4月上旬、日本各地に被害をもたらした爆弾低気圧は、80近い母の体をも路上に叩きつけた。巻き起こった突風に鋭い叫び声をあげ、さしていた傘に大きく引きずられるように倒れこんだ母の姿は、今も脳裏に焼き付いている。
その数十分前、夫を除く家族は、駅向こうのファミレスで昼食をとっていた。春休みも終わりに近い平日。ネットで事前に確認した天気では雨模様になっていたものの、翌日は晴れマーク。’ちょっとした谷間の低気圧だろう。何とかなるサ’記号化された情報だけを鵜呑みにしていた私は、事態を深刻に捉えず、買い物に行くという予定を決行したのである。足元が悪い中での外出は本意ではなかったが、冷蔵庫にある食料は乏しく、いくらか調達しておきたい頃合いだった。
「雨足が強まってるよ。こんな日に出かけるなんて狂気の沙汰だ。」 部活の朝練から戻ってきた息子が、珍しく弱音を吐いていたのは(それは冷静な判断だったのだけど)、後から思えば第一の分岐点だった。「大丈夫よ。タクシーを使うから。お昼を食べて、隣のスーパーでの買い物は、早めに切り上げよう。」
マイペースな母は、その日も出かける間際に、遅い朝食を食べていた。「ばぁちゃん、おいてったら?」 午前中から活動している他の面々は、そろそろ腹の虫が鳴り出している。「せやけどねぇ、一応行くつもりで支度しているみたいやねん。」
ちょっと雨が降っても、’すべったら危ない。年寄りは、こんな日は家におらなアカン’と言い張る母が、珍しく頑なな用心を解いていた。部活に、友との交流に、家庭から次第に行動の幅を広げていく孫と過ごすひとときを、楽しみにしていたのだろう。「今日は、買い物だよ。」 寝室へ声をかけに行った折、パッと勢い良く起き上がった朝の様子が頭をかすめ、「やっぱりおいていかれへんわ」と、肩をすくめる。
息子の言葉どおり強まっていく雨足に、いささかの不安を感じないではかなったが、思い切った決断を下すには至らなかった。これが、第二の分岐点。以後第三の、第四の分岐点があり、その都度私たちは、’大丈夫だろうか’と感じる危うい道を選んでいった。無論、好んでそうした訳ではなかった。が、そんな方向へ傾いていくのを引き止められなかったというのが実情だ。
緩急をつけながら、次第に酷くなっていく雲行きは、ファミレスで食事をしている間にMAXになった。まるで、スコールのような暴風雨。そんな中、ずぶ濡れになって、懸命に自転車を押す若者がいた。雨宿りできる場所まであとわずか、傘をすぼめつつ必死に、風雨と格闘している婦人がいた。
「ねぇ見て! 信号機が、あんなに揺れてるよ!!それに電線も!!」 驚嘆の声をあげる娘に頷きながらも、お腹を満たした各々は、少しでも小康状態になったら次の行動へ移ることを考えていた。「オレ、隣の本屋覗いてくるわ。」「私も。」息子はともかく、外出時は常に母の傍についていた娘までもが、別行動になった。雨はかなり小降りに、傘をささなくても歩ける程度に、収まっている。
「買い物、どれくらいかかる?」「1時間。いや、この天気やから40分くらいにしとこうか。帰りもタクシー使うよ。スーパーへ来てね。」「40分かぁ…何だったら、おいてってくれていいよ。」「本屋だけちゃうのん?」「TSUTAYAにも行きたいし… 他にもいろいろ。」「もぉ~早く戻って来なさいよ。」「うん。1時間半くらいしたら帰るわ。」「あんたは、大丈夫?」娘に視線を移すと、にっこり笑って 「うん。私はスーパーで合流するよ。」
お気に入りの漫画の新刊を買うのが目的だから、それが達成すれば、とりあえず気が済むのである。そろって歩き出した後ろ姿を眺めながら、どうか無事戻ってきますようにと願った。不安定な天候下での別行動は、やはり気を遣う。雨の様子が幾分落ち着いているとはいえ、風は時折強く吹いていた。
駐車場を挟んで隣接したスーパーへ、ほんの数分。限られた時間、限られた空間内での移動に、まさかあんな出来事が起ころうとは、思いも寄らなかった。もし母が傘を閉じていたら、私がその手をとって歩いていたら…した方がよい事柄を浮かべていながらも、結果的にそれを受け流してしまったツケは大きい。なってしまったものは仕方がないけれど、そこへ至るまでの自分の対応はことごとくスベっていた。
