JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

だから私は、ファザコンになれそうもない 2

2016年05月13日 11時58分45秒 | 家族

久方ぶりの更新ですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?装いも新たに、このページへ戻って参りました。

SNSで想いを綴り始め9年…JINCHAN'S CAFEでは、ほぼ模様替えをせずにきたのですが、じんちゃんのessayはクドくて、長くて、愚痴多いからねぇ。せめて雰囲気だけでも、パーッと明るくしようと。今回から虹をかけてみました

さて、娘の卒業式をピークに、いろんな出来事が重なりまして。じんちゃん行き倒れてしもた。 凡人なんでね…不器用な形で頑張るしかなかったのよ。委員疲れは、新年度に入ってもとれなかった。

もう何が脱力て、仕事があるのを名目に、ほとんどの活動を私におっかぶせていた某メンバーが、最後の手伝いのさ中、口にした一言よ。「まぁ、これから職場へ戻ってやる作業は、お金になるからいいんだけどね。」ありゃあ、夫の物言い以上に、「ふぅ~」「はぁ~」のため息モンやったわ。

涙も~ 痛みも~
すべては~ ひとりでぇ~

愛する~ ことから~
分かるの~ いつの日かぁぁ~

くたびれた心に、安井かずみさんの訳詞が沁み渡ります…

愛のうた求めて
エマニュエ~~~ル

何のテーマ曲に合わせて切ないため息をついとるねんな。 

娘は娘で、卒業間近に役割を振られ、似たような悩みを抱えていた。「お母さんも頑張ってんだから、キミもやんなさーい。」いささか納得しかねる理由で、担任から卒業制作の委員長を任されてしまったらしい。推薦入試や私立受験で合格している子なら、他にもいるハズ。娘にしてみりゃなんでそうなるのッ?!ですよ。

その後紆余曲折あり、またしても受験に取り組むことになったので「委員長だけでも他の人に代わってもらうよう、先生に交渉してみたら?」と申しますと、「一度決まったことだからねぇ…」そこで融通を利かせる先生なら、最初から無茶ぶりしてこないと?

「委員長に関しては割り切ったんだけど、委員をやってる友達に、ちょっとした作業を頼もうとすると、いちいち眉間に皺を寄せて、えーっ?!って言う。それがすごく嫌なの。」「お母さんと一緒やわ。」

まとめる側の苦労なんて、知ったこっちゃない。各々が、自分だけの世界の中で、ぶーぶー文句を垂れている。俯瞰で全体を見渡しているのと、自分の立ち位置しか見えていないのとでは、齟齬が生まれて当然なのかもしれない。が、それを補うモノだって、あるんじゃないかなぁと思う。

「ゴチャゴチャ揉めるのも気分的にしんどい。だったら一人でやった方が楽だし早い。明日の朝、学校でやらないかん作業があるねん。起こしてね。」夜は遅くまで勉強の予定が…これまた卒業制作である。後に残るので妥協はしたくないと、美術部の意地とプライドをかけ、懸命にやっていた。受験にも、このくらい気合を入れてくれたらねぇ。

そんな状況で、夫のドラマ妨害が始まる訳ですよ。

夕食の後、息抜けに、お気に入りの番組へチャンネルを合わせておりますと、傍らから画面を見るなり「うわぁ~ペペペペペっ 」。何スカ?一体なん何スカ どうやら有村架純ちゃんのドラマ『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に反応したらしい。確かに辛気臭いムードに救いようのない設定だけどサ、心の琴線に触れ涙することでカタルシスになる…私にとっては、そういうドラマだった。

主人公の二人が、お互いの感情の間を行き来しながら、夜の観覧車へ向かってトラックを走らせるシーンでは、胸がキューンとなった。  高良健吾くんが、晩年のじっちゃんの荒くれた感情を喰らい、しんどくなってしまう所では、母との日々を思い出して、しんみりした。

大切な人を未だ失くさず済んでいる夫には、くだらない恋愛ドラマにしか映らんのだろう。まぁ人それぞれ、好みもあろうし嫌なモノは仕方ないが、私なら、黙って本を片手に2階へ上がる。 <`ヘ´>

