JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

夫婦再生(後編) 

2008年02月26日 08時35分00秒 | 夫婦
 もう私、ブチ切れまして。反乱を起こしました・・・ちょっと、ええ加減にしいや~!『極妻』の高島礼子もびっくり。初めて強い口調で、夫へ言い返しました。「どうしていけないの?」と。「私は10年間、ストレスをため続けてきたのよー!」 あまりのド迫力に、息子(小4)は布団の中で、カタカタ震えていました。目が覚めてトイレへ行きたくなったものの、とても出て行ける雰囲気じゃなかったと言います。こんな父と母の姿を見たことは、なかったのでした。翌日妹(小1)と相談してましたよ。どげんかせんといかん。ちなみにこの時の諍いは、第一次夫婦戦争と名付けられております。(詳しい内容は、昨年5月10日のエッセイをご覧ください)夫が家にいると、精神的に追い立てられる感じがして安らげなかった。仕事の形態上、在宅率が高かったのです。ドラマにネット・・・何かへ深く入り込みたいというのは、そんな現実からの逃避なのかも。自分の世界をもつことは、私にとって大切でしたから。とりわけ書くことは精神安定剤代わりだったので、それを邪魔されるのは我慢ならなかった。だから、第一次夫婦戦争は必死で戦いました。過去の怨恨もぶちまけました。書くことと同時に、仕事にも係わっていたことです。

 数年前、私は地方局のTVモニターをしていました。その局が製作した番組を視聴、感想をまとめるという内容で、テレビ番組に関する意見を友人たちへ語っていた私には、うってつけの作業でした。当時も様々な年代の方との刺激的な出会いがあり、楽しい活動だった覚えがあります。微々たる収入の割に全精力を注いでいたので、とても割りに合う仕事ではなかったけれど、それでも好きなことをやっているのが、満足感へとつながっていました。さて、面白くないのは夫。最初こそ、忌憚なき意見をどこまで書いていいのか躊躇する妻に、「君は局の提灯持ちか?」とナイスな助言をしていたものの、いつしかつまらないといったムードを、撒き散らすようになりました。

 ある時、テレビ出演の話が巡ってきたんです。見ている人なんてまずいない、早朝の視聴者ご意見番組。それでも看板アナにインタビューされるという、得がたい構成になっていました。こちらがいくら望んでも、訪れるものではない機会。乗ってみたいと思いました。が、幼い子どもを抱え、夫の協力なしには話を進め辛かった。それでおそるおそる切り出した結果が、しれっと一言「で?」。もうね、雰囲気的にそれ以上進められる感じじゃなかった。夫婦ってなんなの・・・途端に虚しくなりました。「大変恐縮でございますが、お願いが」と平身低頭に出れば、「認めてやる」つもりだったのでしょうか。それが男の沽券ですか。最終的には出演できることになったものの、どうせなら始めから気持ちよく協力してくれればよかったのにという思いは拭えませんでした。夫婦とはいえライバルなんですよ。自分より上をいくのは好まない。任期が終わって「またやってみたいな♪」と、素直な気持ちを口にした時にも、「もう二度とやってほしくない」隣室から吐き捨てるようなつぶやきが。この人は、私がやりたいことに協力してくれる人じゃない。逆に足を引っ張られる。ご飯を食べながら、涙がこぼれました。それから夫に対して諦めというか、不信感がね。友人には「下手に下手に出て言うことを聞かせちゃうのよ~」なんて言われるんですが、何でそこまで気を遣わなアカンの。それよりは、言いたいことをきちんと伝えたい。過去何度となく呑み込んだ言葉、もうガマンしたくない。

 モメるくらいなら黙る。そんな妻でした。鈍感だから、毎回のように夫に否定されていると気づくのにも時間がかかりました。なんせ「違う」が口癖。事実の相違ではなく、私個人の意見を口にしている時にも「違う!」なのです。これ、結構キツいですよ・・・。不愉快な思いばかりじゃない。傷つくことだって。そんな時も、黙って腹を立て、黙って泣いていました。それが何になる?相手はねぇ、様子がおかしいなとは感じても、何に対してそうなっているのか、わかっていない。こちらはある意志をもっての沈黙であっても、むこうには通じない。怒っているのか、傷ついているのか、或いはあきれているのか、様子を見ているのか、サッパリわからない訳です。夫にも、実はそんな所があって、どうでもいい反論はしてくる癖に、大切なことは正面切って伝えてこない。ぼそっと、あさっての方を向き、気持ちを吐いていました。どこかで、向き合うのを避けていたのだと思います。結果、物にあたったり、子どもにあたったり・・・それがまた、こちらの神経に障る、その繰り返しでした。大きな喧嘩がなかったとはいえ、そういういざこざは何度もあったのです。私の胸の中には日常的に不満分子がたまり、ある時はストレートに、ある時は形を変え、友人へ吐きまくっていました。今よりヒドいですよ。3日と空けず長文メールがどかどかと。

