JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

恋うた -輪舞曲-

2008年06月27日 08時08分00秒 | 恋バナ
 似たようなタイプの人を、好きになることがないだろうか。かつて、そのタイプで失敗しているのに、また選び取ってしまう。あれ何なんだろうねーという話を、お仲間さんとしたことがある。「失ったときに、同じパターンではなかった?」確かに、直接的な原因ではないが、それを構成する要素とでもいおうか、そういったものが似ている。「同じパターンで成功したいために挑戦するのか。このパターンで上手くやりたいのだよな、きっと。でもでもなんだよなぁ。」

 私の恋愛が報われないのは、寂しさを抱える男に弱いからだ。これはもう、はっきりしている。人間的にどこか不器用な人に寄り添いたい、そんな人の心を救いたい想いが潜在的にある。決してダメ男じゃなく、尊敬すべき点をもっているのに、どこか欠落している人。げげっ。俺どうも、じんちゃんに好かれてるみたいなんだけど・・・欠落してんのかよーっ!そこのアナタ、どきっとしないように。ここは表現の場なので、その欠落が長所へ回り、そういった人ほど心に引っかかるものをたたき出してくる。一歩突き抜けた世界観が築けるというのは、往々にしてそんなものだろう。

 昔から、ちょっと意固地な人の気持ちを、ほぐすのが得意だった。あなたに時折見え隠れする優しさ・・・私は感じることができるよ。そんな想いに後押しされ、近づきたくなるのだ。けれど、その頑なさをある程度までは打ち砕けても、必ずまた冷たい壁へ突き当たる。結局は、その人が抱え続けるものに敗北する。人間なんて、そう簡単に変わるものじゃないし、何とかしてあげたいなんていうのもおこがましい。相手にとっては、余計なお世話なのだろう。そうして私も、自己愛の強い人間なので、腹の底では相手より自分を愛している。だから救い切れない。それを中途半端な優しさと、自分では呼んでいる。

 彼の場合、社交的な仮面をつけていたので、お決まりのパターンへ嵌まり込んでいるのに気づかなかった。明るさの向こうに影を見て、告白へ踏み切ったものの、表面的には従来惹かれていたタイプではなかったのだ。しかし、告白したことで二人の間が揺らぎ始めると、思いも寄らない側面が顔を出した。こちらがカチンとくる言葉が、次から次へと・・・どうして、そういう物言いをするわけ!?彼の無邪気な接近によって心をかき乱されていた私は、腹を立て、最大級の爆弾を投下してしまった。「あなたの為にどれだけ涙を流してると思ってるの?友達だと言い張ってる過去の女性、本当にあなたのことをそう思っていたのかしら。胸に手を当てて、考えて御覧なさいよ!」そうして、ただの友達なら甘えさせるつもりはないと突っぱねた。「君は、僕の本当の気持ちをわかっていない・・・」同じパターンを繰り返す。相手を変えるまでもなく、一つの恋の中で、そうなってしまうことがある。私たちは何度も、このすれ違いを経験した。おそらく、別れた後にも。

 ”大切なのは、人に何をしてもらったかじゃなく、人に何をしてあげたかだよね”映画『嫌われ松子の一生』に、登場するセリフ。主人公の松子は、人を愛して愛して愛し抜いて死んでいく。自分はボロボロに傷つき、不器用な生き方を繰り返しながら、それでも人を信じ、人を愛し、人を微笑ませ・・・彼女は女神になりたかったんじゃないかな。相手に対しての絶対的な存在。そうなることによって、求められること、愛されることを、望んでいたのだと思う。松子というキャラクターに触れる度、それを見過ごせない自分がいる。

