小笠原村父島の皆さんが、私たち硫黄島在住だったメンバーを「旧島民」と
呼んでくれている、ということは、先日、書きました。
私どもは、「島民の集い」と、自分たちを「島民」と呼んでいます。
「とうみん」と言っても、
住んでいたのは、戦争が激しくなり昭和19年に強制疎開で
硫黄島を離れる時まででしたので、もう60年以上も
在住「島民」はいない島が硫黄島です。
「戦前在住島民(と戦後生まれた人)」 「旧島民二世」 などと
いろいろな呼び方に関して、考えることが多いのですが、
私は、「戦前に住んでいた世代」 「強制疎開後の帰れない島に
なった後で生まれた世代」 と、大きく二つに分けて考えることが
多いです。
ところが、
「戦前島世代、二世、三世、、」という呼び方について、
考えてみると、ちょっと、おかしな具合になることに気がつきました。
「戦前在住島民」を一世と数えてしまう場合です。
私の母(故人)は、昭和11年生まれで8歳まで硫黄島に住んでいましたので、
母を「戦前在住島民一世」とすると、私たち兄弟の世代が二世、その子供たちの
世代が三世、となります。
今年、亡くなった祖母は、硫黄島を離れてからも、母の弟、妹を
産みましたので、「硫黄島に住んだことがない」叔母たちがいます。
祖母も「戦前在住島民」ですので、祖母も「在住島民一世」とすると、
内地に疎開後に生まれた、母の妹である私の叔母も 二世となり、
その子供(私の従兄弟)が三世の世代となります。
「住んで(産まれて)いた人を一世と呼ぶ。」とすると、
世代と、二世・三世・・という呼び方に、ずれが起きてくるのです。
別の「呼び方」の考え方として、「戦前に既に子供を硫黄島がいて
家計を営んでいた世代を一世とする」だと、ずれは起きません。
母も、戦後生まれの叔母も二世ですし、私も従兄弟も三世という具合に、
世代と、呼び方が一致してきます。
「戦前に既に子供を硫黄島で育てていた世代」は、
私の祖母も96歳で4月に亡くなり、もう、本当に少なく
ほとんどいないと思います。
島で青年、少年期、子供時代を過ごしてから、内地に疎開させられた
在住島民だった世代と、硫黄島に住んだことはない、疎開後生まれの
世代と、その子供の世代が、
間もなく、来週の金曜 6月12日出航の小笠原丸で
年に一度の帰島墓参に出発します。
それらの皆で協力して、これからも、「島民として」、つながっていて、
帰島の実現などの、夢についても、皆で考えながら、
「硫黄島」の「島民」で、あり続ける必要があります。
時間が経過して、世代がかわったことで、硫黄島「島民」の
存在を薄めてしまっては、いけないと思います。
今年はの、帰島訪問のメンバーは多くて、
全員が硫黄島の宿泊できる施設「祈念館」に泊まれません。
一昨年も昨年も、全員宿泊は祈念館でしたので
祈念館が出来てからでは、
最も多い参加人数なのかもしれないです。
若い人たち中心に、小笠原丸に戻って船中泊して翌朝また上陸
という人たちがいます。
宿泊場所が分かれてしまうのは、残念なことですが、
多くのメンバーで行けることは嬉しいことです。
一昨年、昨年は、いらっしゃることができなかった方で
今年参加の方もいます。親戚もいます。
「島民の集い」の会長、役員の方のご参加も
一昨年、昨年より多いので、
今年は慰霊祭での「故郷の廃家」は、これまでになく
うまく歌えると思います。
写真は、擂鉢山 山頂から海側真下を撮影したものです。(2008年の訪問の時)
(ここから「ランニング」の速報)
・2009年6月7日(日)横田駅伝に参加しました。
参加人数が多かったです。とても暑くて、きついコンディションでした。
チーム、自分が、事故や故障なく、無事に走れて良かったです。
成績・結果は後日に知らされます。5キロ×4人の20キロ
手許の計測とおよそのゴールタイムは、TopGearチームは
1時間23分。3区の私の5キロは22分45秒。
(4区のランナーへのたすき渡しでミスをしました。詳細は
成績が届きましたら、報告します。
苦しいコンディションでへばりましたが、駅伝はやっぱり
