当「サッカー文化フォーラム」夢追い人は、自己紹介欄に書いていますように「1993年のJリーグスタートをもって萌芽した日本のサッカー文化を、克明に記録し続け100年先に繋ぎ伝えたいという夢を現実にしたい」という思いで、日々、作業を続けています。
克明に記録したものは、webサイト「ようこそ、サッカーの世界に」にアップして、皆さんに濃密な「日本のサッカー文化」を楽しんでいただくことにしていますが、ここ半年以上は新規のアップがストップしています。
その間、なにもしていなかったかというと、いわば舞台裏のほうで、こつこつと仕込み作業をしている状況が続いています。
NHKの朝の連続ドラマ「らんまん」の主人公、牧野万太郎が毎日ひたすら図鑑用の植物資料を製作しているのを見て、気の遠くなるような作業を続けていることを感じます。
このドラマは、主人公やその妻たちの会話からも、共感する言葉が発せられ、とても刺激を受けています。
ある日の万太郎と妻・寿恵子の会話にこんな場面がありました。
万太郎は、日本中のすべての植物を網羅した図鑑を完成させることを夢見ていますが、果たして、そんなことが実際できるのか不安も抱いていました。それについて寿恵子は「私の愛読書である滝沢馬琴先生の南総里見八犬伝は、全98巻、106冊の大著です。滝沢先生は、それをやり遂げたからこそ、皆が喜んで愛読しているのです。未完ではダメです! 必ずやり遂げてください。」と迫ったのです。
私もハッとしました。人は誰でも何かをやりたいと考えます。けれども途中で辞めてしまったもの、未完に終わったものは評価しようがないことになります。「これをやりたい」と志を立てたなら、どんな困難があっても、どんなに苦しくてもやり遂げて、世に出してこそ、初めて評価の対象になるものです。
寿恵子は続けます。「何年かかっても、どんなに難しくても言い訳してはなりません」
そのとおりです。
史実の牧野富太郎博士が図鑑を完成させたのは78歳になった時だそうです。志を立ててから半世紀以上も時が過ぎた苦難の末の業績です。その間、関東大震災や戦争にも見舞われ、どれほどの困難を伴ったことでしょう。
けれども、志を果たすという「鉄の決意」があって、それはドラマでは妻・寿恵子の後押しがあってのことというわけです。
私などは、初めてからまだ30年、残された時間は牧野博士ほど長くはありませんが、少なくとも、あと10年以上は死ねないと思います。
そして、この会話からはもう一つ、貴重なアイディアをもらっています。滝沢馬琴先生は108冊にも分けて世に出したのですから、あなたも分冊にして、できたら世に出すというやり方をすればいいのです、長い時間がかかっても出し続ければいいというアイディアです。
私もこのアイディアをいただき「日本サッカー文化全集」といった全集をテーマごとにでも何冊かに分けて世に出すことにします。
「らんまん」から受けた刺激について、もう一つご紹介します。ちょうど今朝(9月11日)の放送の中で、万太郎が物思いにふけっているシーンがありました。そして寿恵子にこうつぶやいたのです。「図鑑はもう少しでできるけれど、完成しただけでは、ただの自己満足にしかならない。果たして、この図鑑は皆に愛されるのだろうか? 誰からも愛される図鑑なのだろうか」
これにもハッとさせられました。そのとおりです。自分の手がけたものが自己満足だけのものではなく、誰からも愛されるものにするには何が必要か? という問いかけなのです。
この答えはまだ知りません。明日以降のドラマの中で教えられることでしょう。ですから、この書き込みも未完のまま、一旦終わります。
最後にもう一つ、これは朝ドラから教えられたものではなく、今年8月6日付の産経新聞「古典個展」というコラム欄で、大阪大の加地伸行名誉教授が書いておられた「報告と論文の違い」という文章からのものです。
当「夢追い人」も正直、どういう内容を伴ったものが論文なのか、説明できませんでしたが、加地先生が明快に説明してくださっていました。
すなわち「「朝ドラ・らんまん」の内容をもって学問のイメージを持たれると困るなぁと思いました。牧野博士の仕事は優れた業績で大きな価値のあるものですが、あくまで「植物に関する報告」であって「植物に関する論文」ではないという点を心得ておいて欲しいのです。もちろん優れた報告には大きな価値があって、研究の重要な基礎資料ではあるけれど・・。学者が世に出す「研究論文」とは、さまざまな報告に基づいて、そこから見つけ出すか生み出すかした「新しい見解」を「説」として出す文献でありまして、ただ調べた結果をまとめただけの「報告書」ではありません。」
加地先生は「その点をお間違いないように」と教えてくださったわけで、当方は、目からうろこでした。当「夢追い人」の成果物は「研究論文」ではなく「調査報告書」なのだと、やることが明確になりました。
牧野博士と同じように、後世、サッカー文化について研究したいという研究者が、当「サッカー文化フォーラム」のまとめた報告書を価値ある報告として、新しい見解を見つけ出すか生み出す動機づけにしてもらうことを目指したいと思います。