「それは高度な対処法。お父さんには無理じゃない?」「〜人は、三度、恋をする〜ってサブタイトルのついたドラマの時は、テレビの前で地団太踏んでいたからねぇ。」「子どもかぃ!(笑)」「あの時も、皆があの内容を肯定していたんじゃなくて、あの展開はないよトカ…」「ツッコみながら見ていたんだよね。」

子どもたちにだって、自分の身へ置き換えたら賛同できない設定もあろう。それでも場の雰囲気に呑まれることなく、自分なりの見方をしていたのだ。夫はいつも上っ面だけ捉えてこうと決めつけ、大騒ぎをする。(相手はドラマですゾ。)

「お母さんも、お父さんの反応を気にし過ぎなのよ。」「そうかなぁ~ 」「私やったら負けへん。大体、人が見ているモノをセーフとかアウトとか、何でお父さんが決めるの?ペペペペペって反応したら、うりゃ~~~って見せつけたったらええねん。洗面所まで逃げてくわ。」

家族中から、ヘタレとからかわれていた娘が、いつの間に、こんなに逞しくなったのか。挙句「お母さん、もっと気をしっかり持って!」と、叱咤されてしまった。^_^;

しかし、コトはそう上手く運ばない。数日後、娘が溜まりに溜まった録画分を消化しようとドラマを見始めると、またしても夫が、わーわー言い出した。目くじらの矛先は、やはり ‘いつ恋’ である。坂本裕二さん(脚本家)、すまんのぅ~

父の様子をジロリ横目で睨みながら、リモコンを握り締める娘。あたしゃ絶対譲らんゾ!との強い意志が漲る。これは言葉どおり娘の勝利かなと思いきや、やおら走り出てきた夫がテレビのスイッチを消し、プシューン強制終了。

「人が見てるのに何するのよー!」「このドラマは見たくないんだ!!」「だったら部屋から出て行けばいいでしょう?!」言葉を返せない夫は洗面所へ行き、ガタピシものにあたり始める。これには私がキレた。この家は、亡き母が守り通してきた城やで。乱暴に扱わんといてんか

ってか、ここは寺内貫太郎一家ですか?(@_@)

ちょっとしたことへ必要以上に拘り己を追い込む…そんな青い時代もあったが、さすがに学習した。自らかきむしったってロクなことない。気に障るのであれば対象から目を逸らしたり角度を変えて眺めてみるのも、心を楽にする方法かな。そうして娘にだって、私にだって、しばし浸っていたい世界がある。夫は無遠慮に踏み込み過ぎるのだ。

こんな夜には例のごとく、娘の部屋を訪れガールズトーク。「やっぱりねぇ…という結末やったな。お母さん、何度か遣り合ったけど、変わらんかったもん。」「もう馬鹿馬鹿しくて。」「配慮してほしかったんだってサ。」「いらん時には入ってくるクセに~すぐ何?何?って」「いっちょかみやからな。(笑)」「アニメ見てる時、後ろに張りつくの、やめてほしいんですけど(笑)」

いつしか学校の話になった。「委員長の仕事はどう?ストレス抱えてたんじゃないの?」「周りが、ちょっとずつ動いてくれるようになってん。放課後何人かで作業していたら、面白いから明日の朝は私たちも早出しよう!って。」「じゃあ、これからは一人でやらなくて済むのね?」娘はニッコリ頷いた。面倒くさそうな反応をしていた友達が、場を盛り立ててくれるようになったのだそうだ。共に係わることにより見えてくるモノ、気付くことが、あったのかもしれない。

「お爺ちゃんは優しかったなぁ。」「そうだったね。」「いろんな話ができた。今こんなことに興味があってトカ、こんな風に考えててトカ、お婆ちゃん以上に言えたかも。よく食事に行ったり、飲みに行ったりしたよ。」「父さんとはあり得んわ。」「可哀想にねぇ…」「誰の所為よ!」「改めて思うのだけど、お母さん多分ファザコンやわ。」「私、ファザコンにはなれそうもない…ふふ」すまんのぅ~許せよ。「ただ、嫌だ嫌だと思ってるタイプを結婚相手にしそうで、それが心配。」「ホンマやなぁ。気ぃつけよ。ダメんずには。」

