JINCHAN'S CAFE

My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

愛し君へ

2007年09月22日 17時45分00秒 | 恋バナ
 その声を聞いた瞬間、好きになっちゃうかも・・・と思った。穏やかな話し方も、耳に心地よい。お互い初めましての挨拶をし、軽い仕事上の話をして、その時は終わった。あれから3年。電話の上だけのちょっとトキメく関係が続いている。彼に電話をかける時は、大抵SOSを依頼する時。ついつい「あの・・・ お願いがあるんですけど・・・」と、控え目ながら甘えた声を出す。’向こうは年下よ。何なの?その媚を含んだ話し方は!’と言う、もう一人の私の声を押しやりながら、次の言葉を待つ。「どうしましたー?」優しい声色の奥に垣間見える’おぅ。どしたどした?’という男っぽい感情。これがたまらないんだな♪思い切り甘えさせていただきます・・・とばかりに、続きを切り出した。

 大好きな人に、何故できなかったのだろう。


 電話の声を、ほめてくれた人がいた。「ここぞという時には、もっと可愛くなるんだヨ!」と返したら、「どんな時やねん!」と反応し、「何を言うかねぇ・・・試しようもないのに」と笑った。彼は友達。そうして、結婚していた。そんな立場の人に、友達以上の感情を抱いてしまったのである。彼には、それまで知り合った男性とは違う何かを感じていた。生涯を通じて、そう出会うことがないであろう特別な縁、とでもいおうか。こうして芽生えた淡い恋心は、日増しに大きくなっていき、一方そうとは知らぬ彼は、友情という名の下に、以前と変わらぬ気のおけない関係を続けようとしていた。

 そんな彼を、私は引き込んだ。自分の感情の渦の中に。

 本当の気持ちを押し隠して友達関係を続けるのが、平和的解決に決まっている。相手に告げたところで、明るい未来が待っている訳ではない。彼が家庭を大切にしていることはわかっていたし、私の方にも略奪しようという気持ちはなかったから、どのみち迷路に陥るだけである。それでも、自分の胸の内を言わずにおれなかったのは、勝手な時だけ甘えられ、感情をかき乱されたくなかったから。彼のちょっとした態度で心が激しく揺れ、空へ舞い上がる程の幸福を感じたかと思えば、地底深くまで埋もれる程落ち込む。その繰り返しだった。どうして自分だけが、こんなに辛い思いをしなければならないのか。そんな憤りもあった。

 告白は、彼の心にできたちょっとした隙間に、付け入るように行われた。愛する人の力になりたいという純粋な想いが多くを占めていたものの、その根底には、こちら側へ引き込むことで同じ苦しみを味あわせたいという思いも転がっていた。その証拠に、告白したことで二人の仲がギクシャクし始めると、次のような言葉を投げつけたのである。「あなたの為にどれだけ涙を流してると思ってるの?私に甘えたいのなら、ちゃんと向き合って!じゃないと優しくしてあげない!!」。ただでさえ、弱っている相手に向かって、私の中の悪魔が牙をむいた。彼はショックを受け、そして連絡は途絶えた。「君は、僕の本当の気持ちをわかっていない。」という言葉を残して。

 それからの数日間は、最悪だった。どんなに相手を想っても、通じるとは限らない。しかも、あんな形で気持ちを突きつけて、なおのこと通じる訳がない。しかし、二人の間に友達以上の空気が存在していたのも事実だった。あと一歩の壁が破れないもどかしさ。以前、想いをかけていた先輩に言われた「君のことは好きだけど、愛していない。」という言葉がよみがえった。

 最初は、報われない自分が哀れだった。だが時がたつと、今度は傷つけてしまった彼のことが気になりだした。そんな中で、ひょっとして彼は、私を友達として信頼してくれていたからこそ甘えていたのではないか・・・という思いへたどり着いた。究極の友達関係。男女間でもそのようなものが成立するのならば、その方が、どのみち展望のない関係に進むよりも、光栄で幸福だったのかもしれない。しかしもはや、それまでの友達関係までが点滅信号だった。自分の手でパンドラの箱を開けてしまった以上、仕方がない。どん底まで落ち込み、この方が、きっと彼にとっては幸せなのだとあきらめかけていた頃、思いもかけず手を差し延べられた。私はその手をとった。 彼は言った。「僕も同じ気持ちだったんだ・・・」 そして、こう続けた。「お互いの気持ちがはっきりわかった以上、もう友達ではいられないな。」