 ではここで、私の心の内を『木更津キャッツアイ』のように、きゅーっと巻き戻してみましょう。去年の今頃まで。「ここは私の居場所じゃない。」友人向けのメールで、周囲をドキリとさせるつぶやきを放ちました。専業主婦ってやりきれんわという思いが、MAXに達しようとしていた時です。田嶋先生始めフェミニストの人たちがわーきゃー言ってる家事労働からの解放だとか家事労働にも賃金をとか、そういうことじゃないんだよな。胸張って生きたいよ。この肩身の狭さは何なんだ・・・。心配した友人が、こんなメッセージをくれました。「確かに三食買っても事足りる世の中、専業主婦の値打ちはないかもしれないけど・・・それでも今は家にいたい。それに無給だけど、無償の奉仕ではないと思う。子供と走り回って運動になる、一汁三菜の食事を作って食べられる、晴れた日には布団だって干せる、自分にもメリットがあるはずよ。」うん。私もそういった恩恵を受けてきました。何気ない日常の中に小さな幸せがいっぱい転がっていることも知っています。けど欲を言えば、わずかながらでも自由になるお金がほしい。そうしてやはり、認められたいのねぇ。

 夜回り先生の本(水谷修著『あした笑顔になあれ』)に、会社で上司が部下に、部下である夫が家庭で妻に、妻が子どもに、自分のうっぷんをぶつけて、うさをはらしていく構図がでてきます。相手を否定的にとらえながらね。そうして、「それでは子どもがかわいそう。子どもだって褒められたい、認められたいんだから」と続くのですが、アタシだってそうだよ!と思った。大人だって認められること、必要とされることを望んでいる。仕事に限らなくとも、存在意義のある場がほしいというのは、誰しも共通ではなかろうか。大人を救うのが子どもを救うことにつながっていく・・・。”子どもより親が大事”あらあら太宰さん(『桜桃』)になっちゃったよー。けど、そう感じましたねぇ。残念ながら専業主婦の私は、夫に認めてもらえませんでした。夫はね、時間という概念でしか物事を量っていない。いかに効率よく進めていくかという視点です。ったくトヨタイズムかよ。が、そのトヨタイズムだって、効率だけを追及している訳ではないはずだ。効率以上に大切にしているもの、それがトヨタを支えているのでしょう。確かに、家事の内容は夫に満足を与えるものではなかったかもしれない。しかし少なくとも、家族にとって居心地のよい空間は提供してきたつもりです。そこは認めてほしかった。ダメな所ばかり数え上げられるのは辛い。ここで認めてもらえないなら、私を必要としてくれる世界へ出て行く・・・そんな気にもなります。例えそれが、幻の世界でも。

 第一次夫婦戦争から数ヶ月後、ドカンとまた大喧嘩をやらかしました。「どうして追い立てられるように家事をこなさなければならないの!」 夫は、ちょっと一息という感覚を許さないのです。どんどん進めて大きく時間をとる方が有効だと。「それはあなたの考え方。家事をやっているのは私なの!!」ポカッと大きな時間なんて空いていらんねん。気が狂うねん。せやからあんさんのお母はんやって、ぎゃーつく息子の家庭にからんでくるのやろ~。こちとら暇を持て余さんように、ペース配分しとるんじゃ。早いのがいいのかというとね、夫が勝手にイラついて参入してくるのですが、決してありがたくはないんですよ。その掃除機のかけ方じゃ、折角取り替えた畳の表面がこすれます~カッツンカッツンあてて家具が傷みます~その洗い方で、お茶わん欠けてます~スポンジすぐダメになりました~もう手伝ってくれなくていいよって感じなの。だから、一つ一つはっきりと、指摘させていただきました。きょとんとしてた。そんな側面、考えもしなかったんでしょうな。自己満足で人の領分を引っ掻き回していくな!以後親切で手伝うことはあっても、イライラして介入することはなくなりました。あ~すっとした。

