「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

ジーコつば吐き事件のルーツとなった試合を振り返ります

2015年01月15日 22時34分41秒 | Jリーグ・三大タイトル
「ジーコつば吐き事件」というのを覚えておられるでしょうか?

Jリーグがスタートした年、1993年、前期を制覇してJリーグ始めてのステージチャンピオンとなった鹿島、その中心がジーコでした。

後期はヴェルディ川崎が制し、年間王者を決するチャンピオンシップは、年が明けて1994年1月に行われました。

第1戦をヴェルディが制し第2戦、レフェリーの判定にフラストレーションをため続けていたジーコは、ヴェルディに与えられたPKでペナルティスポットに置かれたボールに、つばを吐きかける行為に出たのです。

あのジーコが、そのような行為に出たのです。ジーコはレッドカードを受けて退場処分を受けたのですが、つばを吐いたからレッドカードを受けたのではなく「PKを蹴ってよし、という主審の笛が鳴ってからペナルティーエリア内に入ったことに対して警告され、それが2回目の警告だったので、自動的に退場になったということのようです。

そして、つばを吐き、主審を侮辱する態度をとったことで、4試合の出場停止という処分をJリーグ規律委員会が下したのです。

ジーコは退場処分によって、事実上、チャンピオンシップは決したといっていいでしょう。

ジーコの行為に対して、激しい非難が浴びせられました。しかし、シーコが、そのPKの判定だけに不満でその行為に出たわけではないことを、多くのサッカーファンは知っていました。

1993年シーズン全体を通しても、ジーコは審判の判定に対してフラストレーションをためていました。その不満を「有名なチームに有利な笛を吹く審判が相手チームの味方では勝つことができない」などと公言もしていました。

実は、その不満は、すでにJリーグスタート前の1992年から溜まり始めていたのです。そのルーツとなった試合は、Jリーグとして初めてのタイトル戦となった1992年ナビスコカップ準決勝の対ヴェルディ川崎戦です。

1992年10月16日に行われたこの試合でもジーコは、イレブンを鼓舞しながら勝利への執念に溢れたプレーを見せていましたが、個々の選手の力量に勝るヴェルディ川崎が後半19分、ラモス、武田とわたったパスからカズが見事にゴールを決めて先制しました。

その直後、ジーコが奇策に出ます。ヴェルディの選手たちが先制点に歓喜している隙をついてジーコがキックオフして鹿島の選手がゴールを陥れたのです。

しかし、主審はゴールを認めませんでした。自分はキックオフの笛を吹いていないという訳です。ジーコは激しく抗議します。「なぜ、そんなにヴェルディの選手たちに時間を与えるのか、世界のサッカーの常識では、そんなに長く待っている必要はない」というわけです。



ジーコが「有名なチームに有利な笛を吹く審判が相手チームの味方では勝つことができない」などと公言するようになったのは、この試合がルーツといっていいし、有名なチームとは、特にヴェルディ川崎を指していると考えるのが自然です。

1993年前期は、そうした審判の判定に悩まされることなく優勝を果たした鹿島とジーコだったのですが、チャンピオンシップで、またしても審判の判定という悪夢の前に、とうとう怒りを爆発させてしまったのです。

その後、Jリーグの歴史は、鹿島とジーコ、そしてヴェルディ川崎に対して、いわゆる「歴史による審判」を下していきます。鹿島は現在、常勝軍団の名を欲しいままにして、Jリーグに君臨しており、ジーコも日本代表監督を務め、Jリーグ、日本サッカーの功労者として不動の評価を得ています。

一方のヴェルディ川崎は、チーム名に企業名を冠することができないことへの不満、ホームタウンの東京移転に際してのわがまま問題など、Jリーグの理念とは程遠い経営姿勢をとりながら、次第にチーム力を弱め、すっかりJ2が定位置のままとなってしまいました。

ヴェルディ川崎がJリーグ初代チャンピオンに就いた頃、20年後に、両チームがこれほどまでに対照的な軌跡を描くとは、誰が予想できたでしょうか?

また、あの1992年から1994年にかけて、ジーコから「有名なチームに有利な笛を吹く審判が相手チームの味方では勝つことができない」と言われるジャッジをした何人かの審判たちは、この歴史が下した審判をどのような気持ちで受け止めているのでしょうか? 機会があったらぜひ語って欲しいと密かに思っています。




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