JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

図書室向上委員会

2022年04月12日 22時15分08秒 | 本と雑誌
4月より、13年目の活動に入りました。

この年代になって、こんなに学校へ通うことになろうとは、思わなかった。長い年月の間には、凹んだり、クサりそうになったり、いろいろあったけど…日常を支えてくれる良き先生や仲間に恵まれ、何とか持ちこたえています。

なんかね〜上手く伝わらないかもですが、経過に立ち合うって大事だよ。だからこその気づきや感動がある。🍀

Ride on Time(後編)秋の巻

2020年09月29日 18時45分25秒 | 本と雑誌
   アントキノトビラ・・・その発端は、五木寛之さんでした。数年前、某銀行主催の金融セミナー第2部に、五木さんの講演会が予定されてまして。その情報を目にした時にね、「お元気でいらっしゃるうち、ぜひともお聞きしたい!」と。いや、その時点で結構なお年だったんですよ。大阪でのセミナーは所用で逃した為、この時は名古屋まで出張しました。地元に住む友人との約束も取り付けて、大変有意義な遠征だった記憶があります。しかも前日は、寺尾聡さんのLIVEに初参戦で・・・。ああ、もうあんな日はしばらく訪れないんだなぁ。

    ここ数年を振り返り感じるのですが、あっ!というタイミングが訪れたら、サッと組み込んで、スッと実行する。そうやって、自分なりの面白体験を重ねてきた気がします。「アンテナ張ってるのね~!」周囲に驚かれたりもするのだけど、引き替えに何かを手放していたり、他の人が捨てているものを拾っていたり、するんですよね。

   『百年人生を生きる~こころの相続~』というテーマでの興味深いお話でした。「相続は、お金や土地・株といった目に見える(=形ある)ものばかりじゃないんですよ・・・」ある時、編集者たちと食事をしていた五木さんは、傍らの女性のキレイな魚の食べ方に目を見張ります。「すごいね!」と感心すると、「母がうるさかったんです。」彼女のお母様も、親の作法を見よう見まねで身につけていったそうで。こうして代々受け継がれてゆくものがあるのだなぁと。

 自身を思い起こせば…本の上を跨いだり、ページの隅をしおり代わりに折り曲げたりすると、父親から大層叱られた。教師で漢文を教えておられたこともあり、書物に対する想いもひとしおだったのでしょうね。『古事記』の素読を始め、菅原道真が太宰府で詠んだ歌・乃木将軍や大正天皇の漢詩など、口伝えで教わったものは、今も頭の中に焼き付いていると。素晴らしい文化の継承ですな。

   このくだりを聞き、ひとり恥じ入るじんちゃん。幼き頃の我が子に口伝えで教えてたのは、『鬼首村手毬唄』(息子)と『宇宙猿人ゴリ』(娘)だよ。子どもたちにしてみれば、迷惑この上ないですねぇ。
"わっくせーいEから~ ついほーされた〜 そのくやしーさは わーすれはしない♪"
ゴリのやるせなき心情、おそらく道真さんと通ずるものが。一緒にすな〜。オルガンを弾きつつ、叙情歌を口ずさんでらした五木さんのお母様とは雲泥の差だ。叙情歌にちなみ、北原白秋や西条八十といった名前が挙がっていましたが、じんちゃんにとって、西条八十と言えば童謡の人というよりは~「ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ」の詩人さんだ。meに刻みつけられてるのん角川文化かよ。

   さて、かつては小学校の教員だったというお母様。若い頃に亡くなられた所為もあり、いろんな話を聞く機会がなかったのだそうです。やがて月日は流れ、当時の教え子から思い出の写真を見せられた時、「ああ!母さんにも、こんな時代があったのだな」と。眼鏡をかけて採点する様、テニスコートへ佇む姿など、五木さんが初めて目にするものだったのでした。考えてみれば、自分は何も知らない。母がどんな青春を過ごしたのか、どういう経緯で父と結婚したのか。いや、それどころか!戦争体験をしていた父からも、聞けなかったままの話が・・・。

 日々の暮らしで、自ずと受け継ぎ、現在も続けている習慣はあるけれど(それだけでなく、五木さんの経歴を拝見していると、親御さんからの文化的影響をひしひしと感じます)、進んで聞き出し、その記憶を相続していくのも、大事だったのではないか。何故もっと耳を傾けておかなかったのか。しつこく!貪欲に!(たぶん今だから言えるんですよねぇ・・・)「国の伝統や文化も、そうやってつながっていくのだと思いますよ。」

