ん~っと、ご無沙汰です。プライベートでいろいろありまして、エッセイを手掛けられる状況になるまで、時間がかかってしまった。が、その分リアルで活動していると、受け止めていただければ幸いかな。
更新が滞っている間、かつてない大地震が日本列島を襲い、広い範囲で爪痕を残しました。被害のあった東北から関東は、歴代のお仲間さんがいらした所でもあり、どうしておられるだろうかと案じております。そういった中で私ができることを、考えてみたのですが…誰かの為に何かをするより、己の領分を全うした方がよいのではないかしらん、そんな風に感じまして。このご時世に!と、お叱りを受けるアホぶりを披露したりもしますが、ご容赦くださいませね。
まずは、ひじょーに個人的な報告から。私ね、お酒をやめました。宴席で失態をやらかし、周囲に迷惑をかけ、さすがに今まで通りの生活を続ける訳にはいかないと悟った。齢43にして、急性アルコール中毒で病院へ搬送て。その夜、妻は母は、家へ帰ることができませんでした。’お母さん、どうなっちゃうの?’娘は、不安な面持ちで泣きながら寝入り、夫は、その行状にあきれ果て(去年から、ちょこちょこさらしていたからね。ぶざまな姿を。)、しかしながら、じんちゃんが最も慮ったのは、息子の心境やった。
翌日帰宅した折、彼は絵筆を洗っていました。休日を使って、インフルエンザで登校停止となった間の、美術の課題に取り組んでいたのです。「ただいま」背中から声をかけると、抑揚のない声で「おかえり」。うつむいたまま、黙々と絵筆やパレットを洗い続けています。
「ごめんね。心配をかけちゃった。」少し置いて、「何があったの?」振り向くことなく、彼は静かに、そう尋ねました。「母さん、映画を観に行くって言ってたよね」「それは本当」「じゃあ、なんで酒飲んでるの」「うーん」たどたどしい答弁の始まり・・・夫からの事情聴収を受けていた為、ある程度の流れは予測がつくものの、息子相手はキツいべな。一通り説明を聞き終えると、「ふーん」やはり抑揚のない声を放ち、子ども部屋へ戻っていきました。
母の生還を素直に喜んだ娘、言いたいことをはっきり口にした夫。その感情を表現できる人は、まだしも幸せではないか。こちらも、相手の心の状態が見えるので、幾分ホッとする部分があります。しかし息子は、いろんな感情を抱え頑張るタイプでした。
勉強にせよ、部活にせよ、とにかく手を抜かない。「あなたの心や体が悲鳴をあげていても、周囲は簡単にわからない。限界がくる前に、SOSを出しなさい。」朝練に休日返上の部活漬けの日々。ぶっ倒れるまで打ち込んで、そんな忠告をした経験があります。モーレツ社員養成所かい!その生活ペースに体が慣れる以前は、学校の在り方に怒りを感じたことも。
そんな息子ですからね、私なりに気を遣っていたのよ。クソッせっかく横溝正史を介して、打ち解けつつあったのに。体調が概ね回復してから、学校へ行けるようになるまで、数日ばかり猶予があり、暇を持て余した息子は、よくリビングへやってきました。いつまでも隔離は辛いと言います。「まるで監禁だ!『デスノート後編』じゃないんだから。」「それだけ動き回ってりゃ軟禁だよ。スーチー女史だね。」
で、退屈しのぎに金田一耕助シリーズを見ていたんです。じんちゃんオススメの保存版。ドラマ『悪魔が来たりて笛を吹く(1977年版)』と、映画『病院坂の首縊りの家』を。泣けたな~。設定も、犯人も、仕掛けも分かっているのに、まったく色褪せない。
かつては、やはり推理モノらしく、華麗なトリックや映像美に惹かれたものですが、この年になると、女をどう描くかが気になりまして。草笛光子さんや、佐久間良子さんの芝居には、心打たれましたね。息子と二人、それぞれの展開にツッコんだり、しんみりしたりしながら、気持ちがほぐれていくのでした。’悪魔だの、首縊りだの、随分おどろおどろしいコミュニケーションね’。ほっとけ!
