もう私、ブチ切れまして。反乱を起こしました・・・ちょっと、ええ加減にしいや~!『極妻』の高島礼子もびっくり。初めて強い口調で、夫へ言い返しました。「どうしていけないの?」と。「私は10年間、ストレスをため続けてきたのよー!」 あまりのド迫力に、息子(小4)は布団の中で、カタカタ震えていました。目が覚めてトイレへ行きたくなったものの、とても出て行ける雰囲気じゃなかったと言います。こんな父と母の姿を見たことは、なかったのでした。翌日妹(小1)と相談してましたよ。どげんかせんといかん。ちなみにこの時の諍いは、第一次夫婦戦争と名付けられております。(詳しい内容は、昨年5月10日のエッセイをご覧ください)夫が家にいると、精神的に追い立てられる感じがして安らげなかった。仕事の形態上、在宅率が高かったのです。ドラマにネット・・・何かへ深く入り込みたいというのは、そんな現実からの逃避なのかも。自分の世界をもつことは、私にとって大切でしたから。とりわけ書くことは精神安定剤代わりだったので、それを邪魔されるのは我慢ならなかった。だから、第一次夫婦戦争は必死で戦いました。過去の怨恨もぶちまけました。書くことと同時に、仕事にも係わっていたことです。
数年前、私は地方局のTVモニターをしていました。その局が製作した番組を視聴、感想をまとめるという内容で、テレビ番組に関する意見を友人たちへ語っていた私には、うってつけの作業でした。当時も様々な年代の方との刺激的な出会いがあり、楽しい活動だった覚えがあります。微々たる収入の割に全精力を注いでいたので、とても割りに合う仕事ではなかったけれど、それでも好きなことをやっているのが、満足感へとつながっていました。さて、面白くないのは夫。最初こそ、忌憚なき意見をどこまで書いていいのか躊躇する妻に、「君は局の提灯持ちか?」とナイスな助言をしていたものの、いつしかつまらないといったムードを、撒き散らすようになりました。
ある時、テレビ出演の話が巡ってきたんです。見ている人なんてまずいない、早朝の視聴者ご意見番組。それでも看板アナにインタビューされるという、得がたい構成になっていました。こちらがいくら望んでも、訪れるものではない機会。乗ってみたいと思いました。が、幼い子どもを抱え、夫の協力なしには話を進め辛かった。それでおそるおそる切り出した結果が、しれっと一言「で?」。もうね、雰囲気的にそれ以上進められる感じじゃなかった。夫婦ってなんなの・・・途端に虚しくなりました。「大変恐縮でございますが、お願いが」と平身低頭に出れば、「認めてやる」つもりだったのでしょうか。それが男の沽券ですか。最終的には出演できることになったものの、どうせなら始めから気持ちよく協力してくれればよかったのにという思いは拭えませんでした。夫婦とはいえライバルなんですよ。自分より上をいくのは好まない。任期が終わって「またやってみたいな♪」と、素直な気持ちを口にした時にも、「もう二度とやってほしくない」隣室から吐き捨てるようなつぶやきが。この人は、私がやりたいことに協力してくれる人じゃない。逆に足を引っ張られる。ご飯を食べながら、涙がこぼれました。それから夫に対して諦めというか、不信感がね。友人には「下手に下手に出て言うことを聞かせちゃうのよ~」なんて言われるんですが、何でそこまで気を遣わなアカンの。それよりは、言いたいことをきちんと伝えたい。過去何度となく呑み込んだ言葉、もうガマンしたくない。
モメるくらいなら黙る。そんな妻でした。鈍感だから、毎回のように夫に否定されていると気づくのにも時間がかかりました。なんせ「違う」が口癖。事実の相違ではなく、私個人の意見を口にしている時にも「違う!」なのです。これ、結構キツいですよ・・・。不愉快な思いばかりじゃない。傷つくことだって。そんな時も、黙って腹を立て、黙って泣いていました。それが何になる?相手はねぇ、様子がおかしいなとは感じても、何に対してそうなっているのか、わかっていない。こちらはある意志をもっての沈黙であっても、むこうには通じない。