「夜会」の次は、「総会」かよ。
という訳で、この時期の恒例行事としてすっかり定着した社会見学へ、今年も行って参りました。(*^_^*)
エッセイには、随分前に書いたきりで(「じんちゃんの2011年 -前編-」)、みなさんはピンとこないかもしれませんね。。。
が、その実水面下で、着々と経験を重ねていたのです。
’株主総会’ これね~ 人間ウォッチングとして最高なのよ。(←こら)
勿論、舞台が大阪であることも、効いているのでしょう。
その昔、日生球場や藤井寺球場のヤジが、やたら面白かったみたいな。
って、誰がわかるねんな。
ヤジちゃうし!質問やし!!
亡くなった父より、株を受け継いだビギナーの頃は・・・
’そこにドレスコードはあるのか!?’と、マジで悩めるアホっぷりを発揮していた私。
が、幾度か参加するうち、それなりに馴染んできまして。
今じゃもう、’総会へ行ける地元企業の株を(年に1銘柄程度の少額投資やってます)’と希望するまでに。
「そういう選び方は、あまり聞きませんよ。 変わってますねぇ。」
証券会社の担当者にさえ、ツッコまれる始末なのだった。
ほっといてくれよ。
総会をめぐっては、想い出もたくさん。
母と二人、世界へ羽ばたく北九州の企業を訪れたりもした。
爆弾低気圧による骨折から2ヶ月・・・ そんな状況の中、九州への旅がよくぞ実現したものよと、今更ながら思う。
一年後には、この世の人ではなかったしね。
無茶ぶりに見えて、しておいてよかったことってあるんだよ。 きっと。
「大企業なのに、どうして東京開催じゃないのん?」
ボヤきながら新幹線に乗り込んだ母だったが、2時間ちょっとで現地(小倉)入りすると、
「しかし九州が、こんなに近いとはねぇ。。。」 何度も、そう呟いていた。
せっかくの機会だもの。観光も兼ねようと、まずは門司(もじ)で1泊。
昔ながらの瀟洒な建物が残っている港街で、映画や芝居を公開したのも、東京(銀座)より先だったと。
当時は、外国からのお客さまがいっぱい。
そうやって舶来文化が花開いた所なんざ、神戸に似ているじゃないか~
一気に親近感を、持ってしまった。
1922年(大正11年)、アインシュタイン博士来日の際には、神戸へ入港して主要都市を回り、門司からお帰りになったなんてエピソードも。
ノーベル物理学賞受賞(有名な相対性理論でなく、光電効果の解明)の知らせを、日本へ向かう船上で受け、各地の人々に祝福をもって迎えられたそうで。
博士が宿泊した部屋を今も残す、旧門司三井倶楽部。
http://www.mojiko.info/3kanko/spot_mitui.html
ハイカラ好きの母に喜んでもらえたらと立ち寄ったスポットだったが、私の方が癒されてしまった。
博士のメモリアルルーム、さらには門司出身の女流作家 林 芙美子の資料室もありまして。
それぞれの人柄や息吹が、ささやかながら感じられる作りで、素敵だった~
レストランで母と分け合った焼きカレーと共に、良き想い出よ。
その後は、株主総会の舞台となる小倉でもう1泊。
ここではね、お目当ての企業以外に、どうしても寄ってみたい場所があったの。
その名所とは・・・
パンパカパーン 松本清張記念館♪
あたしゃ1日中いてもいい。 中之島図書館みたく。
清張さんって、42歳から書き始め、1000編の小説を遺してるのねぇ。。。
ドラマ&映画好きのじんちゃんは、映像化作品の紹介コーナーに、しばし佇む。
希代の悪女(桃井かおり) VS 敏腕弁護士(岩下志麻)が火花を散らす『疑惑』。
その脚本を、清張さん自身も手掛けており、撮影現場にいたという秘話が面白かった。
この映画はね、同じく野村芳太郎監督がメガホンをとった『砂の器』 『迷走地図』と並んで、お気に入りの作品なの~
原作読んでないんだけどサ。(←こら)
さて総会。
驚いたことに! 例年参加している企業とは、出席者の質が違った~ (どちらが良い悪いではなく)