「映画館へ行く」と言いながら、病院へ運び込まれていた母。一体どこで、酒を飲んだのか。ミステリーマニアの息子としては、母が描く点と線に、想像をめぐらせたことでしょう。しかし真実は、思いも寄らぬ所にある。私には悪友がいました。酒という縁でつながってきた・・・その悪友が体調を崩し、年明けから入院していたんです。胃潰瘍による吐血の末の入院でした。
「年賀状を出せなかった。ごめんね。」そんなメールを経て、相手の現状を知ったのは、手術が終わり一息ついた数日後。病院へ見舞うことも考えましたが、未だ体力が回復しないうちに顔を出すのもどうだろうと思い留まった。「元気になったら、美味しいもん食べて楽しく過ごそうな。」それまで酒は止めや。よくしたもので、そんな時飲みたいという心情にはならないのねぇ。
しばらくして、容態が安定した悪友は、退院の運びとなりました。本人曰く’気の遠くなるような休養期間’の後(入院から約1カ月)、職場へ復帰。幸いにも仕事の形態が変わり、連続出勤はなくなったようでした。「それでも長時間勤務はあるんや。ああ~肌に悪い。」美容と健康にうるさいのです。だったら、酒と煙草を控えればよいと思うのだけど。ぶはっ。
もう以前みたいに’頑張って’なんて声は、かけられなかった。そんなことをしなくとも、十分頑張っている人なんだ・・・メールを通して今更ながら知る、悪友の側面。隠れた努力家であるのは理解していましたが、ぽろりと垣間見える部分が面白く、よもやま話に花が咲いた。
「今夜は、三日月がキレイだよ。」「三日月。絢香か?(笑)」たわいのない遣り取りに、それぞれの想いを重ねる。『三日月』は、悪友がカラオケで熱唱したことのある曲だ。
君がいない夜だって
そう no more cry もう泣かないよ
がんばっているからねって 強くなるからねって
現在のアーチスト事情に明るくないはずの相手から、予期せぬ歌が飛び出してきて、驚いた覚えがある。大切な人との思い出の曲なのかしら。その頃から抱いていた疑問を、軽くぶつけてみた。「かつての恋を、振り返っていたりしてな。」「ちゃうわい!」「あはは」がんばっているからね、強くなるからね…絢香の歌に心根を寄せて、誰かに伝えようとしている、そう感じられたのだが。「残念でした。」「私はね」「うん」「aikoの『三国駅』っていう歌がすき。」
変わらない街並み あそこのボーリング場
焦っていたのは自分で
煮詰まってみたり 怖がってみたり
繋いだ手を離したくない
「ふーん。よう知らんけど。」「機会があったら聴いてみて。」「うん。tsutayaで探してみよう。」「あっ・・・こんな時間だ。ごめんね。すっかり付き合わせてしまった。」「いや・・・今、この想いを伝えたい人に送る、それがメールだからね。」「ありがとう。」「こちらこそ、入院中励ましてくれてありがとう。」
励まし続けてくれたのは、悪友の方だ。昔からそうだった。どうやら私が気にかかるらしく、少し離れた所で見守ってくれていた。頼りないヤツですんまへんなぁ。数々の所業も握られている。’アーカイブみたいなもんや’と笑うが、’うへぇ そないに記録保存されてる事柄があるんかいな’と、こちらは時に冷や汗ものだ。
道徳という名のフェンスを超え、夜の街を彷徨い、そんな悪友だから持ち得る優しさに、何度か救われた。それと背中合わせの厳しさにも。’人間は完全な生き物やない。’と、非難がましいことは口にしないが、ふと漏らす言葉に、背筋が伸びる瞬間がある。
あの日、家への帰り道。しょぼくれた心持ちでメールを打った。「お酒やめようかなって思ってる。」もう若気の至りとは言えない。そうして、武勇伝と笑い飛ばす境地にもなれなかった・・・
