OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

天山慰霊碑

2007年07月16日 | 硫黄島・小笠原村
「硫黄島戦没者の碑」という正式名称で、
昭和46年に国(今の厚生労働省)が建立したそうです。

遺骨収集されたご遺体が、
千鳥ヶ淵に収められるまでの間、この碑の横に仮安置されるされるのだそうです。

また、この写真の左側のお堂には、
戦没者名簿(部隊ごとに綴られて一冊になったものが、並べらて
収められた箱があり、硫黄島戦で犠牲になられた方々のお名前
が奉じらえれています。

写真は昨年の9月に行った時に撮影したものです。

この碑の形が特徴的なのは、お参りする碑を囲む外側の
石の屋根の真上が開けられていることです。

島で戦没なさった方々の多くは、薄暗くて熱い壕の中で、
水がない、日光がないことという極限の状況を
一番苦しまれて、亡くなっていかれました。
「日光と雨が降れば雨水も届くよ。」という構造で
英霊を慰霊するための構造デザインだそうです。

この碑にお参りをするのは三度目でしたが、
今回は帰りの船での先輩方との会話から、
「この天山慰霊碑の位置は、旧島民が天山と呼んでいた
丘の地名から、丘、一つ分ずれている。」ことを知りました。

また、この碑の右側には、手すりがありコンクリートで整備された階段
で下に降りられるようになっています。

「階段を下りると、天山壕の入り口です。」と教えていただきましたが、
「かなり遠いのだろう。」と最初は降りるのを渋ったのですが、
階段を下りてみるとすぐに、「天山壕」の入り口がありました。

この碑は、昔の島民の「天山」ではなくて、
天山壕の上ということで、この位置に建立されたらしいことが
分かりました。

これまでの硫黄島訪問で、壕がどうなっているのかが知りたいので
入れる壕
(時間と危険かどうか、くぐれる高さがあるか等の制約が
あり入れない壕も多くありますし、
入り口を覗いてあきらめた壕もありました。)
には全て入ってきました。中に入ると50℃ぐらいある壕があります。

この天山壕だけには入れませんでした。
壕の入り口が地熱熱風で50℃ぐらいになっているからです。


このURLの小笠原村のホームページには、
私たちが宿泊した「記念館」の写真も
載せていただいています。

http://www.vill.ogasawara.tokyo.jp/outline/iou/photo.html
コメント
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