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OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2016年小笠原村硫黄島慰霊墓参(95)硫黄ヶ丘の船見岩(1)

2016年08月11日 | 硫黄島・小笠原村
硫黄ケ丘入口から進んだ場所からの、船見岩です。戦前は本当に船を見ることに使われたことから、この名前になっていて、硫黄ケ丘の中心あたりの場所にあります。この岩の上から海を見て、物資を輸送する船が硫黄島の東西のどちらの港(大きな港はなかったそうですので、着岸できる船も大きくないものだったそうです。)に入るかを島民に合図で伝えて、子供たちを中心とする島民が船からの荷揚げを手伝いに行ったと伝わっています。
今年は、元山出身で里帰りのチームで、一緒にここに来たのは、私たち夫婦と、もう一人何度も参加している人の三人でした。村役場からの付添者としては村議会議長が同行してくれました。
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2016年小笠原村硫黄島慰霊墓参(94)硫黄ヶ丘入口の焼けたタマナの木

2016年08月11日 | 硫黄島・小笠原村
今年の6月12日、硫黄島の一日目、上陸してから慰霊式典に参加してから平和祈念会館で昼食後、午後は、旧島民グループは出身ごとに「里帰り」をします。戦前の家の場所が分かっていたり近づけたりする人たちは家の近くの木々を切って整地したりなどに行きます。私は、戦前に祖父が商店をしていた硫黄島の中心部であった元山への「里帰り」に毎年参加していますが、当時とは地形も変わってしまっていて元山の中心部は現在の滑走路の下と言われていますので、祖父たち家族が住んでいた家に近づくことはできません。当時の元山に一番ちかくて行ける場所である、硫黄ヶ丘に毎年行きます。写真は硫黄ケ丘入口近くの焦げて焼けたタマナの木です。タマナは堅い木だそうです。戦時爆撃などでも焼け焦げたものかもしれませんが、今もくすぶっていますので、この場所の地熱でも焼けていると思います。
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