関西の株主(出席者は、お爺さま方が多い。開催が平日の朝ですから)は、実によう発言しはるんです。
事業報告への質問が飛び交う中、
「この暑い時節に会場まで足を運んで、お茶一杯でやしねぇ。」 といった皮肉ありーの、
「お土産削っちゃったんですなぁ、今年も孫に見せるのを楽しみにしていたのに。」 といったボヤキありーの。
そうして似たような内容でも、社長を激昂させる程攻撃的にモノ申す方、努めて冷静に主張する方、ユーモアを交え穏やかに伝える方と、
様々な表現手法を窺うことができ、実に興味深い。
ある年には、激昂した社長が返答をせず、「はい次の方」とスルーする大人げない場面もあったのですが、
翌年には、指摘された点が改善してあり、’ふぅーん。ちゃんと聞いてくれたんや’と。
企業側の事情もあるし、冷静にできる・できないを告げたらええんちゃうのん?思てたんやけどね。
こちらの総会は質問者が現れず、「せっかくの機会ですから何か」という声が企業側から挙がる程、大人しい会場なのだった。
「ならば一言」 笑みを浮かべ立ち上がったおじさまが、白馬の騎士に見えた(笑)。
たまたま社員さんとお話する機会があり、地元企業の総会の様子を伝えると、
「少し羨ましい気がします。それだけ株主さんが、会社側に対してものを言い易い位置にいるということですよね?」
うーむ。そういう見方もあるのか~
じんちゃんはね、地域特有の反応かなぁと感じていたの。
大阪だけに、’金は出すけど、口も出す’といった気質があるんやなかろうか。
「お母様、かくしゃくとなさってますよね。」
うはは。 ズラリ並ぶ役員の方々を前に、船を漕いでいたツワモノなんですけど~
しかし起きていたら起きていたで、ブツクサと独り言を唱え、これまたうるさいのだ。 (^_^;)
総会の後には、本社の敷地内にある歴史資料館へお邪魔しました。
入口に「ノリタケの森」のパンフレットが置いてあり、結婚して十数年、愛知で暮らしていた私は、「うわぁ~ 懐かしい」
でもなんで? 愛知の陶器メーカーのパンフがこんな所に??
元をたどれば、創業者(六代目森村市左衛門)が一緒なんですね。
そうして現在も、グループ企業だそうで。
陶器つながりと、言われてみれば納得なんですが、知らなかったよ。
1970年までは、こちらでも食器を扱っていたらしく、2階には絢爛な展示がありました。
1階は衛生器具の展示。
ユニットバスを、世界で最初に実用化したのは日本で、1964年東京オリンピックの時だった(ホテルニューオータニが採用)とか、
両国国技館には、力士用の大きな便器があるとか、
ウォシュレットは、「Let's wash !」という呼びかけを逆さにして生まれた商品名だった
なんて説明が面白かったな。
ホテルニューオータニと聞くと、「ストーハー(ストローハット) → 『人間の証明』 (森村誠一)ね♪」
関係ない所で、つい嬉しくなってしまうじんちゃんである。
ったく、どこにウケとるねんな。
https://www.youtube.com/watch?v=enZO8m0WaDo
「遠路はるばる足を運んでくださったのですから、是非とも見学していただきたい。」
熱心な社員さんに口説き落とされ、道路を隔てて向かい側にある小倉第一工場へ。
本社を横手に眺めつつ、広い敷地の中を通っていくと、コンビニがあるんですよ。
ここで働く社員さんの為の!?って、当時は衝撃だったな~
工場内では、案内嬢のお姉さんが加わり、急遽準備した車椅子に母を乗せ、各工程を回ってくれた。
「あちらをご覧ください。スキー場みたいなリフトがありますでしょう? ここでは人間ではなく、便器がリフトに乗って移動してるんですよ。」
この光景が、圧巻やった。。。 他の工程の記憶を、軽く吹っ飛ばす位に。
小倉で利用したタクシー運転手さんの話では、企業の発展に伴い、本社を東京へ移す話は出ているのだが、
