大きく構えても何も成果が出せないのがこの手の雑誌なのかと思えてきます。
抽象的に分岐点と言い出すのは勝手ですが、現実問題を考えるとこれまでの経緯を説明しておいた方がいいのかと思います。
社民党に見られる衰退は左翼の論法に大きな欠点がありました。
それは自衛権の放棄と取られ兼ねないような平和解釈でした。
自衛権の放棄ではなく、自衛隊を認めて社会党がなくなっても相変わらずの左翼的な政府批判は責任の所在と言うか管理責任を問えるような存在になり得なかったのです。
党名が変わり、人も変わってもリベラルの最終的な損失をどうするのかを説明しきれないのでしょう。
その野党と対峙する自民党ですから、答弁にも国民への考慮を欠く官僚答弁でした。
モリカケ桜に見られた質疑答弁でも日本の国会でしかない問答でまさに時間を浪費された感じがします。
他にもっと日本の為になるような議論をすべきなのにそうならないのです。
本当に価値があるような質疑や効果のある予算措置を検討するよりも選挙対策にならばら撒きの方が好きなのでしょう。
何故こうなったのかと言えば、そう言う報道やワイドショーでそれがメインになってしまったからです。
それも視聴率のせいでした。
本来のスポンサーの意向とは違うのでしょう。
つまり、作り手の意向が優先した結果、騒げば数字になるので誤魔化せると言うだけで視聴者が求める情報や社会的に良いとされるような倫理観とは離れていました。
元々がワイドショーは芸能ゴシップのようなものを追いかけた黒歴史が有りましたからそんなに違和感を感じていなかったのでしょう。
反省に立てば自ずと責任ある政治を志向するのかと思います。
ところが、分岐点に示される中身はやはり次期総裁候補とか路線とかだと推測されてしまいます。
中身のエネルギー問題や物価対策、それに雇用のマッチングとか本質的なテーマを問えば、そこには政治の理解が足りていないようなセンスの無さが有るのかと思いました。
例えば、アベノミクスまでのデフレ不況のような合理化とコスト低減で人員削減してでも会社の都合を優先した結果でしかありませんよね。
これって経団連とかを意識しています。
また、物価が上昇させにくかったのも高齢者の選挙対策でしょうからなんの事はない政治家の思惑によってかなりロスをして来ただけです。
賢い政治家が欲しいのでしょうけど、なかなかそう言う逸材は見つからずに当面凌がなければならないようです。
となれば、今のようなテーマを挙げては議論して頓挫しても良いから兎に角積み上げて行くしかないのでしょう。
そんな最初からこう言う形になると言う概念がある訳でなく、むしろカットアンドトライで試していくしかないのでしょう。
それに既得権を維持させないような仕組みも作らないと格差是正にはならないのかと思われます。
大切なのは国民の方を向いた政治なのですが、なかなか全方向を向く訳に行かないのが現状かと思われます。
特に課題とされるような世代や年収層へのアプローチくらいしても良いのでしょうけど、パフォーマンスをするだけでなかなかそこを解析して対策を考える、または指示して結果を出せるようにはなっていません。
もっとリアルで、現実的なテーマが多いのにそれを議論するだけの経験やお仲間がいないのが政治家の実情かと残念です。