 もう遠慮はしない。場の空気を乱すちゃちゃは、その場でチクリとやり返します。勢いあまって、「あの言い方はないと思うわ」と息子に指摘されることも。子どもは公平に見てますネ。それでもいいんです。争うのが目的じゃないから。そのステージへ行き着くまでには、「大丈夫?心が荒れてない?」と友人に心配もかけましたが、こんなメールを返しました。「夫婦の問題はね、こじれているようで翌日仲良くなったり。で、またケンカしたり。そういう事の繰り返しなので、他人さまよりは意外と修復可能なんです。うちはそうだと思っています。今年になって色々勃発してるのは、私が今までのように自分の言い分を抑えなくなったのが要因で。でも、言わなきゃわかんないでしょ~。」

 そうさな・・・悪口ばかり言うのも何なんで、夫のいい所を。正面切って思いを伝え合えなかった10年間、どんなに険悪なムードになっても、翌朝必ず夫の方から「おはよう」と、声をかけてくれました。こんな時は私の方が頑なで、蚊の鳴くような声でしか応対できませんでしたが、それでもその一言をきっかけに会話が始まることが多々ありました。それもあって、どうにかやってこれたのだと思います。

 ドラマ『佐々木夫妻の仁義なき戦い』、人ごとじゃないですねぇ。几帳面な夫とガサツな妻の争いだそうで、どこぞの家庭と一緒です。ドラマみたいに体を張ったぶつかり合いではないけれど、それでも過去2回の夫婦戦争は、再生へ向けての足がかりとなりました。ただし息子曰く、「第三次夫婦戦争が起こった時、家族は崩壊する・・・」。核戦争かい!で、妹相手に「二人が離婚したらどっちについてくか、考えとけよ。」「お母さん!」「ん~じゃあ、おいらは父さんかな。」子どもなりに気を遣っているのですね。優しい息子です。娘はどこまでも正直だ(爆)。

 おっと、夫婦再生へ向けての足がかりがもう一つ。愛情確認行為。規則正しいリズム運動が効いて、夫の椎間板ヘルニア、治っちゃいましたから~!主治医もビックリ♪私の存在意義は、どうやらこちらにあったようです・・・。この年になり後戯の大切さを知る。キモくね?人のセックスを笑うな!!やはり、体を張ったぶつかり合いがよろしいようで。

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夫婦再生(前編)

2008年02月08日 15時37分00秒 | 夫婦
  ’もう一度、妻を口説こう’私たちの世代をターゲットにしたCDが、去年売り出されました。『R35』というアルバムです。チャゲ&飛鳥の『SAY YES』、米米CLUBの『君がいるだけで』、藤井フミヤの『TRUE LOVE』など、ドラマやCMを通して90年代前半にヒットした恋の名曲を集めたものでした。実は、このアルバムの宣伝通り、夫に再び口説かれまして・・・。一体何から、妻を取り戻したかったのか(笑)。お仲間さんにこの話をしましたらね、「夫君は、じんちゃんの扱いに気を遣っているのでしょうね?」と。なんやえらい哀れな男みたいに見えるでしょう?(うんうんと頷くな!) 違うんですよ。ここへ至るまでに、紆余曲折があったんです。それはまた、別の話。

 こう見えて?私、従順な妻でした。えーっと驚かれる方がほとんどでしょうが、現にそうなんだから仕方ない。人に逆らって波風をたてるという行為は、しない方だと思います。リアルの世界ではね。ただ自分という強固な核があって、どうしても納得できないことには従いたくない。そういう時には、逆らいもしないが従わない。そんなスタンスをとってきました。ただしこれは、余程の時にしか出さないカードです。相手方にも、ちょっとどうよ!っていう部分がある場合ね。

 夫はねぇ、思ったことがすぐ口に出る。この場面でその言葉を吐いて、何が楽しいのん?みたいな。家族でハウステンボスへ行ったんですよ。博多から長崎まで、ハウステンボス号というかわいらしい列車に乗り、駅について改札を出たら、風車が見えるんです。瀟洒なホテルも。ちょっとした別世界なんですよ。つい嬉しくなって「わ~い、風車だぁ」って走り出そうとしたら、「どうせモーターで回ってんだろ」。ふぅ~。喜び半減。久しぶりに鯛を買ってきたんですよ。小さいのを二つ、塩焼きにして、四人家族だから分け合って食べてたんです。息子が一口食べて「この鯛うめっ!あ~幸せだなぁ」とうっとりしていたら、「どうせ養殖だろ」。

