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ごじゃっぺ日記(旧、看悶日記)

京都生まれのにわか茨城県民による雑多な日記です。内容に一貫性はありませんが、どうかひとつ長~い目で見てください。

電気ブラン

2011-01-22 08:03:33 | 日記
訳あって電気ブランをもらいました。

電気ブランといえば、浅草雷門近くの神谷バーですが…、

合同酒精が市販用ボトルを製造しているようです。
調べてみると、明治時代、初めて神谷バーに登場した時はアルコールが45度だったようです。
いまの製品は30度。少し甘いブランデーベースのカクテルです。

「電気」とは、明治時代ハイカラなものには当時の最先端技術「電気」にあやかり「電気○○」というものが多いようです…
多分大正、昭和初期にはタコ焼きのご先祖でおなじみ「ラヂオ焼き」の「ラジオ(ラヂオ)」になり、
IT時代の現在では、「@」というところですか。
時代は変われど、発想は常に同じです。

この電気ブラン、アルコールが高いのに口当たりは甘いです。
しかもチェーサーはビールが最適ということです。これは飲みすぎ注意。
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十勝名物3題

2011-01-21 17:17:09 | 日記
季節感皆無ですが、初夏の帯広?多分平成17年頃に撮った写真です。
このころまだ、フィルムのカメラを使ってました。

帯広駅前にて、十勝バス旧塗装車。

平成に入るまでバス窓車が多数残った十勝バスですが、最近は新しい車両も増えてます。
このころはブルーリボン、初期のスケルトンバスが健在でした。

十勝の幹線道路沿いで多数見られるのはこれ!

古タイヤで作った交通安全啓発ロボット!
今から20年ほど前、帯広に住んでいたころはもっと無数に立てられてましたが…
最近は減っているように思います。

そして、帯広畜産大学。

説明は無用ですか?

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国鉄士幌線、十勝三股へ(昭和61年)

2011-01-20 17:56:46 | 鉄道
昭和61年春休みは北海道を回ってました。数々の今は亡きローカル線に乗ってきました。
しかしながらカメラの調子が悪く、まともな写真が少ないという大失態。
しかし、スキャンして色調整すれば何とかなるものです。

今回は旧士幌線の写真です。
士幌線は、帯広から音更川/士幌川に沿って北上、十勝三股に至る路線でした。
当時すでに糠平以北はバス代行だったのですが、バス代行区間を含めて士幌線とされてました。
帯広~糠平の鉄道区間は5往復、糠平~十勝三股のバス代行区間は3往復だったと思います。
スムーズに乗り継ぎ帯広と十勝三股を往復するには、帯広8時前の列車に乗る必要がありました。

列車はキハ22×2連。士幌で長時間停車がありました。

士幌は酪農や馬鈴薯の栽培/加工を主たる産業とする十勝北部の拠点の町ですが、駅前は未舗装。
士幌を過ぎると上士幌、上士幌で十勝平野が尽き、大雪山地に入っていきます。

温泉地でダム湖の畔、糠平でバスに乗り換え、無人地帯に等しい国道273号線を十勝三股に向かい北上。

十勝三股は林業の最盛期には数千人のすむ集落だったようですが、当時はすでに数戸のみ。

バス乗り場の裏手で旧十勝三股駅の遺構が雪に埋もれてました。

余談ですが、国道273号線はこの先三国峠を越えて層雲峡に抜ける国道です。
私が帯広に住んでいた平成3年ごろまでは、十勝三股の先は未舗装で冬期通行止めでした。
十勝三股がほぼ無人地帯となった後も、関西から移り住まれた方が三股山荘という喫茶店を営まれていました。
帯広在住時代、塾講師をしていたのですがここ十勝三股から上士幌の教室まで講習会に出てこられる生徒がいました。三股山荘の娘さんでした。
十勝三股も上士幌町ですが、教室のある上士幌の市街地まで40km近くあったはず。毎日大変だなと思ってましたが、
そもそも中学校自体が市街地に1校しかなかったはずなので、毎日この距離を通われていたのですね…
もう20年近く前の話です。

