JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

STARS (宮本慎也講演会)

2015年07月31日 18時08分41秒 | 想い
このところ、昔なじみのお仲間さんたちが、じんちゃんのブログへ足を運んでくださってまして。
ありがたいことです。 (*^_^*)
月1回という細々とした更新ではありますが、続けていて良かったなぁと。
勿論、その間も支えてくださった方があってこその’継続’で。
皆々様に、感謝♪ でございます。

さて夏休みに入りまして、ホッと一息。
7月上旬の喧騒が嘘のように、じんちゃんはまったりと過ごしています。
ゴールデンウィークからこっち、走り続けた1学期だったもの・・・
ぶっちゃけ、「もう疲労困憊!」って状況もあったけど、そんな時は、夜空の星を仰ぎ見つつ、何とか切り抜けました~

そうそう。
前々回のエッセイ 『夜会』 で触れた、図書室向上委員会の活動。
最後の数日間の来館者数は延べ100人を超え、どうにかその役割を果たしたかと。
まぁこれには、行事絡みのちょっとしたからくりがあるものの、それでも嬉しかったですねぇ。
「やはり、生徒が来ての図書室だよね」 仲間と、しみじみ語り合いましたよ。

① 場所が遠い
② 放課後の部活至上主義 (図書室を利用する時間がない)
③ 子どもたちを取り巻く環境の変化 (ネット・LINEの浸透など)
といった原因を理由に、生徒の足がパッタリ遠のいていた図書室。
去年なんてね、日頃の来館者数が0と1の点滅状態で、「2進数かよ!」とツッコみたくなるような有様やったんです。
これも時代の流れ・・・ 致し方ないのか!?と、有志一同いささか諦めモードに入っていたのですが、
教室に佇んでいた希望の種(ニーズ)が、我々を勇気づけてくれた。

「ねぇ見て! 読みたい作家のアンケート結果。
 神永 学(『心霊探偵八雲』で若者に人気)や、辻村美月(映画にもなった『ツナグ』が有名)なんて作家が挙がってる。」
「イマドキの読者の心をくすぐる作品に、大人の立場からもオススメのヒューマン系か。 ええトコ突いてるなぁ。。。センスあるよ!」
「同じく名前が挙がってる東川篤哉も、『謎解きはディナーのあとで』 (北川景子&櫻井 翔でドラマ化された) や 『放課後はミステリーとともに』 が、歴代の学生に借りられていたものね。」
「東野圭吾や有川 浩と共にな。 ところで・・・ ロアルド・ダールって、誰
「ああ、それ。 『チャーリーとチョコレート工場』 を書いた人よ。 彼の作品なら、何冊かあるわ。」
海外の児童文学に詳しいママ友が、ついと立って書棚から現物を持ってきてくれた。
うわっ 全10巻のコレクションになってるしー

「ティム・バートン(監督)× ジョニー・デップ(主演)で、映画化されてたヤツね。 しかし、原作者までよく認識していたなぁ。」
じんちゃんは、この歳になるまで’ロアルド・ダール’なる作家を存じ上げなんだ。
先の作品が 『チュコレート工場の秘密』 と同じであることも、今回のエッセイを書くにあたって知り、
’おお~ あの作品か!小学生の頃、手にしていたぞ’と、ようやく思い当たった次第である。 おせーよ。
負うた子に教えられ?中学生と言えど、侮れんのよねぇ。 アンケートの記述がロナルド・ダーツになっていたのは、まぁご愛敬。 (^_-)-☆

で、調べてみると、ロアルド・ダールの経歴って興味深いのです。
’パイロットとしての従軍経験’(戦闘機 VS 偵察機といった違いはあれど) は、『星の王子様』 のサン=テグジュペリっぽくもあり・・・
二人とも、搭乗していた飛行機が墜落してますしね。
ただし、サン=テグジュペリが 『夜間飛行』 他の小説で、作家としての地位を築き上げた後に命を落としたのに対し、
(敵のドイツ空軍の中にも愛読者がおり、「彼の部隊とは戦いたくなかった」 「撃墜した敵機の操縦士が彼でないことを願い続けた」 と語っているのには、胸が詰まります)
ロアルド・ダールは重傷を負いながらも生還、その後パイロット時代の経験を元に小説を書き始めている。
そんな彼だからこそ、描けた世界観があったはず。
多くの作品に漂う、風刺やブラックユーモアは、おそらくそうした背景と、無関係ではないのでしょう。

イアン・フレミング(007シリーズの原作者)の友人であった縁で、映画 『007は二度死ぬ』 や 『チキ・チキ・バン・バン』 の脚本を手掛けていたり-
(このまったくトーンの違う2作品がフレミング著なのも、じんちゃんには驚きの新事実でした!)
目を惹く話題に事欠かないダールさん♪
往年の名画、並びに映画俳優に詳しい方は、是非そちらの方面から、アプローチしてみてください。
ちょっとしたトリビアに行き当ります。
うーむ。 こんな話題の時には、鞍馬ハカセに、ご登場願いたいものだ。。。
鞍馬さーん! カムバッーク!! (← 『シェーン』 かよ)

