似たようなタイプの人を、好きになることがないだろうか。かつて、そのタイプで失敗しているのに、また選び取ってしまう。あれ何なんだろうねーという話を、お仲間さんとしたことがある。「失ったときに、同じパターンではなかった?」確かに、直接的な原因ではないが、それを構成する要素とでもいおうか、そういったものが似ている。「同じパターンで成功したいために挑戦するのか。このパターンで上手くやりたいのだよな、きっと。でもでもなんだよなぁ。」
私の恋愛が報われないのは、寂しさを抱える男に弱いからだ。これはもう、はっきりしている。人間的にどこか不器用な人に寄り添いたい、そんな人の心を救いたい想いが潜在的にある。決してダメ男じゃなく、尊敬すべき点をもっているのに、どこか欠落している人。げげっ。俺どうも、じんちゃんに好かれてるみたいなんだけど・・・欠落してんのかよーっ!そこのアナタ、どきっとしないように。ここは表現の場なので、その欠落が長所へ回り、そういった人ほど心に引っかかるものをたたき出してくる。一歩突き抜けた世界観が築けるというのは、往々にしてそんなものだろう。
昔から、ちょっと意固地な人の気持ちを、ほぐすのが得意だった。あなたに時折見え隠れする優しさ・・・私は感じることができるよ。そんな想いに後押しされ、近づきたくなるのだ。けれど、その頑なさをある程度までは打ち砕けても、必ずまた冷たい壁へ突き当たる。結局は、その人が抱え続けるものに敗北する。人間なんて、そう簡単に変わるものじゃないし、何とかしてあげたいなんていうのもおこがましい。相手にとっては、余計なお世話なのだろう。そうして私も、自己愛の強い人間なので、腹の底では相手より自分を愛している。だから救い切れない。それを中途半端な優しさと、自分では呼んでいる。
彼の場合、社交的な仮面をつけていたので、お決まりのパターンへ嵌まり込んでいるのに気づかなかった。明るさの向こうに影を見て、告白へ踏み切ったものの、表面的には従来惹かれていたタイプではなかったのだ。しかし、告白したことで二人の間が揺らぎ始めると、思いも寄らない側面が顔を出した。こちらがカチンとくる言葉が、次から次へと・・・どうして、そういう物言いをするわけ!?彼の無邪気な接近によって心をかき乱されていた私は、腹を立て、最大級の爆弾を投下してしまった。「あなたの為にどれだけ涙を流してると思ってるの?友達だと言い張ってる過去の女性、本当にあなたのことをそう思っていたのかしら。胸に手を当てて、考えて御覧なさいよ!」そうして、ただの友達なら甘えさせるつもりはないと突っぱねた。「君は、僕の本当の気持ちをわかっていない・・・」同じパターンを繰り返す。相手を変えるまでもなく、一つの恋の中で、そうなってしまうことがある。私たちは何度も、このすれ違いを経験した。おそらく、別れた後にも。
”大切なのは、人に何をしてもらったかじゃなく、人に何をしてあげたかだよね”映画『嫌われ松子の一生』に、登場するセリフ。主人公の松子は、人を愛して愛して愛し抜いて死んでいく。自分はボロボロに傷つき、不器用な生き方を繰り返しながら、それでも人を信じ、人を愛し、人を微笑ませ・・・彼女は女神になりたかったんじゃないかな。相手に対しての絶対的な存在。そうなることによって、求められること、愛されることを、望んでいたのだと思う。松子というキャラクターに触れる度、それを見過ごせない自分がいる。
