日本時間20日朝のギリシャ戦を終えて、スポーツ紙の論調は、21日は各選手について触れたものが多かったのですが、22日は各社一斉にザッケローニ監督批判一色でした。
まだグループリーグ敗退が決まったわけではないにしても、第3戦のコロンビア戦は、他チームの結果にもよる非常に厳しい条件で戦うことになったのですから、当然といえば当然です。
実は、私は18日おそくとも19日には「ザッケローニの戦争指揮能力の低さを選手がカバーするしかない」というタイトルで、本欄に書き込みたかったのですが、仕事が詰まってしまい書けませんでした。
このあと、その原稿を紹介しますが、その原稿の中に「私が2年前に指摘したザッケローニの戦争指揮能力の低さが、致命的な形で露呈した」というくだりがあります。
そこで、はじめに、2年前に指摘したことを再録する形で紹介します。2012年6月3日に「鳥栖、ユン・ジョンファン監督にみる「監督力」」という書き込みをしています。
この中で、サッカーチーム監督に求められる能力・資質として、
①選手の適性を発掘・察知する能力と、布陣として適性に配置する能力
②対戦チームのスカウティング能力・戦術構築能力
③勝つチームにまとめるモチベート能力
④試合において瞬時の判断・決断を下せる采配能力
⑤対外的に適切な情報発信を行なうスポークスマン能力
の5つをあげています。
このうち、④の項目においてザッケローニ監督について次のように指摘していますので、④項をそのまま再録します。
④試合において瞬時の判断・決断を下せる采配能力
①から③までは深みのある人間性、あるいは知性、カリスマ性といった面で監督を見たが、試合は戦場そのものだ。瞬時の判断・決断の失敗はそのままチームの敗戦に直結する。
戦場での瞬時の判断・決断力は、ある意味動物的な、本能的な部分が持つ能力ともいえる。直感とか、勘といった言葉で語られることもある。ただ、直感とか勘も、チームとして集めた情報を総合的に分析して導かれた方向性があるから判断を間違わないのであり、戦局全体を冷静に見極めていればこそ下せる決断であろう。
最近まで総理の座にあった、どこぞの国の総理のように、瑣末な事に血道をあげて「ソーリのリーダーシップだ」などとわめいているようでは、もし戦場なら何万もの将兵をいたずらに死なせてしまうだろうし、サッカーの試合なら絶対勝てない監督となる。
サッカーチームの監督は、試合に選手を送り出してしまえば、使えるのは交代カードを最適に切ることぐらいだが、実は、このカードの切り方一つで、試合の流れをガラリを変えることができる。
この「選手交代」で凄味を感じたのが日韓ワールドカップで韓国のヒディング監督が見せた采配だ。決勝トーナメント1回戦、イタリアとの試合で見せたFWカードの連続投入、三人目のFW投入の時はディフェンスの要、というよりチームの要であるホン・ミョンポ(洪明甫)を下げての交代である。守備のバランスが大きく崩れることは間違いない、しかし、そんなことを言っても点をとらなければ勝てない、それがわかっていても、なかなか采配でそこまで大胆にやれる監督は少ない。
当ブログは、現在の日本代表監督、ザッケローニさんについて、この部分にやや不安を抱いている。日韓ワールドカップの時の日本代表・トルシエ監督もそうだった。決勝トーナメント1回戦のトルコ戦、戦い方のアプローチも誤りスタメンの選び方を失敗したほかに、選手交代のカードの切り方もまったくダメだった。
結局トルシエさんは育成向きの監督であり戦場を指揮する監督の器ではなかったことが明らかになった。同じ頃、ヒディング監督がああいう采配をしただけに、余計トルシエさんの非力ぶりが際立ったものだ。
ザッケローニ監督にもレギュラー選手を固定しがちな采配が見られる。「戦局が優勢な時にはいじらない」というのがサッカーにおける選手交代の鉄則といわれている。言い換えれば監督としての腕のみせどころは、戦局が危うい時、このままでは負けてしまいそうな時である。
