JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

五番街のマリーへ

2016年07月01日 13時26分57秒 | 恋バナ

先日、出入りしているネットコミュニティで、こんなお題を目にして、ふと考え込んでしまった。昔付き合ってた人の幸せを、素直に願うことができますか?

正直に言うとねぇ…無理!!

だって私、それ程お人よしじゃないもの~ 

以前、友人に貸してもらった『異性』という恋愛エッセイで、作家の角田光代さんと、歌人の穂村 弘さんが、もう一歩踏み込んだテーマで語り合っていて、興味深かった。

即ち、自分をフッた相手に、その後どうあってほしいか? 

これには選択肢が3つあり
① 幸せでいてほしい
② 不幸であってほしい
③ どうでもいい

とあるカフェで、順番待ちをしている間、別の友人と本を片手に、あれこれ想いを巡らした。私の回答は、角田女史と同じであった。冒頭の質問もそうなのだが、やはり別れた(フラれた)時の状況による。

きちんと対してくれた場合は、その結果が望まぬものであっても、どうにか受け入れられると思う。が、ここでぞんざいに扱われたとなると、それはもう②+『最高の離婚』の真木よう子なのだ。すまんのぅ~ 

わけのわからぬうち、恋の相手に切り捨てられ、カメラの前で涙をこぼした女性タレントがいた。そんな彼女に、「空気読めよ(新たな関係に水を差すな)」心ない声を浴びせる、芸人ギャラリーがいたけれど…不本意な状況の中、‘黙って身を引く’のが、どれ程大変であるか、彼は本当にわかって、口にしたのだろうか?

本人のあずかり知らない所で、ダークな感情を抱かれ続けるのに比べたら、文句の一つ位、言わせてやんなさい。その方が罪ないわ~と、私は思う。この世で一番恐ろしいのは、人の念だ。そう感じているから。

生まれて初めて、身体の底から絞り出すように、人知れず、その言葉を吐いた時、心の奥に溜め続けるしんどさと、自身への恐ろしさとで、もう止めようと。

邪悪なオーラを喰らう生き方しかできない人間の傍にいたって、ハッピーになれる訳ないからね。そう気付くまで、結構な時間がかかったし、様々な感情が交錯していたが…

現在は友人と同じく③の境地かな。それでも仁義なく、従来の関係を押しのけるような恋愛模様には、今だに抵抗がある。

だって美しくないんだもの。

 


秋の夜長に・・・

2008年09月26日 12時02分00秒 | 恋バナ
恋文を書きました。

まだ見ぬ、あの人に向けて、恋文を書きました。

忘れていた甘やかな感情がよみがえり、さらさらと想いの言の葉を重ね、

ふと気がつけば、月の光に、私のすべては包まれていました。

その髪をなでるのも

乾いた唇にキスするのも

かなわぬ夢なれど

想い満ち足りて、窓辺にたたずみ、一人つぶやく、ロマンは何処。


恋文を破りました。

愛しの、あの人に向けた、恋文を破りました。

忘れ得ぬ切なき感情を封じ込め、はらはらと哀しみの雫は流れ、

ふと気がつけば、秘密の城に、置き去りにされた私がいました。

その腕の温もりも

確かに感じた鼓動も

ただ一度の永遠ならば

想い沈めて、窓辺にたたずみ、そっと見送る、ロマンの終り。


- ぞんちゃんへ捧ぐ -

 拙い詩ですが、エッセイ同様、心を込めて書きました。ぞんちゃん元気かなぁ~そんなことを想いながら。去年の今頃でしょうか、ステキな詩を書く方と、お近づきになりました。それまでも、ちょっとした顔見知りだったのですが、季節が変わり心が少し黄昏た・・・そんな時にね、彼女の詩が胸に沁みたんです。Cafeには何人かの詩人さんがいらっしゃいますが、優しさとロマンがほのかに漂う彼女の詩は、とりわけ私の心を捉えました。日常的に活動している訳ではないのに、私がヘコんでいる時に不思議と登場してくれる。そうして私はいそいそと彼女の元へ出かけていく。彼女のページは、究極の癒し空間でした。情の厚いおじさま応援団が、長期休暇中も足を運んでおられるの。想いは同じ。そうして愛されてるんですネ。