さて、今回の音楽ネタはaiko。学生時代に馴染んだ音楽を聴き続けている私は、めったに現在のミュージシャンへ手を伸ばさない。が、そうした状況を打ち破った一人が彼女だった。関西人持ち前の陽気さを前面に出しつつ、別れた彼をくちゅくちゅと想い続けるあかんたれ部分を表現してみせたり、私の心にぴったりくる歌詞が多い。男性から見て友達でいるのが心地いいタイプだろうが、意外と乙女チックなのでは。ウエットな作品は、歌詞だけみるとしつこい!重い!と言えなくもない世界。それが綺麗なメロディーへ乗せると、あら不思議。浄化されてしまうのだ。その辺のさじ加減も上手い。こうしたテクニック、私の恋バナにも使えるぞ。彼女には、たくさんの恋うたがあるけれど、ストレートにこうありたいと感じるのは『蝶々結び』。
”あなたの全てがこぼれ落ちても あたしが必ずすくい上げるさ
変わらぬ哀しみ嘆く前に 忘れぬ喜びを今結ぼう"
このゆるぎない安定感。完全に包み込む度量などなく、途中で傷つき、くしゃっと潰れてしまう私にとって、手に入れたいものなのだ。’あたしが必ず すくい上げるさ’ という歌詞が、頼もしくて好き。そうして、これからもやっぱり、どこか欠落した人に惹かれるんだろうな。作家の田辺聖子さん曰く、「男と女の仲は、人絹(じんけん)の紐みたいなものである」と。着物で、混じり物の糸(人造絹糸)の帯締めを締めると、キュッと結んだつもりが、すぐに緩みがでてくる。それと同じように、男女の仲というのは、しっかり結んだつもりでも、いつかそら解けするということらしい。蝶々結びじゃ、なおのこと解けるわなぁ~。
aikoの歌には、うちの空耳少年も、とかくちゃちゃを入れる。例えば『えりあし』。切ないラブソングなのだが、歌いだしの”ぶったりしてー ごめんね 愛しくてしかたなかった~"という部分を聞いて「ぐったりしてー ごめんね・・・かと思ったよ。ハハ」なんて呑気に構えている。aikoが泣くぞ。さらに二人で、色んなパターンを考えてみた。 ’うっかりしてー ごめんね’「これいいと思わん?」「あはは。ホントだ・・・」「他にもありそうやな。」
逢ったりしてー ごめんね(不倫の歌かよ!)
まったりしてー ごめんね(こらサボるな!)
みなさんも考えてみてください♪って、ここはタモリ倶楽部か!
aiko『蝶々結び』『えりあし』
私の恋愛が報われないのは、寂しさを抱える男に弱いからだ。これはもう、はっきりしている。人間的にどこか不器用な人に寄り添いたい、そんな人の心を救いたい想いが潜在的にある。決してダメ男じゃなく、尊敬すべき点をもっているのに、どこか欠落している人。げげっ。俺どうも、じんちゃんに好かれてるみたいなんだけど・・・欠落してんのかよーっ!そこのアナタ、どきっとしないように。ここは表現の場なので、その欠落が長所へ回り、そういった人ほど心に引っかかるものをたたき出してくる。一歩突き抜けた世界観が築けるというのは、往々にしてそんなものだろう。
昔から、ちょっと意固地な人の気持ちを、ほぐすのが得意だった。あなたに時折見え隠れする優しさ・・・私は感じることができるよ。そんな想いに後押しされ、近づきたくなるのだ。けれど、その頑なさをある程度までは打ち砕けても、必ずまた冷たい壁へ突き当たる。結局は、その人が抱え続けるものに敗北する。人間なんて、そう簡単に変わるものじゃないし、何とかしてあげたいなんていうのもおこがましい。相手にとっては、余計なお世話なのだろう。そうして私も、自己愛の強い人間なので、腹の底では相手より自分を愛している。だから救い切れない。それを中途半端な優しさと、自分では呼んでいる。
