一致する思いが伝承となるはずです。大きな歴史的事件は人々の心に深く残るので口伝えで生き残り、仏教や道教などの影響を受けて寓話に変貌して行くのだと思います。
それで思い出しましたが、「箸墓が「鶴は千年、亀は万年」の由来だった?」もご参照ください(^_-)-☆

ご紹介いただいた論文を読んでみて、またじっくりと考えたいと思います。どうもありがとうございました(#^.^#)
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