 さて、今回の音楽ネタはaiko。学生時代に馴染んだ音楽を聴き続けている私は、めったに現在のミュージシャンへ手を伸ばさない。が、そうした状況を打ち破った一人が彼女だった。関西人持ち前の陽気さを前面に出しつつ、別れた彼をくちゅくちゅと想い続けるあかんたれ部分を表現してみせたり、私の心にぴったりくる歌詞が多い。男性から見て友達でいるのが心地いいタイプだろうが、意外と乙女チックなのでは。ウエットな作品は、歌詞だけみるとしつこい!重い!と言えなくもない世界。それが綺麗なメロディーへ乗せると、あら不思議。浄化されてしまうのだ。その辺のさじ加減も上手い。こうしたテクニック、私の恋バナにも使えるぞ。彼女には、たくさんの恋うたがあるけれど、ストレートにこうありたいと感じるのは『蝶々結び』。

 ”あなたの全てがこぼれ落ちても あたしが必ずすくい上げるさ
  変わらぬ哀しみ嘆く前に 忘れぬ喜びを今結ぼう"

 このゆるぎない安定感。完全に包み込む度量などなく、途中で傷つき、くしゃっと潰れてしまう私にとって、手に入れたいものなのだ。’あたしが必ず すくい上げるさ’ という歌詞が、頼もしくて好き。そうして、これからもやっぱり、どこか欠落した人に惹かれるんだろうな。作家の田辺聖子さん曰く、「男と女の仲は、人絹(じんけん)の紐みたいなものである」と。着物で、混じり物の糸(人造絹糸)の帯締めを締めると、キュッと結んだつもりが、すぐに緩みがでてくる。それと同じように、男女の仲というのは、しっかり結んだつもりでも、いつかそら解けするということらしい。蝶々結びじゃ、なおのこと解けるわなぁ~。

 aikoの歌には、うちの空耳少年も、とかくちゃちゃを入れる。例えば『えりあし』。切ないラブソングなのだが、歌いだしの”ぶったりしてー ごめんね 愛しくてしかたなかった~"という部分を聞いて「ぐったりしてー ごめんね・・・かと思ったよ。ハハ」なんて呑気に構えている。aikoが泣くぞ。さらに二人で、色んなパターンを考えてみた。 ’うっかりしてー ごめんね’「これいいと思わん?」「あはは。ホントだ・・・」「他にもありそうやな。」

 逢ったりしてー ごめんね(不倫の歌かよ!)
 まったりしてー ごめんね(こらサボるな!)

 みなさんも考えてみてください♪って、ここはタモリ倶楽部か!

 aiko『蝶々結び』『えりあし』

恋うた -告白-

2008年06月19日 12時54分00秒 | 恋バナ
 好きな人にすきと言う、ただそれだけのことが、上手くできないのは何故だろう。好意をもってくれている相手でも、告白というのは気が重い。恥ずかしさが先にたったり、反応を受け止める勇気がなかったり。女性の場合、やはり男にキメてもらいたい願望もあったりして・・・。そんな心理に捕らわれている間に、恋のチャンスは目の前を素通りしていく。成立の下地があろうと、相手に頼っているばかりでは、機会だって半減する。自分からも働きかけてこそ、可能性は広がる。ちょっとしたきっかけをいかに拾えるか。ロマンスの神様は案外公平に人々の上に訪れていて、それに気づき次へつなげるのは本人次第、そんなところではなかろうか。せめて、この人こそという相手が現れた時くらいは、一握りの勇気を出したいものだ。

 ”好きなものからは逃げるな。一生後悔するぞ。”映画『しゃべれども しゃべれども』に、出てくるセリフ。もう、この言葉だけで充分。それくらい心に響いた。ただ一度の告白。 決して純粋な動機だけに、後押しされた訳ではなかった。が、私はその道を選んだことを悔やんでいない。記憶から消し去りたいとも思わない。初めての告白へと導いたこともそうだが、彼は私の中に眠っていた感情-良くも悪くも-、気づきもしなかった能力を呼び起こした。かつて、それ程激しい揺さぶりをかけられたことはなかった。生涯を通じて恋をする機会は、それなりにあるかもしれない。しかし、生きていく上で強烈な影響力を及ぼす相手と、どれ程出会えるだろう。私が彼にこだわり続けた理由、最後まで気づいていなかったんじゃないかな。あなたの中には、鉱脈が眠っていたのよ・・・

