批判をさせるのはお仕事の上でもっともなのですが、これまでの彼女自身の発言も難しい点が多くある事は考えないとブーメランのように批判がかえってきます。
ほぼ、政治学者的な話であっても社会的・国際的に敵を作らないかは別物ですから。
以前のブログを検索して記事を読み返すとコロナの死亡で寝たきり4割とか個人の感情を考えているの?と批判されていました。
また、バイデン大統領の余計なプーチン大統領に関する発言でも制裁の輪を広げるに資さない発言とまで言っていましたが、中国のその後の動きを見れば人権理事会でのロシアの理事をやめさせた時の行動からしてもそれは自己の保身が強い物でした。
つまり、中国が怒るなら別ですが、それ以外なら中国は他人よりも自分中心の考えです。
結局、政治学者の発言なんて理屈に合わせても世の中の流れからすれば殊更に良くは思われないのかと思っています。
舛添要一さんとかもそうなのですが、庶民の感覚とは違って何か現実前提で日本の理想なんて組みしないのかと思います。
他の外交や海外駐在経験のあるジャーナリストの方にしても理屈などは理解しても何かわだかまりがあるのかと思います。
くだらぬ失言に付き合って非難する暇があるなら、本当は本質的に日本の女性の地位向上や経済力向上にアイデアを絞るのが良いのかと思います。
無関係ですが、維新、橋下氏と絡んでいるようではやはり常勝と言うような存在になり難いのかと思います。
王道とでも言って良いのかと思いますが、改革をするにしても大きくやって弊害を残すよりも多数派の中で流れを変えるような存在になり切れるならそれは凄いのかと思います。
堺屋太一さんのような存在にならないのもやはり焦りなのか、それとも思惑なのかは知りませんが、現実的に難しいのです。
今のテレビの撮れ高のような発想で美人、可愛い、爽やか、きめ細かいなどのフレーズが優先して本当はもっと大枠で多数派や庶民的な必要があるのにそれ以外の流れがテレビ等で重用されています。
難しいのは庶民だけど、中身の精度は専門家並みでないと批判されやすい点です。
結論から導けるのはこの手の批判はそこそこ受け入れられ易いが、ドブに片足を突っ込むような真似なのです。
感情論が大半の話題は冷静になってから見直されると総合的に見ればそんなの相手にしている暇があったんだとなります。
学者や専門家ではありませんが、堀江貴文さんも同様に癖が強いですよね。
ひろゆきさんが最近常識に寄せて来ているのに対して我が道を言っています。
そこが稼ぎを求めるのか否かです。
夢を追っている感じの堀江貴文さん同様に未だに三浦瑠麗さんは本質的な問題を解決するような形になりませんよね。
実際の世界の各国の政治や報道も日本以外はこんなに真っ向から向き合うような立ち位置にありませんから。
真っ向から向き合っても所詮マスコミの方が最終的に言い逃げで終わるのかと思います。
時代の流れの中であまりに記録が残るので下手な発想は禁物なのと絡み易いからとネタに乗ると後で揚げ足取りされかねません。
なかなか理想の解説者的な存在が出て来ないのがこの国に問題が累積しているように映る仕組みなんですよね。
因みにくだらん話ですが、こう言う場合語彙力よりも場慣れしてネタを何回も使っているのかです。
最低でも何回か使ったネタなら批判されてブラッシュアップされていますから。
語彙力の無さと言うか、普段からの言葉選びが酷いと失言の多い政治家のように講演会でウケを狙って、または軽いジョークのつもりで発せられます。
それでもこれは酷い例なので絡み易いから仕方ないか?
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