高校生活が始まり今まで以上に忙しくなった娘は、ドラマを見る余裕もなくなった。初の遠距離通学に加え部活に勉強。ともすれば、パジャマ姿の夫が寝室へ引き上げようかという頃、帰宅する。どうせならあの時、見たい番組を気持ちよく見せてあげたらよかったのにと、ちょっぴり腹立たしい。何事にも旬の時期ってものがあるのだ。一方チャチャを入れた側は、リビングで悠然とTVライフを謳歌している。

先日、あるバラエティー番組に出演していた若い役者を指して「誰?」と問うので、「窪田正孝くん」と答えたら、「知らんなぁ~」。妻の好きな役者を知らんのか。ちなみに子どもたちは承知している。ややあって、「何に出とったん?」ときた。頭の中に、いくつかの作品が浮かぶ…しかしながら、夫に理解してもらえそうなドラマではないのだ。

「『デスノート』『火村英生の推理』」(←息子)「少し前なら『花子とアン』『ST(警視庁科学特捜班)』とか?」用心深く、無難な内容の作品を拾い上げながら、アンタが苦手な脚本家の『最高の離婚』じゃボケ!心の中で、毒づいた。

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だから私は、ファザコンになれそうもない

2016年02月29日 23時44分02秒 | 家族
さて、2月も終わりに近づきまして。
じんちゃんは目下、娘の卒業式のことで、頭がいっぱいでございます。 (-_-)

もうねぇ。。。 そのうち脳の血管が、破裂するんやないかと、思う時がある。
休日の昼下がり、ふとしたきっかけからエンディングノートの話になり、
「母さんにもしものことがあったら、お葬式でたかじんさんの歌を流してちょうだい。」
笑いながら子どもたちに語りかけると、息子が申しますには・・・
「ほな粗供養は、マカロンにしよか。」 (←この意味がわかる方は、芸能ツウです)
「ひぇ~ それだけは絶対嫌!!」
やっぱり生きとらな。

役員活動については、去年エッセイで愚痴らせてもらいましたが、
来年度への引き継ぎにしても、卒業式の1コマの準備にしても、
結局取りまとめ役が、あれこれ気を配らねばならん。
まぁ、それはいいんです。
ある程度の負荷がかかってくるのは、立場上仕方のないことだし、諦めました。

先日、一足早く高校が決まった娘の、入学手続きがあったんですよ。
入学金その他の工面をし、制服等の物品を購入して、重たい荷物を二人、うんうん言いながら運んで帰ってくると、
先に仕事から帰宅。 リビングで、グラス片手に出来上がっている夫が、開口一番。
「ああ~ ××の上靴かぁ ここのはすぐに破れるんだよな。」
あのね、娘が期待に胸を膨らませ、包を開いてる傍から、その言い草はないでしょう。
いっつもそうだ。 その場の雰囲気にパサッと水をかける、いらんことを口にする。

夫の物言いには、常々「ふぅ~」 「はぁ~」 ため息をつきながらも、概ね穏便に済ませている。
(いちいち突っかかっていたら、キリがないからね)
しかしこの時ばかりは、さすがにムッカリきて、「トータルで数十万、ようやく払い込んでホッとしているのに、手にした結果の一つへ、その扱いは。。。」
反論しかけると、「いやぁ、ゴメンゴメン。 前の職場で使っていた作業靴がさ~」
突き詰めるとですね・・・
’そのメーカーの靴は、手に入り易いから、傷んでしまった時には、どこででも買えるよ’と、フォローしかったらしい。
だったら、最初からそう話せよ!