 笑い事ちゃいますよ。すべてがこの調子。小さな幸せに水を差すんです。言うたら悪いけどねぇ、私は人に自慢できる学歴であるとか、勤め先であるとか、あるいは家柄とか、そういうものを捨てて夫を選んだんです。人にどう思われるかより、自分がどう思うかでええよな。対外的な満足感なんかいらん。日常の中に幸せがあれば、それでいい。せっかくのご縁、大切にしようじゃないか。そういうつもりで嫁いできました。その為には、親も泣かせました。父は私の考えを理解してくれる人でしたが、母は少し見栄っ張りな所もあって、「この結婚には納得がいかない」と言い張っていました。仕方ありません。母には母の立場があり、私への期待もあり、親と子の歴史もありましたから。一人娘だったので、とりわけ思い入れもあったでしょう。「大きなことを望んでいる訳ではないの。せめてもうちょっと、何とかならないの?」母の気持ちは痛いほどわかりましたが、こればかりはどうしようもありませんでした。ココリコの遠藤と離婚した千秋の気持ちも、少しだけわかるな。私はあんなお嬢様じゃないけれど。(彼女の立場を理解してあげてほしかった。遠藤くんには。)

 夫の元へやってくるまで、私たち家族の中では、色んなドラマがあったのです。それぞれが、胸のうちで泣いていた。気張らん時代とはいえ、女性側の家族からすると娘を取られるという感覚は拭えない。関西から出て夫の親族が揃う名古屋へ行くという地理的な状況の所為で尚更でした。それでもね、結婚式では気持ちを収めて笑ってくれたんです。反対に、夫の両親は号泣でした。車で20分の所に居を移すのによ。いや、そんな感情じゃないんだ。今まで一つ屋根の下で暮らしてきた息子が、巣立っていく。よくぞここまで成長したなぁと、万感胸に迫るものがあった。そんな所かもしれませんが、泣き過ぎだ!はっきり言って友人たち、失笑してましたから~。(トホホ)

 私の両親を慮って踏ん張ってくださいな、その後もいくつかの局面で感じました。’何を甘えてるんです’ キツい嫁ですかね。あまりに寂しい寂しいと連発されると、そう思いたくもなるんですよ。だって、すぐそこにいるのに。何かあった時に駆けつけられる距離。これって大きいですよ。ちっとも来てくれない・・・。現役は忙しいんです。そう思うのなら、そちらから来てください。うわっ、じんちゃんコワいな~ジャガー横田並みやな。こんな鬼嫁にいじめられて(口には出しませんで!いかな私でも)気の毒に。そう思うでしょ?けど、あちらさんもあちらさんなんです。息子が独立して家庭を構えた以上、もう少し遠慮してほしい。嫁を思い通りにしようったって無理ですよ。うちの親からすると、自分の娘さえ思うようにならなかったんだから。寂しさは、自ら解決するしかない。日頃の人との付き合い方とかね・・・ちゃんと種蒔いとかなって思うの。若いうちから。多少不自由ながらも動くことができる。美味しく食事もできる。夫婦ならではの楽しみを見つけてくださいな。一緒に行動できるお仲間さんも。たまには、みんなそろって♪それに不服はありません。しかしハナから当てにされるのはご遠慮したい。私たちには私たちの生活がありますから。寂しい人に振り回されたくありません。

 びっくりしたぁ?おいおい、ここのキャラと違うやないか。えっへへー。手を差し伸べるったって、やみくもにそんなことをしていたら、自分が崩壊します。相手は選んでるんだ。おそらく、いい気になって甘えてくる人には、手を差し伸べていないと思います。そうして、本当に大切な人だけよ。そこのアナタどきっとしない。

 決して夫の親族との付き合いを拒否していた訳ではないので、誤解なきよう。義父の顔を立て、その流儀を汲み、今の世の中そのやり方は歓迎されんねんけどなぁ!特に奥方には・・・と思われることにも、従ってきました。子どもが小さい間はお祝い事に招き、手料理でもてなしたりもしました。自分の親にはしてもらうばかりです。中々手が回りません。それでもよくしたものでね、10年経つうちに少しずつ状況も変わっていきまして、随分過ごし易くなりました。’2週間に1回’’月に1回’(←これ、結構重荷だったんですよ~)そんな訪問リズムは崩れました。会いたくなったら向こうも来るし、こちらからも子どもたち自らバスに乗って行く。私も自分の時間ができ、精神的に楽になって、義理の間の不満はうんと減りました。

