JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

Memory 青春の光

2007年08月29日 21時08分00秒 | 受験・学校
 母校は、坂の上にあった。毎日苦労して坂を上り詰め、通学していた。その代わり、高台にあった母校からは、海が見下ろせた。キラキラと輝く、穏やかな瀬戸内の海が。北には山、南には海。さほど広くない空間に広がる、2つの世界。今にして思えば、この上なく贅沢な空間だった。

 KOBE、私が学生時代に過ごした街。

 三宮(さんのみや)と大阪の間、所謂阪神間と呼ばれる場所には、阪急・JR・阪神と3つの鉄道が平行して走っており、その周辺にはいくつかの私立校が点在している。母校も、そんな私立校の一つだった。阪神間でも、阪急沿線の六甲(ろっこう)駅から夙川(しゅくがわ)駅辺りにかけて、一種独特の文化圏が形成されているのだが、その影響を受け、ゆったりとした空気が流れていた。

 成人してからは、神戸以外の街も多く訪れた。だが、こんなにも恵まれた環境には、出会えなかった。今も帰省の折、電車で近くを通り過ぎる度に、必ず伸びをして母校を目で追う。山の手に広がる白い校舎。 周辺の山並み。見ているだけで、心から癒される。そうして改めて、私は母校をこんなにも愛してたんだーと実感する。

 在学当時は、態度にこそ出さないが、精神的にはいささか反抗していた。自分で志望し、あんなにも努力して入った学校。だが、連綿と続く(在学中に60周年を迎えていた)歴史・伝統がのしかかり、それにまつわる先生方の指導が厳しい事もあって、窮屈な思いをしていた。中学時代は、まだよかった。憧れの学校へ入学した喜びや緊張感が持続していた所為で、そんな呪縛もそれなりに受け入れていたのである。しかし高校へ上がると、次第に息苦しさを覚え「はぁ~いちいちうるさいな。」トカ「何でこんな事やらなくちゃいけないんだよ。理不尽だわ。」トカ心の中で、軽く悪態をつき始めた。ある状態が長く続いている時、そこには一種の淀みが存在する。6年間の中高一貫教育という環境も、そうした印象を後押しした。歴史なんて、伝統なんて、くそくらえだよ。

 学内には、祖母の代から母の代から本校にゆかりがあります・・・といった生徒が、まぁまぁの割合で存在していた。同じ先生に教えていただくのも、特別な環境ではなかった。今なら、そういった事も、歴史ある学校ならではの素晴らしさ(母親以上の年齢の大先輩方と共通の話題ができる幸せ)だと思える。が、当時はそうした歴史や伝統といったものの恩恵が、よくわからなかった。ただただ、自分に窮屈な思いをさせる鬱陶しいもの、そういう位置づけでしかなかった。校内には、ウン十年前から脈々と受け継がれてきた日常的な決まりがあり、中には現代の理にかなわないと思われるものも、存在していたのである。登下校の際に、必ず校門の所で校舎に向かって礼をするというのが、その代表格であろうか。

 週に1度の全校朝礼では、OGからのお叱りの言葉が披露された。外での態度が悪いと、即学校へ電話が入るのである。’本校の生徒が道いっぱいに広がって歩いている’’電車の中での態度が悪い’云々。正直、そんなお叱りを受ける度に、「おっかないオバサンOGだこと!」などと心の中で思っていたのだが、卒業してOGの立場になると、やはり在校生の態度が気になるのだった。あの諸先輩方は、母校に余程の愛着と誇りを抱いていたのだろう。

 教育実習で母校を訪れた友人が、こんな事を言っていた。「校門での礼ね、今やってないんだよ。残念だなぁ。厳しかった先生も、何だか優しくなっちゃってねぇ。」「そっかぁ・・・」あの時に感じた一抹の寂しさは、何だったのか。別に無くなっても、かまへんやん。そう考えていた決まり。だがいざなくなると、清々したとは思えなかった。’襟を正して教育現場へ来なさい’といった礼節の一部だったのだろうなぁと、今になって考える。決して悪い事ではなかったのに。