怒っているのか、傷ついているのか、或いはあきれているのか、様子を見ているのか、サッパリわからない訳です。夫にも、実はそんな所があって、どうでもいい反論はしてくる癖に、大切なことは正面切って伝えてこない。ぼそっと、あさっての方を向き、気持ちを吐いていました。どこかで、向き合うのを避けていたのだと思います。結果、物にあたったり、子どもにあたったり・・・それがまた、こちらの神経に障る、その繰り返しでした。大きな喧嘩がなかったとはいえ、そういういざこざは何度もあったのです。私の胸の中には日常的に不満分子がたまり、ある時はストレートに、ある時は形を変え、友人へ吐きまくっていました。今よりヒドいですよ。3日と空けず長文メールがどかどかと。
ではここで、私の心の内を『木更津キャッツアイ』のように、きゅーっと巻き戻してみましょう。去年の今頃まで。「ここは私の居場所じゃない。」友人向けのメールで、周囲をドキリとさせるつぶやきを放ちました。専業主婦ってやりきれんわという思いが、MAXに達しようとしていた時です。田嶋先生始めフェミニストの人たちがわーきゃー言ってる家事労働からの解放だとか家事労働にも賃金をとか、そういうことじゃないんだよな。胸張って生きたいよ。この肩身の狭さは何なんだ・・・。心配した友人が、こんなメッセージをくれました。「確かに三食買っても事足りる世の中、専業主婦の値打ちはないかもしれないけど・・・それでも今は家にいたい。それに無給だけど、無償の奉仕ではないと思う。子供と走り回って運動になる、一汁三菜の食事を作って食べられる、晴れた日には布団だって干せる、自分にもメリットがあるはずよ。」うん。私もそういった恩恵を受けてきました。何気ない日常の中に小さな幸せがいっぱい転がっていることも知っています。けど欲を言えば、わずかながらでも自由になるお金がほしい。そうしてやはり、認められたいのねぇ。
夜回り先生の本(水谷修著『あした笑顔になあれ』)に、会社で上司が部下に、部下である夫が家庭で妻に、妻が子どもに、自分のうっぷんをぶつけて、うさをはらしていく構図がでてきます。相手を否定的にとらえながらね。そうして、「それでは子どもがかわいそう。子どもだって褒められたい、認められたいんだから」と続くのですが、アタシだってそうだよ!と思った。大人だって認められること、必要とされることを望んでいる。仕事に限らなくとも、存在意義のある場がほしいというのは、誰しも共通ではなかろうか。大人を救うのが子どもを救うことにつながっていく・・・。”子どもより親が大事”あらあら太宰さん(『桜桃』)になっちゃったよー。けど、そう感じましたねぇ。残念ながら専業主婦の私は、夫に認めてもらえませんでした。夫はね、時間という概念でしか物事を量っていない。いかに効率よく進めていくかという視点です。ったくトヨタイズムかよ。が、そのトヨタイズムだって、効率だけを追及している訳ではないはずだ。効率以上に大切にしているもの、それがトヨタを支えているのでしょう。確かに、家事の内容は夫に満足を与えるものではなかったかもしれない。しかし少なくとも、家族にとって居心地のよい空間は提供してきたつもりです。そこは認めてほしかった。ダメな所ばかり数え上げられるのは辛い。ここで認めてもらえないなら、私を必要としてくれる世界へ出て行く・・・そんな気にもなります。例えそれが、幻の世界でも。
第一次夫婦戦争から数ヶ月後、ドカンとまた大喧嘩をやらかしました。「どうして追い立てられるように家事をこなさなければならないの!」 夫は、ちょっと一息という感覚を許さないのです。どんどん進めて大きく時間をとる方が有効だと。「それはあなたの考え方。家事をやっているのは私なの!!」ポカッと大きな時間なんて空いていらんねん。気が狂うねん。せやからあんさんのお母はんやって、ぎゃーつく息子の家庭にからんでくるのやろ~。こちとら暇を持て余さんように、ペース配分しとるんじゃ。早いのがいいのかというとね、夫が勝手にイラついて参入してくるのですが、決してありがたくはないんですよ。その掃除機のかけ方じゃ、折角取り替えた畳の表面がこすれます~カッツンカッツンあてて家具が傷みます~その洗い方で、お茶わん欠けてます~スポンジすぐダメになりました~もう手伝ってくれなくていいよって感じなの。だから、一つ一つはっきりと、指摘させていただきました。きょとんとしてた。そんな側面、考えもしなかったんでしょうな。自己満足で人の領分を引っ掻き回していくな!以後親切で手伝うことはあっても、イライラして介入することはなくなりました。あ~すっとした。