 さて、夫ですがな。小さな幸せに水を差す夫。うちみたいな貧乏一家はねぇ、家族間のトークが娯楽の役割を果たすんですよ。静かな時は熱を出している時とトイレにこもっている時(何をか言わんや)という息子を筆頭に、日常から色んな話が出ます。息子が喋りだすと、負けん気の強い娘も口を開く。夕食時の会話は、家族間の交流や情報伝達や癒しや・・・娯楽以外の意味合いも兼ねてるんですよね。その会話の腰を折る。決して口数が多くない男がたまに口を開いたと思ったら、余計な一言なんだ。人のささやかな幸せに対してもそうです。ドラマを見ることが唯一の楽しみだったのに、ことごとく邪魔されました。誰しも’これさえ与えておけば機嫌よく物事が進行する’っていうものがあるでしょう?私にとっては、それがドラマ。かわいいものだったのよ。慣れない土地へ来て、一から人間関係を築いていって・・・ストレスだってたまります。本当は家事だって得意じゃないの。それでも頑張ってやってたの。息抜きくらいさせてよね。

 去年からネット活動を始めたでしょう?目くじらの矛先は、ネットへ変わりました。あれもダメ。これもダメ。妻が夢中になるもの、これ全部ダメ。極端な話ね、本を読んでいてもダメだったの。もう私、ブチ切れまして。反乱を起こしました・・・

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夫の条件

2008年01月19日 16時14分00秒 | 夫婦
 最近、娘が問うに 「ねぇねぇ、お父さんのどこがよくて結婚したの?」「あーん?」 言い辛い。非常に言い辛い。悪いけどあなたのここが好き!という積極的支持じゃないのよ。まぁ取りだてて嫌な所が見当たらなかった感じかな。それまで周囲の男性を見ていて、ちょいとご勘弁だったのが、'私を振り回すやんちゃタイプ’’生涯ギャンブル人生タイプ’’見得張り坊の金無しタイプ’。こりゃアカンかった~。(人となりは、また別の話やからね)

 常連さんならお察しでしょうが、包容力に欠けるんです。どこまでもマイペースなの。だから、やんちゃ坊主の面倒は見切れませんの。あれやって!これやって!と要求してくる男性は、どうも苦手だ。同期に天性のやんちゃ坊主がおりまして、宴会の時にスーツの上を脱いで「おっ、ちょっとこれかけといて。」アタシは奥さんじゃねぇ~。気の利く女性は自ら「かけたげようか?」などと言うんですけれども、そんなこともしたくねぇ~。かわいくない女だと思わんといてくださいよ。この同期はホンマに度を越してまして、人妻にモーニングコールを頼んでたんです。

 先輩にも、いらっしゃいました。休日いきなり電話をかけてきて、「これから出てこない?」「これからって?」「実は、もう近くまで来てるんだよね。あと20分くらいで着くから。」20分!パジャマ同様の姿で自堕落に過ごしている私に、20分で支度をしろと。せめて前日言ってくれ。百歩譲って朝のうち。気分で電話をしてくるな!こういう方は待つのも苦にならないのだろうが、人を待たせるプレッシャーだって、あるのですゾ。トロい私はてきぱきと支度ができない。よってズシリと心の負担。そんな事が数回続き、すんません!もう付き合い切れません・・・と、退散致しました。

 生涯ギャンブル人生は、わが父です。お馬さんがお友達。すべては、お馬さんを中心に回ります。メリーゴーランドやって馬も一緒に回るのに。小さい頃から休みの日に、家族でどこへも行けなんだといっても、過言ではない。動き出すのは競馬中継が終わってから。もう日が暮れるっちゅーに!年がら年中、毎週がこの調子。やかましい競馬中継にも、うんざりです。結婚してそんな生活ともスッキリおさらばと思てたら、数年たち日曜のお昼に、たかじんさんの番組が始まりまして。「母さん、どっか行こうよ~。」「ちょっと待って。今ええとこやねん。」テレビの前から動きません。すべては、たかじんさんを中心に回ります。動き出すのは番組が終わってから。たかじんさんは馬か!因果はめぐる・・・