 学校で培われた習慣で、思いがけず喜ばれた事があった。学内で、先生方や先輩といった年長者とすれ違う時には、必ず礼をする。(まるで宝塚!)6年間毎日のようにやっている間に、体へ染み付いてしまい、卒業後も自然とその習慣は続いていた。すると職場で、ある先輩からこんな言葉をかけていただいた。「僕らいつも客先で仕事してるやろ。たまに部署へ帰ってきても、みんなしれーっとして挨拶もナシや。そんな時、いつも君が’お疲れさまです’って声かけてくれたん、すごく嬉しかったで。あれ、ホンマええよ。」母校で育まれた精神に救われた。自分では特別な事をしたという意識がなかったから、褒められて逆に驚いた。でも、とっても嬉しかった。

 卒業して21年。 母校の教えは、今も私の胸に。あんまり守れてへんけど、私なりの清らかさ、正しさを求めていくね。最後の砦であるやさしさを胸の奥に残しつつ・・・

 がんばろう神戸。あの震災から12年。私こそ、いつも元気をもらっているよ。ありがとう♪母校への愛と共に・・・


『君といた夏』 another world

2007年08月23日 07時53分42秒 | 本と雑誌
 学生時代、お中元シーズンに神戸のデパートでアルバイトをしておりました。配置されたのは贈答品のコーナーで、少し年上のお兄さんと一緒に作業をしていました。がっしりした体格で、なかなかのハンサムボーイ。K大の学生で、テニスサークルへ所属してらした方でした。私は程なく向かいの売り場の青年と恋に落ちるのですが、このお兄さんも、ちょっとした憧れの存在だったのです♪

 気さくな方でしたが異性という事もあり、同じ売り場の割には、あまり口がきけなかった・・・。しかしそんな中で、印象に残っている出来事があります。どういう訳か本の話になった時、彼は「最近な、すっごくいい作品を読んだんや。」と言いながら、近くにあったメモをたぐり寄せ、「ドナルド?いや、ダニエル?どっちだったかなぁ。」何やら懸命に思い出しながら書き込み、私に渡しました。そこには、こんな文字があったのです。'D・キイス アルジャーノンに花束を’

 「これホンマ感動するから。絶対読んでみてな。」 私はお礼を言って、そのメモを定期入れへしまいました。そうしてバイトが終わっても、お守りのように持ち続けていました。 やがて就職して東京へ行き、その後しばらくたってから大阪へ戻り、そこでの環境になれた頃、ようやくこの本を手にする機会がめぐってきました。職場の先輩が貸してくださったのです。バイトのお兄さんがメモをくれてから、7年の月日がたっていました。

 ダニエル・キイス。『アルジャーノンに花束を』。知的障害者の青年が、開発されたばかりの脳手術の被験者になる事によってIQが上昇、天才となる。その一方で訪れる苦悩・・・ 。分厚い!しかも1ページに上下段。加えて冒頭から読み辛い。出だしで既に挫折してしまいそうな、長編小説でした。しかしそこを抜けると、息つく暇もない程読み進み、物語世界へ惹きこまれていくのです。最後には泣きました。

 その後、大分たってからテレビドラマ(ユースケサンタマリア主演)にもなりました。教えていただいてから、16年の月日がたっていました。原作自体は古いもののようですが、私がバイトをしていた頃は、そんなに話題の本ではなかったと記憶しています。あのお兄さん、なかなかの感性の持ち主だったのだなぁと、今になって思います。私の39年間の歴史において、ほんの1ヶ月の係わり。そんな中でいただいた、サイコーの贈り物でした♪

 お兄さん、時間はかかっちゃったけど、ちゃんと読みましたからね!当時は見知らぬ作家だし、ピンとこなかったのですが、ご縁があれば必ず機会がめぐってくる。貸してくださった職場の先輩にも感謝です。