「本自体に興味がない訳じゃないのね。読みたいけど、来れない。 なら、こっちから出掛けて行こうじゃないの~」
ポジティブなママ友の言葉を旗印に、出張サービスの企画が立ちあがり、
北方謙三の小説のタイトルばりに’静かに瞑っていた’本たちは、陽のあたる場所(各クラス)へ。
勿論、一朝一夕にすべてが好転する訳じゃない。 「読みたい本なかったし~」 なんて渋い反応もあります。
が、その一方で、こんな教室の風景も届きました。

あるサッカー男子は、出張した本にハマり、授業中もこっそり読み続け (←こら)、
やがて次のクラスへ回す期日がきて、「まだ読めてへんのに~」 泣く泣く手放したトカ。
http://www.kadokawa.co.jp/beans/news/detail/201410/02.php

あるメガネ男子は、期限までに何とか読み切ろうと闘志を燃やし、
休み時間黙々と、分厚い歴史小説の活字を追い続けたトカ。
http://www.kadokawa.co.jp/mitsukuniden/

あるテニス男子は、ニヤつきながら広げていたラノベ(軽小説)を、
「ほぉ~ ボインのおねぇちゃんのイラストやな。 なになに? 俺の脳内選択肢が、学園ラブコメを全力でー」 軽く先生にイジられ、
「やめてくださいってば!」 顔を赤らめながら応酬したトカ。

もう微笑ましくて。
上手く噛み合えば、そこまで夢中になれるものなのだと。

女子はね、やはり’恋’が気になるお年頃。
直球タイプには、ケータイ小説 『恋空』 の書籍版が大人気だったのだけど、感情をつまびらかにしたくないタイプには、しっとりとした、こんな作品が好まれていたようで-
http://booklive.jp/product/index/title_id/194637/vol_no/001
「他の人に取られたくないから・・・」
「うんうん。」
「机の中にキープしていたの♪」 おいおい、そっとしまっておくのは、胸の内だけにしてくれよ。 (^_^;)

トータル数百冊の本の選定は、大変だった!
が、そのしんどさを補って余りある手応えを感じることもできた。
’図書室’という枠への拘りから、一度視点を変えてみて、正解だったかな。
企画終了後、出張していた本を求めて、尋ねてきてくれた生徒がいました。
「『こげぱん 旅日記』 これ、面白いんや~」
セレクトしたものが、誰かのとっておきの一冊となって、伝わっていく。 正に、感無量でした。

さて、話を少し戻しまして-
じんちゃんが、図書室向上委員会その他の活動で疲労困憊だった頃、宮本慎也さんの講演会の告知を目にしたのです。
リビングで広げていた新聞に、「おっ・・・」と顔を寄せたのは、父親譲りのヤクルトファンだったから。
国鉄に勤めていた父は、ヤクルトの前身国鉄スワローズ時代から球団を応援しており、それを傍らから眺めていたじんちゃんも、
なんとなくツバメ色に染まってしまった。

ところが、宮本選手のヤクルト入団は、私が結婚する少し前、昔ほど熱心に野球を見なくなった時期で-
ご本人が活躍された場面を、ほとんどリアルで押さえていない。。。 (←こら)
ようやく意識に入ってくるのは、オリンピックの代表に選ばれた頃かしらん。
そんなゆる~いファンで申し訳ないのですが、学校&地域役員の出席を頼みにする、地元講演会のスタイルに辟易していた私は、「これなのよ!」と。
本当に心から聴きたい内容ならば、人は動く。
例えそれが、交通費をかけなくてはならない場所だろうと。
って訳で、兵庫の片田舎から大阪へ、出掛けて行きましたよ。

某ホテルの宴会場。
3人がけの長机が横に7 × 縦に11列だったかなぁ・・・ 開始の頃には満杯になる盛況ぶり。
二度のオリンピックでキャプテンを務めた経歴からか、会社帰りのビジネスマンが目立ちました。
19時から始まるコーヒー付の講演会。
長机の上にはティーカップだけがセッティングされている、誠に不思議な光景。
クッキー位付いてるといいのにと感じたが、少しでも腹を空かせ、ホテル内のレストランへ誘おうという了見に違いない。(ちなみに、食事付のチケットもありました)
華やかな女性司会者の質問に、宮本さんがポツポツと答える形で進行していくのですが、マニアじゃなくともついていける内容でホッとしました。
まぁ会場に来るのは、そういう人も多いのだろうけどね。

身体がちっちゃくて、とにかく食べさせられた小学生時代。
食事の量は父親より多く、満腹になっても、箸を置くのを許されなかった。
牛乳は、1日1リットルを義務づけられていた。
寝る前には、父が頭を母が足を持ち、背が伸びるようにと引っ張った。
なんて話を聞くと、「若松元監督は、どうなるんだよ~」と、ツッコみたくなったりして。 

