JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

幸せ一家の水面下

2007年06月23日 14時19分00秒 | 夫婦
 私のコワれ具合を見て心配してくださった方から、「診断書もらわなきゃ」という反応をいただいたので、早速病院へ行って参りました。診断結果は、「恋の病である」との事。どうやら夫に首ったけのようです・・・。ふん。冗談じゃないよ。今日は、ちょっと真面目な話。

 この活動を始めて早々に、夫と初の大ゲンカをやらかした。それまでにも、私のちょっとした息抜き(ドラマ鑑賞)に目くじらをたて、小さな衝突を繰り返していたのが、一気に爆発したのである。要は、妻が自分以外のものに夢中になっているのが気に喰わないのだと、私は理解している。ではその妻に、家庭にいる幸福感を与えているかといえば、そうではない。確かに、夫が浮気に走る訳でもなく、暮らしにひどく困っている訳でもなく、夕食時には家族の笑みがこぼれ、一体何が不満なの?と言われる身の上である事は、重々承知している。だが悲しい哉、私は夫に、自分の存在意義を認めてもらえなかった。少なくとも、そう感じていた。

 家事に対してきっちりしている夫は、ことごとく私の不出来を数え上げた。元来得意じゃない分野を、それでも十数年に渡って積み上げてきた身には、そういった評価は辛かった。夫や子どものお弁当は、ほぼ毎日作り続けた。冷凍物に頼らず、手作りで通した。決して料理上手ではないのに、我が家ではお残しナシ。どんな料理もみんなが完食してくれる。本当にありがたい事で感謝しているのだが、そうした努力を当たり前と思ってほしくない気持ちもある。洗物は食事が終わったらすぐに始めなければならないトカ、部屋の中が始終きれいサッパリ片付いていなければならないトカ、そういうのは私から言えば、一種の趣味の問題だと思っている。その状態がベストであるのは事実だが、それ程人に押し付けなければならない話だろうか。挙句、頼みもしないのに参入してくるのだが、それが数日続くと何で俺がやらにゃいかんのだといった怒りが見え隠れし始め、こちらの神経を圧迫する。正直たまらなかった。

 勿論、いい面もある。要領の悪い私を、サポートし続けてくれたのは事実。家事や育児だって、助けてもらったおかげで、随分楽になった。限りなく専業主婦に近い存在であるにもかかわらず、夫からこんなに協力してもらえる人は、そうそういないだろう。確かにそれはそうなんだが、ちょっと息苦しいんだなー。軽い現実逃避となる快楽の芽は、つぶされる事が多かった。私だけの世界へも、踏み込まれる事が多かった。いくら家族であっても、踏み込まれたくない領域がある。そういう世界を大切にしたい、と私は感じている。現実の生活を、まっとうしていく為にも。

 やはり以前のエッセイで、そうした夫の行動に文句をつけた所、男性読者の方から次のようなコメントが寄せられた。「かまって欲しいんじゃないの?」「一緒に何かをやりたいんじゃないの?」それも一理アリか・・・全面的に認めたくはないけれど、私が夫の世界に対してほとんど無反応なのを、彼は寂しく感じているのかもしれない。執着されるのも鬱陶しいが、されないのも辛いのかも・・・あの夜、親の諍いが長時間に渡った為、息子が途中から目を覚ましていたという。そんな状態を耳にするのは初めてだから、驚いて布団の中で息を潜めていたらしい。「いよいよ離婚かなと思った。」と、後で彼は笑いながら言った。「母さんが、反旗を翻した日だね。ボク、母さん頑張れ!って思いながら聞いていたよ。」嬉しい事、言ってくれるじゃないの。彼もまた、夫の理不尽な部分に、苦い思いをしている一人なのである。

 その人なりに努力している部分をスルーして、ダメな点を大仰に突付く。基本的に真面目な人を、やってらんねぇよ!という境地へ追い詰める。そのクセ自分には甘い。仕事上で数回ポカをやって始末書を書いている人間が、どの口で人に物申すのか。挙句「君、文章書くの得意だよね。 ざっと書いたから見といてよ。」などと妻に始末書の添削を頼む。あたしゃ赤ペン先生じゃないっての。人の事をトロいと言ってるクセに、余計な仕事を増やすな!余談だが、始末書を書いた経験のある方はおられるだろうか。自らの不始末を詫びた後で、最後に’何卒寛大なるご処置を・・・’と、己の救済を請う作りになっているのだ。それは相手が決める事、問題を起こした人間が言うものではないと感じた私は、自分のくそったれ美学に合わないとこの部分をカットさせたのだが、会社の上の人間から、その部分は書くようにとお達しがあったそうだ。そんな意識がまかり通っているから、いつまでたっても不祥事はなくならない。