 とっても恥かしがり屋さんで、このページで顔を出してくれることはなかったけれど、足跡メッセージでエッセイの感想を伝えてくれたり、共通のお仲間さんの掲示板を借りておしゃべりしたり (←うちの掲示板はコワいそうで)、それもいい思い出です♪彼女がかけてくれた言葉は、密かに何度かエッセイへ登場しています。気付いてくれてるかな。「じんちゃんはガサツじゃありません。とっても傷つき易い心をもってるでしょ。」こんな言葉が返ってきて、驚いたこともあったなぁ。そんなことを考えながら、秋の夜は更けてゆくのです・・・

 https://www.youtube.com/watch?v=Nd_lujX1hnY



to be continued

2008年09月04日 23時36分00秒 | 恋バナ
 あー魅惑の人妻の夏も、終わったなぁ。ご想像通り、つつがなく、ひっそりと、幕を閉じまして。『君が代』を歌いたい気分です・・・って、苔むしたないわっ!魅惑の人妻の股間・・・おっと間違えた、沽券に係わる。

 秋の夜長に語ることはないだろうかと、つらつらと考えていたのですが、久しぶりに恋バナでも。別れた彼(又は彼女)との思い出の場所へ、一人で行ったことがありますか?私ね、あるの。思い切る為ではなく、忘れない為にでした。心の中へ、もう一度、色んな風景を焼き付けておきたかったんです。渦中にいた時はドキドキしていたし、時間に追われてせわしなく動いていたから、周りを見渡す余裕なんてなかった。でね、同じ道を改めて辿ることによって、確認していったの。公衆電話、駅の改札・・・そういった一つ一つに、思い出がありました。

 友達関係から出発した二人のデート。いたずら心いっぱいの私は、後ろからケリ入れたろかトカ、膝カックンしたろかトカ、不埒なことを考えていて。でも落ち合った途端にね、恥ずかしくなって何にもできなかった。可笑しいですよね。心を許し、お色気トークもしていた間柄なのに。旅行パンフを握り締めて改札に立っていた彼の姿、今も覚えています。ちょっとした日帰り旅行だったの。行き先は、お寺でした。落ち着いた大人の雰囲気を漂わせる男女なら、渡辺淳一の世界になり得るんですが、彼はともかく私はねぇ。黒木瞳というよりは~(いうよりはー)寺島しのぶと・・・どういう意味で使こてるかは、聞かないで~!

 その日の私、白というよりはアイボリーといった趣きかな、そんな色の夏らしいワンピースを着ていました。全体にうすーく小花模様が散っていて、裾に色彩のアクセントをあしらってるの。ウェストの所で、サテン地の大きなリボンを結ぶようになっていてね、トウシューズ履いて背中に羽をつけたら、そのまま飛んでいきそう天国まで。勝手に殺すなー。”そーのてーで そーのてで♪”別の意味で彼に思われてるよ。「首絞めたろか!」とんだ『愛ルケ』劇場ですが、私が渡辺淳一の世界をなぞっても、こんなものよ。若さ全開といったお年頃でもなかったけれど、それでも可愛く見られたかったのね。女心という名の黒い欲望だ。

 彼と肩を並べ歩いた参道。その石畳を一人踏みしめました。若干息がはずみます。過ぎし日に想いをめぐらし、あな侘びし・・・心持の所為じゃな。いやいや、オモイはオモイでも体の所為でしょう。ほっとけ!季節が変わって、緑が目に映えます。太古から、そこへ存在していたであろう威厳を見せ、たたずむ杉の木。その梢の緑から漏れいずる光線。そっと手をかざし、空を見上げました。寺島しのぶに見えるかしら・・・。寺島しのぶというよりは~(いうよりはー)敬礼してるピーポくんやっちゅーねん。

 広い境内を、ゆっくり眺めていきました。当時はね、ずっと見つめられているようで、そそくさと移動してた。後で彼に、「どんどん離れていっちゃった」と指摘された位。照れくさかったのね。もうアカン・・・また来た時に見よ~。かなり早い段階で、観光という目的を捨て去りました。かと言って甘えることもできず。二人で正座して、お寺の歴史を聞いたんです。長時間で足が痺れました。「うー辛かったぁ」立ち上がって歩く時に、寄りかかればよかった。今なら、そう思いますけど、やっぱりできなくて。廊下の途中に掲げてあるパネルの所まで来ました。人としてあるべきことを、美しい写真に載せて掲示してあるの。道ならぬ恋行の二人には、耳が痛い言葉です。真剣に読んでいる私の後ろで、彼がクスリと笑った。ささやかなヒトコマ。そんなことを覚えているし、そんなシーンが好きよ。小説を書こうとする時に、想像では書き得ない部分じゃないかしら。いかな渡辺淳一さんの小説にも。うん、ないでしょう。