 こうして二人は、迷路に陥った。

 勿論、幸せな時もあった。だが、大部分は切なさの連続だった。下手をすると、何も手につかない。一日中彼の事ばかり考えている。体を支配する重苦しさ。辛い状況は、以前より酷くなった。ただ、一人じゃないということだけが救いだった。その為に引き込んだのだから。とめどなくあふれてくる、彼が好きという想い。その想いを私はぶつけ続け、そうして彼は、黙ってそれを受け止めてくれていた。家庭は壊さないということが大原則ではあったが、彼は彼にでき得る限りのことをしてくれていた。なのに、いつしかそんな気持ちを疑うようになった。

 お互いの心の内がわかったことによる安心感からきた油断なのか、あるいは煩わしい状況が重なり、気持ちに余裕がなかった所為なのか・・・とにかく、今までと微妙に空気が変わったと感じたことがあった。そしてそれは、私をひどく不安にさせ、同時に彼の気持ちに対して疑念を抱く原因となった。そうすると、あっちこっちの綻びが気になり始めた。それぞれの事柄は大したことではなかったのに、一つの不安が増殖し、積み上げられ、挙句の果てにあっけない事が原因で爆発した。彼は、つまらないことでつっかかってくるなとばかりに腹を立てた。しかし、そのつまらない一件が止めを刺したのだ。「こんなことで関係が終わるのは馬鹿げてる。頭を冷やせ。」「つまらないことじゃない。私にとっては大事なことよ!」私は再び、かつて投げつけたのと同じ言葉を吐いていた。「ねぇ、ちゃんと向き合ってよ!!」関係が悪化していく中で、私は何度も愛の言葉を引き出そうとした。そうして、どれだけ自分がこの恋愛に捨て身の覚悟で臨んだか、どれだけ彼のことを想っていたかをぶちまけた。冷静に考えれば、そんな恐ろしいプレッシャーを与えて、良好な反応が返ってくるはずがないのだ。それでも、彼との関係を突き詰めずにはいられなかった。

 そうして、二人の関係は終わった。結局というか、案の定というか・・・

 恋の魔法が解けると、いろんなものが見えてきた。彼からもらったたくさんの幸福。あんなことも。こんなことも。ひたむきだった自分の想いも含めて、ステキな思い出がそこここに転がっていた。決して重苦しい、辛いだけの恋愛ではなかった。しばくして、彼から手紙がきた。そこには、本当の想いがしたためられていた・・・。どれほど私を大切に想っていたか、どれほど私を愛していたか。求め続けた言葉がそこにあった。「ちゃんと向き合って!」「僕の本当の気持ちをわかってない。」振り出しに戻って、終わっていたのだ。

 どうせまた同じ失敗を繰り返すから、もう恋なんてゴメンとは、思わない。辛い思いをしても、傷ついても、あの時のアツい想いは忘れられない。パンドラの箱の底には、やはり希望が横たわっていた・・・と信じたい。「僕は、君の為に何ができる?」彼の言葉は、今も私の中に生きている。


 「・・・という訳なんで、よろしくお願いしますぅ。」と年下の彼へ仕事を依頼していたら、突然帰ってきた息子が、「誰と話してんの?」咄嗟のことだったのと、心に潜むトキメき心に気が引けて、答えあぐねているとー「ひょっとして、お母さんの不倫相手!?」年下の彼は、電話の向こうで絶句。「スミマセン・・・」と謝りながら、「もぉ~あっち行って。」と、息子にケリを入れた。

 あの時の彼に、素直に甘えたかったな・・・

 39歳魅惑の人妻は、今日も逞しく生きております♪そして相変わらず、愚かな女を続けております(笑)。


君といた夏

2007年08月21日 04時17分00秒 | 恋バナ
 もう何年前になるだろう。学生時代の夏休み、神戸のデパートでアルバイトをしていた。お中元シーズンの戦力強化という名目で、贈答品を扱ったコーナーへ配置された。毎日毎日、定例の作業をする以外は、お客さまがいらっしゃるまで、じっと前を見つめて立っているのである。向かい側には、同じようなコーナーがあり、やはりそこからこちらを見つめて立っている青年がいた。美しい顔立ちの人だった。それぞれのパーツが優しすぎて、女性的な趣きも感じないではなかったが、ちょっと切ない表情がステキで、もう一人バイト青年がいたのに彼ばかり見ていた。