君といた夏

2007年08月21日 04時17分00秒 | 恋バナ
 もう何年前になるだろう。学生時代の夏休み、神戸のデパートでアルバイトをしていた。お中元シーズンの戦力強化という名目で、贈答品を扱ったコーナーへ配置された。毎日毎日、定例の作業をする以外は、お客さまがいらっしゃるまで、じっと前を見つめて立っているのである。向かい側には、同じようなコーナーがあり、やはりそこからこちらを見つめて立っている青年がいた。美しい顔立ちの人だった。それぞれのパーツが優しすぎて、女性的な趣きも感じないではなかったが、ちょっと切ない表情がステキで、もう一人バイト青年がいたのに彼ばかり見ていた。

 お昼どきや、軽い休憩時間に、何度か一緒になった。私が持ち場を離れようとすると、もう一人のバイトくんが彼を小突き、後を追うようにやってくるのである。しかし、そこでべったりと話し込むかといえば、そうではない。「仕事は慣れた?」とか「今日は忙しそうだね。」とか、二言三言話して終わり。休憩先へ向かうまでのわずかな間にだけ、そうした他愛もない会話が、やり取りされた。

 今日でバイトが終わるという日、閉店後に形ばかりの慰労会があり、その後は各自解散となった。ごく自然に駅までの道をたどり、いよいよここでお別れという所へきた。それまでの幸福感に、終わりを告げる瞬間。’もうちょっと一緒にいたいな♪’そう思った。彼も、「さよなら。」 とは言わなかった。しばらく立ち話を続け、そのうち「お腹が空いたね。食事でも・・・」ということになった。

 幸福感が持続するのは嬉しかったが、いざ二人で食事という段になると、別の問題がでてきた。緊張して喉を通らない。それどころか吐きそう。男性と向かい合わせで食事をするのは、初めてだったのである。女子校だった上、それまでお付き合いした事もなく、若い男性という存在に全く慣れていなかった。おまけに好意を抱いている人。でもってイケメン。辛かった記憶の方が強い。

 さて今度こそ駅で別れるという時、まだ離れたくない二人は、やはりそこで立ち止まっていた。改札を抜けて彼は上りホームへ、私は下りホームへ、階段を昇らなければならない。しばらくして彼は、やっと意を決したように「じゃあ、これで。 おやすみ。」と言って、ポケットから折りたたんだ紙片を取り出し、私に渡した。電車へ乗ってから広げてみると、名前と住所と、電話番号が書かれていた。

 とっても嬉しかったのに、恥ずかしくて電話がかけられなかった。だから、まず手紙を出した。ほどなく返事がきた。こうして文通が始まった。彼がK大の学生である事は、バイト中から明らかだったが、手紙をやり取りするうち、富山出身で下宿している事、ソフトボールのサークルでピッチャーをやっている事を知った。誠実で静かな物腰。申し分のない人だった。何より、私の事を「めっちゃ可愛い。」と言ってくれたのである。こんな十人並みの容姿の私に。「前から見ても後から見ても、可愛いなぁ~」って。

 最初は、ウキウキして手紙をやり取りしていた。が、そのうち文通している事に気づいた親が、私の机をあさってこっそり内容を確認していたのを知り、一気に気持ちが冷めた。ある程度の事情は話してあったのに、そういう姑息な事をされたのが、どうにも腹立たしかったのである。もういいと思った。それから破壊工作が始まった・・・。わざと嫌われるような事を書く。私ってこんな人。自分の醜い面を、ことさらに強調した。「そんな事ない。」 とフォローしてくれたにもかかわらず、「あなたに何がわかるの。」と返した。「本当に私を好きって言える?」これでも!これでも!これでも!自分で自分を傷つけ続けた。そうして、そのうち手紙はこなくなった・・・。

