2月26日のサッカーダイジェストwebに「成果を見せ始めた「岡田メソッド」・・・」というフリーライター・大中祐二氏によるレポートが掲載されました。
岡田武史監督は、8年前から中国の杭州緑城クラブのU-12世代に「岡田メソッド」による指導を続けてきたとのことで、その世代が8年後、U-20世代となって参加した中国版全国大会で優勝し、見事に成果を実証した形になったそうです。
この「岡田メソッド」という指導方法は、2年ほど前に書籍化されて話題になりましたが、今度はYouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として紹介されるとのことです。
こうした岡田監督の取り組みと、今治FCでの取り組みは一見別物のように見えていましたが、ここにきて、実はトップチームにも活かせるメソッドだということで、いまは今治FCが実証の場となりつつあるといいます。
岡田監督の、この長く壮大な取り組みの根っこにあるのは「どうして日本のチームは、強いと思っていても何かの拍子にガタガタと崩れてしまうのか」という根源的な問題に対する解を見出したいという渇望だと思います。
よく語られる日本人の精神性の部分ではないかと思うのですが、ことチーム強化においては育成年代でどう指導すべきか、トップチームではどう指導すべきかを、メソッドとして論理的に、体系的に組み立て、それを現場で実証していく必要があるということで、中国の杭州緑城クラブの取り組みがあり、今治FCでの取り組みがあるというわけです。
こうした岡田監督の取り組みを追い続けるたびに、やはり、私は1997年以降、岡田監督の身に降りかかった一連の出来事を思わずにはいられません。
1997年、フランスW杯アジア最終予選のさなか、突然、岡田監督は表舞台に立たされました。何の心の準備もないまま修羅場に立たされたわけです。
それを「ジョホールバルの歓喜」という形で凌ぎ、次はフランス本大会の指揮をとることになります。そして1998年5月末、いよいよ本大会メンバーとして最終エントリーする23名の中からカズ・三浦知良選手を外すという決断を下します。(ほかにも二人外されましたが)
しかもフランスでは3連敗で終わり、岡田監督に対するバッシングは強烈な形で降りかかってきました。
当時のことを、岡田監督が学んだ経営塾の主宰者・天外伺朗氏が、雑誌の取材に答える形て「自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きという状況になる中、『マスコミ』は私たちと違って『結果』に対して何の責任も持っていないのに・・(中略)つまらない批判、いい加減な報道を繰り返している・・と話していた」と紹介しています。
岡田監督のマスコミ不信、世間不信、ここに極まれりという感じです。
カズ選手を外した決断については、私も当ブログで「いまなお正しい決断だったのか?」と疑問を投げかけ続けていますので、岡田監督に同じことを指摘されそうです。
ご自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きというような事態は、ご家族にしてみたら、恐怖の日々でしたでしょうし、何かを書いてモノ申す的な立場の人間は、厳格に自らを戒めなければらないと思います。
その後の岡田監督は、Jリーグチームの札幌、横浜で成功を収め、オシム監督が病魔に倒れた後の日本代表監督を急遽登板のリリーフ投手のようにして引き受け、2010南アW杯で、決勝トーナメント進出に導くという結果を出して、まさに唯一無二の指導者となりました。
岡田監督は、これほどまでに優れた指導者だったのだと、驚嘆と絶賛の思いを強くしました。
ですから、将来には、さまざまな形で処遇される成功者の道が用意されていくであろうと考えていたのですが、それは私の浅はかさでした。
岡田監督は、協会役員などの名誉ある立場に目もくれず(とはいえ、そのまま在野の人にしておくわけにはいかない日本協会の推薦で、その後、副会長を1期つとめたが)、今治FCのオーナーに就任したことで、クラブ経営の道を選んだかにも見えましたが、それも正確な見立てとは言えませんでした。
ここにきて「岡田メソッド」というプレーモデルの指導法が徐々に認知度を高め、YouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として広まったことで、やっと岡田監督の長く壮大な取り組みの姿が理解できるようになったのです。
岡田監督にとっても、長年の日本チームの課題を解決する土台が作れそうだという手ごたえが出てきたのではないかと思います。
しかし、それにしてもです。
1998年5月のあの日、因縁が交錯した岡田監督と、その対象となった三浦知良選手、その二人は、いまなお日本サッカー界で際立った存在であり続けています。他の選手・指導者たちと比べても、本当に際立った存在だと思います。
こうなったのは、歴史の必然なのかどうかわかりませんが、本当に驚くべきことだと思います。
二人は世界に対しても誇れる日本サッカー界の輝かしい巨星です。
この二人は、おそらく100年経っても語り継がれる対象ではないかと思います。
