ボクたちはね産まれる前に
すべての事柄を忘れるんだよ
そして国や地域や親たちの教育で
物語をインストールされるのさ
この世界は因果を知るだけ
原因と結果のあいだで
人為的にもしくは環境的に
どのような変容が起きるかという
ただ単にそれだけの
因果の研究の場なんだ
言葉の並び方による呪文のように
すみませんをありがとうに変えるように
何かを何かに置き換えたときに
どうなるのかという
因果の研究を繰り返しおこなっている
言葉の選択も組み合わせの選択も
すべての選択は因果にからんでくる
ある事象がべつ事象を招くには
ある環境が必要だったりする
その環境を変えてしまうと
べつの事象でなく
ちがう事象が起きるかもしれない
そういう神々のバーチャル世界
物事を進めるのに
自動的に進むように
主人公の主格を与えるのさ
そしてある程度の予測を与えるために
客体を与えるのさ
主人公であり脇役であり
そしてエキストラなのさ
物語をすでに誰かがインストールして
洗脳したりもするのさ
すべての環境が一致するということもないし
すべての条件が一致するということもない
そしてすべての要件が一致することも
すべての真実が一致することもないのに
ストーリーがあるのはおかしいと思わない?
なぜ枠組みがあるの?
それ自体があやしいと思わない?
そうやってはじめてありがたいことになるんだけど
感覚的に生きてくると麻痺するんだね
科学的に生きてくると麻痺するんだね
物理的に生きてくると麻痺するんだね
それらもまたインストールされたものだから
いま外で激しい雨が降っている
太陽系が激しい寒い時期と
太陽系が激しい熱い時期を
銀河の運行によって
過ごすときがあるとしたら
どうなんだろう
インストールされたものを有効に使うって
どんな感覚なのだろう?
スペックは決まっているよね
人間の場合は環境や条件
自分の行為や食べ物で変わるのかなぁ?
人々はまたインストールするために
情報に集まる
自分の足や耳や目や感覚を無視して
脳の欲する快楽的情報に群れる
現実はいま激しい雨が降っているだけなのにね
匂いや味やあの感覚を求めてるだけなのにね
雨の匂いはするかい
風の泣き声は聴こえるかい
変わり行く温度の肌に感じるかい
あいしています
すべての事柄を忘れるんだよ
そして国や地域や親たちの教育で
物語をインストールされるのさ
この世界は因果を知るだけ
原因と結果のあいだで
人為的にもしくは環境的に
どのような変容が起きるかという
ただ単にそれだけの
因果の研究の場なんだ
言葉の並び方による呪文のように
すみませんをありがとうに変えるように
何かを何かに置き換えたときに
どうなるのかという
因果の研究を繰り返しおこなっている
言葉の選択も組み合わせの選択も
すべての選択は因果にからんでくる
ある事象がべつ事象を招くには
ある環境が必要だったりする
その環境を変えてしまうと
べつの事象でなく
ちがう事象が起きるかもしれない
そういう神々のバーチャル世界
物事を進めるのに
自動的に進むように
主人公の主格を与えるのさ
そしてある程度の予測を与えるために
客体を与えるのさ
主人公であり脇役であり
そしてエキストラなのさ
物語をすでに誰かがインストールして
洗脳したりもするのさ
すべての環境が一致するということもないし
すべての条件が一致するということもない
そしてすべての要件が一致することも
すべての真実が一致することもないのに
ストーリーがあるのはおかしいと思わない?
なぜ枠組みがあるの?
それ自体があやしいと思わない?
そうやってはじめてありがたいことになるんだけど
感覚的に生きてくると麻痺するんだね
科学的に生きてくると麻痺するんだね
物理的に生きてくると麻痺するんだね
それらもまたインストールされたものだから
いま外で激しい雨が降っている
太陽系が激しい寒い時期と
太陽系が激しい熱い時期を
銀河の運行によって
過ごすときがあるとしたら
どうなんだろう
インストールされたものを有効に使うって
どんな感覚なのだろう?
スペックは決まっているよね
人間の場合は環境や条件
自分の行為や食べ物で変わるのかなぁ?
人々はまたインストールするために
情報に集まる
自分の足や耳や目や感覚を無視して
脳の欲する快楽的情報に群れる
現実はいま激しい雨が降っているだけなのにね
匂いや味やあの感覚を求めてるだけなのにね
雨の匂いはするかい
風の泣き声は聴こえるかい
変わり行く温度の肌に感じるかい
あいしています