醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  349号  白井一道

2017-03-21 11:00:28 | 随筆・小説

 芭蕉の女性観

華女 句郎君、芭蕉には奥さんがいたのかしら。
句郎 いや、いなかったようだよ。
華女 「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」という芭蕉の句は芭蕉とかかわりのあった女性を詠んだ句じゃないのかしら。
句郎 そう、かかわりがあった女性の追悼句のようだよ。
華女 でも、奥さんじゃなかったのね。
句郎 「数ならぬ身」と思うことはないよ。私はこうしてお前の極楽往生を墓前で祈っているのだから。
華女 その女性は自分を「数ならぬ身」と思うような状況があったということなのね。
句郎 そうかもしれない。寿貞尼と言われている女性なんだ。芭蕉とどのようなかかわりがあったのか杳としてわからない。
華女 芭蕉の寿貞尼に対する思いは熱そうじゃない。
句郎 芭蕉は自分の身の周りにいた人への篤い思い入れを持っていた人なのじゃないのかな。
華女 そうなのかもしれないわね。きっと持てたかもしれないわ。
句郎 でも芭蕉は寿貞尼に惚れていたのかと、いうとそういうことはなかったんじゃないかと思う。
華女 どうして、そんなことが分かるの。
句郎 芭蕉が生きた時代の男たちは地女には惚れなかった。
華女 地女とは何なの。嫌な言葉ね。女性にとって失礼な言葉じゃない。
句郎 確かにそうだね。元禄時代に生きた男たちにとって恋の対象となる女性は遊女だったようだよ。
華女 その当時の男は遊女が恋の対象だったから、寿貞尼を芭蕉が恋したとは考えられないということなのかしら。
句郎 そうなんだ。子を産み育て、おさんどんに掃除、洗濯、家の仕事をする女性を地女と言うんだ。
華女 江戸時代というのは、とんでもない女性差別の時代だったのね。生活を背負った女性には恋をしないとは、何ということかしら。
句郎 生活の匂いがプンプンする女性に男は女を感じなかったということなんじゃないかと思うけど。
華女 そりゃ男の勝手な理屈ね。生活感のある女性こそ女性としての魅力があると私は思うわ。
句郎 生活感もあり、女の魅力を兼ね備えることが当時は無理だったんじゃないかな。
華女 だから、男は生活臭のない遊女のような者に恋をしたというの。
句郎 日常生活のこまごましたことにとらわれることなく、精神的なところで結びつく歓びのようなものを当時の男たちは遊女に求めていたみたい。
華女 とんでもないことだわ。どうして厳しい生活を背負う女性になぜ精神的な結びつきを求めないの。理解できないわ。
句郎 当時の男たちは単に身体的な快楽をだけ遊女に求めていたわけじゃないということを言ったまでだよ。
華女 じゃ、地女に男は身体的快楽を求めることはなかったとでも言うの。
句郎 そのようだよ。当時にあっては、家の存続が一番大事だったから、子づくりとしての営みはあったけれども、快楽を求める営みは遊女に求めたということなんじゃないかな。
華女 許せない話だわ。女の歴史は哀しみに満ちているのね。