街としてはここに残ってほしいと引き留めているということだった。
会社そのものが現地へ落とすお金もそうだが、そこで働く人々が生みだす経済効果も大きいからなぁ。そら、そうなるでしょう。
じんちゃんはね、この企業が九州にあったから、総会へ行く気になったの。
東京はサ、でっかい規模のモノがいくらでもあるじゃない。 そこへ飛び込んでいったって、せっかくの魅力が埋もれてしまう。
北九州の1都市から、世界へ発信する製品を作り続けるってのが、カッコいいんですよ。
「ここにはもう一つ、世界へ羽ばたく企業があるんよ。 産業用ロボットを製造している会社、わかります?」
運転手さんの誇らしげな顔も、印象的だったな。
それぞれの街で、偶然行き交った人々と思い出を作り、母も私も大満足の旅となった。
門司の海峡プラザで、母と摘まんだフグのフライを機に、親しくなった店員のおばちゃん → そのご縁は、この時限りじゃなかったのねぇ
方向オンチのじんちゃんを、清張記念館まで案内してくれた、勤め帰りのおじさん → 北九州市役所の方でした。 ありがとう。
そうして、総会で出会った某企業の社員さん → どんな話題でも、世界がぱぁーっと広がり、面白かった! お世話になりました。
こんなに人の情を感じた旅は、なかった。
で翌年、今度は家族を引き連れて、再び九州へ上陸する訳ですよ。
母の面影を胸に抱いて。。。
https://www.youtube.com/watch?v=Tfc8w6A-f9U
※ 2012年8月に書いたエッセイ 『或る「小倉日記」外伝デケデケデケ』 と合わせて、お読みください。
ようやく続きが書けました。
※ 今回のエッセイに登場する資料館は、ミュージアムとなって、今年の8月28日(金)にオープンするそうです♪
リニューアルされたミュージアムを見がてら、来年は久しぶりに小倉を訪れようかな。
という訳で、この時期の恒例行事としてすっかり定着した社会見学へ、今年も行って参りました。(*^_^*)
エッセイには、随分前に書いたきりで(「じんちゃんの2011年 -前編-」)、みなさんはピンとこないかもしれませんね。。。
が、その実水面下で、着々と経験を重ねていたのです。
’株主総会’ これね~ 人間ウォッチングとして最高なのよ。(←こら)
勿論、舞台が大阪であることも、効いているのでしょう。
その昔、日生球場や藤井寺球場のヤジが、やたら面白かったみたいな。
って、誰がわかるねんな。
ヤジちゃうし!質問やし!!
亡くなった父より、株を受け継いだビギナーの頃は・・・
’そこにドレスコードはあるのか!?’と、マジで悩めるアホっぷりを発揮していた私。
が、幾度か参加するうち、それなりに馴染んできまして。
今じゃもう、’総会へ行ける地元企業の株を(年に1銘柄程度の少額投資やってます)’と希望するまでに。
「そういう選び方は、あまり聞きませんよ。 変わってますねぇ。」
証券会社の担当者にさえ、ツッコまれる始末なのだった。
ほっといてくれよ。
総会をめぐっては、想い出もたくさん。
母と二人、世界へ羽ばたく北九州の企業を訪れたりもした。
爆弾低気圧による骨折から2ヶ月・・・ そんな状況の中、九州への旅がよくぞ実現したものよと、今更ながら思う。
一年後には、この世の人ではなかったしね。
無茶ぶりに見えて、しておいてよかったことってあるんだよ。 きっと。
「大企業なのに、どうして東京開催じゃないのん?」
ボヤきながら新幹線に乗り込んだ母だったが、2時間ちょっとで現地(小倉)入りすると、
「しかし九州が、こんなに近いとはねぇ。。。」 何度も、そう呟いていた。
せっかくの機会だもの。観光も兼ねようと、まずは門司(もじ)で1泊。
昔ながらの瀟洒な建物が残っている港街で、映画や芝居を公開したのも、東京(銀座)より先だったと。
当時は、外国からのお客さまがいっぱい。
そうやって舶来文化が花開いた所なんざ、神戸に似ているじゃないか~