 お昼どきや、軽い休憩時間に、何度か一緒になった。私が持ち場を離れようとすると、もう一人のバイトくんが彼を小突き、後を追うようにやってくるのである。しかし、そこでべったりと話し込むかといえば、そうではない。「仕事は慣れた?」とか「今日は忙しそうだね。」とか、二言三言話して終わり。休憩先へ向かうまでのわずかな間にだけ、そうした他愛もない会話が、やり取りされた。

 今日でバイトが終わるという日、閉店後に形ばかりの慰労会があり、その後は各自解散となった。ごく自然に駅までの道をたどり、いよいよここでお別れという所へきた。それまでの幸福感に、終わりを告げる瞬間。’もうちょっと一緒にいたいな♪’そう思った。彼も、「さよなら。」 とは言わなかった。しばらく立ち話を続け、そのうち「お腹が空いたね。食事でも・・・」ということになった。

 幸福感が持続するのは嬉しかったが、いざ二人で食事という段になると、別の問題がでてきた。緊張して喉を通らない。それどころか吐きそう。男性と向かい合わせで食事をするのは、初めてだったのである。女子校だった上、それまでお付き合いした事もなく、若い男性という存在に全く慣れていなかった。おまけに好意を抱いている人。でもってイケメン。辛かった記憶の方が強い。

 さて今度こそ駅で別れるという時、まだ離れたくない二人は、やはりそこで立ち止まっていた。改札を抜けて彼は上りホームへ、私は下りホームへ、階段を昇らなければならない。しばらくして彼は、やっと意を決したように「じゃあ、これで。 おやすみ。」と言って、ポケットから折りたたんだ紙片を取り出し、私に渡した。電車へ乗ってから広げてみると、名前と住所と、電話番号が書かれていた。

 とっても嬉しかったのに、恥ずかしくて電話がかけられなかった。だから、まず手紙を出した。ほどなく返事がきた。こうして文通が始まった。彼がK大の学生である事は、バイト中から明らかだったが、手紙をやり取りするうち、富山出身で下宿している事、ソフトボールのサークルでピッチャーをやっている事を知った。誠実で静かな物腰。申し分のない人だった。何より、私の事を「めっちゃ可愛い。」と言ってくれたのである。こんな十人並みの容姿の私に。「前から見ても後から見ても、可愛いなぁ~」って。

 最初は、ウキウキして手紙をやり取りしていた。が、そのうち文通している事に気づいた親が、私の机をあさってこっそり内容を確認していたのを知り、一気に気持ちが冷めた。ある程度の事情は話してあったのに、そういう姑息な事をされたのが、どうにも腹立たしかったのである。もういいと思った。それから破壊工作が始まった・・・。わざと嫌われるような事を書く。私ってこんな人。自分の醜い面を、ことさらに強調した。「そんな事ない。」 とフォローしてくれたにもかかわらず、「あなたに何がわかるの。」と返した。「本当に私を好きって言える?」これでも!これでも!これでも!自分で自分を傷つけ続けた。そうして、そのうち手紙はこなくなった・・・。

 あんなにも無邪気に支持してくれた人を、私はこうして失った。しかし、悲しいという気持ちを通り越して、どこかほっとした部分もあった。私を一番愛しているのは私。私をだれにも渡さない。こんな自己愛の強い人間は、始めから人を好きになってはいけなかったのである。親の所為だけで、破壊工作へ走った訳ではなかったのだろう。

 今も相変わらず自己愛が強く、そのクセ人一倍愛を乞う。積んで崩して、崩して積んで。その繰り返し。未練というのではないけれど、もしあの時、彼にきちんと向き合っていたら、その後の人生はどう変わっていただろうか、と思う時がある。一本の電話で、それができたのではないかと。振り回してゴメンね。傷つけてゴメンね。ちゃんと愛し通せなくてゴメンね。あの頃の苦い思いは、今も私の胸の奥底に沈んでいる。が、その周りを包んでいるのは、初恋の温かな感触。

 君といた夏。 私は、確かに幸福でした。


もう笑うしかない

2007年06月03日 16時53分00秒 | 恋バナ
 平松愛理の歌で、『もう笑うしかない』というのがあった。私の淡い恋心は、往々にして、このタイトル通りの結果をたどる。