ある政治家が公の場で失言したなんてニュースを耳にすりゃ、
鬼の首でも取ったかのようにマスコミ報道へ乗っかり、
「またか! ったく、しょうがねぇなぁ~」 極めて嬉しそうにツッコんでいるが、
そんな姿を横目で見やりながら、’一番の失言太郎は、アンタやないの!’と、妻はげんなり。
「違う」 「いや・・・」 「そうじゃなくて」といった、会話の出鼻を挫く3点セットには、日々往生している。
違う 違う そうじゃ そうじゃなーい
ふた昔前の鈴木雅之の歌じゃあるまいし。
人の文言を却下しておいて、内容が変わるのかと思いきや、ん? 結局は同じことじゃね? というのもしばしば。
それでも、ひとまず否定しないと、気が済まないのだ。。。

学生時代の友人に、この時の話をしていたら、
「そのメーカー懐かしい! 中高の体育館シューズが、そこじゃ無かった?
通学靴に、上履きに、体育館シューズ、それから運動用の靴。
 入学したときには、靴の多さにびっくりしたなぁ。」
と、ちょっとステキな想い出話となって、返ってきたのには驚いた。
正に、『Memory 青春の光』 というタイトルをつけたいくらいである。

同じ対象でも、人が変われば、こうも連想するものが変わるのかと。
夫の反応が、「わっ 懐かしいなぁ!」だったら、あの時くったりしていた私たちの心も、癒されただろう。
体育館シューズに紐を通していた娘は、「ああ~ そうじゃない!!」
その行動に逐一チャチャを入れられ、2階の自室へ篭ってしまいましたから~

もやもやした気分を抱えた時には、娘の部屋を訪れ、ガールズトーク。
「ふぅ~ ここ楽園やわぁ。」 「お母さん、そこ私のベッドやって(笑)」
「今日は疲れましたなぁ。。。」 「疲れましたなぁ~」
「さっき、お父さんに何か言われてたみたいやけど」 「うん。 私のやること、ずっと監視してるのよ。」
「たぶん気になるんだよね。」
娘が’監視’という言葉を使ったのには、私にも心当たりがある。
家事をやっている時、ハンパない威圧感でもって、眺められていることがあるからだ。
ここは塀の中かよ! お前は山城新伍かよ!! (←誰もわからん古い例えで、すんません)
とボヤきたくなる程かさ高く、感じ悪い。 (>_<)

P.S.
更新がストップしているにもかかわらず、訪れてくださる方がおられるようで、感謝に堪えません。
近日中にUPしますね~
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クローズド・ノート

2013年01月11日 09時33分36秒 | 家族

夜更けの家で…

NHKの『団塊スタイル』を見ていたんですよ。ったく、こんなことを言ってるから、お仲間さんに’じんちゃん、本当に40代?’なんて疑惑をもたれるんだ。MY BIRTHDAYへと日付が変わろうという頃、眺めていたのが、この番組て。サビシ~ぃ!が、興味があったんだから仕方がない。

その日のテーマはね、エンディングノート。一年に渡り放送された中から、アンコールに応えての再登場というコトで、それだけ注目度の高い内容であったと。もしもの時に備え、家族への希望や気持ちを書き留めておくエンディングノートは、いつ何が起こってもおかしくない不安定な時代を反映しているのかな… 30、40代の関心をも集めているそうで。番組は、ジャーナリストの鳥越俊太郎さんをゲストに、人生の終わりを見据えつつ、現在の自分のあり方を振り返る構成となっていました。(関係ないが司会の風吹ジュンの、あの滴るような色気は何なんだ。正に団塊の世代に輝く星ネ。)

父を送り、叔父を送り、その遺品整理を手掛ける羽目になったじんちゃんとしては、いろいろ考える所がありまして。我が人生を、どんな風に締め括ろうなんて思いを馳せるには、少々時期が早いけれど、子どもたちに何かを遺せるのだろうかトカ、逆にどういったものを処分しといた方がいいのかなぁトカ。父のように、’遺品と一緒に、かつての恋の痕跡も出てきました’つー心配も、なきにしもあらず!?

リビングの戸棚の奥から、古い茶封筒に包まれたブツを発見した時、じんちゃんの胸は、きゅーんと詰まったね。そこに入っていたのは、数枚の写真と、黒革の手帳。取り出したセピア色の写真の中から、妙齢の女性が、静かな微笑みを湛え、こちらを見つめています。可愛らしい人やなぁ。。。って、感心しとる場合かい!