   それからは、『遠野物語』で有名な民俗学者柳田國男の『涕泣史談(ていきゅうしだん)』へ。太平洋戦争開戦前(昭和15年)に行った講演の中で、’明治維新以降日本人があまり泣かなくなった。これはどういうことか?’と。古代より数々の文学作品には、「涙」の場面が登場していた。涙を流して泣くのが、内なる感情を表に現す、1つの手法だったんですね。やがて言葉が、そうした身体表現に、取って代わるようになる。言語能力が向上していくにつれ、身体を使った表現の機会は失われいく。

 何かに触れた時、心に生ずるあるがままの感情。それを自然な形で放出するのも、大切なのではないか。江戸時代の学者本居宣長は、『源氏物語』や和歌の研究を通して、「もののあはれ」という理念へ辿り着きます。医師でもあった彼ならばこそ、心や身体の健康という観点からも、いにしえの文学作品に滲む日本人のあり方を、見つめていたのかもしれませんね。
"生きているうちには、辛く悲しい出来事に遭遇する場面もあるが、鍵をかけて外へ出さずにいる限り、それは消えないのだ。永遠に。"

 「私たちも、泣くのを忘れて戦後を生きてきた気がします。」五木さん曰く、そうしたことも相続されなくなったのではないか?と。お芝居や小説など、泣くべき場所や時を持ち、適度に感情を出しながら、カルチャーへ高める。泣きたい時に泣き、笑いたい時に笑い・・・それは車の両輪のようなもので、ちゃんと動かしていると、前へ進む(生きる)力になる。『探偵!ナイトスクープ』西田(敏行)元局長のスタイルは、間違ってなかったってことだな。←こら

   ここ数ヶ月は、コロナ禍の状況にあり、対面で各種文化へ触れる場面が激減しました。特に舞台関連はねぇ・・・大打撃ですよ。ならば!と、近頃はオンラインで参加できるLIVEや講演会も、少しずつ増えています。それはそれで、良い側面(現地へ行かずとも全国、いや世界からの参加も可能!?)もあるのですが、「やっぱり生の魅力には、かなわへんよぉ~」とは、双方経験した友人の弁。そりゃそうだわ。彼女が以前出入りしていたのは、若者たちが集うライブハウス。「四方八方から押されて、身体が宙へ浮きそうになってね・・・」「で、どないしたの?」「隣にいたお兄ちゃん(←ちなみにアカの他人です)にしがみついて、事なきを得た。(^^ゞ」なんて体験をしてたんだもの。濃い!濃い!でもね、じんちゃんにも心当たりがあるの。現場ならではの息吹が、より心を震わせ、お客さんの反応も含めて、記憶に刻まれるんですよね。

   さて、この数年間のじんちゃん。イケてる中高年へ会いに行こうツアー勝手に題しまして、いろんな場所へ足を運びました。本や音楽が好きなので、そういう方面のイベントに赴く機会が多かったけれど、某企業総会の招集通知書に小宮悦子さんのお名前を見つけ、「うわぁ~!ニュースステーションのえっちゃん!好きやったわー」東京まで行ってしもたこともあります。追っかけウーマンかよ。久米宏さんのお隣で、ニュース原稿を手にしていた頃から、ウン十年!?ショートカットに愛嬌あるえくぼが印象的だった’えっちゃん’は、素敵に年を重ねられていました。凛とした大人の女性よ。そのオーラを少しでも浴びたくてね・・・「こちらからお詰めくださーい。」係員の案内をさらりとかわし、小宮さんの斜め前方エリアへ陣取り、にひひと。ともすれば緩みがちになる口元を引き締めまして。ふむふむと話を聞きつつ、さらさらとペンを走らせ、チラチラとえっちゃんを見る。おっさんか!!そんなヒトコマも、楽しい思い出です。こうして溜め込んだ諸々の記憶は、自粛期間中の心の支えになっていました。

   五木さんの講演会も、ご本人の佇まい込みで素晴らしかった!’お元気でいらっしゃるうち’なんて思い込み、申し訳なかったです。「(立松和平さん、寺山修司さんと共に)三大方言作家と言われております。」ちょっぴりはにかみながらの自己紹介。その後の弁舌さわやかな語り口と、降壇の際にスッと背筋を伸ばして去っていかれたお姿。かっけー!!ダンディーの極みですよ。ああ、これが実感というものか。