どんな選択をとるのが、母への思い遣りになるのか。おそらく、これから何度も、考えていかなくてはならないのだろう。
その数十分前、夫を除く家族は、駅向こうのファミレスで昼食をとっていた。春休みも終わりに近い平日。ネットで事前に確認した天気では雨模様になっていたものの、翌日は晴れマーク。’ちょっとした谷間の低気圧だろう。何とかなるサ’記号化された情報だけを鵜呑みにしていた私は、事態を深刻に捉えず、買い物に行くという予定を決行したのである。足元が悪い中での外出は本意ではなかったが、冷蔵庫にある食料は乏しく、いくらか調達しておきたい頃合いだった。
「雨足が強まってるよ。こんな日に出かけるなんて狂気の沙汰だ。」 部活の朝練から戻ってきた息子が、珍しく弱音を吐いていたのは(それは冷静な判断だったのだけど)、後から思えば第一の分岐点だった。「大丈夫よ。タクシーを使うから。お昼を食べて、隣のスーパーでの買い物は、早めに切り上げよう。」
マイペースな母は、その日も出かける間際に、遅い朝食を食べていた。「ばぁちゃん、おいてったら?」 午前中から活動している他の面々は、そろそろ腹の虫が鳴り出している。「せやけどねぇ、一応行くつもりで支度しているみたいやねん。」
ちょっと雨が降っても、’すべったら危ない。年寄りは、こんな日は家におらなアカン’と言い張る母が、珍しく頑なな用心を解いていた。部活に、友との交流に、家庭から次第に行動の幅を広げていく孫と過ごすひとときを、楽しみにしていたのだろう。「今日は、買い物だよ。」 寝室へ声をかけに行った折、パッと勢い良く起き上がった朝の様子が頭をかすめ、「やっぱりおいていかれへんわ」と、肩をすくめる。
息子の言葉どおり強まっていく雨足に、いささかの不安を感じないではかなったが、思い切った決断を下すには至らなかった。これが、第二の分岐点。以後第三の、第四の分岐点があり、その都度私たちは、’大丈夫だろうか’と感じる危うい道を選んでいった。無論、好んでそうした訳ではなかった。が、そんな方向へ傾いていくのを引き止められなかったというのが実情だ。
緩急をつけながら、次第に酷くなっていく雲行きは、ファミレスで食事をしている間にMAXになった。まるで、スコールのような暴風雨。そんな中、ずぶ濡れになって、懸命に自転車を押す若者がいた。雨宿りできる場所まであとわずか、傘をすぼめつつ必死に、風雨と格闘している婦人がいた。
「ねぇ見て! 信号機が、あんなに揺れてるよ!!それに電線も!!」 驚嘆の声をあげる娘に頷きながらも、お腹を満たした各々は、少しでも小康状態になったら次の行動へ移ることを考えていた。「オレ、隣の本屋覗いてくるわ。」「私も。」息子はともかく、外出時は常に母の傍についていた娘までもが、別行動になった。雨はかなり小降りに、傘をささなくても歩ける程度に、収まっている。
「買い物、どれくらいかかる?」「1時間。いや、この天気やから40分くらいにしとこうか。帰りもタクシー使うよ。スーパーへ来てね。」「40分かぁ…何だったら、おいてってくれていいよ。」「本屋だけちゃうのん?」「TSUTAYAにも行きたいし… 他にもいろいろ。」「もぉ~早く戻って来なさいよ。」「うん。1時間半くらいしたら帰るわ。」「あんたは、大丈夫?」娘に視線を移すと、にっこり笑って 「うん。私はスーパーで合流するよ。」
お気に入りの漫画の新刊を買うのが目的だから、それが達成すれば、とりあえず気が済むのである。そろって歩き出した後ろ姿を眺めながら、どうか無事戻ってきますようにと願った。不安定な天候下での別行動は、やはり気を遣う。雨の様子が幾分落ち着いているとはいえ、風は時折強く吹いていた。
駐車場を挟んで隣接したスーパーへ、ほんの数分。限られた時間、限られた空間内での移動に、まさかあんな出来事が起ころうとは、思いも寄らなかった。もし母が傘を閉じていたら、私がその手をとって歩いていたら…した方がよい事柄を浮かべていながらも、結果的にそれを受け流してしまったツケは大きい。なってしまったものは仕方がないけれど、そこへ至るまでの自分の対応はことごとくスベっていた。
どんな選択をとるのが、母への思い遣りになるのか。おそらく、これから何度も、考えていかなくてはならないのだろう。