一気に親近感を、持ってしまった。
1922年(大正11年)、アインシュタイン博士来日の際には、神戸へ入港して主要都市を回り、門司からお帰りになったなんてエピソードも。
ノーベル物理学賞受賞(有名な相対性理論でなく、光電効果の解明)の知らせを、日本へ向かう船上で受け、各地の人々に祝福をもって迎えられたそうで。
博士が宿泊した部屋を今も残す、旧門司三井倶楽部。
http://www.mojiko.info/3kanko/spot_mitui.html
ハイカラ好きの母に喜んでもらえたらと立ち寄ったスポットだったが、私の方が癒されてしまった。
博士のメモリアルルーム、さらには門司出身の女流作家 林 芙美子の資料室もありまして。
それぞれの人柄や息吹が、ささやかながら感じられる作りで、素敵だった~
レストランで母と分け合った焼きカレーと共に、良き想い出よ。
その後は、株主総会の舞台となる小倉でもう1泊。
ここではね、お目当ての企業以外に、どうしても寄ってみたい場所があったの。
その名所とは・・・
パンパカパーン 松本清張記念館♪
あたしゃ1日中いてもいい。 中之島図書館みたく。
清張さんって、42歳から書き始め、1000編の小説を遺してるのねぇ。。。
ドラマ&映画好きのじんちゃんは、映像化作品の紹介コーナーに、しばし佇む。
希代の悪女(桃井かおり) VS 敏腕弁護士(岩下志麻)が火花を散らす『疑惑』。
その脚本を、清張さん自身も手掛けており、撮影現場にいたという秘話が面白かった。
この映画はね、同じく野村芳太郎監督がメガホンをとった『砂の器』 『迷走地図』と並んで、お気に入りの作品なの~
原作読んでないんだけどサ。(←こら)
さて総会。
驚いたことに! 例年参加している企業とは、出席者の質が違った~ (どちらが良い悪いではなく)
関西の株主(出席者は、お爺さま方が多い。開催が平日の朝ですから)は、実によう発言しはるんです。
事業報告への質問が飛び交う中、
「この暑い時節に会場まで足を運んで、お茶一杯でやしねぇ。」 といった皮肉ありーの、
「お土産削っちゃったんですなぁ、今年も孫に見せるのを楽しみにしていたのに。」 といったボヤキありーの。
そうして似たような内容でも、社長を激昂させる程攻撃的にモノ申す方、努めて冷静に主張する方、ユーモアを交え穏やかに伝える方と、
様々な表現手法を窺うことができ、実に興味深い。
ある年には、激昂した社長が返答をせず、「はい次の方」とスルーする大人げない場面もあったのですが、
翌年には、指摘された点が改善してあり、’ふぅーん。ちゃんと聞いてくれたんや’と。
企業側の事情もあるし、冷静にできる・できないを告げたらええんちゃうのん?思てたんやけどね。
こちらの総会は質問者が現れず、「せっかくの機会ですから何か」という声が企業側から挙がる程、大人しい会場なのだった。
「ならば一言」 笑みを浮かべ立ち上がったおじさまが、白馬の騎士に見えた(笑)。
たまたま社員さんとお話する機会があり、地元企業の総会の様子を伝えると、
「少し羨ましい気がします。それだけ株主さんが、会社側に対してものを言い易い位置にいるということですよね?」
うーむ。そういう見方もあるのか~
じんちゃんはね、地域特有の反応かなぁと感じていたの。
大阪だけに、’金は出すけど、口も出す’といった気質があるんやなかろうか。
「お母様、かくしゃくとなさってますよね。」
うはは。 ズラリ並ぶ役員の方々を前に、船を漕いでいたツワモノなんですけど~
しかし起きていたら起きていたで、ブツクサと独り言を唱え、これまたうるさいのだ。 (^_^;)
総会の後には、本社の敷地内にある歴史資料館へお邪魔しました。
入口に「ノリタケの森」のパンフレットが置いてあり、結婚して十数年、愛知で暮らしていた私は、「うわぁ~ 懐かしい」
でもなんで? 愛知の陶器メーカーのパンフがこんな所に??