 いくつかの建物が長い廊下でつながっていて、中庭が見えるのね。自然なたたずまいの。眺めていて飽きがこないというか。木々の緑に空の青って、こんなに美しかったんだ・・・って、しばし見惚れていました。共に感動できればよかったのだけど、一人になって気づくことってあるんですよね。彼と来た時には足を運ばなかった裏庭があり、奥へ続いているの。ちょっとした水辺が清々しい。心地よく安らげる空間でした。やがて鐘楼へたどり着きます。ここまでの道々はね、目立たず人もまばら。絶好の・・・おっと、やめておこう。チクショウ。こんないい場所があったのに。悔やんでも、もう遅い。一人鐘をつきました。後ろでカップルが待っていやがる。鐘の中に入っとれ。思い切りついたるわ~!そんなこと考えてませんよ。

 お昼は、正門の前にある、お蕎麦屋さんへ入りました。名物のお蕎麦をいただきまして、「すみません。熱燗くださーい。」あら、エッセイ・ブログ本文では言ってなかったわね。酒好きなの。小鉢物をアテに一口、また一口と、運びます。おっさんか!左手には、宇野千代の文庫本『生きて行く私』(宇野さんの『嫌われ松子・・・』を地でいく愛の遍歴)ちゃうちゃう・・・。やがて相席を頼まれましてね、ふと見上げると先程のカップルが。向こうも、あっ・・・という表情になりまして。虚構世界のように一人しみじみいかないのが、世の常でございます。

 店を出て、門前の坂道を下ります。あの時、隣にいた彼の様子が、よみがえってきました。片手でリズムをとり、少し弾むように歩みを進めていた。それはささやかな喜びの表現だったんじゃないか、と今にして思います。とびっきりの笑顔よりも、この場面の穏やかな微笑み、覚えておきたいな。それは私を切なくもさせるけれど・・・いとおしい気持ちを呼び起こすから。

 肩を並べて歩く、ただそれだけのことが幸福だったあの頃、あなたの隣は居心地がよかったです。 -いま、会いにゆきます-


恋うた -輪舞曲-

2008年06月27日 08時08分00秒 | 恋バナ
 似たようなタイプの人を、好きになることがないだろうか。かつて、そのタイプで失敗しているのに、また選び取ってしまう。あれ何なんだろうねーという話を、お仲間さんとしたことがある。「失ったときに、同じパターンではなかった?」確かに、直接的な原因ではないが、それを構成する要素とでもいおうか、そういったものが似ている。「同じパターンで成功したいために挑戦するのか。このパターンで上手くやりたいのだよな、きっと。でもでもなんだよなぁ。」

 私の恋愛が報われないのは、寂しさを抱える男に弱いからだ。これはもう、はっきりしている。人間的にどこか不器用な人に寄り添いたい、そんな人の心を救いたい想いが潜在的にある。決してダメ男じゃなく、尊敬すべき点をもっているのに、どこか欠落している人。げげっ。俺どうも、じんちゃんに好かれてるみたいなんだけど・・・欠落してんのかよーっ!そこのアナタ、どきっとしないように。ここは表現の場なので、その欠落が長所へ回り、そういった人ほど心に引っかかるものをたたき出してくる。一歩突き抜けた世界観が築けるというのは、往々にしてそんなものだろう。

 昔から、ちょっと意固地な人の気持ちを、ほぐすのが得意だった。あなたに時折見え隠れする優しさ・・・私は感じることができるよ。そんな想いに後押しされ、近づきたくなるのだ。けれど、その頑なさをある程度までは打ち砕けても、必ずまた冷たい壁へ突き当たる。結局は、その人が抱え続けるものに敗北する。人間なんて、そう簡単に変わるものじゃないし、何とかしてあげたいなんていうのもおこがましい。相手にとっては、余計なお世話なのだろう。そうして私も、自己愛の強い人間なので、腹の底では相手より自分を愛している。だから救い切れない。それを中途半端な優しさと、自分では呼んでいる。