更新が滞っている間、かつてない大地震が日本列島を襲い、広い範囲で爪痕を残しました。被害のあった東北から関東は、歴代のお仲間さんがいらした所でもあり、どうしておられるだろうかと案じております。そういった中で私ができることを、考えてみたのですが…誰かの為に何かをするより、己の領分を全うした方がよいのではないかしらん、そんな風に感じまして。このご時世に!と、お叱りを受けるアホぶりを披露したりもしますが、ご容赦くださいませね。
まずは、ひじょーに個人的な報告から。私ね、お酒をやめました。宴席で失態をやらかし、周囲に迷惑をかけ、さすがに今まで通りの生活を続ける訳にはいかないと悟った。齢43にして、急性アルコール中毒で病院へ搬送て。その夜、妻は母は、家へ帰ることができませんでした。’お母さん、どうなっちゃうの?’娘は、不安な面持ちで泣きながら寝入り、夫は、その行状にあきれ果て(去年から、ちょこちょこさらしていたからね。ぶざまな姿を。)、しかしながら、じんちゃんが最も慮ったのは、息子の心境やった。
翌日帰宅した折、彼は絵筆を洗っていました。休日を使って、インフルエンザで登校停止となった間の、美術の課題に取り組んでいたのです。「ただいま」背中から声をかけると、抑揚のない声で「おかえり」。うつむいたまま、黙々と絵筆やパレットを洗い続けています。
「ごめんね。心配をかけちゃった。」少し置いて、「何があったの?」振り向くことなく、彼は静かに、そう尋ねました。「母さん、映画を観に行くって言ってたよね」「それは本当」「じゃあ、なんで酒飲んでるの」「うーん」たどたどしい答弁の始まり・・・夫からの事情聴収を受けていた為、ある程度の流れは予測がつくものの、息子相手はキツいべな。一通り説明を聞き終えると、「ふーん」やはり抑揚のない声を放ち、子ども部屋へ戻っていきました。
母の生還を素直に喜んだ娘、言いたいことをはっきり口にした夫。その感情を表現できる人は、まだしも幸せではないか。こちらも、相手の心の状態が見えるので、幾分ホッとする部分があります。しかし息子は、いろんな感情を抱え頑張るタイプでした。
勉強にせよ、部活にせよ、とにかく手を抜かない。「あなたの心や体が悲鳴をあげていても、周囲は簡単にわからない。限界がくる前に、SOSを出しなさい。」朝練に休日返上の部活漬けの日々。ぶっ倒れるまで打ち込んで、そんな忠告をした経験があります。モーレツ社員養成所かい!その生活ペースに体が慣れる以前は、学校の在り方に怒りを感じたことも。
そんな息子ですからね、私なりに気を遣っていたのよ。クソッせっかく横溝正史を介して、打ち解けつつあったのに。体調が概ね回復してから、学校へ行けるようになるまで、数日ばかり猶予があり、暇を持て余した息子は、よくリビングへやってきました。いつまでも隔離は辛いと言います。「まるで監禁だ!『デスノート後編』じゃないんだから。」「それだけ動き回ってりゃ軟禁だよ。スーチー女史だね。」
で、退屈しのぎに金田一耕助シリーズを見ていたんです。じんちゃんオススメの保存版。ドラマ『悪魔が来たりて笛を吹く(1977年版)』と、映画『病院坂の首縊りの家』を。泣けたな~。設定も、犯人も、仕掛けも分かっているのに、まったく色褪せない。
かつては、やはり推理モノらしく、華麗なトリックや映像美に惹かれたものですが、この年になると、女をどう描くかが気になりまして。草笛光子さんや、佐久間良子さんの芝居には、心打たれましたね。息子と二人、それぞれの展開にツッコんだり、しんみりしたりしながら、気持ちがほぐれていくのでした。’悪魔だの、首縊りだの、随分おどろおどろしいコミュニケーションね’。ほっとけ!