 あんなにも無邪気に支持してくれた人を、私はこうして失った。しかし、悲しいという気持ちを通り越して、どこかほっとした部分もあった。私を一番愛しているのは私。私をだれにも渡さない。こんな自己愛の強い人間は、始めから人を好きになってはいけなかったのである。親の所為だけで、破壊工作へ走った訳ではなかったのだろう。

 今も相変わらず自己愛が強く、そのクセ人一倍愛を乞う。積んで崩して、崩して積んで。その繰り返し。未練というのではないけれど、もしあの時、彼にきちんと向き合っていたら、その後の人生はどう変わっていただろうか、と思う時がある。一本の電話で、それができたのではないかと。振り回してゴメンね。傷つけてゴメンね。ちゃんと愛し通せなくてゴメンね。あの頃の苦い思いは、今も私の胸の奥底に沈んでいる。が、その周りを包んでいるのは、初恋の温かな感触。

 君といた夏。 私は、確かに幸福でした。


読書感想文

2007年08月17日 02時34分30秒 | 本と雑誌
 ただ今、夫が小遣いで買ってきた富士山麓(ウィスキー)をくすねて飲んでおります・・・ああ、極上の時間。(←鬼嫁)

 さて、今年も子どもたちが苦しんでおりました。夏休みの読書感想文。何とかならないものかしらん。こんな苦行を与えて、世間の子たちが益々本嫌いになってしまわないかと心配です。そこそこ馴染みのあるうちの子たちでさえ、辛そうにしておりましたもの。感想ったって、原稿用紙にスラスラ何枚も出てくるもんじゃないのよね。思えば私も苦手やった。嘉門達夫の歌じゃないけど”読書感想文 あらすじーの説明でおわる あああ~ああ 小市民~♪”でしたよ。それでも今では、ドラマや映画・本の感想を、こうして語るのが楽しくなりましたので、あまり小さなうちから導こうとしなくても大丈夫なのではと思っております。

 本に親しむようになるのだって、ちょっとしたきっかけなんですね。私も小学生までは与えられたものを読む程度でしたが、中学へ入り角川映画やドラマの影響を受け、眉村卓『ねらわれた学園』、赤川次郎『セーラー服と機関銃』などを手に。眉村卓からSFつながりで、星新一や筒井康隆へ。赤川次郎からミステリーつながりで、栗本薫や西村京太郎へ。そうやって対象が広がっていきました。角川映画は、高尚な映画ファンから見ればいただけない部分もあるでしょうが、やはり私たちの世代には、色濃く影響を与えている存在です。映像化に伴って、横溝正史や森村誠一の本を手にした方も多いかと思います。

 必殺シリーズで三田村邦彦のファンになってからは、彼の映画デビュー作である『限りなく透明に近いブルー』(村上龍)を。今から思えば、中3で『限ブル』なんて理解不能。背伸びしてました~。ちょうど友人が「限ブル貸して!」と言って、「その代わり、これ読んでみてネ♪」と借りたのが、村上春樹の『風の歌を聴け』。感度の高い友人でした。

 高校時代も、やはり映画の影響を受けた読書傾向で、先日実家の本棚に並ぶ作品群を息子が読み上げるには、『麻雀放浪記』『ドサ健ばくち地獄』・・・って、どんなヤツやねん!実は、当時鹿賀丈史さんのファンだったんですね~。彼が映画で、ドサ健というイカした役をやっていたものだから、それにまつわる阿佐田哲也本を読んでいたという訳で。キッタハッタの世界が好きなのではないのです。

 遠藤周作の『妖女のごとく』(映画タイトルは『妖女の時代』)『悪霊の午後』といった作品に手を染めていったのも、やはり映像化の影響でしょうか。彼のオカルトもの、たまらなかったな~。男を惑わす悪女、怖いくらいに引き込まれました。

 では、ここで妄想劇場です♪『妖女の時代』の名取裕子 VS 『悪霊の午後』の古手川裕子 VS  『魅惑の人妻』のじんちゃん あなたなら、誰に惑わされたい?
 