 昭和とは・・・平成とは・・・こういう時代でした。TV番組等を通じて、目にする機会がありますね。それに対して五木さんは、こうおっしゃっておられました。「資料としてまとめられた内容と、自分の実感が異なる場合があるんです。(懐かしのヒットパレードを眺めていても)」表の歴史とは違う各々の実感、それを言葉にするのも、必要なのではないかと。先人の話を注意深く聞きつつ、自身の体験を通して感じたことを含めて、後の人たちへ伝えていく。何を受け取るべきか、何を伝えるべきかを考えながら。

   私事ですが、今年もまた一人、「語り部」の役割を担っていた親族が、あの世へ旅立っていきました。口数は決して多くなかったものの、法事などで顔を合わせる度に、ポツリポツリ・・・父方、母方、双方のファミリーヒストリーを語ってくれる存在だっただけに、残念で仕方ありません。この所しみじみ感じるのです。「学校」を舞台にした「本」にまつわる活動を、じんちゃんが続けているのは、ご先祖さまが手掛けていたことの継承かなぁと。表立って影響や誘導を受けた訳ではないのに、不思議と自然にその道を辿っている。祖先からのDNAに導かれているのか!?

   興味を惹く対象が多岐にわたる現代で、学生たちに本を読んでもらうのは大変よ。できればお仕着せでなく、自ら選び取ってほしいしねぇ。そんな中、たまーに「おっ!」という場面に立ち会うことがあるの。ある図書委員さんが本の紹介で選んだのが、五木寛之さんの『生きるヒント-自分の人生を愛するための12章-』。図書室にある、あまた蔵書の中から、どういう経緯でその1冊が手に取られたのかわからないけれど、これは嬉しかった!!比較的最近刊行された「愛蔵版」でも「新版」でもない、1990年代のオリジナル版というのが、泣かせるじゃないか。中学生の昨今の読書事情を鑑みるに、奇跡とも思える結びつきです。アニメ絡みのライトノベルや、ドラマや映画などへ映像化された作品が、どうしても目立ってしまうから。しかし、その時々の流行に左右されない、地味かもしれないが良質な本に気づくセンスって、素敵だなぁと思うし、そういった結びつきを見届けられるのは、今の私のささやかな幸福よ。

P.S. 上記の五木寛之講演会でのお話が本になっています。
   
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Ride on Time(後編)夏の巻

2020年08月29日 14時33分00秒 | 本と雑誌
すみません。またまたご無沙汰してしまいました。m(_ _)m

その間、世の中がガラリと変わる事態へ…フツーに出来ていたことが出来なくなり、LIVE!講演会!学祭!に元気をもらっていたじんちゃんにとっては、しょっぱい上半期となりました。

去年から予定を入れ半年前後、楽しみに待ち続けていたイベントも、軒並み中止or延期の憂き目に。
1月に神戸で開催された浜田省吾のチャリティーコンサート、2月に大阪で開催された島田洋七講演会、徐々に暗雲が立ち込め出した頃合いでしたが、何とか行きおおせて良かった。心から、そう感じます。

3月には、息子が進学の為東京へ旅立っていきました。
4月には、地元の役員活動が始まりました。
新たな生活サイクル、人とのつながりに、緊張する日々が続いたものの、周囲の方々に恵まれ、何とかこなしております。

昨日から今日、今日から明日。
その時々の自分に出来得ることを淡々と…
そんなスタンスで暮らしているかな。

自粛期間中は、ただいたずらに不安感を煽るもの、真実よりも自分たちの主義主張を優先する報道から距離を置き、昔の本や、友人から借りていた本を、ひたすら手に取っていました。その方が、精神衛生上よかったです。

今の時代にこそ、若い世代にも読んでもらいたい♪
曽野綾子『ボクは猫よ』。
漱石の『吾輩は猫である』のパロディーですが、実在の作家が微妙に名前を変え登場しているので、これはあの方かな?と想像しながら読むのが楽しかったです。
そうして出版された1982年から現在にかけて、ブレることのない綾子節が、やはり私には小気味よいのでした。

諸手を挙げて賛同はしないけど・・・
村上 龍『オールド・テロリスト』。
じいさんたちの手法に抵抗を感じつつ、それでもラストは涙してしまう!?
破壊と再生は、『コインロッカー・ベイビーズ』の頃から脈々と流れるテーマかな。
境界線を越えてしまう人と、そうならない人。そうならない彼らを、繋ぎとめるモノは、何なのか?
龍さんなりの、1つの答えが提示されており、興味深かった。私自身も考え続けていたことなので。