もう遠慮はしない。場の空気を乱すちゃちゃは、その場でチクリとやり返します。勢いあまって、「あの言い方はないと思うわ」と息子に指摘されることも。子どもは公平に見てますネ。それでもいいんです。争うのが目的じゃないから。そのステージへ行き着くまでには、「大丈夫?心が荒れてない?」と友人に心配もかけましたが、こんなメールを返しました。「夫婦の問題はね、こじれているようで翌日仲良くなったり。で、またケンカしたり。そういう事の繰り返しなので、他人さまよりは意外と修復可能なんです。うちはそうだと思っています。今年になって色々勃発してるのは、私が今までのように自分の言い分を抑えなくなったのが要因で。でも、言わなきゃわかんないでしょ~。」
そうさな・・・悪口ばかり言うのも何なんで、夫のいい所を。正面切って思いを伝え合えなかった10年間、どんなに険悪なムードになっても、翌朝必ず夫の方から「おはよう」と、声をかけてくれました。こんな時は私の方が頑なで、蚊の鳴くような声でしか応対できませんでしたが、それでもその一言をきっかけに会話が始まることが多々ありました。それもあって、どうにかやってこれたのだと思います。
ドラマ『佐々木夫妻の仁義なき戦い』、人ごとじゃないですねぇ。几帳面な夫とガサツな妻の争いだそうで、どこぞの家庭と一緒です。ドラマみたいに体を張ったぶつかり合いではないけれど、それでも過去2回の夫婦戦争は、再生へ向けての足がかりとなりました。ただし息子曰く、「第三次夫婦戦争が起こった時、家族は崩壊する・・・」。核戦争かい!で、妹相手に「二人が離婚したらどっちについてくか、考えとけよ。」「お母さん!」「ん~じゃあ、おいらは父さんかな。」子どもなりに気を遣っているのですね。優しい息子です。娘はどこまでも正直だ(爆)。
おっと、夫婦再生へ向けての足がかりがもう一つ。愛情確認行為。規則正しいリズム運動が効いて、夫の椎間板ヘルニア、治っちゃいましたから~!主治医もビックリ♪私の存在意義は、どうやらこちらにあったようです・・・。この年になり後戯の大切さを知る。キモくね?人のセックスを笑うな!!やはり、体を張ったぶつかり合いがよろしいようで。
数年前、私は地方局のTVモニターをしていました。その局が製作した番組を視聴、感想をまとめるという内容で、テレビ番組に関する意見を友人たちへ語っていた私には、うってつけの作業でした。当時も様々な年代の方との刺激的な出会いがあり、楽しい活動だった覚えがあります。微々たる収入の割に全精力を注いでいたので、とても割りに合う仕事ではなかったけれど、それでも好きなことをやっているのが、満足感へとつながっていました。さて、面白くないのは夫。最初こそ、忌憚なき意見をどこまで書いていいのか躊躇する妻に、「君は局の提灯持ちか?」とナイスな助言をしていたものの、いつしかつまらないといったムードを、撒き散らすようになりました。
ある時、テレビ出演の話が巡ってきたんです。見ている人なんてまずいない、早朝の視聴者ご意見番組。それでも看板アナにインタビューされるという、得がたい構成になっていました。こちらがいくら望んでも、訪れるものではない機会。乗ってみたいと思いました。が、幼い子どもを抱え、夫の協力なしには話を進め辛かった。それでおそるおそる切り出した結果が、しれっと一言「で?」。もうね、雰囲気的にそれ以上進められる感じじゃなかった。夫婦ってなんなの・・・途端に虚しくなりました。「大変恐縮でございますが、お願いが」と平身低頭に出れば、「認めてやる」つもりだったのでしょうか。それが男の沽券ですか。