 彼の場合、社交的な仮面をつけていたので、お決まりのパターンへ嵌まり込んでいるのに気づかなかった。明るさの向こうに影を見て、告白へ踏み切ったものの、表面的には従来惹かれていたタイプではなかったのだ。しかし、告白したことで二人の間が揺らぎ始めると、思いも寄らない側面が顔を出した。こちらがカチンとくる言葉が、次から次へと・・・どうして、そういう物言いをするわけ!?彼の無邪気な接近によって心をかき乱されていた私は、腹を立て、最大級の爆弾を投下してしまった。「あなたの為にどれだけ涙を流してると思ってるの?友達だと言い張ってる過去の女性、本当にあなたのことをそう思っていたのかしら。胸に手を当てて、考えて御覧なさいよ!」そうして、ただの友達なら甘えさせるつもりはないと突っぱねた。「君は、僕の本当の気持ちをわかっていない・・・」同じパターンを繰り返す。相手を変えるまでもなく、一つの恋の中で、そうなってしまうことがある。私たちは何度も、このすれ違いを経験した。おそらく、別れた後にも。

 ”大切なのは、人に何をしてもらったかじゃなく、人に何をしてあげたかだよね”映画『嫌われ松子の一生』に、登場するセリフ。主人公の松子は、人を愛して愛して愛し抜いて死んでいく。自分はボロボロに傷つき、不器用な生き方を繰り返しながら、それでも人を信じ、人を愛し、人を微笑ませ・・・彼女は女神になりたかったんじゃないかな。相手に対しての絶対的な存在。そうなることによって、求められること、愛されることを、望んでいたのだと思う。松子というキャラクターに触れる度、それを見過ごせない自分がいる。

 さて、今回の音楽ネタはaiko。学生時代に馴染んだ音楽を聴き続けている私は、めったに現在のミュージシャンへ手を伸ばさない。が、そうした状況を打ち破った一人が彼女だった。関西人持ち前の陽気さを前面に出しつつ、別れた彼をくちゅくちゅと想い続けるあかんたれ部分を表現してみせたり、私の心にぴったりくる歌詞が多い。男性から見て友達でいるのが心地いいタイプだろうが、意外と乙女チックなのでは。ウエットな作品は、歌詞だけみるとしつこい!重い!と言えなくもない世界。それが綺麗なメロディーへ乗せると、あら不思議。浄化されてしまうのだ。その辺のさじ加減も上手い。こうしたテクニック、私の恋バナにも使えるぞ。彼女には、たくさんの恋うたがあるけれど、ストレートにこうありたいと感じるのは『蝶々結び』。

 ”あなたの全てがこぼれ落ちても あたしが必ずすくい上げるさ
  変わらぬ哀しみ嘆く前に 忘れぬ喜びを今結ぼう"

 このゆるぎない安定感。完全に包み込む度量などなく、途中で傷つき、くしゃっと潰れてしまう私にとって、手に入れたいものなのだ。’あたしが必ず すくい上げるさ’ という歌詞が、頼もしくて好き。そうして、これからもやっぱり、どこか欠落した人に惹かれるんだろうな。作家の田辺聖子さん曰く、「男と女の仲は、人絹(じんけん)の紐みたいなものである」と。着物で、混じり物の糸(人造絹糸)の帯締めを締めると、キュッと結んだつもりが、すぐに緩みがでてくる。それと同じように、男女の仲というのは、しっかり結んだつもりでも、いつかそら解けするということらしい。蝶々結びじゃ、なおのこと解けるわなぁ~。

 aikoの歌には、うちの空耳少年も、とかくちゃちゃを入れる。例えば『えりあし』。切ないラブソングなのだが、歌いだしの”ぶったりしてー ごめんね 愛しくてしかたなかった~"という部分を聞いて「ぐったりしてー ごめんね・・・かと思ったよ。ハハ」なんて呑気に構えている。aikoが泣くぞ。さらに二人で、色んなパターンを考えてみた。 ’うっかりしてー ごめんね’「これいいと思わん?」「あはは。ホントだ・・・」「他にもありそうやな。」

 逢ったりしてー ごめんね(不倫の歌かよ!)
 まったりしてー ごめんね(こらサボるな!)