元をたどれば、創業者(六代目森村市左衛門)が一緒なんですね。
そうして現在も、グループ企業だそうで。
陶器つながりと、言われてみれば納得なんですが、知らなかったよ。
1970年までは、こちらでも食器を扱っていたらしく、2階には絢爛な展示がありました。
1階は衛生器具の展示。
ユニットバスを、世界で最初に実用化したのは日本で、1964年東京オリンピックの時だった(ホテルニューオータニが採用)とか、
両国国技館には、力士用の大きな便器があるとか、
ウォシュレットは、「Let's wash !」という呼びかけを逆さにして生まれた商品名だった
なんて説明が面白かったな。
ホテルニューオータニと聞くと、「ストーハー(ストローハット) → 『人間の証明』 (森村誠一)ね♪」
関係ない所で、つい嬉しくなってしまうじんちゃんである。
ったく、どこにウケとるねんな。
https://www.youtube.com/watch?v=enZO8m0WaDo
「遠路はるばる足を運んでくださったのですから、是非とも見学していただきたい。」
熱心な社員さんに口説き落とされ、道路を隔てて向かい側にある小倉第一工場へ。
本社を横手に眺めつつ、広い敷地の中を通っていくと、コンビニがあるんですよ。
ここで働く社員さんの為の!?って、当時は衝撃だったな~
工場内では、案内嬢のお姉さんが加わり、急遽準備した車椅子に母を乗せ、各工程を回ってくれた。
「あちらをご覧ください。スキー場みたいなリフトがありますでしょう? ここでは人間ではなく、便器がリフトに乗って移動してるんですよ。」
この光景が、圧巻やった。。。 他の工程の記憶を、軽く吹っ飛ばす位に。
小倉で利用したタクシー運転手さんの話では、企業の発展に伴い、本社を東京へ移す話は出ているのだが、
街としてはここに残ってほしいと引き留めているということだった。
会社そのものが現地へ落とすお金もそうだが、そこで働く人々が生みだす経済効果も大きいからなぁ。そら、そうなるでしょう。
じんちゃんはね、この企業が九州にあったから、総会へ行く気になったの。
東京はサ、でっかい規模のモノがいくらでもあるじゃない。 そこへ飛び込んでいったって、せっかくの魅力が埋もれてしまう。
北九州の1都市から、世界へ発信する製品を作り続けるってのが、カッコいいんですよ。
「ここにはもう一つ、世界へ羽ばたく企業があるんよ。 産業用ロボットを製造している会社、わかります?」
運転手さんの誇らしげな顔も、印象的だったな。
それぞれの街で、偶然行き交った人々と思い出を作り、母も私も大満足の旅となった。
門司の海峡プラザで、母と摘まんだフグのフライを機に、親しくなった店員のおばちゃん → そのご縁は、この時限りじゃなかったのねぇ
方向オンチのじんちゃんを、清張記念館まで案内してくれた、勤め帰りのおじさん → 北九州市役所の方でした。 ありがとう。
そうして、総会で出会った某企業の社員さん → どんな話題でも、世界がぱぁーっと広がり、面白かった! お世話になりました。
こんなに人の情を感じた旅は、なかった。
で翌年、今度は家族を引き連れて、再び九州へ上陸する訳ですよ。
母の面影を胸に抱いて。。。
https://www.youtube.com/watch?v=Tfc8w6A-f9U
※ 2012年8月に書いたエッセイ 『或る「小倉日記」外伝デケデケデケ』 と合わせて、お読みください。
ようやく続きが書けました。
※ 今回のエッセイに登場する資料館は、ミュージアムとなって、今年の8月28日(金)にオープンするそうです♪
リニューアルされたミュージアムを見がてら、来年は久しぶりに小倉を訪れようかな。