これまでのザッケローニさんは、負けていてもズルズルと決断ができず、残り少なくなってから投入しても、あまりにも遅きに失しているといったケースが散見された。まだ、失敗が許される試合だったから大きな問題になっていないが、いよいよという場面、ここで失敗したらアウトという場面での判断力・決断力には不安が残ったままだ。
以上が、ちょうど2年前に指摘した点だ。
そして、失敗が許されない大会、失敗したらアウトという今大会、私がコートジボワール戦のあとギリシャ戦を前に書き込みを予定していた内容を紹介したい。
予定タイトル「ザッケローニの戦争指揮能力の低さを選手がカバーするしかない」
いよいよ明日ギリシャ戦である。
コートジボワール戦は、私が2年前に指摘したザッケローニの戦争指揮能力の低さが、致命的な形で露呈した。
いざ戦いが始まったら、わずか90分の中で、スタメンに送り込んだ選手の出来不出来を見極め、相手との関係で修正が必要な点を的確に把握する、そして対策をタイムリーに打ち出し目指す結果を得る。指揮官の最後の仕事の部分でザッケローニは不安な監督だ。
手を打つべきタイミングが遅れては元も子もない。
コートジボワール戦において、とるべき対策の第一は、後半開始から、遅くとも後半10分までの間に香川をベンチに下げることにあった。
長友も決して良くなかったが、攻めを期待するのは無理としても守りのことがある。酒井宏樹を長友のサイドで十分使えるのであれば変えたいところだったが、それは私にはわからない。
しかし、香川だけは全く生きておらず、そればかりかボールを失ない相手の攻めを始めさせるミスも多かった。長谷部に代えて遠藤保仁を入れたが、そうではなく香川のポジションに遠藤を入れて遠藤-長谷部-長友という布陣で左サイドを強化すべきだった。
とはいえ、そんなことを言ってもはじまらない。ギリシャ戦もワントップを誰にするかぐらいの違いで、あとはほぼ同じ布陣だろう。
もうザッケローニの采配など必要ないぐらいに選手がやるしかないのだ。スタメンに送り込んだ選手たちが思うように機能せず、何か手を打たなければならない局面を迎えても、ザッケローニには私たちが願うような采配が期待できないと思わなければならない。
まぁ、昨年のコンフェデレーションズカップでは、第一戦のブラジルに完敗したあと、第二戦のイタリア戦で見違えるような試合をした。気持ちの切り替えもできるという。私は選手を信じ応援し、選手たちとともに、そして日本全体のサポーターとともに勝利の喜びを分かち合いたい。 【以上】
以上のように書こうと思っていたが書けないうちに、20日のギリシャ戦を迎えてしまった。
結果、負けはしなかったが勝てなかった。相手が10人になって、ただでさえ堅い守りで定評のあるギリシャが完全に守りに入った試合ではあるが、ここでも、やはりザッケローニの限界が出てしまった。
すでに2年前に指摘した「レギュラーを固定しがちな采配」が極端な形で現れた。カードを1枚余してもサブの選手を使わなかったのだ。つまり彼の頭の中には、「23人連れてきてはいるが、基本的には13~14人しか使う気がない」ということだったのだ。さらにスタメンから香川を外しても、後半、香川を入れる、つまりレギュラー至上主義だ。第一戦を見て、今大会、香川は使えないという「見切り」が彼の選択肢にないのだ。
香川をまた入れたこと、齋藤学を使わずに試合を終えたこと、これでザッケローニはグループリーグを勝ちあがれる力量のない監督ということがはっきりした。
仮にグループリーグを突破できたとしても、それは彼の功績ではなく、誰か救世主となる選手が出現して、さらに他チームの結果にも恵まれるという幸運によるものだ。
いま、これだけは書いておき、コロンビア戦を待ちたい。