醸楽庵だより  348号  白井一道

2017-03-20 11:27:20 | 随筆・小説

 特約店の酒 田酒

侘輔 ノミちゃん、日本三大歓楽街というとどこなのか、知ってるかい。
呑助 どこでしょうね。東京の歌舞伎町は東洋の歓楽街でもあるわけでしょうから、まず第一の歓楽街は新宿・歌舞伎町でしょうね。第二はやはり大阪でしようかね。大阪というとキタでしようか。それとも札幌・ススキノあたりでしようか。第三は福岡・中州でしようね。
侘助 札幌・ススキノが大阪の歓楽街を凌いでいるらしいよ。
呑助 あっ、そうかもしれませんね。
侘助 先日、日本を代表する札幌の大歓楽街・ススキノがえらく寂しくなっているという話を聞いた。
呑助 へぇー、そうですか。
侘助 飲屋ばかりの入ったビルのネオンは点いているが三割ぐらいの店がしか営業していないらしい。
呑助 もしかしたら、消費税増税の影響でしようかねぇー。
侘助 そんなことはないとは思うんだけどね。今、全般的にデパートを初め、消費者の動向に大きな変化が現れてきているらしい。
呑助 日本酒にはどのような変化がでてきているでしょうか。
侘助 もう、十年も前の話になるけれども、野田に大きな酒問屋A商店があったけれども店を閉めた。
呑助 代変わりしてから徐々にダメになったと聞いていますよ。
侘助 そうらしい。小売店に対して横柄だったと。
呑助 小売店に横柄じゃ、売って貰えないですね。
侘助 確かにね。東京に全国展開している地酒の酒問屋・小泉商店がある。
呑助 山形の「出羽桜」や石川の「手取川」を持っている酒問屋ですね。
侘助 うん。そうだ。その酒問屋から去年、抜け出た酒蔵がある。青森の酒蔵「田酒」を醸す西田酒造だ。酒問屋に酒を卸すことを辞め、直接酒販店に卸すことにしたようだ。
呑助 一切、問屋に酒を卸さないんですか。
侘助 そうらしい。日本全国にある百三・四十店の酒販店を特約店にしてここだけに酒を卸すようにしたらしい。一切、問屋との付き合いを止めてしまった。それでも生産が追い付かないようだよ。
呑助 青森の「獺祭」ですね。
侘助 「田酒」というと浅草の居酒屋「松風」を思い出すんだ。「田酒」と「出羽桜」を一杯づつ飲むとそれ以上売ってくれない店だよ。
呑助 そんな居酒屋があるんですか。
侘助 珍しい居酒屋なんだ。「田酒」は飲み飽きしない酒なんだ。綺麗で咽越しがいいんだ。
呑助 はっきりした個性のない酒なんですね。
侘助 そうなんだ。自宅で一人、飲む酒にしては物足りない、そんな感じを私は持っているんだけどね。それが料飲店で飲む酒にしては具合がいいのかもしれない。何しろ、すいすい入っていくからね。料飲店では使い勝手いいお酒のようなんだ。
呑助 料飲店用のお酒なんでしようね。
侘助 酒質が確かに「獺祭」に似ているようにも感じるな。軽快で飲み飽きしない酒だから。「獺祭」も「田酒」も酒問屋に卸さず、特約店の酒屋に卸す。消費者はコンビニやスーパーで日本酒を買うことをしなくなってきている。専門店で日本酒を買うようになってきている。

醸楽庵だより  347号  白井一道

2017-03-19 12:08:58 | 随筆・小説

  獺祭!!!