 学生の頃、私を好きになってくれた人がいた。こちらも好意を持っていたので、大変嬉しくウキウキしていたのだが、文通しているのに気づいた親が、机をあさってこっそり内容確認していた事を知り、急に嫌になった。そこからは、破壊工作である。’私はあなたが思っているような人間じゃない’と、自分をおとしめおとしめ・・・「そんなことないよ」と言ってくれたにも関わらず、その破壊工作は続き、挙句相手まで責め始め、そのうち手紙も来なくなった。彼は何も悪くなかった。ただ、私を好きになってくれただけ。その彼を酷く傷つけて、その恋は終わった。

 社会人の頃、やたらと私の前をウロチョロする男性がいたので、「気があるのかな?」と、ドキドキして構えていたら、私と仲の良いA子ちゃん目当てだった。こういう事がままある。自意識過剰気味なのだ。が、それと共に ’ったく紛らわしいじゃないの!A子ちゃん目当てなら、頭の上にそう書いた看板でもかかげとけ!’とも思った。本命をわざと避け、その付近にいる’ごっつ話やすそ~な子’に接近するというのは、男性によく見受けられる現象のような気がする。恥ずかしいのだか何だか知らないが、その付近にいる’ごっつ話やすそ~な子’には、いい迷惑である。『トムソーヤの冒険』でも、本命をはずして周囲をつつくといった行為が出てくるので、案外昔からの常套手段なのかもしれない。本命にそうそう成り得ない人間としては、何だか納得いかない。

 好きな先輩がいた。ちょっと頑なで変わり者だったが、仕事ができる人だった。みんなに愛されるタイプではなかったので、取り巻きは少なく孤独な人だったが、私は彼の良さを理解していたので、近くにいて可愛がってもらっていた。どう考えても、先輩後輩以上の距離感だったのだ。その先輩に、いざという時「好きだけど愛してない」と言われた。それってヒドくない?男性心理としては図星なんでしょうけど。そのまんま過ぎて、あたしゃその場で倒れこみそうだったよ。これは、未だに私の心に、深く突き刺さる名言である。そしておそらく ’私’ というキャラクターを、端的に表している言葉でもある。所詮そういうポジションよ。悪かったな!

 好きな上司がいた。コワモテのお顔に似合わずお優しい方で、女性社員の中でも人気が高かった。当然、彼女たちに声をかけて飲みに行かれる事も多く、私もその恩恵にあずかっていた。出来の悪い私でも、数少ない長所をわかってくださる方で、本当に心の底から、お慕い申し上げていた。ある時、ごく内輪の宴会に顔を出していたら、同様にそこへ出席していたアネゴが、「この間、電車でお見かけしましたよ。お子さんと一緒だったでしょう?」と、その上司に向かって言った。ちなみに彼は独身者である。ただし、彼女がいるらしいという事は知られていた。衝撃の事実だったので、悲しくてトイレでひっそり泣いた。個人的にお付き合いしていた訳ではなく、私がどうこういう立場でもないのに。

 やっと、両思いになれた人がいた。と思ったら、付き合い始めて1ヶ月くらいで故郷へ帰ってしまった。コンチクショウ!

 奥さんのいる人を好きになった。それまでの人生の中で、一番気の合う仲間だった。’こんな人、もう現れないかも知れない。 大切にしなきゃ’ と思っていたのに、彼への気持ちがどんどん膨らみ、いらぬ告白をしてしまった。 相手はびっくりである。略奪する気なんて、全くなかった。ただ、本当の気持ちを押し隠して、ざっくばらんな友人関係を続けるのも、辛かったのだ。彼のちょっとした態度で、感情が激しく揺れた。が、告白した事で、雲行きが怪しくなった。友人関係までもが崩れ始めた。後は例の如く・・・ である。あの時の途方もない喪失感は、今も私の心のどこかに、ひっかかっている。『ハートブレイクなんて、へっちゃら』という小説は、片岡義男だったかな。そう言える時が来るのだろうか。これから先も・・・

 付き合い始めて1ヶ月で去っていった彼と、交際を続ける事になった。神戸と名古屋。電話は週に1度、デートは月に1度。そんな中で、お互いの気持ちを、ゆっくりゆっくり積み上げていった。この時の彼が、今の夫となる。息子に、この話をしたら「ツラッ!ありえね~」と言うので、’さては息子も人の心の機微がわかる年齢に・・・’ とニヤついていたら、「デート代、むちゃかかるしさ~」ときた。なぁ~んだ。 金銭問題かいっ!

 私が恋した人、元気かな。幸せに暮らしてるかな・・・遠い日を振り返りながら、そんな事を思ってみる。