加地先生は「牧野博士の業績にケチをつけるようなことになっては申し訳ない」という気持ちでいたかも知れませんが、むしろ、このように教えていただいて感謝します。当方は牧野博士を目指します。という者もいるということですね。
克明に記録したものは、webサイト「ようこそ、サッカーの世界に」にアップして、皆さんに濃密な「日本のサッカー文化」を楽しんでいただくことにしていますが、ここ半年以上は新規のアップがストップしています。
その間、なにもしていなかったかというと、いわば舞台裏のほうで、こつこつと仕込み作業をしている状況が続いています。
NHKの朝の連続ドラマ「らんまん」の主人公、牧野万太郎が毎日ひたすら図鑑用の植物資料を製作しているのを見て、気の遠くなるような作業を続けていることを感じます。
このドラマは、主人公やその妻たちの会話からも、共感する言葉が発せられ、とても刺激を受けています。
ある日の万太郎と妻・寿恵子の会話にこんな場面がありました。
万太郎は、日本中のすべての植物を網羅した図鑑を完成させることを夢見ていますが、果たして、そんなことが実際できるのか不安も抱いていました。それについて寿恵子は「私の愛読書である滝沢馬琴先生の南総里見八犬伝は、全98巻、106冊の大著です。滝沢先生は、それをやり遂げたからこそ、皆が喜んで愛読しているのです。未完ではダメです! 必ずやり遂げてください。」と迫ったのです。
私もハッとしました。人は誰でも何かをやりたいと考えます。けれども途中で辞めてしまったもの、未完に終わったものは評価しようがないことになります。「これをやりたい」と志を立てたなら、どんな困難があっても、どんなに苦しくてもやり遂げて、世に出してこそ、初めて評価の対象になるものです。
寿恵子は続けます。「何年かかっても、どんなに難しくても言い訳してはなりません」
そのとおりです。
史実の牧野富太郎博士が図鑑を完成させたのは78歳になった時だそうです。志を立ててから半世紀以上も時が過ぎた苦難の末の業績です。その間、関東大震災や戦争にも見舞われ、どれほどの困難を伴ったことでしょう。
けれども、志を果たすという「鉄の決意」があって、それはドラマでは妻・寿恵子の後押しがあってのことというわけです。
私などは、初めてからまだ30年、残された時間は牧野博士ほど長くはありませんが、少なくとも、あと10年以上は死ねないと思います。
そして、この会話からはもう一つ、貴重なアイディアをもらっています。滝沢馬琴先生は108冊にも分けて世に出したのですから、あなたも分冊にして、できたら世に出すというやり方をすればいいのです、長い時間がかかっても出し続ければいいというアイディアです。
私もこのアイディアをいただき「日本サッカー文化全集」といった全集をテーマごとにでも何冊かに分けて世に出すことにします。
「らんまん」から受けた刺激について、もう一つご紹介します。ちょうど今朝(9月11日)の放送の中で、万太郎が物思いにふけっているシーンがありました。そして寿恵子にこうつぶやいたのです。「図鑑はもう少しでできるけれど、完成しただけでは、ただの自己満足にしかならない。果たして、この図鑑は皆に愛されるのだろうか? 誰からも愛される図鑑なのだろうか」
これにもハッとさせられました。そのとおりです。自分の手がけたものが自己満足だけのものではなく、誰からも愛されるものにするには何が必要か? という問いかけなのです。
この答えはまだ知りません。明日以降のドラマの中で教えられることでしょう。ですから、この書き込みも未完のまま、一旦終わります。
最後にもう一つ、これは朝ドラから教えられたものではなく、今年8月6日付の産経新聞「古典個展」というコラム欄で、大阪大の加地伸行名誉教授が書いておられた「報告と論文の違い」という文章からのものです。
当「夢追い人」も正直、どういう内容を伴ったものが論文なのか、説明できませんでしたが、加地先生が明快に説明してくださっていました。
すなわち「「朝ドラ・らんまん」の内容をもって学問のイメージを持たれると困るなぁと思いました。牧野博士の仕事は優れた業績で大きな価値のあるものですが、あくまで「植物に関する報告」であって「植物に関する論文」ではないという点を心得ておいて欲しいのです。もちろん優れた報告には大きな価値があって、研究の重要な基礎資料ではあるけれど・・。学者が世に出す「研究論文」とは、さまざまな報告に基づいて、そこから見つけ出すか生み出すかした「新しい見解」を「説」として出す文献でありまして、ただ調べた結果をまとめただけの「報告書」ではありません。」
加地先生は「その点をお間違いないように」と教えてくださったわけで、当方は、目からうろこでした。当「夢追い人」の成果物は「研究論文」ではなく「調査報告書」なのだと、やることが明確になりました。
牧野博士と同じように、後世、サッカー文化について研究したいという研究者が、当「サッカー文化フォーラム」のまとめた報告書を価値ある報告として、新しい見解を見つけ出すか生み出す動機づけにしてもらうことを目指したいと思います。
加地先生は「牧野博士の業績にケチをつけるようなことになっては申し訳ない」という気持ちでいたかも知れませんが、むしろ、このように教えていただいて感謝します。当方は牧野博士を目指します。という者もいるということですね。