 さて、今回の音楽話はアイドル。商業主義と言われようが、大した映画じゃないと言われようが、学生時代の記憶を彩るものとして角川作品は無視できない。そんな角川作品から誕生したアイドル、原田知世。40歳になった今も、抜群の透明感を維持する様は、さながら平成の吉永小百合。吉永さん、特別芝居が上手い訳ではないけど、輝き続けているじゃないですか。あれ、たたずまいの美しさじゃないかなぁ。ただ、そこにいるだけでOK!みたいな。知世ちゃんにも、同じ匂いを感じるのだ。

 アイドル時代の歌は、未だに愛聴していて、一緒に口ずさむと瞬く間に少女へ戻る。全盛期のあやや(松浦亜弥)の如しだが、あややよりは、しっとりと切ない。"想う気持ちは海の底まで 胸のせつなさ空の上まで 他の誰かに愛されるなら あなたのために悲しむ方がいい" (BY『早春物語』)この映画で、17歳の知世ちゃんは、中年男性(林隆三)に恋をするのだった。17歳の乙女をこんな気持ちにさせるなんて罪作りな男!今までメロディー重視で聴いていたのだろうか。サビの部分(逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて・・・)ばかり耳についていたが、改めて聴くとメロディーとしては地味な前半部分に、切ない歌詞がのせられていた。相手のちょっとした態度で、心が激しく揺れる。私も表現したことのある恋の感情だが、作詞家さん、切なさを空にあげているなぁ。

 康珍化(作詞家)の作品といえば、林哲司(作曲家)とコンビを組んで次々とヒットを放った杉山清隆&オメガトライブの歌が印象に残るが、もの哀し系の作品も味わい深い。中森明菜の『北ウィング』、原田知世の『愛情物語』『早春物語』。そして、上田正樹の『悲しい色やね』。あれは、大阪を代表する歌になっているのに、大阪人が作った歌ではなかったのだ。道理で洗練されているでしょ?

 さて、原田知世と聞いて黙っていられないのが、うちの夫。青春時代から、微動だにせず知世ちゃんヒトスジ。『時をかける少女』のロケ地を訪ねて、尾道までいったというツワモノだ。本棚には、アイドル時代の写真集・映画パンフ・CM出演していた商品カタログ等が並び、他の何を処分しても、これだけは捨てられない。まぁそれはかまわないが、せめて実家においてこいよ、なんて妻は眺めている。

 あ~知世ちゃん程じゃないけど、もう一人だけおったな。初々しかった頃の松田聖子。小汚い目覚まし時計に、おめめがはれぼったい頃のシールがはってあり、夫は結婚後もそれを愛用していたのだが、 壊れたのをいいことにシールも込みで・・・えい!って捨てちゃった。そんな悪魔になってしまうことありませんか?女って勝手なものです。うふふ。では、知世ちゃんの恋うたから♪

 https://www.youtube.com/watch?v=KQ9J5by0mq8


恋うた -友情との間-

2008年06月12日 17時14分00秒 | 恋バナ
 男女間に友情は成立するか?そんな話題を、お仲間さんとしたことがある。「成立する」 と答えた彼女は、出会った時に、相手が自分にとってどういう立場が相応しいのかを考え選り分ける、と言った。つまり、彼になるべき人と友達でいるべき人とを、はっきり区別する。友達から彼へ進展することもなければ、彼から友達になることもない。あえてそうしないと。

 最後まで友達として彼女に守られた男性は、きっと幸せなのだろう。今の私なら、そう思うことができる。彼が、彼女のような人と出会っていれば、心に雨を降らせることもなく、さらしたくもない一面をさらすこともなく、ちょっとホレっぽくて、寂しがり屋で、カッコいい所がある一方でどうしようもない、それでも何故か憎めない、そんな彼でい続けることができたのではないか。運命の歯車は、ピタリと噛み合わないのが実情らしい。