そうして、じんちゃんはここへ行き着く!
原田マハ『本日は、お日柄もよく』。
去年の誕生日、自分へのプレゼントに購入しました。いやー表紙からして目出度い!
言葉の魔術師スピーチライターのお話で、こういう世界があるのね~と。
『総理の夫』に続き、すーっと読めて、明るい心持ちになれる、お仕事モノでした。
解説でお兄様が原田宗典さんと知り、そうなの⁈ 昔むっちゃ好きで、よくエッセイ読んでたよ!!
「たーての糸はあーなたァ~♪」と歌い出したくなる程、感慨深かった。

こんなおばちゃんに、運命感じられてもねぇ。。。
いやいや、馬鹿にしたものでもないのです。
今に至るまで、いろんな変遷がありましたが、あの時に開けた扉が、ここへつながったということが、確かにあるんですね。だから人生は面白い。

昨日は初Zoomで、オンラインセミナーを体験しました。
これもまた、アントキノトビラの後日談なのですが、次回に語ることと致しましょう。


大家さんと僕

2018年02月26日 14時24分59秒 | 本と雑誌
たまーになのだけど、ひどく落ち込んでしまう時がある。そうなると、気持ちを回復するまで、結構時間がかかったりする。いろいろと余計な動きをしてしまっているんだろうね。自分にしかわからない所で…😓

そんな折、ママ友が「読んでみて~」と持ってきてくれたのが、『大家さんと僕』。売れない芸人!?カラテカの矢部太郎さん作の、ほのぼの漫画だが、大家さんに僕、そうして二人を取り巻く周囲の人たちのキャラクターが絶妙で、すっかりその世界に、魅了されてしまった。😌

人は人に生かされる・・・

男女や世代という垣根を越えた関係を、いつしか成立させてしまった矢部さん。元来はあまり器用な人でなさそうなのが、好感だよね。

こういう人がいると、ホッとする。

月と太陽

2015年01月24日 08時48分38秒 | 本と雑誌
新年が開け、ようやく戻って参りました。お世話になった伯父が亡くなりまして。いや~怒涛の年末だった。「今回は大掃除もお節もサボります」友人のメールに、「それいただき!」さすがにお節は無理だったけど、恒例の年の瀬大掃除はお休み。自分の誕生日は、ちゃっかり確保した、じんちゃんです。

年始はね、のんびりまったりしながら、くたびれた心を癒していました。そういう時間が必要な程、摩耗していた。本を読んで、ドラマを見て、友人と会って…それぞれの場面で、面白い巡り合わせがありましたよ。ああ、人生捨てたもんやないな。しみじみ感じる今日この頃です。

娘が、興味深い本を紹介してくれました。『希望名人ゲーテと絶望名人カフカの対話』二人の作品や手紙、或いは誰かへ話した内容から、各々の言葉を抜き出して対比し、双方が語り合っているかの如くまとめた、名言集です。

例えばゲーテが「希望は、わたしたちが生きるのを助けてくれます。」明るい言葉を吐きますと、それに続くカフカがですね、 「朝の希望は、午後には埋葬されている。」ゲーテの文言に、パサーッと水をかけるようなセリフを吐く。もう私、爆笑してしまいまして。

「希望を失ってしまったときにこそ、良いことが待っているものだよ。」(ゲーテ)
「ぼくがどの方角に向きを変えても、真っ黒な波が打ち寄せてくる。」(カフカ)

「陽気さと真っ直ぐな心があれば、最終的にはうまくいく。」(ゲーテ)
「すべてが素晴らしい。ただ、ぼくにとってだけはそうではない。」(カフカ)

ちょっと!カフカはん、足引っ張らんとってくれるぅ?眉根を寄せつつ振り返る、ゲーテの困り顔が目に浮かぶ。彼だって、根っから能天気な訳じゃないと思うのよ。『若きウェルテルの悩み』を書いた人だもの。暗かったわ~あの小説。人妻に恋して自殺するの。しかも、自分の体験談を元に書いたっていうんだから。御苦労なさったのね。

「太陽が輝けば、ちりも輝く。」(ゲーテ)
「暗闇に戻らなければなりませんでした。太陽に耐えられなかったのです。」(カフカ)

「厚い雲、立ちこめる霧、激しい雨の中から、希望はわれわれを救い出す。」(ゲーテ)
「救世主はやってくるだろう。もはや必要でなくなったときに。」 (カフカ)

