「サッカー文化フォーラム」夢追い人のブログ

1993年のJリーグ誕生で芽生えた日本の「サッカー文化」。映像・活字等で記録されている歴史を100年先まで繋ぎ伝えます。

「サッカーマガジン」誌ではなく「ZONE」誌登場に思う。

2013年11月25日 17時31分26秒 | サッカー文化

週刊サッカーマガジンが月刊化になり、最初の号が書店に並んだ。といっても宮本恒靖さんが表紙の「ZONE」誌がそれだと気づくまで、少し時間がかかった。

もうお読みになった方と同じ感想だと思うが、週刊サッカーマガジンとはまったく別物になった。サッカー専門誌ということで、いかに月刊化したとはいえ、日本代表やJリーグのレビューやスタッツ、リザルトといった関係の部分を多少は扱うだろうけれど、どのように扱うのかなぁと思っていたら、それらを見事なほど切り捨てた。

しかも、日本国内のチームや人を扱った部分もそう多くはなく「世界の一流フットボールマネジメント」というメイン企画に代表されるように、海外チームや人に焦点をあてたページが多かった。

表紙の宮本恒靖さんが特別編集長ということで、これから、この月刊誌作りに携わるようだ。

バックナンバーとしてはサッカーマガジン誌の通しナンバーである1484号にしてあるが、2014年1月号ということと相まって、基本的には、もう、あのサッカーマガジン誌ではなく、新刊「ZONE」誌登場と気持ちを切り替えたほうがいいようだ。

そこで対策を講じなければならないのが、当サッカー文化フォーラムのアーカイブスの継続性である。やはり試合レビューやリザルト、スタッツといった記録部分をキチンと残していかないと、あとあと困ることになる。

こうなると、週刊専門誌の最後の砦、サッカーダイジェストさんの価値がにわかに高まる。もはや11月7日付けのこの欄で書いたような「文化的な味付けをもう少し・・・」などというわがままは放棄します、レビューやリザルト、スタッツといった部分に特化した形でも構いませんので、よろしくお願いします、という感覚だ。

その「文化的・・・」という点について「ZONE」誌で宮本恒靖特別編集長が、「巻頭のことば」で所感を述べている。

「私がサッカー雑誌で、やりたいこと」と題する文で、宮本特別編集長は「サッカーはこの国でより大きなものになれる。私はそれを信じてやまない。」と特別編集長就任オファーを受けた動機を語った上で、日本のサッカーの発展が目を見張るものがあり、世界のサッカーを取り巻く環境も刻々と変化してきている中で、一貫して変わらないもの、「それはサッカーが文化としてあり続けていること、その重みである。」

そして、サッカー文化の質の高さをまざまざと感じた経験として、2005年コンフェデレーションカップ。ドイツ・ケルンで行われたブラジル戦のピッチで味わったスタジアムと、そこに集う人々の熱狂が醸し出す雰囲気への憧れをあげた。

そして、「この素晴らしさを日本にももたらしたいと強く思った」という。

Jリーグ創設の最大の功労者といっていい川淵三郎初代チェアマンは、いまをさること40年前、場所も同じドイツで味わったサッカー環境の素晴らしさ、そこに集う人々が享受しているスポーツ環境の素晴らしさへの憧れ、そして、この素晴らしさを日本にももたらしたいと強く願った。その思いがJリーグ創設、そしてtoto収益金によるスポーツ環境の整備に結実した。

宮本さんは、ドイツをはじめ世界のサッカーが、川淵さんが憧れを感じた時代から更に進化していて、いわば文化としての質を高めていることに憧れを覚え「この素晴らしさを日本にももたらしたいと強く思った」のだ。

宮本さんは「そのためにはどうするべきか。」と続け、

日本サッカーのレベル向上はいわずもがな、誰でもがプレーできる施設の充実、子供たちへの教育指導などが挙げられるとしながら、加えて大切なこととして、「サッカーを取り巻く人々、環境、ビジネスが互いに影響しあいながら、より高みに向かって洗練されていくことだ。それがこの国の真のサッカー文化の形成につながるのではないか。」と提言している。