 見得張り坊の金無しはね、イケメンのごっつーええ人でした。ブランドにも詳しくて「君のファンション、ハマトラ風だね」などとさらっと言う。「ハマトラってなに?」ブランドわかりませんの。目にして、いいと思ったものを買う。それだけですから。男選びも、そんな所があるかもしれない。(男は買いませんけども) で、この彼ですが始終金がない。デート代を捻出するのに、後輩にご馳走するのに、カードでお金を借りまくり。行いはスマートなんだけどねぇ。彼にはよく迷惑をかけました。宴会で酔っ払った私を送り中、電車の網棚にバッグを忘れ、私は私で「ここで待ってるんだよ!」という言葉もきかず、とっとと部屋へ帰り大騒動。翌日青い顔をして出勤してきた彼は・・・「おはよ~♪」顔を見るなり倒れこむように「探したんだよ。もう心配で心配で。よかったぁ!」怒りもせず、ひたすら安心してくれました。

 「何でそんなことを知りたいのよ。」娘に質問をしてみました。 「だって、わたしが結婚するときにね・・・どうやってきめたらいいのかなとおもって。」「あなたはどんな人がいいの?」「うんとねー頭がよくって(ふんふん)、お金をためてて(ほうほう)、やさしくって(なるほど)、夫婦げんかしなくって(あてつけか!)、それでぇねらわれてない人。」狙われるヤツって誰やねん。「政府の高官かよ!」(BY 兄)。「組長かよ!」(BY 母)。 「そんでもって、ブサイクじゃない人がいいんだろ。」「ああブサメンな。」以前経済評論家の森本卓郎さんが、世の中の男性は4つに分かれると仰ってまして。即ちイケメン、フツメン、ブサメン、キモメンと。いや~これにはウケました。彼の論調は好きではないんですが、この言葉だけは印象に残っております。経済の範ちゅうやないっちゅーねん。「ねぇねぇ、父さんは何メンなの?」答え辛い。非常に答え辛い。しかも本人がそこにおるやんけ。そのうち質問が変わった。ほっ。

 「ねぇねぇ、お母さんはお父さんに恋してるの?」どきっ。「聞くな。」「もう終わってんだろ。」と兄(小4)。「アホ抜かせ。まだまだ現役じゃ。恋の炎がメラメラと(笑)」「えっ 父さんに?」「はっ?いや父さんには、違うものがメラメラと・・・じーっ。」(スナイパーの目:こしゃくな事をヌカすので)「だってお父さんとお母さんが、裸で抱き合ってるの見たもん。」「だから夢でも見とったんやろ~。」「おいらも知ってる。神戸のホテルで目を覚ましたら、キャーとかアンとか・・・しばらく聞いてたらさー」聞くな!「父さんがパジャマ着て、ベッドへ戻ってったよ。」 「知るかい。」途中でグースカピーだったし。「だっておいら、その後トイレに行ったんだもん。間違いないよ。」 バレてた。という訳で、これからは子どもたちのいぬ間に。しかしなんでムラーズくん、わかったんやろ。(兄は知っていた)スリっとお見通しでしたね。

 ホンマは、私なりの結婚の条件があったんです。大層に言うことじゃないから、面と向かって聞かれると、どうにも答え辛い。実はねぇ・・・笑いのツボが一緒♪これが決め手だったの。何だかなぁと思ってたけど、先日占いの本を見ていたら、山羊座の結婚相手の選択基準で正にこの一言が。おもしろいと思うものが共通していれば、末永く笑顔の絶えない結婚生活を送れるそうで。実際はそう一筋縄じゃいかないんですが、それはまた別の話。

<参考>
 ハマトラ:横浜のトラディッショナルファッション
 http://vc-wing.or.jp/hyakka/style_2.html

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妻の条件

2007年07月21日 17時51分00秒 | 夫婦
 男性の方々に、お聞きします。あなたが妻に求める条件とは、何ですか?

・ 家族を愛すること(精神的ケアも含めて)
・ 家庭をしっかり守ること
・ 家事ができること
・ 子どもを育てること
・ 夜の××××(←こら。いえいえ大切なことです♪)

 こんな所でしょうか。もっとある?細かい事を言えばキリがないね~。

・ できれば美人が~
・ スタイルもよく~
・ 頭もそれなりに~
・ んでもって、やさしい人~
・ 欲いやーちょいエロかな(僕にだけ♪)

 そんなヤツおるか~!