 彼が出会ったのは、男女間の友情について懐疑的な女だった。それは彼女、即ち私が、そうした関係をそれまでに上手く継続できなかったことと、決して無関係ではない。相手が独身の間はともかく、結婚してパートナーができると、パートナーの意向や度量にも左右される。 ひどい例だと、年に一度の年賀状さえも、許されなくなるのだ。日常的にまとわりついている訳ではないのに、何故ダメなのか理解に苦しんだが、そうやって数少ない男友達は、ことごとく離れていった。自分の気持ち一つで継続できない関係、所詮そこまでのものだったということ。恋なんていつかは終わる・・・と冷めた目で見つめる人がいるように、異性間の友情もまた、私にとっては信頼が薄かったのである。

 同じくはかないものなら、友情よりも恋をとりたい。たとえひと時でも、身を焦がすような想いに打ち震えたい。彼への想いに拍車がかかっていったのは、そんな事情もあった。恋が始まってから、いつ頃特別な感情が芽生えたのか?と、振り返ってみたことがある。「あの場面では、かなり気持ちが入っていたな。」と彼が取り上げたのは、私には最悪の場面。「いい友達ができてよかった。」その言葉で、私は深く落ち込んでいたのだ。バカヤローッ。ただの友達で、その距離の詰め方はあり?心が次第に傾斜していきそうな危うさを覚えた私は、「あまり近づかないで」という信号を投げていた。 その度に「ごめん・・・」と言いながら、彼は距離を詰めてきた。そこには、一点の曇りもやましさもなかったと思う。 「好きだから会いにいく。ただそれだけ。」 ピュアな感情は、相手の心へまっすぐ突き刺さる。 あの頃も、そして形を変え、今も。現在の方が痛みを伴うのは、そこから先の風景を見ているからだろう。肝心な所で感情を秘めてしまう彼の、静かな微笑みを思い出す度、胸がつぶれそうになる。かつては読み取れなかった、ささやかな喜びの表現が、今ではわかるから。

 さて、今回も音楽の話。学生時代、『ミュージックトマト』という邦楽のビデオクリップを流す番組があった。王道の歌番組ではスポットが当たらないアーチストが次々と紹介され、音楽シーンの新たな息吹を感じたものである。そんな中で私の耳に衝撃を与えたのが、『失意のダウンタウン』(久保田利伸)。その圧倒的なリズム感に、恋に落ちるがごとく、瞬く間に取り憑かれた。たった1枚のデビューシングルを頼りに、ブレイク前の彼のライブに足を運んだのは、ちょっとした誇り。あふれ出る才能は、ファーストアルバム(『SHAKE IT PARADISE』)を見事ヒットさせ、あっという間に、大ホール級のアーチストへ駆け上がってしまったから。

 そんな彼が、主題歌を手掛けたドラマに、『水曜日の情事』というのがある。愛妻家の男(本木雅弘)が、ちょっとアブナイ妻の親友の毒牙にかかり、妻(天海祐希)と愛人(石田ひかり)の間で右往左往する。珍しく横から覗いていたドラマ嫌いの夫が 「僕なら、あの愛人よりは妻を選ぶな」。そんな配役ってどうよー。何だかNHK的な正統派キャラが頭について、触手が動かなかったのね。ひかりちゃんはひかりちゃんのままでいいというか・・・安達祐実がプレイボーイでしどけないポーズを披露しても、嬉しくないじゃないスカ。

 それでも、野沢尚の脚本はスリリングで目が放せなかった。原田泰造や北村一輝が、フレッシュな香りを撒き散らしていた頃の懐かしい作品。文壇バーのママの木村多江、よかったな~。(←こっちの方がそそられた)ちなみに水曜日は、男が最も不倫をする確立の高い曜日なんですと。そこのアナタ、当たってたぁ~?