サッカー先進国、いやサッカー文化先進国で受けた「カルチャーショック」それは、人が大きなプロジェクトに向かって挑戦しようとする大きなモチベーションになる。宮本さんなら、かつての川淵さんのように、次世代の日本サッカーを大きく転換させるプロジェクトを打ち出し、多くの人々をその旗印のもとに糾合して、大きな仕事を成し遂げていくのではないかと予感させる所感だ。

何よりも、当サッカー文化フォーラムが抱いている夢を、よりリアルに語ってくれていることがうれしい。

宮本さんがおっしゃった、「サッカーを取り巻く人々、環境、ビジネスが互いに影響しあいながら、より高みに向かって洗練されていくことだ。それがこの国の真のサッカー文化の形成につながるのではないか。」という言葉。

私は、これほど簡潔明瞭に、サッカー文化を熟成進化させていく道筋を示した言葉はないと思う。

「サッカーを取り巻く人々」というのは、当フォーラムでも時々書き連ねているように、協会・リーグ・選手・スタッフ・チームフロント・代理人など直接的にサッカー界を動かしている人々だけでなく、サポーター、放送関係などのメディア、ジャーナリスト・カメラマンなど多くの関係者を含めた「取り巻く人々」であろう。

「環境」とはスタジアム環境、それを運営している組織機構、あるいは各チームの練習環境、青少年のプレー環境(単に練習環境のみならず学校とクラブの関係性なども含めての環境)ということであろうし、総合スポーツクラブに向けた取り組みなども含まれると思う。

「ビジネス」とは、放映権ビジネスであったり、選手の移籍市場ビジネス、大規模イベント招致に絡むビジネス、さらにはスポンサーシップであったり、スポーツ用品メーカーのビジネス、マーケティング会社の企画提案ビジネスであったり、飲食からグッズ類まで、ありとあらゆる関連ビジネスということであろう。

それらが互いに、よりよい方向を目指して影響しあうこと、それなくしては、より高みに向かって洗練されていかないことも確かだ。したがって、いかに多くの組織・団体・人々の糾合が必要かということだと思う。

私は思う。すでに日本国内においても、日本代表戦をはじめ、Jリーグチームにおいても、例えば浦和、鹿島、新潟、C大阪など、幾つかのチームの試合においては、宮本さんが2005年、ドイツでのコンフェデレーションカップで味わったようなスタジアムと、そこに集う人々の熱狂が醸し出す雰囲気に近いものが生まれつつあるのではないかと。

つまり1993年のJリーグスタート直後の熱狂とはまた別の、熟成された素晴らしい雰囲気が、幾つかはすでに醸し出されていると思っている。

スタジアムの規模こそ小さいが、仙台や柏、清水などの雰囲気も感動を誘うものがある。

一方で、プロ野球のスタジアムが次々とドーム化されたり、エンターテイメント性も高まり、いわば野球文化が着々と熟成の度を増しているように感じていることも事実だ。

日本には「野球文化」という大きな先行文化があり、なかなかサッカーが伍していくのは難しいのではないか、欧州・南米のようには、なかなかならないのではないかという人も多いかも知れない。

アメリカに四大プロスポーツがあると言われているように、社会が進化して文化の熟成が進めば、日本においてサッカーが野球と並ぶ存在になっても何ら不思議ではないのだ。私が「サッカー文化の殿堂」のようなものをめざしたいと考えているのは、それが少なからず、日本のサッカー文化の現在地を示す道標にできると確信しているからだ。

宮本さんは、日本のサッカー文化を高めていく牽引車になってくれる人だ。何よりワールドワイドの視座でサッカーというものを捉えている。つまり世界の最先端というものを念頭において日本サッカーの、日本のサッカー文化のありようを考えていくだろう。

今回の「ZONE」誌特別編集長就任は、その第一歩と受け止めたい。

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