侘輔 ノミちゃん、最近、山口の酒、「獺祭」が人気のようだね。
呑助 テレビ番組「カンブリア宮殿」で放送されたからね。
侘助 どんな内容の番組だったの。
呑助 中国山脈の山里の人口三〇〇人くらいの町にある酒蔵の酒が東京で売れまくっている。
侘助 本当なのかな。
呑助 本当らしいよ。東京下町にある地酒屋が仕入れるとすぎ売れて無くなってしまう。最近ではお客様一人に四合瓶一本しか売らないらしい。
侘助 へぇー。そんなに売れているんだ。どうしてまたそんなに売れるようになったのかな。
呑助 そこには聞くも涙、話すも涙の物語があるらしい。
侘助 へぇー、どんな物語があるの。
呑助 今の社長が跡を継いだとき、生産石数が七〇〇石、山口県内では四番目の生産石数の蔵、町の人口は三〇〇人、日本酒全体の生産量は長期低落傾向、右を向いても、左を向いても廃業以外に取る道はないような状況だったようだよ。
侘助 山口県の何という所にある酒蔵なの。
呑助 限界集落のような過疎地の町らしい。JR岩国駅から一~二時間に一本しか走らない岩徳線に乗ること四〇分、周防高森駅下車、車で山中に入ること約一五分。猛烈な過疎にあえぐ山村にあるらしい。山間の小さな集落にへばりついて長い歴史を生きてきた酒蔵らしい。
侘助 人口三〇〇人の町じゃ、酒を売るにも買ってくれる人がいないねぇ。
呑助 そうした逆境の中で売れて売れて売れぬく酒を造ったから評判になったらしい。
侘助 凄いことだね。
呑助 凄いですね。
侘助 今の社長が跡を継いだのは、いつごろのことなのかな。
呑助 一九八四年(昭和五九年)。この頃は焼酎ブームが吹き荒れていた。焼酎は少しぐらい飲んでも翌朝、頭がすっきりしている。日本酒は残る。こんな言葉をよく聞いたように覚えている。
侘助 確かにそうだな。第一次オイルショックが起きた年、昭和四八年(一九七三)が日本酒の生産量が最高だった。おおよそ九八〇万石だと言われている。それが現在は三分の一の三四〇万石のようだからね。
呑助 一石という言葉をよく聞くけど一石というのはどのぐらいの量を言うの。
侘助 一升瓶100本でおおよそ一石かな。
呑助 獺祭の酒蔵は、そうすると今から三〇年前、七〇〇石だったというから一升瓶で七万本の生産量だったんだ。それが今年は五万石の酒を生産するという話ですよ。
侘助 五万石か。一升瓶で五〇〇万本の酒が売れるようになったという訳だな。凄い。凄いね。
呑助 生産量が七〇倍以上に伸びたんですからね。人口三〇〇人の山間の過疎の町に十二階建の蔵を建てているそうですよ。パートを合わせると従業員が一〇〇名だそうですから、町の人ほぼ全員が獺祭を醸す旭酒造の従業員といってもいいぐらいですよ。
侘助 老人、子ども合わせて三〇〇人の町だからね。
呑助 そうですよ。社長は町のお殿様ですね。

醸楽庵だより  346号  白井一道

2017-03-18 10:53:25 | 随筆・小説

 三々九度とは

侘輔 ノミちゃんはもう三々九度は済んだのかい。
呑助 いや、まだなんですよ。せっつかれてはいるんですがね。
侘助 誰に。
呑助 いやー。言わなくちゃだめですか。
侘助 そういうわけでもないけどね。どうなの。
呑助 女にですよ。はっきりしてよと、逢うと言われるんですよ。
侘助 おお、ノミちゃん、隅におけないね。それも二・三人の女に言われているのかな。
呑助 いや、そんなことはないですよ。もちろん、二・三人ですかねと、言いたいところですが、高校の時からの女友だち一人からですよ。
侘助 長い付き合いだね。女としてもそろそろという気持ちになっているのかな。
呑助 そうかもしれませんね。
侘助 今じゃ、三々九度というと神社での婚姻の儀式の一つになっているけれども、三々九度というのは昔の酒の飲み方だったそうだよ。
呑助 へぇー、そうなんですか。どうしてまた、
侘助 昔と言っても室町時代の頃だそうだがね。その頃はお酒を普段に飲むことなんてできなかった。神社の祭礼、例えば千葉県の北部、このあたりでは今でもオビシャが行われているよね。
呑助 農家が中心みたいだけれど、街場でも古いお店が集まる飲み会をオビシャと言っているね。
侘助 もともとオビシャというのは年頭に弓を射ってその年の豊凶を占う神事だったそうだよ。
呑助 へぇー、そうなんですか。酒飲みと神事というのは切っても切れない関係なんですね。
侘助 神様の意向を伺い、聴いた後の直会(なおらい)が神様に捧げたお酒を下げ、頂く行事だったらしい。
呑助 人によっちゃ、飲み会のことを直会という人がいますね。
侘助 そうかい。昔は一人一人の杯というものがなかったらしい。大きな杯に並々とお酒を注ぎ、回し飲みした。参加する人の数にもよるが、おおよそ三回まわると大盃のお酒が無くなった。仲間の数が多くなると大盃を二つ用意した。一つは右回り、もう一つは左回りという具合に行ったようだ。一つの大盃のお酒が無くなるまで飲むことを一献といったそうだ。この大盃に三回お酒を並々と注ぎ、飲み干すことを三々九度といったらしい。
呑助 そういうのが三々九度の始まりですか。
侘助 大盃が回ってきたら、三口お酒を飲むのが仕来りだった。
呑助 そうですか。みんな自分の番になったときはガブッと大口あけてたっぷり飲んだんだろうな。
侘助 もちろん、この時とばかりに皆、たっぷり飲んだじゃないかと思うよ。だから、酩酊する人が多かったそうだ。
呑助 当時の人にとってはオビシャのような行事の時にしかお酒は飲めなかったんですかね。
侘助 そうだと思うよ。ほとんどの人がお酒を一人で晩酌するなんていうのは日清・日露の戦争後のことのようだよ。
呑助 それはどうしてですか。
侘助 戦争に行った兵隊たちにはふんだんに酒を軍隊は飲ましたんだ。大半の兵隊は戦争で酒を覚えたんだ。明日の日がない兵隊たちはぐでんぐでんになるまで酒を飲んだ。