 家族のいい面、感謝の気持ち、ちゃんと本人に伝えていますか?うちは大丈夫と高をくくっていると、そのうち大変な事になるかもしれませんよ~!さて、この場でも私の存在意義を確認してみるとするかな。「ねぇ、私のどこが好き?」


やってはいけない

2007年05月12日 16時05分00秒 | 夫婦
 夫との大ゲンカの甲斐あって?いささか事が運び易くなった。何よりドラマを気持ちよく見られるようになったのが嬉しい♪ 極楽極楽~

 妻が他の事に夢中になっているのが気に食わない性分の夫に、どんな妨害を受けてきたか、そのいくつかをとくとご覧あれ。胸に覚えアリの方は、ご注意を!

①出てくる女優の名前を一々聞く
 伊藤美咲や竹内結子ごときに返事をしたくはない。そこで黙っていると、「目を吊り上げて見ている」と言う。その質問だけで終わるならよいが、それに答えると第2第3の質問が飛んでくる。だから答えない。 人の集中力をそぐという妨害行為である。

②ドラマの設定にケチをつける
 「そんな馬鹿な」トカ「あんなハズはない」トカ、人が楽しんで見ているドラマにケチをつける。無論自身でもそういうツッコミをする事はあるが、人に言われると腹が立つものである。さてどっからケチをつけてやろうかという反対の為の反対なので、余計にいただけない。

③やたらと解説する
 出てくるものについて、長々と解説を始める。特に車、航空、鉄道、戦艦などに関する知識を得々と披露する。これには、家族全員が迷惑している。シーンは次へいってるのに、父ちゃんの解説だけが続くのである。

④隣室でヒゲをそる
 ドラマも佳境に入ろうという時、居間と隣室の扉を開けて覗き込みながら、ウィ~~~~~~~~ンと電気カミソリを始動させる。セリフが聞こえない。「父ちゃん来たりてヒゲをそるだよ。まったく!」と息子もおかんむり。洗面所でやれよ!

⑤不機嫌なムードでやたらうろつく
 集中して見ている子どもたちに今更的な用事を言い立てて、席を外させようとする。子どもたちを使った、間接的な私への嫌がらせと受け止めているので、こうなった時はブチ切れてテレビを消す。そうしてここで受けた不快感を、数日かけてたっぷりお返しする。

 他人ごとだと思って、笑わないでいただきたい。私にとっては、我慢のならない迷惑行為。ストレス解消の芽をことごとく摘まれるのだから、たまらない。できるだけビデオに録り、夫のいない間に対応しているが、自分以外の家族がドラマの話で盛り上がっていると、それも気に喰わないのである。ちょっとは絡んでいたいのだ。ドラマ嫌いを公言しているクセに、NHKの朝ドラと『はぐれ刑事純情派』と、時代劇と2時間ドラマはOKらしい。立派なドラマ好きではないか。しかもおもっくそベタ・・・自分はそういったものをこっそり見ているクセに、人には邪魔するのだ。

 作家曽野綾子の夫である三浦朱門は、それさえやっていれば妻の機嫌が良いというものには、目くじらをたてないという。賢い人だと思う。 妻と夫、逆もまたしかり。余程の道を踏み外さない限りは、ご容赦願いたいものだ。’嫉妬心でふんじばっちゃヤだろ!’ バービーボーイズだって歌ってるよ~( 『離れろよ』より )。

 P.S.このエッセーについても「好きなだけ書いてよい」との許可が下りました。何で私の活動に、夫の許可なるものが必要なのかよくわからん・・・ ぷーだ。


『グッド バイ』改め『復活の日』

2007年05月10日 18時06分00秒 | 夫婦

 数日前の深夜、夫と大ゲンカになった。このエッセイについて、どんな妨害工作が入るやらと思っていたら、案の定である。もうたくさんだぃ。私が外の世界とつながっているのが許せないんだね。あんまりガタガタ言うものだから、「あなたは、私が外の世界へ踏み出そうとすると、いっつもそうやって邪魔するのよ!」となり、その後、激しい言い争いが続いた。まったく2時間ドラマか!要するに、妻が他の事に夢中になるのが腹立たしいのである。これまでも、ちょっとしたストレス解消に目くじらをたてられ、様々な妨害工作を受けてきた。そこまで眉をひそめられるような事をしている訳ではないのにと、こちらは納得がいかない。いい加減にしてくれ! と怒り心頭に達する。
 