あはは。カフカ最高!!でもね、ゲーテの死後約50年経って生まれてきたカフカは、彼の作品を好んで読んでいたそうです。そうして、彼が住んでいた家を訪れたりもしたらしい。その愛情は、生涯変わることがなかったと。時に闇へ引き込まれそうになりながら、幾度も気を取り直して、前へ進み続けた…そういったゲーテの裏側を、カフカは理解していたんじゃなかなぁ。

夕食の席で、ゲーテVSカフカの名言集を披露していたら、夫と息子は、どちらかと言えば自分はカフカ派だと言いました。ああ~すぐ人の話に水をさすもんね。しかし、勘違いしないでもらいたい。カフカは、決して天の邪鬼や皮肉屋じゃない。体質的にゲーテのようにはいかないよというだけで。人の心情への共感力は、ハンパないのだ。「カフカの言葉の方がさ、しっくりくるんだよな。」(←息子)

じんちゃんはね、名言集から香る心意気ではゲーテが好き。 元来、後ろ向き人間ですから、心情的にはカフカなんですよ。でも、そっちへ寄っていくと引き込まれそうになる。ズブズブ嵌って、身動きとれなくなる。だからできるだけ、ポジティブな方へ目を向けるようにしているかな。

愛知の書店で、娘がこの本を目にしたのは、昨年のこと。一緒にいたおばぁちゃんに「どれか2冊、欲しいものを買ってあげるよ。」と言われ、数冊をピックアップ。悩みに悩んだものの、最後に手放したのでした。しかし、彼女の’いつかきっと’といった執念たるや、なかなかのもので、数ヶ月後、学校図書室の購入希望アンケートへ記入。「私の希望通るかしら…」祈るように待つこと再び数ヶ月、今度は連れだって出掛けた大学祭で-

「ちょっと古本市覗いてくるわ!」勝手知ったる階段を、たったったっと駆け上がり、模擬店へ。「あ、これ面白そう」しばし手に取り、チラチラと内容を観察、購入を決めました。しかし、原作朝霧カフカて。あなた、そこへ反応したんですか?どうせなら『海辺のカフカ』(村上春樹)も読みなさい。図書室にあるわよ。中学生には刺激強過ぎないか?って箇所もアリだけど(←下巻:風俗に纏わる記述で、筆がノル春樹さん)。

国内外の文豪がキャラクターとなって、特殊能力(それぞれの作家の作品名を象徴した)を駆使して戦う、アクション漫画『文豪ストレイドッグス』。学祭の模擬店で手に入れた娘は、一気にその魅力にハマり込み、帰りに早速続きを買っていました。「お母さんの好きな太宰さんも出てくるわよ。」「どんな設定になってるのん?」「カッコいいよ。でもいつもどこかにグルグル包帯を巻いてて、ちょっと中二病っぽい。」「いや~ん。イタいとこ突かれてるわ。」「それでキレイな女の人と心中したがるの。」「うふふ。その通りやねぇ。」

現代の作家さんなら、やはりツッコミどころ満載の渡辺淳ちゃんは欠かせないな。

能力名『失楽園』。
なお美という人妻の恋人がいる。白いスリップを着用させ、敵を悩殺。のつもりが、敵より自分が倒れ込む。
殺し文句、敵の耳元で「僕の跡目はキミに任せた」。相手を喜ばせた所で、止めを刺す。この言葉が、実は常套句であることは、伏せられている。

村上龍
能力名『すべての男は消耗品である』。
戦闘中に叫び、相手の戦意を喪失させる。ただし、「お前もその一人だがな」という言葉には弱い。
形勢が悪くなると、限りなく透明に近くなり、敵の背後から襲撃する。決めゼリフは『だいじょうぶマイ・フレンド』。

田辺聖子
能力名『一生、女の子』。
『愛してよろしいですか?』と、たおやかな物腰で近づき、有無を言わさず押し倒す。
たぐいまれなるユーモアの糸で、ねっとりと相手を絡め取り、最後に毒を吐く。
左手薬指の指先に、カモカ(妖怪)というおっちゃんが寄生している。鬼太郎の目玉おやじのように、頼りになる相棒である。

東野圭吾
能力名『さまよう刃』。
念じるだけで、圭吾剣を自在に操ることができる。『変身』『分身』『魔球』と、あらゆる技を使いこなす、ハイスペックの持ち主。
その華やかな筆さばき?で、銀座のお姉ちゃんに、ついうっかりモテてしまい、リーダー格の淳ちゃんと仲違いをしたのは『秘密』。

