東北のローカル紙「河北新報」のメルマガからWeb本文を見ると、
60年前の1949年に発生した「松川事件」
の真相究明と世の中から忘れ去られることが無いように伝えて行こうと言う活動が紹介されている。
【松川事件】は、【下山事件】【三鷹事件】とほぼ同時期に起こった、旧国鉄を舞台にした三大怪奇事件で、松本清張氏が追及を続け「日本の黒い霧」の中で取り上げたことで有名な『東北線の列車が転覆事件』である。
背景に、国鉄の大規模人員整理があり、これらの事件を経て、国労などの反対運動が足元を掬われ、結局大量解雇を実行させてしまった。
事件の犯人として多くの組合員や共産党員が逮捕され、国民の中に「事件は共産党の犯行」というイメージを植え付け、解雇反対運動に対する国民的支持を切り崩し運動を分断させるテコとして利用された。
これらが国家権力のデッチアゲによる冤罪であったことは、その後の長期にわたる国民の運動と裁判闘争により明らかになっている。
松本清張氏は、米軍の関与についても言及している。
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河北新報は、この事件を風化させるな!と活動している人々の運動を紹介しており、良心的な報道姿勢だと思う。
また、これと同時に、「松川事件資料室存続へ」と言うニュースも掲載している。
このようなジャーナリスト精神は貴重であると思う。
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松川事件の風化防げ 発生60年、
元被告ら現場訪問
河北新報 2009年10月19日(月)
戦後の三大公安事件の一つで1949年に東北線の列車が転覆した「松川事件」の元被告らが18日、福島市松川町の現場をあらためて訪れた。事件から60年を機に同市で開かれた集会の一環。当時を振り返ることで事件の風化を防ぐのが狙い。
元被告の阿部市次さん(86)は、無罪を勝ち取った記念に現場近くに建てられた塔の前に立ち、レールを外すのに使ったとされるバールが現場近くで見つかった状況や、警察や検察とどんなやりとりがあったかを拡声器で説明。集まった約300人の参加者は、メモを取りながら熱心に耳を傾けた。
現場近くに建てられた塔の前で、松川事件
について語る元被告の阿部市次さん
=18日午後、福島市松川町
目撃者として近隣住民の丹野ミサ子さん(80)も列車が転覆した時の様子を語り、元被告や被害者の一部が松川町の住民だったことを挙げ「松川の町は、ぎくしゃくしてしまった」と述べた。
阿部さんは無罪確定後、現場を訪れ当時の状況を説明する活動を年5、6回しており、現場説明会後に「生き残っている人は少なくなった。事件について語るのは私にとって逃れられない義務のようなもの。これからも真実を訴えていきたい」と話していた。
松川事件資料室存続へ
福島大、研究員と契約更新
河北新報 2009年10月18日(日)
福島市松川で1949年に列車の転覆で3人が死亡し、死刑などを言い渡された被告20人がその後、全員無罪となった松川事件の裁判記録などを所蔵する福島大「松川資料室」の存続問題で、大学は17日までに、担当する研究員との契約を更新し、現状のまま存続させる方針を固めた。
松川資料室は88年に開設され、冤罪(えんざい)事件の研究拠点として高く評価されている。福島大名誉教授の伊部正之さん(67)が研究員として、資料の収集・管理を担っていた。
伊部さんの任期は来年3月で切れるが、後任の確保が難しいことから、大学は任期3年で契約を更新する。2年以内に後継者を見つけ、伊部さんには指導に当たってもらう方針だという。
福島大は、元被告や支援者らでつくる福島県松川運動記念会と資料室に関する協力協定を結び、運営などについて定期的に話し合ってきた。記念会は大学の厳しい財政事情を踏まえ、基金設立も検討している。
福島大では17日、松川事件60周年記念全国集会が開かれ、全国から約1200人が参加した。福島大の今野順夫学長は「裁判員制度が始まり、冤罪事件に関心が高まる中、松川資料室を後世に引き継いでいきたい」とあいさつ。伊部さんや松川事件で主任弁護人を務めた大塚一男弁護士が講演し、事件を原点から振り返った。
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こちらは、赤旗記事
「松川事件60年」に全国から
政治的えん罪 教訓を次世代に
2009年10月18日(日)「しんぶん赤旗」
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オープニングセレモニーで、合唱団と
ともに歌う参加者ら =17日、福島大学
福島県の東北本線松川―金谷川駅間で1949年、列車が脱線転覆し、労働者20人が犯人にデッチあげられた松川事件から60周年を記念し、事件現場に近い福島市の福島大学で17日、全国集会が開かれました。
元被告や家族、弁護団、全国各地で運動を支援した1200人の人たちが集まり、第2、第3会場までいっぱいになりました。
集会実行委員会の大学一福島県松川運動記念会理事長が、「松川運動の原点は、無実の人を殺してはならない、人間として不当なことは許さないという意思の団結。そこをもう一度確認し、次に続く人たちにつないでいこう」と主催者あいさつ。福島大学の今野順夫学長が来賓のあいさつをしました。
元弁護団の一員で、日本共産党の元衆院議員の松本善明さん(松川運動記念会代表)があいさつ。「松川事件は被告や家族、弁護団、作家を含む多くの国民的な大運動の力で政治的えん罪をはらした国際的にもまれな人権擁護の金字塔です。しかし、3人の乗務員の命を奪ったのはうやむやにはできない。真犯人の究明を政府に求めましょう」とのべました。
元被告を代表し鈴木信さんが「元被告も6人になりました。私はあと5カ月で90歳になりますが、命ある限り民主的な日本のために奮闘します」とのべると会場は大きな拍手に包まれました。
このあと福島大学内松川資料室で資料の収集・整理・研究をしている伊部正之名誉教授、元弁護団の主任弁護人を務めた大塚一男弁護士が講演しました。
集会では、松川裁判の供述調書などの裁判資料を保有している法政大学大原社会問題研究所の五十嵐仁所長があいさつし、歴史教育者協議会委員長の山田朗明治大学教授、高橋哲哉東京大学大学院教授らのメッセージが紹介されました。
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【松川事件】
1949年8月17日、福島県の東北本線松川―金谷川間で何者かによって夜行列車が脱線転覆させられ、乗務員3人が死亡した事件。国鉄と東芝の労組員20人の犯行だとして、一、二審とも死刑を含む有罪判決がだされました。被告や家族などの無実の訴えに、作家の広津和郎らや広範な人たちが支援にたちあがり、全国的な「松川事件対策協議会」を結成。大衆的裁判闘争といわれる新しい裁判支援運動の典型をつくりました。最終的に63年、全員無罪を勝ち取りました。