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My essay,My life
エッセイを書き続けることが、私のライフワーク

ささやかな幸福、その後

2014年06月10日 12時18分26秒 | in the forest
とある中学の図書室へ出入りし始め、5年目になる。その間、上の息子が卒業し、下の娘が入学し、担当の先生も、共に活動をしていた母仲間も、入れ替わっていった。

出だしの頃、時にズル休みを挟みながら(笑)、淡々と作業を手伝っていた私だが、思い描いたプランを形にできるのが面白く、いつのまにやら古株と呼ばれる存在に。

去年は一番楽しかった。気心の知れた仲間と学生と、見守ってくれる先生と。図書室向上を目指し、一つになれた瞬間があり、得も言われぬ充実感を味わった。

ポツリ、ポツリ、学友に馴染めない子が、放課後の居場所を求め、或いは空想の翼を広げに、校舎の片隅へとやってくる…そんな初年度の状態から少しずつ前進。根っからの本好き少女や、気の合う仲間たちが集う空間へ、4年という歳月をかけ変化していった。

しかし、中核を担っていた学年の卒業に呼応するかのごとく、流れが変わる。

活動に区切りをつけた仲間を、笑顔で見送ったのも束の間、残ったメンバーは、仕事の比重が増して学校へ来辛くなり、馴染んでいた二代目先生も、他校へ異動となってしまった。

そっかぁ。。。最高の環境は、いつまでも続かないんだね。この仮想世界でも、体験していたことだけど、改めてそう思う。

振り返れば、家では親と対立している子どもたちが、母さんのいる図書室を、どこか嬉しそうに覗きに来ていた。子どもたちがいるから、母が集まり、母がいるから、子どもたちが集まっていた。どちらかが欠けると、もう一方も欠けてしまう。そんなカラクリも、失って初めて見えてきた気がする。第二の保健室代わりに訪れていた子たちだって、必ず足を運んでくれる、ありがたい存在だったのだなぁと。

利用し易い図書室へ向けて、手を掛けたい部分は、たくさんある。もはや私の生き甲斐ともなっている図書活動。状況は、心配していた程悪くない。それでも残ってくれた仲間がいた。頼りになりそうな先生も入ってくれた。

なのに、どうしようもない焦燥感が、襲ってくる。来館者0…。一人、本を整理しながら、ため息をつく。

こうしてコツコツ整えている環境が、誰かに役立つ時は、本当にやって来るのだろうか?今すぐじゃなくていい。数年先でも、数十年先でも。「あ、こんな本がある!!」とびっきりの笑顔と好奇心で、手にしてもらえたら、報われるのだけどね。

人の訪れは、水ものなので難しい。学校という器の中でも、学年というカラーがあり、そのカラーも、段階を経るに従って変化していく。ここ数年は、子どもたちを取り巻く環境も、昔とは違ってきた。LINEの来襲、スマホの台頭。暇があったら、家へ帰ってつながりたいってのが実情だ。

そんな彼らの心に、どう訴えかけていくか。あきらめてしまったら終わり。それでも前を向いて、歩いていくしかない。

まぁ、ぼちぼちいこか。

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