 という訳で、主題歌になった久保田利伸の恋うたです♪
 久保田利伸『Candy Rain』



恋うた - プロローグ -

2008年06月04日 16時36分00秒 | 恋バナ
 お仲間さんの日記を読んで、音楽について語りたくなった。初めて手にしたレコード、きっと忘れない。初恋の人のことは忘れてしまっても音楽に関しては覚えている、そんな自信がある。初めてのキスは?これも音楽が勝つだろう。初体験は?おっと、これは止めておこう。

 とりわけ学生時代の思い出は、音楽抜きには語れない。その当時の自分が何をしていたかより、どんな音楽を聴いていたかの方が、明確に思い出せる。胸を張って何をし得たのかを披露できないのは寂しいけれど、それでも今の自分を形作る重要な礎を築いていたのではないか。感性を磨くという名の下に。

 多感な年頃。おマセさんが背伸びをして、わかりもしない大人の世界を覗き見る。映画、ドラマ、小説、気の利いた少女なら実践で。 私の場合、それが音楽だった。絵に描いたような正統派ラブソングより、道ならぬ恋、秘めごと、別れうた・・・そういったものに心惹かれた。竹内まりやの『マンハッタン・キス』が、一時期道ならぬ恋の代表曲になっていたが、私にとってのそれはEPOの『あなたを奪えない』や、ドリカムの『週に一度の恋人』。やがて自分がそういう状況下へおかれることになろうとは、夢にも思わなかった。

 ”恋はするものではない。落ちるものだ。”ある女流作家の言葉どおり、相手や自分の立場におかまいなく、落ちる時は落ちる。気づいた時には、もう気持ちが転がり始めている。 あの時もそうだった。胸の奥にともった小さな灯り。それを慈しむだけの状態から抜きん出る瞬間。「心の傾斜が変わる」と表現したのは作詞家の森雪之丞だが(ピカソ『傾斜する心』にて)、上手い文句だと思う。

 引き返せる場面があったけれど、一歩踏み出すことを選んだ。ハッピーエンドになり得ない結末もわかっていたが、それでもよかった。背伸びをして大人の世界を覗き見ていた少女は、どこか無邪気な少女の匂いを残す大人になっていた。いくばくかの冒険心と好奇心がなければ、恋はできない。利巧になればなる程、自分を守ることを第一に考え、どこかで歯止めをかけるだろう。

 恋が始まる時、男は少年に戻り、女は少女に戻る。ただまっすぐに、愛情を傾けていた、あの頃が懐かしい。

 話を音楽に戻して、大貫妙子の歌声がすき。すべてをやわらかく包み込むような美しい声なのだけど、それに魅せられて近づけば、さてどうなるか・・・そんなローレライのような哀しさ・危うさをあわせ持つ。静けさの中に微妙な揺らぎがあり、温かな陽だまりの傍に、冷たい影が存在する。手中に収め切れない不安定さ・・・そんな所が彼女の魅力ではないだろうか。

 ”ピーターラビットのー おうちは おおきなもみの木の したにあるー なかよしとすんでる~♪”

 キッチンで歌っていたら、夫が「頭の中、ちょうちょ飛んでへんかー?」。ナント呑気なツッコミじゃ。夫の頭の中こそ、大貫妙子と言えば「ああ、ウサギやクマのぬいぐるみの人な。」(注: 『ピーターラビットとわたし』『テディベア』 )それ、めっちゃ片隅をデフォルメしてると思うわ!あなたの好きな原田知世ちゃんにだって『地下鉄のザジ』を提供しているのに。せめて、『Shall we dance?』や『恋人たちの時刻』の人と言えないものか。ホント情緒がないんだから。ぷんぷん。まぁその様子じゃ、ローレライに破滅へと導かれることもないだろうよ!

 家庭平和の為に間をとって、この曲にしておきます・・・
 大貫妙子『色彩都市』