※なお、本稿は投稿の翌日2月21日に、タイトルも含めて訂正と加筆させていただいております。
岡田武史監督は、8年前から中国の杭州緑城クラブのU-12世代に「岡田メソッド」による指導を続けてきたとのことで、その世代が8年後、U-20世代となって参加した中国版全国大会で優勝し、見事に成果を実証した形になったそうです。
この「岡田メソッド」という指導方法は、2年ほど前に書籍化されて話題になりましたが、今度はYouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として紹介されるとのことです。
こうした岡田監督の取り組みと、今治FCでの取り組みは一見別物のように見えていましたが、ここにきて、実はトップチームにも活かせるメソッドだということで、いまは今治FCが実証の場となりつつあるといいます。
岡田監督の、この長く壮大な取り組みの根っこにあるのは「どうして日本のチームは、強いと思っていても何かの拍子にガタガタと崩れてしまうのか」という根源的な問題に対する解を見出したいという渇望だと思います。
よく語られる日本人の精神性の部分ではないかと思うのですが、ことチーム強化においては育成年代でどう指導すべきか、トップチームではどう指導すべきかを、メソッドとして論理的に、体系的に組み立て、それを現場で実証していく必要があるということで、中国の杭州緑城クラブの取り組みがあり、今治FCでの取り組みがあるというわけです。
こうした岡田監督の取り組みを追い続けるたびに、やはり、私は1997年以降、岡田監督の身に降りかかった一連の出来事を思わずにはいられません。
1997年、フランスW杯アジア最終予選のさなか、突然、岡田監督は表舞台に立たされました。何の心の準備もないまま修羅場に立たされたわけです。
それを「ジョホールバルの歓喜」という形で凌ぎ、次はフランス本大会の指揮をとることになります。そして1998年5月末、いよいよ本大会メンバーとして最終エントリーする23名の中からカズ・三浦知良選手を外すという決断を下します。(ほかにも二人外されましたが)
しかもフランスでは3連敗で終わり、岡田監督に対するバッシングは強烈な形で降りかかってきました。
当時のことを、岡田監督が学んだ経営塾の主宰者・天外伺朗氏が、雑誌の取材に答える形て「自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きという状況になる中、『マスコミ』は私たちと違って『結果』に対して何の責任も持っていないのに・・(中略)つまらない批判、いい加減な報道を繰り返している・・と話していた」と紹介しています。
岡田監督のマスコミ不信、世間不信、ここに極まれりという感じです。
カズ選手を外した決断については、私も当ブログで「いまなお正しい決断だったのか?」と疑問を投げかけ続けていますので、岡田監督に同じことを指摘されそうです。
ご自宅に脅迫状が届き、子供の通学もパトカーの送迎付きというような事態は、ご家族にしてみたら、恐怖の日々でしたでしょうし、何かを書いてモノ申す的な立場の人間は、厳格に自らを戒めなければらないと思います。
その後の岡田監督は、Jリーグチームの札幌、横浜で成功を収め、オシム監督が病魔に倒れた後の日本代表監督を急遽登板のリリーフ投手のようにして引き受け、2010南アW杯で、決勝トーナメント進出に導くという結果を出して、まさに唯一無二の指導者となりました。
岡田監督は、これほどまでに優れた指導者だったのだと、驚嘆と絶賛の思いを強くしました。
ですから、将来には、さまざまな形で処遇される成功者の道が用意されていくであろうと考えていたのですが、それは私の浅はかさでした。
岡田監督は、協会役員などの名誉ある立場に目もくれず(とはいえ、そのまま在野の人にしておくわけにはいかない日本協会の推薦で、その後、副会長を1期つとめたが)、今治FCのオーナーに就任したことで、クラブ経営の道を選んだかにも見えましたが、それも正確な見立てとは言えませんでした。
ここにきて「岡田メソッド」というプレーモデルの指導法が徐々に認知度を高め、YouTubeコンテンツ「岡田メソッドTV」として広まったことで、やっと岡田監督の長く壮大な取り組みの姿が理解できるようになったのです。
岡田監督にとっても、長年の日本チームの課題を解決する土台が作れそうだという手ごたえが出てきたのではないかと思います。
しかし、それにしてもです。
1998年5月のあの日、因縁が交錯した岡田監督と、その対象となった三浦知良選手、その二人は、いまなお日本サッカー界で際立った存在であり続けています。他の選手・指導者たちと比べても、本当に際立った存在だと思います。
こうなったのは、歴史の必然なのかどうかわかりませんが、本当に驚くべきことだと思います。
二人は世界に対しても誇れる日本サッカー界の輝かしい巨星です。
この二人は、おそらく100年経っても語り継がれる対象ではないかと思います。
※なお、本稿は投稿の翌日2月21日に、タイトルも含めて訂正と加筆させていただいております。
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