キュプラーロス(1962~2004)という人が臨死患者のケア、死の準備教育というのを語った中で
受容への過程というのを述べたらしい。
障害を持っている人にも適応されるのではないかという講義を受けた。
1)ショック(否認と隔離) 障害を否定したり、拒否したりする動き
2)怒り(回復への期待) 状況に怒りを感じるなぜ自分なのかと同時に回復するものだと期待する
3)抑うつ(混乱と苦悩) 状況がどうにもならないことで混乱し苦悩し抑うつ状態を迎える
4)取引(適応への努力) これはよくわからないが神と取引をしようとしたりしつつ適応しようと努力する
5)受容(適応) 障害を受け入れてあるものとして行為する
受容に至るまでに1~4の段階を行き来して障害を受け入れて生活するまでに葛藤し続ける。
心の病などはいまだに、誤解と混乱の多い病気はない。
なぜなら心の病は誰も解明していないし、根治療法もない。
鬱が心の風邪だなんて誤解に充ちた宣伝も誰のために行っているのかわからない。
脳の働きの解明もなされていないし、こうであろうというのはわかっても対処療法でしかなく
鬱病もまた解明されたものでない。
統合失調もなおさらで解明されていない。
だから症状が消えても完治とは言わない。
寛解というのみである。
病気がいつから発生したのか、そんなことは医者にもわからないはずである。
本人もそういえばこの頃からおかしかったなあとなる程度で
障害の認定に初診日というのを決めた社会保険庁や国の基準は
心の障害の人間を苦しめるいい加減な基準に過ぎないことをここで言っておきたい。
病院で心の病になったといわれた当初は本人は否認し否定するものである。
障害者になったという認識はない。しゃあないなあ。治るやろうと思っている。
鬱の人ですらまだ治ると思っているのだからこの国の不思議である。
根治療法が確立されていない。だいたいはわかってるけど対処療法でしかない。
麻酔がなぜ効くかしらないのと同じ理屈で治療がなされている。
ここに作用する薬やからこのへんがおかしくなってるんやなあ。
でもなんでおかしくなってんやろうか。だいたいこうやろうけどさてどうやろう。という世界である。
おかしくなった点を本人に披露したところで病気が治るとは限らない。
ヒステリーの原因を解明して治療した例でカタルシスというのがあったかなあ。
カタルシスはえられるが病気は完治しないという例がある。
僕たちにあるのは寛解である。症状が治まって社会に適応できる状態になること。
完治ということはない。いつ再発するかわからないからである。
心に弱点があるといっていいのか、脳内物質が上手く働かなくなる点があると言っていいのかはわからない。
寛解したいなあ。寛解してるのかなあ。寛解しつつあるのかなあ。
最近声は聴こえない。薬は飲み続けなければならない。
体力は相当落ちたけどだいぶ回復しつつある。
どの程度まで体力が回復するのかはわからない。
受容への過程というのを述べたらしい。
障害を持っている人にも適応されるのではないかという講義を受けた。
1)ショック(否認と隔離) 障害を否定したり、拒否したりする動き
2)怒り(回復への期待) 状況に怒りを感じるなぜ自分なのかと同時に回復するものだと期待する
3)抑うつ(混乱と苦悩) 状況がどうにもならないことで混乱し苦悩し抑うつ状態を迎える
4)取引(適応への努力) これはよくわからないが神と取引をしようとしたりしつつ適応しようと努力する
5)受容(適応) 障害を受け入れてあるものとして行為する
受容に至るまでに1~4の段階を行き来して障害を受け入れて生活するまでに葛藤し続ける。
心の病などはいまだに、誤解と混乱の多い病気はない。
なぜなら心の病は誰も解明していないし、根治療法もない。
鬱が心の風邪だなんて誤解に充ちた宣伝も誰のために行っているのかわからない。
脳の働きの解明もなされていないし、こうであろうというのはわかっても対処療法でしかなく
鬱病もまた解明されたものでない。
統合失調もなおさらで解明されていない。
だから症状が消えても完治とは言わない。
寛解というのみである。
病気がいつから発生したのか、そんなことは医者にもわからないはずである。
本人もそういえばこの頃からおかしかったなあとなる程度で
障害の認定に初診日というのを決めた社会保険庁や国の基準は
心の障害の人間を苦しめるいい加減な基準に過ぎないことをここで言っておきたい。
病院で心の病になったといわれた当初は本人は否認し否定するものである。
障害者になったという認識はない。しゃあないなあ。治るやろうと思っている。
鬱の人ですらまだ治ると思っているのだからこの国の不思議である。
根治療法が確立されていない。だいたいはわかってるけど対処療法でしかない。
麻酔がなぜ効くかしらないのと同じ理屈で治療がなされている。
ここに作用する薬やからこのへんがおかしくなってるんやなあ。
でもなんでおかしくなってんやろうか。だいたいこうやろうけどさてどうやろう。という世界である。
おかしくなった点を本人に披露したところで病気が治るとは限らない。
ヒステリーの原因を解明して治療した例でカタルシスというのがあったかなあ。
カタルシスはえられるが病気は完治しないという例がある。
僕たちにあるのは寛解である。症状が治まって社会に適応できる状態になること。
完治ということはない。いつ再発するかわからないからである。
心に弱点があるといっていいのか、脳内物質が上手く働かなくなる点があると言っていいのかはわからない。
寛解したいなあ。寛解してるのかなあ。寛解しつつあるのかなあ。
最近声は聴こえない。薬は飲み続けなければならない。
体力は相当落ちたけどだいぶ回復しつつある。
どの程度まで体力が回復するのかはわからない。