醸楽庵だより  345号  白井一道

2017-03-17 11:29:18 | 随筆・小説

 短歌と俳句、違いは?

 短歌と俳句の違いについて考えてみたい。
 短歌は三一字の文字が文学世界を創りだす。この文字数が一七字に減少すると世界に質的変化が起こる。まさに弁証法である。量的変化が質的変化を起こすのである。どのような質的変化が起きるのかというと歌から句になるのだ。三一文字は歌うことができるが一七文字では歌うことができない。だから書く。懐紙に書く。書いたものを読んで味わう。「黒冊子」に芭蕉の言葉がある。「発句の事は行きて帰る心の味(あじわい)也」。この言葉は読んで味わうことを意味している。
 和歌には無意味な約束事がたくさんあった。無意味な約束事など暇な特権階級の人々でなければ覚える事などできなかった。文字を覚えた庶民はその無意味な約束事を笑った。それを談林俳諧という。この中から芭蕉は生まれてくる。貴族や武士の文芸であった和歌を庶民が笑った。その中か
ら庶民・平民の文芸・俳句が生まれてくる。
 談林派の俳諧は和歌の無意味な約束事を笑った。笑うだけで面白がったが文学には程遠かった。しかし、新しい文芸のあり方を創りだした。その一つが記名のあり方だ。和歌の作者には姓を書く。姓には差別がある。奈良時代からの伝統的な差別がある。高貴な姓と身分の低い姓がある。姓を
得ることのできなかった民衆は名を書く以外に道は無かった。その伝統は今に伝えられている。子規、虚子、蛇笏などと俳人といわれる人々は名で呼ばれている。この伝統は俳句が庶民、民衆、平民の文芸であることを意味している。
 俳句発生の端緒となった談林派の俳諧は笑い、その笑いは卑俗なものであった。卑俗なものではあっても笑いはいつの時代も民衆の武器であった。特権階級の乙に澄ました文芸を笑い溜飲を下げたが文学にはならなかった。
 五七五の一七字、簡単に誰でも文字が書ければ書くことができる。俳諧とは数人が集まり、五七五と書いた人の発句に七七の脇句をつける。このような座を組んで詠んでいくのが俳諧である。
 談林俳諧が普及すると日本全国いたる所に俳諧を楽しむ庶民が生まれてくる。いつの時代も庶民は笑いを求めている。書く文芸、俳諧の普及は日本人の識字率を大いに引き上げた。日本人の教養を大いに引き上げたことが想像できる。
 俳諧の普及の中から卑俗な文芸であったものを文学にまで引き上げたのが芭蕉である。芭蕉は現在の我々が考えるような文学者ではなかった。あくまで俳諧師以外の何者でもなかった。だから連歌の掟を俳諧師は踏襲した。「発句は必ず言い切るべし」という鎌倉時代の連歌書、「八雲御抄」にある掟を守った。この掟を芭蕉は和歌から完全に独立した証とした。五七五だけで独立した文学世界の誕生であると主張した。
 「切れ」が新しい文芸ジャンルを創りだした。だから俳句にあっては季語よりも「切れ」が俳句をして俳句たらしめているものなのだ。子規は「古池や」の句は季感の感情がないと述べている。芭蕉は発句にあっては季語より「切れ」を重視していたのだ。季語とは和歌によって創られた季節感を表す言葉なのだ。
 発句が俳句として普及していくと季語というものが俳句の属性として定着していく。短歌には季語がないがそれ自身に季節感がある。