すんません。遊び過ぎました。能力名に何を持ってくるかが、見所ですねぇ。その作家を象徴する作品が、上手くハマると嬉しい。吉田修一さん、伊坂幸太郎さん、北方謙三さんも考えてみたのですが、「ええ加減にせぇよ!」と怒られそうなので自重します。キャラの立つ百田尚樹さんと岩井志麻子さんも、メンバーに入れたい所♪

さて、先日娘と夜ご飯を食べに行きまして。とあるレストランで、注文したお料理が来るまで本を広げておりますと、「うわぁ、ちっちゃい活字を追ってるねぇ。」娘の手元を見下ろしながら、笑顔を浮かべる店員さんが。

「こんなちっちゃい活字の本、ほとんど読まないよ。例外は、沢木耕太郎さんくらいかな。」「確かトラベルものを書いていらっしゃる方ですよね。」「沢木さんは『深夜特急』が有名ですが、僕はね、これ勧めていいのかわからないけど(チラっと娘を見やり)、『テロルの決算』という作品が面白かったです。」「初めて聞くタイトルかなぁ。『深夜特急』はわかるんだけど。図書室にもあったし。」「お嬢さんも、いつか読んでみてね。今年は羊年にちなんで、『羊をめぐる冒険』なんてのもいいかもしれない。」「村上春樹さん!うちにあります~」「いい作品ですよね。」思いも寄らぬ会話が展開し、心が和みました。

このお店はね、亡くなった同級生と訪れたことがある、想い出の場所なんです。ウン十年ぶりに再会した友人が彼女を仲間に引き入れ、最後の2年程交流があったのでした。ある時メーリングリスト(仲間うちのメール配信)で映画の話になり、「今なら『ノルウェイの森』を観てみたいわ。」つぶやいていた彼女に、「じゃあ一緒に行かない?」と声をかけると「そうねぇ。行っちゃいますか(笑)。」

学生時代以来の再会。お互いわかるだろうか?と、ちょっとドキドキでしたが、わかりました!彼女はしっとりと落ち着いて、大人の女性といった趣き。 昔は才気煥発のしっかり者で、エネルギッシュな人だったのですが、そういった面は、随分なりを潜めていました。「こうして二人で、映画を観るとはねぇ。」「だって私の座右の銘は…」「"鉄は熱いうちに打て!"でしょ?」こちらを眺めながら、いたずらっぽく笑っていた彼女を、今も覚えています。

新年会、お花見、母校の新校舎見学、それからラストとなった夜のお出かけ…仲間内で集まる機会で、顔を合わすことは度々あったものの、共に映画を観たのは、この時一度きり。「春樹さんはね、ボストンに住んでいたことがあって馴染みがあるのよ。私も隣町にいたものだから。」「独特の世界観だよね。海外でも読まれているそうだから翻訳向きなのかな。映画は、よく観に来てるのん?」「そうねぇ。。。ちょっと前だと『悪人』っていう作品が良かったわ。」「ああ、それY子ちゃんもオシてたよね。」

大学から別の道を歩んでいたので、その頃の想い出話も含め、食事を摂りながら小1時間程お喋りしました。国際結婚、渡米、帰国、そうして離婚。細かい事情が語られることは結局なかったのですが、傍目から見ても激動の人生だったことは、想像がつきます。蓄積された身体や心の疲れは、ハンパなものじゃなかったでしょう。いつか…話してくれる時が来るといいがなぁ。そう考えていたのは、私だけじゃなかったと思う。が、しばらくして突然の病で、あの世へ旅立ってしまった。

「さっきのレストランね、亡くなったお友達と食事した所なの。」「そっかー」「カウンターに並んで座って、いろんな話をしたよ。お母さんね、彼女のことを何でもできるスーパーウーマンだと思っててん。そうしたら」「なになに?」「私、メカオンチなのよ~って」「あはは。」「それで、むっちゃ親近感が湧いてしもた。」「いいお店だったよね。お料理も美味しかったし。」「うん。店員さんと本の話ができたレストラン♪初めてだったわ。」

不思議な体験だったけど、嬉しかったな。沢木耕太郎さんかぁ。いつか手に取ってみよう。(^^)

「行きたい所へ行き、会いたい人に会う。」それが、友を亡くして以来、じんちゃんの座右の銘となりました。万物流転。ご縁もまたしかりですものね。さて今年は、どんな出会いが待っていることやら…

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Taiyo & CIscomoon - Magic of Love 1999.09.30

talk
https://youtu.be/rDv81ttEFrQ

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