 アホなこと言うてますね~。そろそろ酔いが回ってきたので、今宵は失礼致します・・・。うちの子供たちは、これからどんな本に出会うのかな。どんな影響を受けていくのかな。密かな楽しみでございます♪



妄想の森

2007年08月15日 01時56分21秒 | 本と雑誌
 一週間ほど帰省しておりました。家事労働から解放され、極楽極楽♪の中での読書三昧。橋本治の『恋愛論』に始まり、寺山修司『幸福論』、村上龍『すべての男は消耗品である』など・・・とばし読み状態のものもありましたが、概ね興味深く受け取りました。これすべて学生時代~結婚前に手にしていた作品。まだ人生経験も乏しく、感覚的にジャンプしながらの以前と比べ、こういう事かな?と納得できる部分がでてきて、面白かった。本当は、それなりに人生経験を積んだ今こそ、もっと読書をしなければならないのかもしれません。

 移動の電車内でも読み続けていたもの。森瑤子と村松友視。森瑤子の『35歳の憂鬱』という作品に描かれていた心持ちは、ちょっと前の私にぴったりでした。正に「39歳の憂鬱」。誰かの妻でもなく、誰かの母でもなく、私でありたい。そうして自分の言葉で語りたい。人から見れば「何が不服なの?」という生活をしていながら、忸怩たる思いを抱えて生きている・・・こんな事を申すと、バチが当たりそうですが。

 村松友視の『時代屋の女房』は、大好きな作品。これに登場する真弓という女性に、何故だか惹かれるんですねぇ。主人公安さんが営む骨董品屋に、ある日フラリとやってきて住みつき、突然いなくなっては、7日目に白いパラソルをくるくる回しながら帰ってくるという、ちょっと不思議な存在なんですが。待ち続ける安さんと待たせる真弓の関係性が、オツなのです♪ひょっとして、かねがねアツく語り続けている’困り顔の男’の原点は、この安さんにあるのかもしれません。映画では、渡瀬恒彦さんがなさってました。(真弓は夏目雅子。個人的には、古谷一行&名取裕子版が好みです。)

 余談ですが、待ち姿の美しい男性って素敵ですね。勤めていた頃、駅で先輩と待ち合わせをしていて- その先輩はルックス的にちっともイケてないのに(おまけにおじさんだし)、とても素敵な立ち姿で佇んでおられたのが、今でも印象に残っています。壁に背をあずけ、両手をズボンのポケットにつっこんで、少し俯き加減に・・・その時のスーツのシルエットの美しかったこと。現代では、この角度で携帯を持てなんて指南もあるようですが、私に言わせればとんでもない。暇つぶしに携帯を触ってる時点で失格です。

 さて話は『時代屋・・・』へ戻り、問わず語らずは都会の流儀なんていう一文に込めた、ちょっと訳あり?な真弓を詮索しない安さんの優しさ。そうして、それは同時に踏み込んでこない冷たさでもあるという世界観も、いいんだな~。三部作ラストの『時代屋の女房 怪談篇』では、真弓が家出を重ねる理由が明かされますが、私にはちょっと予想外でした。一筋縄ではいかないひねり(文中ではよじれとも表現されています)があった。

 男女間の想いって、簡単に説明がつくものではないのですね。

 さて帰省から戻りまして、先日からは渡辺淳一の『失楽園』に手を染めております。家族が寝静まってから、一人ムフフと。冒頭2ページで既にお腹一杯状態。どう致しましょう。軽い描写から次々と広がりし妄想。パタン。本を閉じ、しばし妄想の森へ・・・なかなか戻ってこれませぬ。今宵はここまで。毎日が、その繰り返しです。いつになったら、漱石先生の『こころ』へたどりつけるのか。人生の先輩に、二度読んで感想を言うようにとの指示を受けているのですが(笑)。姉さん、不埒な妹をお許しください。煩悩で行く手を阻まれておりまする~。