楽しかったです。)
呼んでくれている、ということは、先日、書きました。
私どもは、「島民の集い」と、自分たちを「島民」と呼んでいます。
「とうみん」と言っても、
住んでいたのは、戦争が激しくなり昭和19年に強制疎開で
硫黄島を離れる時まででしたので、もう60年以上も
在住「島民」はいない島が硫黄島です。
「戦前在住島民(と戦後生まれた人)」 「旧島民二世」 などと
いろいろな呼び方に関して、考えることが多いのですが、
私は、「戦前に住んでいた世代」 「強制疎開後の帰れない島に
なった後で生まれた世代」 と、大きく二つに分けて考えることが
多いです。
ところが、
「戦前島世代、二世、三世、、」という呼び方について、
考えてみると、ちょっと、おかしな具合になることに気がつきました。
「戦前在住島民」を一世と数えてしまう場合です。
私の母(故人)は、昭和11年生まれで8歳まで硫黄島に住んでいましたので、
母を「戦前在住島民一世」とすると、私たち兄弟の世代が二世、その子供たちの
世代が三世、となります。
今年、亡くなった祖母は、硫黄島を離れてからも、母の弟、妹を
産みましたので、「硫黄島に住んだことがない」叔母たちがいます。
祖母も「戦前在住島民」ですので、祖母も「在住島民一世」とすると、
内地に疎開後に生まれた、母の妹である私の叔母も 二世となり、
その子供(私の従兄弟)が三世の世代となります。
「住んで(産まれて)いた人を一世と呼ぶ。」とすると、
世代と、二世・三世・・という呼び方に、ずれが起きてくるのです。
別の「呼び方」の考え方として、「戦前に既に子供を硫黄島がいて
家計を営んでいた世代を一世とする」だと、ずれは起きません。
母も、戦後生まれの叔母も二世ですし、私も従兄弟も三世という具合に、
世代と、呼び方が一致してきます。
「戦前に既に子供を硫黄島で育てていた世代」は、
私の祖母も96歳で4月に亡くなり、もう、本当に少なく
ほとんどいないと思います。
島で青年、少年期、子供時代を過ごしてから、内地に疎開させられた
在住島民だった世代と、硫黄島に住んだことはない、疎開後生まれの
世代と、その子供の世代が、
間もなく、来週の金曜 6月12日出航の小笠原丸で
年に一度の帰島墓参に出発します。
それらの皆で協力して、これからも、「島民として」、つながっていて、
帰島の実現などの、夢についても、皆で考えながら、
「硫黄島」の「島民」で、あり続ける必要があります。
時間が経過して、世代がかわったことで、硫黄島「島民」の
存在を薄めてしまっては、いけないと思います。
今年はの、帰島訪問のメンバーは多くて、
全員が硫黄島の宿泊できる施設「祈念館」に泊まれません。
一昨年も昨年も、全員宿泊は祈念館でしたので
祈念館が出来てからでは、
最も多い参加人数なのかもしれないです。
若い人たち中心に、小笠原丸に戻って船中泊して翌朝また上陸
という人たちがいます。
宿泊場所が分かれてしまうのは、残念なことですが、
多くのメンバーで行けることは嬉しいことです。
一昨年、昨年は、いらっしゃることができなかった方で
今年参加の方もいます。親戚もいます。
「島民の集い」の会長、役員の方のご参加も
一昨年、昨年より多いので、
今年は慰霊祭での「故郷の廃家」は、これまでになく
うまく歌えると思います。
写真は、擂鉢山 山頂から海側真下を撮影したものです。(2008年の訪問の時)
(ここから「ランニング」の速報)
・2009年6月7日(日)横田駅伝に参加しました。
参加人数が多かったです。とても暑くて、きついコンディションでした。
チーム、自分が、事故や故障なく、無事に走れて良かったです。
成績・結果は後日に知らされます。5キロ×4人の20キロ
手許の計測とおよそのゴールタイムは、TopGearチームは
1時間23分。3区の私の5キロは22分45秒。
(4区のランナーへのたすき渡しでミスをしました。詳細は
成績が届きましたら、報告します。
苦しいコンディションでへばりましたが、駅伝はやっぱり
楽しかったです。)