 みなさんも考えてみてください♪って、ここはタモリ倶楽部か!

 aiko『蝶々結び』『えりあし』

恋うた -告白-

2008年06月19日 12時54分00秒 | 恋バナ
 好きな人にすきと言う、ただそれだけのことが、上手くできないのは何故だろう。好意をもってくれている相手でも、告白というのは気が重い。恥ずかしさが先にたったり、反応を受け止める勇気がなかったり。女性の場合、やはり男にキメてもらいたい願望もあったりして・・・。そんな心理に捕らわれている間に、恋のチャンスは目の前を素通りしていく。成立の下地があろうと、相手に頼っているばかりでは、機会だって半減する。自分からも働きかけてこそ、可能性は広がる。ちょっとしたきっかけをいかに拾えるか。ロマンスの神様は案外公平に人々の上に訪れていて、それに気づき次へつなげるのは本人次第、そんなところではなかろうか。せめて、この人こそという相手が現れた時くらいは、一握りの勇気を出したいものだ。

 ”好きなものからは逃げるな。一生後悔するぞ。”映画『しゃべれども しゃべれども』に、出てくるセリフ。もう、この言葉だけで充分。それくらい心に響いた。ただ一度の告白。 決して純粋な動機だけに、後押しされた訳ではなかった。が、私はその道を選んだことを悔やんでいない。記憶から消し去りたいとも思わない。初めての告白へと導いたこともそうだが、彼は私の中に眠っていた感情-良くも悪くも-、気づきもしなかった能力を呼び起こした。かつて、それ程激しい揺さぶりをかけられたことはなかった。生涯を通じて恋をする機会は、それなりにあるかもしれない。しかし、生きていく上で強烈な影響力を及ぼす相手と、どれ程出会えるだろう。私が彼にこだわり続けた理由、最後まで気づいていなかったんじゃないかな。あなたの中には、鉱脈が眠っていたのよ・・・

 さて、今回の音楽話はアイドル。商業主義と言われようが、大した映画じゃないと言われようが、学生時代の記憶を彩るものとして角川作品は無視できない。そんな角川作品から誕生したアイドル、原田知世。40歳になった今も、抜群の透明感を維持する様は、さながら平成の吉永小百合。吉永さん、特別芝居が上手い訳ではないけど、輝き続けているじゃないですか。あれ、たたずまいの美しさじゃないかなぁ。ただ、そこにいるだけでOK!みたいな。知世ちゃんにも、同じ匂いを感じるのだ。

 アイドル時代の歌は、未だに愛聴していて、一緒に口ずさむと瞬く間に少女へ戻る。全盛期のあやや(松浦亜弥)の如しだが、あややよりは、しっとりと切ない。"想う気持ちは海の底まで 胸のせつなさ空の上まで 他の誰かに愛されるなら あなたのために悲しむ方がいい" (BY『早春物語』)この映画で、17歳の知世ちゃんは、中年男性(林隆三)に恋をするのだった。17歳の乙女をこんな気持ちにさせるなんて罪作りな男!今までメロディー重視で聴いていたのだろうか。サビの部分(逢いたくて 逢いたくて 逢いたくて・・・)ばかり耳についていたが、改めて聴くとメロディーとしては地味な前半部分に、切ない歌詞がのせられていた。相手のちょっとした態度で、心が激しく揺れる。私も表現したことのある恋の感情だが、作詞家さん、切なさを空にあげているなぁ。

 康珍化(作詞家)の作品といえば、林哲司(作曲家)とコンビを組んで次々とヒットを放った杉山清隆&オメガトライブの歌が印象に残るが、もの哀し系の作品も味わい深い。中森明菜の『北ウィング』、原田知世の『愛情物語』『早春物語』。そして、上田正樹の『悲しい色やね』。あれは、大阪を代表する歌になっているのに、大阪人が作った歌ではなかったのだ。道理で洗練されているでしょ?

 さて、原田知世と聞いて黙っていられないのが、うちの夫。青春時代から、微動だにせず知世ちゃんヒトスジ。『時をかける少女』のロケ地を訪ねて、尾道までいったというツワモノだ。本棚には、アイドル時代の写真集・映画パンフ・CM出演していた商品カタログ等が並び、他の何を処分しても、これだけは捨てられない。まぁそれはかまわないが、せめて実家においてこいよ、なんて妻は眺めている。

 あ~知世ちゃん程じゃないけど、もう一人だけおったな。初々しかった頃の松田聖子。小汚い目覚まし時計に、おめめがはれぼったい頃のシールがはってあり、夫は結婚後もそれを愛用していたのだが、 壊れたのをいいことにシールも込みで・・・えい!って捨てちゃった。そんな悪魔になってしまうことありませんか?女って勝手なものです。うふふ。では、知世ちゃんの恋うたから♪

 https://www.youtube.com/watch?v=KQ9J5by0mq8