 ちなみにうちの夫は「家事ができること」の要求度が高く、辛い思いをしております。これでも努力してるんだけどね~。たまーに主婦仲間へ、ちょいとグチるのですが、大抵の人が「家の事にうるさく口を出してくる夫は嫌だ」と言いますね。「うちは手も出さんけど、口も出さん。その方が楽でええわ~」とも。どうやら究極は、「口は出さずに、手だけ出せ」のようでございます。

 ーここからは、従来のじんちゃん節ー

 ちょっと前に、よく拝見させていただいている人生の大先輩のページへおじゃました所、’妻にするならこんな人’といった日記を目にした。「頭や器量はほどほどでよし。気立てがよく、家事ができれば」という内容だったかと思う。一般的に言えばそうなのだろう。しかしその言葉に、一抹の寂しさを感じたのも事実だった。結局ここへ落ち着くのかぁと。家事というのは、日々生活していく上で軽視できないもの。ただ事情が許すならば、他の人に任せられることでもある。そういう意味では、頭や器量はその人オリジナルのものなので、それに拘るのも悪くはないかと。

 頭なんかほどほどでええねん
      ↓
 その方が可愛げがあるしな
      ↓
 やっぱ従順が一番やで 
      ↓
 その方が守り甲斐もあるっちゅうもんや

 ヒネクレた私は、ついこんな論理展開をしてしまうのである。むちゃ被害妄想やねぇ。すんませんね。悪い方にばかり考えてしもて。結婚当初、見知らぬ土地へ飛び込んだ私には知り合いもなく、最寄の郵便局の文庫コーナーで、色んな本を乱読していた。それまで読みもしなかった作家の作品を手にして、未知の世界へ次々と魅了されていったのである。中谷彰宏、曽野綾子、堺屋太一。どれも新鮮な内容だった。

 ある日、夕食時の会話として、そんな自分の感想を夫に語っていた所、嫌な顔をされた。堺屋太一の経済本だったかな・・・取りだてて小難しい内容ではなかったのだが、’コイツ何言ってんだ?’みたいな空気がその場を支配したのである。私は、その時こう悟った。「専業主婦が賢くなっちゃいけないんだ・・・」と。中谷彰宏の how to 本も、軽いビジネス書のような内容だったが、そこに示されていた考え方や取り組みは、日常生活にも応用できる。だから、自分の身に置き換えて、面白く読んでいた。ちょうどその頃、仕事のグチをこぼしていた夫にタイムリーな部分もあったが、本人にあまり受け止める気がないので、伝えるのは止めにした。意地っ張りの夫は、人が「いいよ~」と勧めるものは、絶対避けて通る。かわいくない。男が女をかわいくねーと思うように、女だって男に対して、そう感じることがあるのだ。女になんか教えられたくない?男の沽券に係わるとでも?つまんない事で意地張ってるなぁ~と思うけれど、仕方がない。あっそ。別に押し付けるつもりもないし、乞われてる訳でもないから、「それじゃあ、ようござんす」と引くだけである。私はフェミニストじゃないし、テレビでその筋の理論をわーきゃー展開している論客などは、むしろ苦々しく見ている方なのだが、それでもそう感じるのだった。

 確かに、夕食の席の話題ではなかったのかもしれない。1日仕事をして疲れて帰ってきて癒されたい時に、そんな話は聞きたくないのだろう。でも、それはお互いさま。私だって、夫の職場のグチを受け止めていたのだから。専業主婦として家にいると、夫や子どもが色んな話をもってくる。楽しい内容もあるが、怒り、苦しみ、悩みも。そういった話をひたすら吸収していたのは、家族がまた笑顔で外の世界へ向かえるようにと、願えばこそ。私にだって、聞いて欲しい事はあるのだ。今、こんなものに興味があってね~こんなものに感銘を受けてね~本当は素直に、そんな他愛もない事を伝えたい。世の中の妻が求めているのって、意外とそんなことではなかろうか。それがままならないから、夫を見限り、自分の世界へ走る。うちの奥さん、ドラマばっかり見てトカ、趣味にハマって、なんていうのはこんな所が原因かと。

 ’夫として男として’という必要以上の気構えは、時として自分の固定観念へ、妻を閉じ込める結果になりかねない。現代の夫像でウケが悪いのは「精神的マッチョ」というのは、ここだけの話。’妻の条件’を提示される側としては、できそうな事、誇れる事を上げていただき、それを認めてもらえると幸せ♪かな。

 ちなみにうちの息子(小4)にも、未来の奥さんの条件を聞いてみた。

・ 美人(唇が薄い人)
・ たばこを吸わない
・ スタイルがいい
・ 気立てがいい
・ お金を大切にする
・ 家事ができる(料理が上手い)
・ 育児をしっかりする(子どもの教育)
・ 不倫をしない