醸楽庵だより  344号  白井一道

2017-03-16 11:08:39 | 随筆・小説

 芭蕉は自然の風景を発見したのか

句郎 芭蕉は平泉から一関まで戻り、新緑のブナ林を通り、岩手山・鳴子温泉を経て尿前の関を越え、出羽の国に出ている。
華女 新暦の六月の頃のことなのでしよう。
句郎 そうだね。きっとブナや楢の落葉広葉樹の新緑に包まれて狭い道を歩いて行ったんだろうね。
華女 それにしては新緑の雑木林を詠んでいる句もなければ、文章もないわ。どうして書いていなのかしら。不思議ね。
句郎 特に東北地方の新緑はブナ林の風景が美しいと言われているみたいだから。本当に不思議だよね。どうしてなんだと華女さんは思う?
華女 目に入らなかったということはないんでしようから。どうしてかしらね。分からないわ。
句郎 ブナ林などの雑木に美しさを感じなかったのかもしれないよ。
華女 そなことってあるのかしら。桐や藤の花が咲いていたかもしれないわよ。新緑の憾満ガ淵には桐や藤の花はなかったけれども美しかったじゃない。綺麗だったわ。
句郎 本当に雨に濡れた青葉に心が洗われた思いがしたよ。大谷川の水音が良かった。清々しかった。
華女 街中を少し入ったところに別世界があると感じたわ。
句郎 芭蕉はブナ林の自然風景に接しながら、その風景の美を発見できなかった。そのようなことを言っている人がいるんだ。
華女 へぇー、そんなことを言っている人がいるの。
句郎 市立図書館の棚を眺めていたら、内田芳明という人の『風景の発見』という本を見つけたんだ。面白そうだと思って読み始めたんだ。
華女 内田さんは何と言っているの。
句郎 例えば『奥の細道』への旅立ちの句「行春や鳥啼魚の目は泪」という句は鳥や魚に別れの哀しみを詠っているが、その哀しみは芭蕉の気持ちを表現している。自然の風景としての鳥や魚を詠っているわけではない。無常という主観を述べている。客観としての自然風景を詠ってはいない。
華女 確かにそうね。でも「五月雨の降のこしてや光堂」と中尊寺で詠んだ句はどうなのかしら。光堂という客観的な建築物への感動を詠んでいるように私には思えるけれど。
句郎 そうかな。僕にはこの句も芭蕉の主観、不易なるものとしての「光堂」を詠っているように思う。
華女 「光堂」の客観的な美、そのものをそのものとして詠うのではなく、主観的な生の哀れや侘びを詠んでいるというわけなのね。
句郎 そうなんだ。芭蕉は存在する自然や人間すべてのものに無常な生の現実があることを発見し、詠った。この無常なる生の現実に不易なる真実を表現したのかな。
華女 難しくなってきたわね。要するに、芭蕉は自然の風景を詠んでも自然の風景そのものを客観的に詠んではいないということなんでしょ。
句郎 内田さんはそういうことを言っている。
華女 句郎君はどう思うの。
句郎 僕も内田さんの主張に納得してしまったんだ。だって芭蕉は西行や宗祇の目を通して自然を見ているように思うんだ。だから自分で自分独自の対象を発見し、自分自身の目で見たことを詠んではいないように思う。芭蕉はまだ中世文学世界の住人だった。

