OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

小笠原ビジターセンターで開催中の「硫黄三島展」見学しました。

2009年06月19日 | 硫黄島・小笠原村
今年は、「おが丸入港(到着)日 = 硫黄島に向かう日」の行きの父島で
PAPAYAで 半日の南島~兄島海中公園 コース(3年連続参加)に参加
しました。

「おが丸出航日 = 硫黄島から到着した日」は、一昨年、昨年は
見ていない父島のスポットを、
「エンジョイ!島ライフ」の「青い鳥@小笠原」が、事前に情報を
下さった上に、当日、ガイドもして下さって、
レンタル・スクーターで、観て回りました。
(後日、紹介いたします。)

スクーターは昨年の父島以来、1年ぶり。
運転免許を取ってから後では、二度目でした。
昨年とほぼ同じタイミングなのに、季候差のためか、
いろいろと違いがありました。
路面に蛙(この辺りにはいない大きさ。轢かれていて、
乾くと「かえるせんべい」になる前。)が目立ちました。

硫黄島戻りでしたが、16日の父島も暑かったです。

乗船のための集合時間13:00の1時間前に、スクーターを
返しました。

「エンジョイ!島ライフ」の日記の
2009.05.30 「ビジターセンター閲覧室」
で、
ビジターセンターについて、読んでいましたので、
立ち寄りたいと思っていましたが
父島に着いた日までは、特別展「硫黄三島展」をやっていることは
知りませんでした。

スクーターを返した時に、
「まだ、ビジター・センターを見ていなかった。」と思い出したので、
急ぎ、見学することにしました。

ゆっくり観ることができませんでしたが、
常設展の方には、昔のヨット(カヌーに帆がついていました。)、
江戸時代からの小笠原の歴史の展示などがありました。

硫黄三島展では、北硫黄と南硫黄の写真もありましたし、
硫黄島については、
戦前の写真も展示されていました。

戦前の硫黄島の写真に関しては、
一昨年と今年は、父島から硫黄島に戻る おが丸 のサロンで、
白布をスクリーンにして、PC(パソコン)に保存してある写真をプロジェクターで投影して見せてくれました。
一昨年と今年(ビジターセンター見学の前日の晩)と同じ写真を
見ました。

テニス、相撲、野球などのスポーツが盛んであったことを示す写真、
遠足、家族写真、寄り合いの写真、産業や施設に関する写真に混ざって、
先生と生徒の卒業式の写真が何枚かありました。

強制疎開前の当時のことをご存知の大先輩方が、解説をして下さるのですが、
昔のことなので、「顔は知っていても、名前がすぐには出ない。」のは
当たり前ですし、
特に、先生、生徒集合写真では、先生の名前は分かっても、
並んでいる生徒の一人一人の名前は、親戚の人でも、見つけて特定するのが
大変です。映写会では、多くの写真が紹介されますので、1枚の卒業写真の
全員をそれぞれ、誰だろうか、とゆっくり見て思い出そうをする時間も
ありません。

その、おが丸サロンでの戦前写真映写会にもあったと思われる同じ
卒業写真が、
なんと!
ビジターセンターに展示されていました。
しかも、写真のどこにうっているのが誰かと言う名前も隣に示したありました。
興奮して、名前を探すと、
硫黄島に残り戦没した親戚、母の従兄弟(=祖父の甥)二人の名前がありました。
急いで、名前の記述してある部分を写真撮影、卒業写真全体、
その従兄弟同士の二人は隣同士でしたので、その二人を拡大した部分、
その二人を含む数人の部分、を写真撮影しました。

卒業写真全体は、ピントぼけ。
二人を拡大したものも古い白黒写真に寄り過ぎでしまい顔がほとんど分からない
失敗になってしまいましたが、
数人の部分を二人を中心に撮影したものは二人の顔が分かるぐらいの
写真に撮影することができました。

大きな収穫でした。

二人は、同じ学年で、同じ18歳で、硫黄島で戦争の犠牲で死にました。
そのうちの一人が、今回訪問の出発前に、「こちらのお墓をお参りしました」
と書いたお墓に、8日(月曜)に行った時に新しい花が活けられていた人
の方でした。


今回の硫黄島訪問には、軍属で残って戦没した親戚の一人(祖父のすぐ下の弟、
35歳で戦没)の長男の方がご夫妻で

と、

ビジターセンターで撮影した卒業写真に写っていた二人の従兄弟同士の
左の方の人の妹(私の母より1年上)
が一緒に参加でした。


二人の従兄弟同士は、隣同士で、卒業写真に写っていました。
仲良しだったと思いますし、同じ年の従兄弟同士で、喧嘩したり
一緒に遊んだり勉強したりして、戦前を過ごしたんだと思います。
18歳で、あの戦闘の中で、なくなった時に、一緒だったのか、近くに
いたのか、などは、分かりません。
どんな苦しい状況が最後の時だったのかも、分かりません。
なぜ、18歳の二人が、、、
どんなに無念だったろうか、、と思うと悔しくてたまりません。


父島を出航した船に戻ってから、写真を、母の従兄弟の人に
デジカメの画面でお見せすると、とても喜んでくれました。
オリジナルの写真も、映写会に使われたPCにデジタル・データで
ありますので、送ってもらえるように、何度も訪島してくれていて
データを持っている、今回ご一緒だった人に頼みました。


もう1枚の写真には、別の学年の母の従兄弟が写っていましたので、
そちらも撮影をしました。


夢中になっていると、
ビジターセンターのスタッフの方と、見学客の方の会話が聞こえてきました。
「上陸できたかどうか微妙と言う情報が、、」というようなお話の
内容でしたので、会話の方に顔を向けて近づきますと、
「硫黄島に行ってましたか?」(日焼けの具合とか、様子が父島観光の
人と違っていたから分かったのでしょうか。)と、声をかけて下さったので、
「一時、二日目は「判断待ち」でしたが、無事に二日とも上陸できました。」
と、お答えしました。

お仕事のお昼休みに見学に来ていたいた、とおっしゃっていた
女性のかたが、「もしかするとブログを書いている人ですか?」と、
おっしゃったのには、びっくりしました。
「ブログには、顔写真は載せてないんですよね?」と、
センターの職員のかたも、驚いていました。

なぜ、勘で、そう思われたのか、分かりませんが、
「エンジョイ!島ライフ」でブックマークしていただいていることから
このブログも見に来て下さっている、「青い鳥@小笠原」の
お知り合いの方のようでしたので、
「さきほどまで、「青い鳥@小笠原」さんに、案内をしてもらったり
していました。」と、申し上げました。


びっくりしましたが、ブログをご覧いただき、
ビジター・センターで声をかけて下さって、ありがとうございました。

今年の硫黄島訪問の様子についても、これから、紹介をしてまいります。


「硫黄三島展」は6月29日までです。
父島在住の方で、まだ、ご覧になっていない方、
観光で父島にいらっしゃる方には、
村役場のすぐ前ですし、時間もそれほどかかりませんので、
ぜひ、「硫黄三島展」を見に行って欲しいと思います。


小笠原ビジターセンターのホームページのURL
http://www2.kankyo.metro.tokyo.jp/sizen/kouen/sisetsu/ogasawara/ogasawaravc.htm

小笠原村観光協会のホームページの ビジターセンター特別展 硫黄三島展紹介の
ページのURL
http://www.ogasawaramura.com/news/visitor/visitor.html

コメント (1)
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