数十年の時を経て、娘 VS 当時の恋人が、こんな形で対面しようとは。よよ…何が哀しいてね、癌の進行によって、ある日を堺に歩行困難に陥ってしまった父が、想い出の品を始末できぬまま、最期まで気を揉んで逝ったのではないか。そんな心情を慮ると…ぷっ。また、手の届き辛い所に入れていたんですよ。人間心理としてありますねぇ。隠したいものは上の棚へあげろ。

そっと手帳をめくってみますと、数年間にわたるデートの記録が、書き込まれておりました。ダイアリーですからねぇ。何月何日、何時に待ち合わせ、どこへ行ったのか。パッと見て、サッとわかる(笑)。詳細な記載は省かれていましたが、それでも折々の心境を綴った文面から、楽しいばかりの恋でなかった様子が伺えるのでした。ささーっと見渡し’今の私には、まだ早い’、パタリと閉じて元の場所に戻し、約一年…関西での生活が何とか軌道に乗り出した頃、再びあのダイアリーを紐解く機会が巡って参りまして。父が遺したモノ、愛したモノに触れながら、整理を続けた末、やっと向かい合える準備が整ったのかな。ったく、とんだ「クローズド・ノート」だよ。

今度こそ、すべてを受け止めて処分しよう。そう心に決めていた私は、一つ一つの内容を、たどり始めました。デートの場所として、クラシックコンサートや洋画といった、父の趣味とは到底思えない記述があり、’さぞかし頑張ってたんやろなー’とクスリ。私が知っているのは、いささか調子っぱずれに、演歌を口ずさんでいる姿ですから。確かに、クラシックのレコードは家に何枚かあって、時折引っ張り出してきては、じっと聴き入っていることがあった。が、あれはストライクゾーンの趣味ではなかった気がするなぁ。過ぎし日を、振り返っていたのか。そう言えば、決まって夕暮れ時だったよ。。。と、ああ妄想は膨らむ。

遺品整理をしていたら、ジュリーの『許されない愛』なんて、シングルレコードが出てきたこともあった。流行歌には敏感な人だったので、演歌と並びザ・ピーナッツやピンキーとキラーズのレコードも所有していたものの、それらのレコードが文句ナシの代表曲なのに対して、ジュリーの場合は、’よりによって、その曲なん!?’やっぱ勘ぐるよね。意味深過ぎるゼ。タイトルも歌詞も。

別れを切り出され、でも別れられず…随分の間、父はやるせない感情を抱えていたようだった。次第に沈鬱な空気が漂い始める。「TELなし」「やはりTELなし」ダイアリーの余白に、したためられた文字が、悲しみで震えていた。日頃の丁寧な筆跡を知っているだけに、痛々しく見える。幾度目かの働きかけの後、ほんの一時、心が通じ合えた瞬間があったようだが、それも長くは続かず、最後は 「やはり、決意固し」。

おかしな話かもしれないが、私はね…何だかホッとした。父は、苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて相手の選択を受け入れたんだと思ったから。そんな風に解釈できるのは、相手の女性も、父も、こちらの家庭をゴタつかせる空気を、放たなかったからかもしれない。密やかな関係に、私たちは守られていたのだ。

しかし父も、難儀なモン遺して逝きよったなぁ。二人の過去を物語る、色あせた写真と黒革の手帳。松本清張の小説のように、「コイツでのし上がってやるわよ!」とはいかんしね。せいぜい母にチクるくらいのもんで。ただ別の意味で、胸がきゅーんと苦しくなるお年頃。憎まれ口をきいて可愛くない時は、「いてもうたろかぃ!」 胸の奥に仕舞っていることが、喉元まで出かかるけれど、ホンマにあの世へ行ってしまいそうなので、我慢しておりまする。「ちょっとアンター!!」天国で母が騒ぎ出し、静かに眠ってる…いや、ひょっとして?その先は考えるまい。ま、お父ちゃんの邪魔をしたら、悪いからな。

「人は、誰かを愛した時、必ずその証を残したがる。だから、愛のからむ完全犯罪は成立しない。」 LOVE AFFAIR を、愛のからむ完全犯罪とするなら…『死刑台のエレベーター』(日本版ね)のセリフに、一理ありだ。みなさまも、ご用心。