「映画館へ行く」と言いながら、病院へ運び込まれていた母。一体どこで、酒を飲んだのか。ミステリーマニアの息子としては、母が描く点と線に、想像をめぐらせたことでしょう。しかし真実は、思いも寄らぬ所にある。私には悪友がいました。酒という縁でつながってきた・・・その悪友が体調を崩し、年明けから入院していたんです。胃潰瘍による吐血の末の入院でした。
「年賀状を出せなかった。ごめんね。」そんなメールを経て、相手の現状を知ったのは、手術が終わり一息ついた数日後。病院へ見舞うことも考えましたが、未だ体力が回復しないうちに顔を出すのもどうだろうと思い留まった。「元気になったら、美味しいもん食べて楽しく過ごそうな。」それまで酒は止めや。よくしたもので、そんな時飲みたいという心情にはならないのねぇ。
しばらくして、容態が安定した悪友は、退院の運びとなりました。本人曰く’気の遠くなるような休養期間’の後(入院から約1カ月)、職場へ復帰。幸いにも仕事の形態が変わり、連続出勤はなくなったようでした。「それでも長時間勤務はあるんや。ああ~肌に悪い。」美容と健康にうるさいのです。だったら、酒と煙草を控えればよいと思うのだけど。ぶはっ。
もう以前みたいに’頑張って’なんて声は、かけられなかった。そんなことをしなくとも、十分頑張っている人なんだ・・・メールを通して今更ながら知る、悪友の側面。隠れた努力家であるのは理解していましたが、ぽろりと垣間見える部分が面白く、よもやま話に花が咲いた。
「今夜は、三日月がキレイだよ。」「三日月。絢香か?(笑)」たわいのない遣り取りに、それぞれの想いを重ねる。『三日月』は、悪友がカラオケで熱唱したことのある曲だ。
君がいない夜だって
そう no more cry もう泣かないよ
がんばっているからねって 強くなるからねって
現在のアーチスト事情に明るくないはずの相手から、予期せぬ歌が飛び出してきて、驚いた覚えがある。大切な人との思い出の曲なのかしら。その頃から抱いていた疑問を、軽くぶつけてみた。「かつての恋を、振り返っていたりしてな。」「ちゃうわい!」「あはは」がんばっているからね、強くなるからね…絢香の歌に心根を寄せて、誰かに伝えようとしている、そう感じられたのだが。「残念でした。」「私はね」「うん」「aikoの『三国駅』っていう歌がすき。」
変わらない街並み あそこのボーリング場
焦っていたのは自分で
煮詰まってみたり 怖がってみたり
繋いだ手を離したくない
「ふーん。よう知らんけど。」「機会があったら聴いてみて。」「うん。tsutayaで探してみよう。」「あっ・・・こんな時間だ。ごめんね。すっかり付き合わせてしまった。」「いや・・・今、この想いを伝えたい人に送る、それがメールだからね。」「ありがとう。」「こちらこそ、入院中励ましてくれてありがとう。」
励まし続けてくれたのは、悪友の方だ。昔からそうだった。どうやら私が気にかかるらしく、少し離れた所で見守ってくれていた。頼りないヤツですんまへんなぁ。数々の所業も握られている。’アーカイブみたいなもんや’と笑うが、’うへぇ そないに記録保存されてる事柄があるんかいな’と、こちらは時に冷や汗ものだ。
道徳という名のフェンスを超え、夜の街を彷徨い、そんな悪友だから持ち得る優しさに、何度か救われた。それと背中合わせの厳しさにも。’人間は完全な生き物やない。’と、非難がましいことは口にしないが、ふと漏らす言葉に、背筋が伸びる瞬間がある。
あの日、家への帰り道。しょぼくれた心持ちでメールを打った。「お酒やめようかなって思ってる。」もう若気の至りとは言えない。そうして、武勇伝と笑い飛ばす境地にもなれなかった・・・