 やっぱり母ちゃん、立つ瀬ないわ~  

 P.S.大変お優しく愛妻家の大先輩のお言葉を拡大解釈してしまい、重ね重ね失礼致しました。ヒネクレ者の若輩者をお許しくださいませ。

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現実と創作の間

2007年06月27日 17時57分00秒 | 夫婦
 うちの嫁さん、何を考えてるんだかわからないんだよね。いつ頃から、こうなっちゃったのかな・・・

 昔は、僕の事を真っ直ぐに見つめていて、その視線が眩しいくらいで、「自分は愛されてる」っていう確信があった。彼女の親に結婚を反対された時も、大事な親の思いを突っぱねて、僕の胸に飛び込んできてくれた。そういう真っ直ぐな所が可愛くて、いとおしくて、一生大切にしたい、幸せにしたいって思ってた。

 今、確かに彼女の瞳に、僕は映っているのだろうか・・・

 数年前になるかな。彼女は、過去の恋人と再会してしまった。きっかけは、僕が買ったパソコン。友人同士のメールのやり取りから、それは始まった。日々の生活、感じた事を綴るうち、まるで熱にでも浮かされたように、その作業に熱中していった。彼女は、学生時代から書く事が好きだったんだ。たかがメールじゃないか。何でそこまで魂込めなければならないんだ。僕には理解できなかった。

 テレビ番組のモニターの仕事をしていた時があった。番組をチェックし、感想をまとめて、原稿用紙に書く。毎月微々たる収入があったが、その収入を軽くふっとばすだけの時間を割いていた。放っとくと、何時間でも机に向かっている。バカじゃないかと思った。誰も彼女のレポートなんか、真剣に読んでいないんだ。そんなものに、何故それ程熱くなれるのか。それでも彼女は、幸福そうだった。好きな事をしてお金を稼ぐ幸せ。僕が手にしていないないものを、彼女は手にしている。その原点となった恋人に、僕は激しい憎悪を感じていた。

 彼女の父親が、深刻な病にかかった時があった。検査の結果、やはり手術になりそうだという電話を受け、彼女はひどく落胆していた。受話器を耳にあてながら、必死で泣くのをこらえていた。力になりたい、彼女を抱きしめたいと、心から思った。が、電話を切った彼女は、僕の前を通り過ぎ、台所へ向かった。涙がこぼれないよう天井を見上げて一息つき、夕食の支度を始めた。何故、僕に何も言わない。何故、僕にすがってこない。夫婦って何なんだ。僕は怒りを覚え、隣室で彼女を傷つけるような一言を口にした。不意に、台所で激しくしゃくり上げる声がした。かけつけると、彼女は声を放って泣いていた。それでいいんだ・・・僕は、そっと彼女を抱いた。僕もその苦しみを受け止める。もっと泣いていいよ・・・だけど僕は知らなかった。彼女はその時、心の底から僕を憎んでいたんだ。’自分が優位に立つ為に、わざと傷つけたのか’ ’つまらない男のプライドの為に’ ’それを優しさだなんて認めない’ 彼女は、そう解釈していたのだった。不器用な形でしか自分の思いを表せない僕は、益々彼女から誤解され、軽蔑されていった。もどかしさを感じても、どうする事もできなかった。

 最近になって、彼女はまた活動の場を見つけた。切ろうとしても切れない彼女の恋人。すべては、その恋人の為に回っている。家族、日々の生活、彼女自身の喜び、悲しみさえも。そんなのバカげてる。人を何だと思ってるんだ。僕は、一体何なんだ。ネタの一つか?再び、ひどい憎悪を覚え、ケンカになった。「誰の為にやってるんだ」愚かな質問をしてしまった。「私の為よ!」彼女は毅然と言い放った。そして、恋人への思いのたけをぶちまけた。「私の生き甲斐だから邪魔しないで」と。完全なる敗北。もう、どうしようもない。その恋人の存在を受け入れる事で、彼女が心から笑えるのなら、認めるしかないと思った。

 夫婦仲は、とりあえず回復した。彼女は再び、僕の瞳を覗きこんで、にっこり笑うようになった。無邪気に甘え、無邪気にじゃれついてくる。しかし相変わらず、心の中は見せない。決して覗く事のできない彼女の心の奥に、何が潜んでいるのか。

 ねぇ、奥さん。時折、君が見せる得体の知れない薄笑いに、僕が気づいてないとでも思ってる?

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