最終的には出演できることになったものの、どうせなら始めから気持ちよく協力してくれればよかったのにという思いは拭えませんでした。夫婦とはいえライバルなんですよ。自分より上をいくのは好まない。任期が終わって「またやってみたいな♪」と、素直な気持ちを口にした時にも、「もう二度とやってほしくない」隣室から吐き捨てるようなつぶやきが。この人は、私がやりたいことに協力してくれる人じゃない。逆に足を引っ張られる。ご飯を食べながら、涙がこぼれました。それから夫に対して諦めというか、不信感がね。友人には「下手に下手に出て言うことを聞かせちゃうのよ~」なんて言われるんですが、何でそこまで気を遣わなアカンの。それよりは、言いたいことをきちんと伝えたい。過去何度となく呑み込んだ言葉、もうガマンしたくない。
モメるくらいなら黙る。そんな妻でした。鈍感だから、毎回のように夫に否定されていると気づくのにも時間がかかりました。なんせ「違う」が口癖。事実の相違ではなく、私個人の意見を口にしている時にも「違う!」なのです。これ、結構キツいですよ・・・。不愉快な思いばかりじゃない。傷つくことだって。そんな時も、黙って腹を立て、黙って泣いていました。それが何になる?相手はねぇ、様子がおかしいなとは感じても、何に対してそうなっているのか、わかっていない。こちらはある意志をもっての沈黙であっても、むこうには通じない。怒っているのか、傷ついているのか、或いはあきれているのか、様子を見ているのか、サッパリわからない訳です。夫にも、実はそんな所があって、どうでもいい反論はしてくる癖に、大切なことは正面切って伝えてこない。ぼそっと、あさっての方を向き、気持ちを吐いていました。どこかで、向き合うのを避けていたのだと思います。結果、物にあたったり、子どもにあたったり・・・それがまた、こちらの神経に障る、その繰り返しでした。大きな喧嘩がなかったとはいえ、そういういざこざは何度もあったのです。私の胸の中には日常的に不満分子がたまり、ある時はストレートに、ある時は形を変え、友人へ吐きまくっていました。今よりヒドいですよ。3日と空けず長文メールがどかどかと。
ではここで、私の心の内を『木更津キャッツアイ』のように、きゅーっと巻き戻してみましょう。去年の今頃まで。「ここは私の居場所じゃない。」友人向けのメールで、周囲をドキリとさせるつぶやきを放ちました。専業主婦ってやりきれんわという思いが、MAXに達しようとしていた時です。田嶋先生始めフェミニストの人たちがわーきゃー言ってる家事労働からの解放だとか家事労働にも賃金をとか、そういうことじゃないんだよな。胸張って生きたいよ。この肩身の狭さは何なんだ・・・。心配した友人が、こんなメッセージをくれました。「確かに三食買っても事足りる世の中、専業主婦の値打ちはないかもしれないけど・・・それでも今は家にいたい。それに無給だけど、無償の奉仕ではないと思う。子供と走り回って運動になる、一汁三菜の食事を作って食べられる、晴れた日には布団だって干せる、自分にもメリットがあるはずよ。」うん。私もそういった恩恵を受けてきました。何気ない日常の中に小さな幸せがいっぱい転がっていることも知っています。けど欲を言えば、わずかながらでも自由になるお金がほしい。そうしてやはり、認められたいのねぇ。
夜回り先生の本(水谷修著『あした笑顔になあれ』)に、会社で上司が部下に、部下である夫が家庭で妻に、妻が子どもに、自分のうっぷんをぶつけて、うさをはらしていく構図がでてきます。相手を否定的にとらえながらね。そうして、「それでは子どもがかわいそう。子どもだって褒められたい、認められたいんだから」と続くのですが、アタシだってそうだよ!と思った。大人だって認められること、必要とされることを望んでいる。仕事に限らなくとも、存在意義のある場がほしいというのは、誰しも共通ではなかろうか。大人を救うのが子どもを救うことにつながっていく・・・。”子どもより親が大事”あらあら太宰さん(『桜桃』)になっちゃったよー。けど、そう感じましたねぇ。残念ながら専業主婦の私は、夫に認めてもらえませんでした。