彼の場合、社交的な仮面をつけていたので、お決まりのパターンへ嵌まり込んでいるのに気づかなかった。明るさの向こうに影を見て、告白へ踏み切ったものの、表面的には従来惹かれていたタイプではなかったのだ。しかし、告白したことで二人の間が揺らぎ始めると、思いも寄らない側面が顔を出した。こちらがカチンとくる言葉が、次から次へと・・・どうして、そういう物言いをするわけ!?彼の無邪気な接近によって心をかき乱されていた私は、腹を立て、最大級の爆弾を投下してしまった。「あなたの為にどれだけ涙を流してると思ってるの?友達だと言い張ってる過去の女性、本当にあなたのことをそう思っていたのかしら。胸に手を当てて、考えて御覧なさいよ!」そうして、ただの友達なら甘えさせるつもりはないと突っぱねた。「君は、僕の本当の気持ちをわかっていない・・・」同じパターンを繰り返す。相手を変えるまでもなく、一つの恋の中で、そうなってしまうことがある。私たちは何度も、このすれ違いを経験した。おそらく、別れた後にも。
”大切なのは、人に何をしてもらったかじゃなく、人に何をしてあげたかだよね”映画『嫌われ松子の一生』に、登場するセリフ。主人公の松子は、人を愛して愛して愛し抜いて死んでいく。自分はボロボロに傷つき、不器用な生き方を繰り返しながら、それでも人を信じ、人を愛し、人を微笑ませ・・・彼女は女神になりたかったんじゃないかな。相手に対しての絶対的な存在。そうなることによって、求められること、愛されることを、望んでいたのだと思う。松子というキャラクターに触れる度、それを見過ごせない自分がいる。
さて、今回の音楽ネタはaiko。学生時代に馴染んだ音楽を聴き続けている私は、めったに現在のミュージシャンへ手を伸ばさない。が、そうした状況を打ち破った一人が彼女だった。関西人持ち前の陽気さを前面に出しつつ、別れた彼をくちゅくちゅと想い続けるあかんたれ部分を表現してみせたり、私の心にぴったりくる歌詞が多い。男性から見て友達でいるのが心地いいタイプだろうが、意外と乙女チックなのでは。ウエットな作品は、歌詞だけみるとしつこい!重い!と言えなくもない世界。それが綺麗なメロディーへ乗せると、あら不思議。浄化されてしまうのだ。その辺のさじ加減も上手い。こうしたテクニック、私の恋バナにも使えるぞ。彼女には、たくさんの恋うたがあるけれど、ストレートにこうありたいと感じるのは『蝶々結び』。
”あなたの全てがこぼれ落ちても あたしが必ずすくい上げるさ
変わらぬ哀しみ嘆く前に 忘れぬ喜びを今結ぼう"
このゆるぎない安定感。完全に包み込む度量などなく、途中で傷つき、くしゃっと潰れてしまう私にとって、手に入れたいものなのだ。’あたしが必ず すくい上げるさ’ という歌詞が、頼もしくて好き。そうして、これからもやっぱり、どこか欠落した人に惹かれるんだろうな。作家の田辺聖子さん曰く、「男と女の仲は、人絹(じんけん)の紐みたいなものである」と。着物で、混じり物の糸(人造絹糸)の帯締めを締めると、キュッと結んだつもりが、すぐに緩みがでてくる。それと同じように、男女の仲というのは、しっかり結んだつもりでも、いつかそら解けするということらしい。蝶々結びじゃ、なおのこと解けるわなぁ~。
aikoの歌には、うちの空耳少年も、とかくちゃちゃを入れる。例えば『えりあし』。切ないラブソングなのだが、歌いだしの”ぶったりしてー ごめんね 愛しくてしかたなかった~"という部分を聞いて「ぐったりしてー ごめんね・・・かと思ったよ。ハハ」なんて呑気に構えている。aikoが泣くぞ。さらに二人で、色んなパターンを考えてみた。 ’うっかりしてー ごめんね’「これいいと思わん?」「あはは。ホントだ・・・」「他にもありそうやな。」
逢ったりしてー ごめんね(不倫の歌かよ!)
まったりしてー ごめんね(こらサボるな!)
みなさんも考えてみてください♪って、ここはタモリ倶楽部か!
aiko『蝶々結び』『えりあし』