醸楽庵だより  343号  白井一道

2017-03-15 10:50:32 | 随筆・小説

 世界文化遺産となった和食

侘輔 「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコ無形文化遺産に登録されたということは日本食が世界文化遺産として世界に認められたということだよね。そうだろ、ノミちゃん。
呑助 ワビちゃん、日本食って、凄いんだね。
侘助 日本食がこんなに世界に認められた理由は何だと思う。
呑助 それは日本食が健康に良いからなんじゃないの。世界一の長寿国だしね。そうでしょ。日本食を世界無形文化遺産にしたもの、そのもとになったのは日本酒造りの文化が決定的に重要な役割を果たしているんだ。
呑助 へぇー、日本食の味と日本酒とはどんな関係にあるのかねー。
侘助 日本食の味のもとになっているのは、出汁(だし)にあるんだ。この出汁を作るのは昆布と鰹節だろう。
呑助 その昆布と鰹節の出汁で作った味噌汁はうまかったな。俺が子供の頃おふくろは削り節と昆布で出汁を採っていたのを覚えているよ。粉末の味噌汁の素とは味が違っていたように思うね。
侘助 そうだろう。昆布と鰹節で採った出汁がどうておいしいのかというと、それは昆布も鰹節も熟成したものを使っているからなんだ。熟成したものというのはカビの生えたものをいうんだ。
呑助 へぇー、カビなんだ。カビというと毒、そんな思いが強いけれどもねぇー。カビか。
侘助 そうなんだよ。カビはもともと毒だったんだ。その毒を無毒化し、旨味を作り出すカビにしたのは酒造りをしていた者たちだったんだ。酒造りはまず、蒸した米に麹菌を撒き、カビを繁茂させるでしょ。それを麹と言っているわけだけどね。そのカビが米のでんぷんをブドウ糖に変える。ブドウ糖を酵母が食べてアルコールをだす。そのアルコールが日本酒だ。
呑助 そんな技術を昔の日本人はどのようにして手に入れたのかね。
侘助 甘い水があれば、その水は酒になる可能性を持った水なんだ。その甘い水に酵母が入れば酒になる。原始の人は自然の中に酒を発見した。同じように炊いた飯米にカビが生え、その飯が甘くなることを知る。その偶然を意識的に作り出そうと試みたわけなんだ。
呑助 そりゃ、長い年月がかかったことだろうね。
侘助 もちろん、数千年かかったことだろうね。カビとはもともと毒だったんだから。その毒のカビの中から旨味を作り出すカビを作り出していったのだからね。それも経験を蓄積し、経験に経験を繰り返してカビづくりをした。
呑助 カビとはデンプンを糖に変えるものだよね。
侘助 そうだよ。そのカビが大豆のでんぷんを糖に変えると醤油や味噌になる。穀物のでんぷんを糖に変えると酒や酢になる。昆布に生えると熟成した昆布になる。魚のカツオに生えると鰹節になる。そのカビをアスペルギルス・オリゼというんだ。
呑助 へぇー。なんか、難しい名前だね。そのオリゼとかいうカビが日本食の味を作っているということなのかね。
侘助 そうなんだよ。アスペルギルス・オリゼというカビがわれわれの祖先が作り出した物なんだ。