ところで、じんちゃんにもクローズド・ノートがあるのですが。子どもたちに見つかる前に、はよ処分せな。だって、恥ずかしい内容なんだもーん。「母さん …こんなもん書いてたんかい!」うぷぷ。ラブはラブでも、ボーイズラブ。腐女子だったもんで♪

https://www.youtube.com/watch?v=VTL3Z4qtSps



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僕らをためしにくるものに 3

2012年06月07日 11時46分51秒 | 家族
気づけば、前回の更新から1ヶ月以上が経過。6月に入っておったー。その間、何かしらあった訳ですけど、まずはこのご報告から。

母が、退院致しました。現在は、かつてとほぼ同じ状態で生活しています。大腿骨頸部の骨折と診断された時には、あの齢でどうなることやらと心配していたのですが、手術とリハビリを乗り越え、驚くべきスピードでの回復。

日増しに元気づいていく母と引き換えに、振りかかってきた家事全般に加え、病院通いの仕事が増えた私は、次第に疲れが溜まっていくのでした…。折も折、親族間のいざこざに巻き込まれ、もうGWの頃がピークやったね。じんちゃんの精神的苦痛は。

そんな中、どういう形にせよ応援してくれる人がいた。心を癒してくれる人もいた。つながっていることで煩わしい思いをする場面もあるけれど、それだけじゃあないんですねぇ。心を照らしてくれる神は、必ずどこかにいる。なんて感じながら、今日もぼちぼち頑張っています。

この年になるとね、全力でぶつかっていくのもどうだろうって有様なのよ。まぁ、きばらずやっていけるといいかな。http://shop.ehonnavi.net/item.asp?c=403201230X

最近になって、ようやく本を読んだりドラマを見たりと、心の余裕が出てきました。今手にしている小説は、角田光代『八日目の蝉』。昨年井上真央主演で映画化され、好評価を受けた作品ですが、期待に胸膨らませ内容を追い始めたのも束の間、春休みや母の入院で中断してしまい、約2ヶ月ぶりの再開。

これがまた、地味な文体なのよ。じんちゃんには、ちと合わんかなぁと思いつつ、しばらく読み進めていると…赤ん坊を誘拐した女の潜伏先として(東京から名古屋へ逃げる)、無農薬野菜や奇跡の水を糸口に、アヤシ気な世界へ誘う集団が登場し、「キターッ!」。

愛知周辺部に住んでいた人なら、ピンとくるのではないだろうか。財産は没収、新聞・雑誌などのメディアから隔離された生活を送る施設ということで、なるほどストーリー展開に即した設定だわ。って、感心してるのそこかよ!

以後、興味津々で主人公の足跡をたどっていくのでした。私にとって、もはや絵空事ではなくなったということかな。野沢尚(ミポリン&キムタクの『眠れる森』、天海祐希&モックンの『水曜日の情事』を手掛けた脚本家)の小説『魔笛』を思い出す。あれは、オウム真理教をモデルにしていたのだった。

社会問題にまで発展した出来事をどう切り取るのか、そういう所を追っていくのが楽しい。角田さんも上手いのよ。実在の逃亡犯の名前を、さらっと会話に盛り込んだりして。するとまた、リアリティが出てくる。事件のその後に焦点を当てているのは(第二部で、誘拐された娘の成長後のストーリーになる)、東野圭吾っぽくもあり…

ただ、誘拐された娘が憎むべき相手と、はからずとも同じ轍を踏んでしまう(妻子のいる男性の子をはらむ)設定は、うーむ、どうなんかなぁ。子どもがいつできてもおかしくない、綱渡りのような交わりを続けるって、男も女も勇気がいると思うけどね。

林真理子なら、瀬戸内寂聴なら、説得力のある描き方をするのだろうか。中村うさぎに監修してほしい気もする。うさぎさん、鋭い切り口で女の事件を紐解くからなぁ。『女という病』は、面白かった!って、立ち止まって考えてるのそれかよ。

果たしてラストで感動に持っていかれてしまうのだが、一方で想いに浸り切れない自分もいた。できてしまったものは仕方がない。まずはその命を送り出してあげることが大切じゃないか。子どもの目に映るのは、辛い出来事ばかりじゃないのだから。美しい世界だって、あるのだから。