 大体何でそういう心情に至ったのか、わかってんのかー。今まで我慢していた事をぶちまけた。「私を閉じ込めるな!」気分は『ヤヌスの鏡』の杉浦幸である。ヤンキーに変身して、深夜に暴れるゾ。トウがたっているのと、胸がショボいのはお許し願いたい…。「ドラマだって、いっつも邪魔するじゃない。あなただってプラモデル製作してるでしょ~。私、邪魔したりしないよ。そのひと時があるから、また頑張れるんでしょー!」「うん、確かにそうだな」 体勢が微妙に変化してきた。「こりゃ、弱いトコ突かれたなー」 などと頭を掻いている。最後は 「まぁ体に気をつけて」 トカ何とか、つぶやきながら消えていった。そちらの見当違いな言いがかりのせいで、私の睡眠時間が削られたのだ。何が ’無理のないよう’ じゃ!!ええ加減にせぇ~。

 翌日は、朝からひどい頭痛で最悪の一日だった。人との諍いは苦手なのである。だから今まで極力反論せず、黙って言葉を呑み込み、不愉快な思いをくすぶらせてきた。今回自分にとって譲れない問題だったので立ち向かってみたものの、精神的にぐったりだった。子どもたちが帰宅しても、元気がでない。ふさぎこんでいる母をみかね、娘が 「お母さん大丈夫?」 と掻き抱く。柔らかな体が心地よい。しばらくして、今度は息子が近づいて来た。「母さん、いいもの作ってきたよ。」それは、夫の写真を枕にピンでとめ、うりゃ~っ! とケリを入れるというもの。つい可笑しくなり「わっはっは」と笑ってしまった。その日初めて、心の底から。「ねっいいでしょ。写真はここにしまっとくからね、辛くなったら使うんだよ。」「わかったよ。」彼は、私以上に関西人である。辛さを笑いに昇華させるスベを知っている。えらいなーと思った。夫が帰宅すると、いつになく寄り添う子どもたち。息子は昼間の行動を押し隠し、いつも以上に、にこにこ笑いながら話しかけている。’アイツ世渡り上手やのー’ と、またまた感心した。 (親バカなのだ)

 夕食後、ある作品が読みたくなり、近所の本屋へ自転車をとばした。ラプンツェルという娘が、魔女によって塔の上に幽閉される話である。彼女は数年間髪を伸ばし続け、やがてその髪を切り、一本の綱にして脱出するのだ。学生時代から大好きな話だった。その作家の作品を読まなくなって、随分経つ。’思春期にかかるはしかのようなもの’ と評されるが如く、私も大人になって向き合うのは気恥ずかしく、何かの機会がない限り、手には取らなかった。ただし、その何かの機会に触れたなら、もう昔のようにハナから心酔はしないものの…「バッカじゃない♪」とか「またぶっちゃって」とか、ニヤニヤ対峙しながらも…その後、きっと感動して泣いてしまうのである。今回も、そうだった。

 その夜、夫との仲は一応修復した。「少し言い過ぎた。 君がそんな気持ちでパソコンに向き合っているとは思わなかったから。」と、彼は言った。 私は、ふてくされた表情で「書く事とドラマは私の生き甲斐だから奪わないで」 と返した。ドラマが余計だな、カッコつかないやと思ったが、仕方がない。一介の主婦なのだから、気取る必要などないのである。まぁいいや。

 翌朝 「辻ちゃん、結婚だってねー」で、夫婦の会話はスムーズに幕を開けた。みんなが出かけてからパソコンを開くと、友人からのメール。「まったくその通り。 家もです! 夫は覆面マッチョだし…」「負けるなISSAこれにあり。 最近行方不明のISSAに応援されても、嬉しくないかな。」 などクスリとしているうち、元気になってきた。そして自分のH.P.を開けたら、活動停止状態だった前日も、何人かの人々が遊びに来てくれていたのである。まだ始めて日も浅いのに… ありがとう♪心からつぶやいた。ほのぼのエッセーを楽しんでくれていた方、とんだ楽屋ウラを見せてしまってごめんなさい。

 P.S.『ろまん燈籠』の結末は涙ものです。夫婦関係に行き詰った方は、是非お読みください。私自身まったく忘れていた ’続き’ があり、’ラスト’ がありました。