夫はね、時間という概念でしか物事を量っていない。いかに効率よく進めていくかという視点です。ったくトヨタイズムかよ。が、そのトヨタイズムだって、効率だけを追及している訳ではないはずだ。効率以上に大切にしているもの、それがトヨタを支えているのでしょう。確かに、家事の内容は夫に満足を与えるものではなかったかもしれない。しかし少なくとも、家族にとって居心地のよい空間は提供してきたつもりです。そこは認めてほしかった。ダメな所ばかり数え上げられるのは辛い。ここで認めてもらえないなら、私を必要としてくれる世界へ出て行く・・・そんな気にもなります。例えそれが、幻の世界でも。
第一次夫婦戦争から数ヶ月後、ドカンとまた大喧嘩をやらかしました。「どうして追い立てられるように家事をこなさなければならないの!」 夫は、ちょっと一息という感覚を許さないのです。どんどん進めて大きく時間をとる方が有効だと。「それはあなたの考え方。家事をやっているのは私なの!!」ポカッと大きな時間なんて空いていらんねん。気が狂うねん。せやからあんさんのお母はんやって、ぎゃーつく息子の家庭にからんでくるのやろ~。こちとら暇を持て余さんように、ペース配分しとるんじゃ。早いのがいいのかというとね、夫が勝手にイラついて参入してくるのですが、決してありがたくはないんですよ。その掃除機のかけ方じゃ、折角取り替えた畳の表面がこすれます~カッツンカッツンあてて家具が傷みます~その洗い方で、お茶わん欠けてます~スポンジすぐダメになりました~もう手伝ってくれなくていいよって感じなの。だから、一つ一つはっきりと、指摘させていただきました。きょとんとしてた。そんな側面、考えもしなかったんでしょうな。自己満足で人の領分を引っ掻き回していくな!以後親切で手伝うことはあっても、イライラして介入することはなくなりました。あ~すっとした。
もう遠慮はしない。場の空気を乱すちゃちゃは、その場でチクリとやり返します。勢いあまって、「あの言い方はないと思うわ」と息子に指摘されることも。子どもは公平に見てますネ。それでもいいんです。争うのが目的じゃないから。そのステージへ行き着くまでには、「大丈夫?心が荒れてない?」と友人に心配もかけましたが、こんなメールを返しました。「夫婦の問題はね、こじれているようで翌日仲良くなったり。で、またケンカしたり。そういう事の繰り返しなので、他人さまよりは意外と修復可能なんです。うちはそうだと思っています。今年になって色々勃発してるのは、私が今までのように自分の言い分を抑えなくなったのが要因で。でも、言わなきゃわかんないでしょ~。」
そうさな・・・悪口ばかり言うのも何なんで、夫のいい所を。正面切って思いを伝え合えなかった10年間、どんなに険悪なムードになっても、翌朝必ず夫の方から「おはよう」と、声をかけてくれました。こんな時は私の方が頑なで、蚊の鳴くような声でしか応対できませんでしたが、それでもその一言をきっかけに会話が始まることが多々ありました。それもあって、どうにかやってこれたのだと思います。
ドラマ『佐々木夫妻の仁義なき戦い』、人ごとじゃないですねぇ。几帳面な夫とガサツな妻の争いだそうで、どこぞの家庭と一緒です。ドラマみたいに体を張ったぶつかり合いではないけれど、それでも過去2回の夫婦戦争は、再生へ向けての足がかりとなりました。ただし息子曰く、「第三次夫婦戦争が起こった時、家族は崩壊する・・・」。核戦争かい!で、妹相手に「二人が離婚したらどっちについてくか、考えとけよ。」「お母さん!」「ん~じゃあ、おいらは父さんかな。」子どもなりに気を遣っているのですね。優しい息子です。娘はどこまでも正直だ(爆)。
おっと、夫婦再生へ向けての足がかりがもう一つ。愛情確認行為。規則正しいリズム運動が効いて、夫の椎間板ヘルニア、治っちゃいましたから~!主治医もビックリ♪私の存在意義は、どうやらこちらにあったようです・・・。この年になり後戯の大切さを知る。キモくね?人のセックスを笑うな!!やはり、体を張ったぶつかり合いがよろしいようで。