’それでも生む’という選択。人道的見地に立てば善なのだろうけど、きっと助けてくれるはずの周囲を頼みに出産へ踏み切るってのはどうなのよ。私にとっては、生む・生まないどちらの選択も、簡単に下せるものでなく、そうしてこちらは善、こちらは悪と、割り切れない部分を感じていて。だからこそ、もっと前の段階で何とかならんかったんかなと。

男側の責任、女側の責任。考えてしまうよ…。時代は変わったというが、肝心な所で主張の一つもできぬまま男に委ねちゃってる図は変わらないんやなぁと。それが情けなかった。ふぅ~男女関係も、まだまだ自由じゃないよね。

それはそうと、最後に但し書きを見つけました。’この作品はフィクションであり、登場する人物や団体は実在のものとは一切関係ありません’ええーっ!?福田和子って、実名で上がってるんですけど。「(誘拐犯について)知ってる。福田和子を知ってるのと同じ程度に」なんてセリフ、私は上手いなーと思っていたのでした。

じんちゃんのように、実在の団体と結びつけて面白がる、そそっかしい輩がいるので、クギをさしていると?ならば、こういうことにしておきましょう。’八日目の蝉に登場する団体には、非常にリアルなモデルがある’信じるも信じないも、アナタ次第です~

さてドラマ『都市伝説の女』(金曜深夜:テレビ朝日系)、家族で楽しんでいるヨ。映画『モテキ』で、’やっぱり僕らの太陽神’とばかりに魅了した長澤まさみ。今回も、軽快にトバしています。彼女はちょっとトボけた役所が上手い。松たか子のコメディエンヌぶりに迫るものを持っているんじゃないかしらん。長澤を取り巻く面々が、またいいのよ~。

『菊次郎とさき』のマー兄ちゃんコト平山浩行(じんちゃんです♪)、劇団出身の匂いプンプンの安藤玉恵(映画『八日目の蝉』に出ていたのね!)、数少ない登場シーンで記憶に渋い刻印を残す宅間孝行(別名サタケミキオ?『花より男子』の脚本を書いていた人か~)、頭の上にアヒルちゃん人形を乗せる、竹中直人のハッスルぶりも笑えます。深夜枠にしては、贅沢な俳優陣だ~。あ、ゴメン溝端淳平くん忘れてた(娘が横から’コナンの工藤新一!’と騒いでる)。軽妙なセリフのやり取りが、ホント愉快だわ。

今期ドラマは、『都市伝説の女』をはじめ、夏樹静子原作の『Wの悲劇』(木曜9時:テレビ朝日系)、貴志祐介原作の『鍵のかかった部屋』(月曜9時:フジTV系)etc…とミステリーづいており、じんちゃんご満悦。

『Wの悲劇』は地味な配役ながら、リアルタイムで必ずチャンネルを合わせる程、入れ込んでいるのだ。’おじいさまを殺してしまった~’と絶叫する娘(武井咲)、実は双子だったという設定です。財閥の令嬢と、ショーパブで清掃員をする女が、お互いの人生を交換する。令嬢に成りすましている元アバズレが、見ていて楽しい。エロジジィ(寺田農)の魔の手を逆手に取り、のし上がってやるわよみたいな。『黒革の手帳』だぜ~~~

昨日は、友人に誘われFMラジオのイベントに参加する予定が、一転して病院へ走る結果に。娘が、学校で怪我ですと。ふぅ~ やっぱりためされてる?

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僕らをためしにくるものに 2

2012年04月20日 10時25分04秒 | 家族
4月上旬、日本各地に被害をもたらした爆弾低気圧は、80近い母の体をも路上に叩きつけた。巻き起こった突風に鋭い叫び声をあげ、さしていた傘に大きく引きずられるように倒れこんだ母の姿は、今も脳裏に焼き付いている。