とにかく息子を野球選手にする為の母の想いがハンパなく、
中学校の三者面談で、先生から学習面を指摘されても、「うちは野球をやらせるからいいんです!」と、突っぱねたそう。
キョーレツなオカンやね。 でも、そこまで子どもを信じ切れる親って、スゴいなぁとも感じる。
ふつう子どもが夢を見ようとしても、「そんなんなれる訳ないやろ」 とか、「冷静になり」 とか、ダメだった時の逃げ道を考えたりするよね。
或いは、子ども側が親のアツい期待にプレッシャーを感じ、潰れてしまうか。。。
親と子どもの’想い’の歯車は、必ずしも噛み合わないものだと思うけれど、宮本さんの場合は、それが上手く機能した、幸せなケースなのかな。

吹田市(大阪)出身という話ですが、お父様は巨人ファンで、その影響で自身も巨人を応援していたのだそう。
小学生の頃は原(辰徳)選手に憧れ、中学になると高校野球で活躍していた桑田(真澄)・清原(和博)が気になり始めた。
それまで圧倒的な強さを誇っていた徳島の池田高校をPL学園が破ったことに衝撃を受け、PLに行く意思を固める。
中学では全国大会へ進むも、惜しくも準優勝。 そうして高校は、希望どおりPLへ進むのね。
当時PL学園を率いていた中村監督は、「高校で完全燃焼してほしくない」という考えから、全体練習としては1日3時程しか義務づけていなかった。
長所を伸ばすのか、短所をなくすのか、その塩梅は自分で考えながら練習しろと。
結局、伝説となっている桑田&清原の練習量を参考に、黙々と自主練習を重ねる。
(この辺りのエピソードは、清原和博の『反骨心』を読むと、別の角度から補足できて面白いです。)

1学年17名前後、総勢約50名の部員。 1つ上には立浪(和義)や片岡(篤史)がいた。
全体練習で嫌だったのは、先輩への送球。
取れる所へ投げないと、嫌な顔をされるのだ。 (わざと取ってくれず、自分で取りに行く羽目になる)
それがプレッシャーとなり、緊張して投げられなくなる選手も多かった。
しかし、そこで培ったメンタルの強さが、後々役に立った。
「コントロールも磨かれましたし」と、微笑んでおられました。

2年で甲子園へ出場。
先輩の怪我で回ってきたチャンスだったが、春夏の連覇がかかっており、球場へ行くバスの中で発表された時は、むちゃくちゃ緊張した。
甲子園でプレーできる喜びより、日本一にならなくてはという重圧。
数十年後、世界の檜舞台でも経験するんですよねぇ・・・ 宮本さんは。
つくづくそういう場面に、縁のある方なのネ。
優勝した時には、心からホッとしたそうです。

大学は、早くから獲得に動いてくれた同志社大学へ。
各学年にPL時代の先輩がいて、熱心に声をかけてくれた。
勿論勧誘の側面もあるのだが、「また、みんなでやろう!」という心意気が嬉しかった。
卒業時には、いくつかの(巨人・中日・日ハム)プロ球団から声がかかる。
ただし、何れもドラフトで5~6番目の枠だったので、大学の野球部監督が「今焦って飛びこむよりも、社会人野球でじっくり評価をあげ、プロへ入った方がいい」と説得。
本音はすぐにでも球界へ入りたかったが、その説得であっさり意向を変える。
「僕、そういう決断は早いんです。」
社会人野球を経験するうち、評価が下がったり、怪我をしたり・・・
そういうリスクも考えられたが、「そこでダメになる奴は、今プロに進んでもダメなんだ」と。
ドラフトの順位は、結局上位ほどチャンスに恵まれるそうで。

こうして、プリンスホテルへ入社。
「宴会場の裏を通ってくると、思い出しますねぇ。 宴会の手伝いしましたよ~ でも、たまにしか行かないから、バイトに使われる有様で。
 おい、ビール待ってこい!なんて言われて、名札を見せたら’すいません’って。 社員は色が違うんですよね。」
会場は、クスクス笑い。 お客さんのみならず、ホテル関係者の方々も、ウケておられたことでしょう。
「社会人野球は、1年で辞めさせられる。クビを通告されることがあるんです。
 これまで(学生時代)は、自分から辞めると言わない限り、そこにいることができた。
 しかし、これからは自分の意志と違う結果を突きつけられる場合がある。
 その時にスパッと辞められるか・・・ ならば、悔いのない行動をとろうと考えるようになりました。」
和やかな雰囲気から一転、しんみり考え込む内容となりました。
ううむ、深いね。。。

さて、この後はヤクルト入団、プロ活動の話となっていくのですが、それは次の機会に♪
天国の父も聞いてくれたかな~
ヤクルト大好きだったから、絶対見届けてくれるはずと思って、参加しましたのよ。

https://www.youtube.com/watch?v=sPnGk25M_Dc