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名鉄岐阜600V路線~旧札幌市電も走った美濃町線(昭和61年)

2011-01-19 17:40:19 | 鉄道
新岐阜駅から田神線経由の美濃町線電車で新関へ。

美濃町線は岐阜の市街地を抜けると単線になり、

タブレットを交換、長閑な路線でした。
新関までは2両の連接車が使用されてましたが、その先は単行。

朝晩は新岐阜~美濃直通(写真右)があったようですが、日中は新関~美濃の折り返し運転(写真左)でした。

美濃駅から歩いてすぐの場所に、長良川鉄道の美濃市駅があります。

ちょうど、国鉄越美南線から転換されたばかりで、祝開業の飾り付けが…

車両は単行のレールバスでした。乗った列車はガラガラの貸切状態。

というのも、美濃市発関行きの区間運転列車だった為でしょう。
おそらく、美濃太田発美濃市行きを車庫のある美濃に引き返す運用だったのでしょう。

新関~美濃市が廃止された最末期には名鉄の新関から長良川鉄道の関まで美濃町線が延長されたようですが、
このころは徒歩連絡でした。
新関から乗った新岐阜行きは、待望の1500V/600V複電圧車の600型でした。
新岐阜発着の電車は1500Vの各務原線に乗り入れるので600Vとの複電圧車が使用されていました。

運転席部分の車幅が絞られているので、実寸法以上に面長に見えるユニークなデザインです。
このころ、新岐阜~新関は15分間隔。そして徹明町~日野橋は30分間隔。
両系統が重複する、梅林~日野橋は新岐阜発と徹明町発が続行運転してました。
とりあえず、野一色まで新岐阜行きに乗り、15分後の徹明町行きを待ちました。

徹明町~日野橋間は、600V専用車で運用可能。この時期は専ら旧札幌市電の連接車が運用されていました。
ヨーロピアンスタイルのハイカラなデザインが何となく札幌っぽい。札幌時代は抹茶色と灰色の渋い塗装でしたが、
名鉄のスカーレット塗装も様になってました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道乗車記録へにほんブログ村 この日、体調不良だったのですが無理して岐阜600V線全線走破、
にほんブログ村 車ブログ ルノーへにほんブログ村 帰宅後39℃超の熱を出し倒れてしまいました。

名鉄岐阜600V路線~揖斐・谷汲線(昭和61年)

2011-01-18 18:37:13 | 鉄道
国鉄で米原乗り換え、岐阜に向かいました。目指すは今は廃止になった揖斐線・谷汲線。
岐阜駅前の電停で、忠節行きを待ちます。

やっと来たと思ったら新岐阜駅前発の電車で、回送されてきました。
次の電車で忠節へ。忠節駅は併用軌道の岐阜市内線と専用軌道の揖斐線の結節点。

揖斐行きは新岐阜駅前発の急行電車なので、忠節から出るのは谷汲線分岐駅の黒野行きでした。
それでも、電車はお目当ての510型+520型、大正生まれの古豪でした。

隣には、美濃北方行きの区間電車が。こちらもかなり古い電車。

黒野では揖斐行き、谷汲行きに乗って…、こちらは700型。揖斐線、谷汲線は戦前生まれの古豪天国でした。

黒野からは新岐阜駅前に向かって急行電車に乗車。もちろん510型+520型。
こんな電車でも、車内は転換式クロスシートでした。

路面にある新岐阜駅前で下車し、新岐阜のターミナルビルに入ります。
高架ホームから名古屋本線のパノラマカーが出ていきます。地上ホームは各務原線乗り場。

大型車両が出入りするホームの片隅から、田神線経由美濃町線直通の路面電車が発車します。

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