その数十分前、夫を除く家族は、駅向こうのファミレスで昼食をとっていた。春休みも終わりに近い平日。ネットで事前に確認した天気では雨模様になっていたものの、翌日は晴れマーク。’ちょっとした谷間の低気圧だろう。何とかなるサ’記号化された情報だけを鵜呑みにしていた私は、事態を深刻に捉えず、買い物に行くという予定を決行したのである。足元が悪い中での外出は本意ではなかったが、冷蔵庫にある食料は乏しく、いくらか調達しておきたい頃合いだった。

「雨足が強まってるよ。こんな日に出かけるなんて狂気の沙汰だ。」 部活の朝練から戻ってきた息子が、珍しく弱音を吐いていたのは(それは冷静な判断だったのだけど)、後から思えば第一の分岐点だった。「大丈夫よ。タクシーを使うから。お昼を食べて、隣のスーパーでの買い物は、早めに切り上げよう。」

マイペースな母は、その日も出かける間際に、遅い朝食を食べていた。「ばぁちゃん、おいてったら?」 午前中から活動している他の面々は、そろそろ腹の虫が鳴り出している。「せやけどねぇ、一応行くつもりで支度しているみたいやねん。」

ちょっと雨が降っても、’すべったら危ない。年寄りは、こんな日は家におらなアカン’と言い張る母が、珍しく頑なな用心を解いていた。部活に、友との交流に、家庭から次第に行動の幅を広げていく孫と過ごすひとときを、楽しみにしていたのだろう。「今日は、買い物だよ。」 寝室へ声をかけに行った折、パッと勢い良く起き上がった朝の様子が頭をかすめ、「やっぱりおいていかれへんわ」と、肩をすくめる。

息子の言葉どおり強まっていく雨足に、いささかの不安を感じないではかなったが、思い切った決断を下すには至らなかった。これが、第二の分岐点。以後第三の、第四の分岐点があり、その都度私たちは、’大丈夫だろうか’と感じる危うい道を選んでいった。無論、好んでそうした訳ではなかった。が、そんな方向へ傾いていくのを引き止められなかったというのが実情だ。

緩急をつけながら、次第に酷くなっていく雲行きは、ファミレスで食事をしている間にMAXになった。まるで、スコールのような暴風雨。そんな中、ずぶ濡れになって、懸命に自転車を押す若者がいた。雨宿りできる場所まであとわずか、傘をすぼめつつ必死に、風雨と格闘している婦人がいた。

「ねぇ見て! 信号機が、あんなに揺れてるよ!!それに電線も!!」 驚嘆の声をあげる娘に頷きながらも、お腹を満たした各々は、少しでも小康状態になったら次の行動へ移ることを考えていた。「オレ、隣の本屋覗いてくるわ。」「私も。」息子はともかく、外出時は常に母の傍についていた娘までもが、別行動になった。雨はかなり小降りに、傘をささなくても歩ける程度に、収まっている。

「買い物、どれくらいかかる?」「1時間。いや、この天気やから40分くらいにしとこうか。帰りもタクシー使うよ。スーパーへ来てね。」「40分かぁ…何だったら、おいてってくれていいよ。」「本屋だけちゃうのん?」「TSUTAYAにも行きたいし… 他にもいろいろ。」「もぉ~早く戻って来なさいよ。」「うん。1時間半くらいしたら帰るわ。」「あんたは、大丈夫?」娘に視線を移すと、にっこり笑って 「うん。私はスーパーで合流するよ。」

お気に入りの漫画の新刊を買うのが目的だから、それが達成すれば、とりあえず気が済むのである。そろって歩き出した後ろ姿を眺めながら、どうか無事戻ってきますようにと願った。不安定な天候下での別行動は、やはり気を遣う。雨の様子が幾分落ち着いているとはいえ、風は時折強く吹いていた。

駐車場を挟んで隣接したスーパーへ、ほんの数分。限られた時間、限られた空間内での移動に、まさかあんな出来事が起ころうとは、思いも寄らなかった。もし母が傘を閉じていたら、私がその手をとって歩いていたら…した方がよい事柄を浮かべていながらも、結果的にそれを受け流してしまったツケは大きい。なってしまったものは仕方がないけれど、そこへ至るまでの自分の対応はことごとくスベっていた。

どんな選択をとるのが、母への思い遣りになるのか。おそらく、これから何度も、考えていかなくてはならないのだろう。

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