醸楽庵だより  342号  白井一道

2017-03-14 11:16:51 | 随筆・小説

 芭蕉の人情句

侘輔 ノミちゃん、芭蕉はなかなか酒と女にはうるさかったって知っている。
呑助 へぇー、芭蕉さんと云えば、清貧に生きた詩人というイメージがあるけれどもね。
侘輔 そうでしょ。芭蕉は私のように上品に酒と女を楽しんだんですよ。ノミちゃんのように酒もだらだら、女にもだらだら、こうじゃなかったんだ。
呑助 冗談じゃない。私ほどけじめのしっかりした人はいないと思いますよ。ワビちゃんなんか、どうなの。いつももう一軒行こうか、言うから私が付き合ってやっているということを忘れてもらっては困りますよ。
侘輔「うちかづく前だれの香をなつかしく」と桂(けい)楫(しふ)が詠んだ句に芭蕉は「たはれて君と酒買にゆく」と付句をしている。
呑助 「うちかづく」とはワビちゃん、どんな意味なんだい。
侘輔 前垂れを被ると、いう意味だよ。飯盛り女は赤い前垂れをしていたんだ。もちろん、その女を所望すれば二階に上がって、楽しめたんだ。だからその赤い前垂れを被ると女の匂いが懐かしいという意味だよ。
呑助 飯盛り女の赤い前垂れを被ると懐かしい匂いがする。俺はしたことないけど、分かるような気がするな。女がほしい男の気持ちが出ているね。
侘輔 女の赤い前垂れを被って遊んでいる男を見て芭蕉は「たはれて君と酒買にゆく」と付けた。
呑助 「たはれて」とは何なの。
侘輔 戯れて君とは女だよ。飯盛り女といちゃつきながら酒買いに行く。もう少し、あなた、お酒飲みたいわ。そうだね。じゃ、行こうか、ふらついた足の男と女が、だめよ、だめよ、そんなことしちゃ嫌、恥ずかしいわ、なんて言われながら、酒屋に向う。
呑助 若かった頃、思い出すな。俺にもそんなことしたような記憶があるな。女が放さないんだよ。しかたなくいつまでもいちゃついていたような気がするな。
侘輔 そうでしょ。どこにけじめがあったって言うの。でれでれしているでしょ。それがノミちゃんじゃないの。
呑助 芭蕉も買った女とそんなことをしたんでしようね。そうでなけりゃ、こんな句をつくれるわけないなぁー、そう思うね。
侘輔 俺もそう思うね。ただ芭蕉が偉かったのは、そんなだらしない、みっともない自分をもう一人の自分がしっかり見ていたということかもしれないよ。
呑助 赤い前垂れの匂いが懐かしいと、言ってるところが、何か、許せるというか、良いじゃないのという気持ちにさせるね。
侘輔 俺もそう思う。飯盛り女と、見下したところが感じられない。女を愛しく思う気持ちがこの句から感じられるでしょ。
呑助 そんなところがこの句のいいところかな。
侘輔 俳諧というのは座の文学だというでしょ。五七五と詠むと次の人が七七と詠む。笑いがある。その七七の句に新しい世界の五七五を付ける。うーん。なるほど、困ったなぁー、どうしよう、できた、できた。その場に笑いが起きる。
呑助 俳諧というのは、けっこう、下世話なものを上品に笑う遊びなんだね。
侘輔 それが遊びさ。

醸楽庵だより  341号  白井一道

2017-03-13 11:18:58 | 随筆・小説

 酒を讃える大伴旅人
 
句郎 万葉集に酔いの楽しみを詠った歌があるのを華女さん、知っている。
華女 万葉集にそんな歌があるの。全然知らなかったわ。誰が詠っているの。
句郎 万葉集の歌人というと、華女さんが知っている歌人は誰?。
華女 高校生のころ、習った人でいうと、貧窮問答歌の山上憶良とか、柿本人麻呂、額田王、大伴家持といったところかな。
句郎 「春の苑紅におう桃の花下照る道にいで立つ乙女」。誰の歌だったか、覚えている?。
華女 失礼ね。私は有名大学の日文科出身よ。もちろん、知っているわよ。大伴家持でしょ。
句郎 そう、その家持の父親が大伴旅人だ。この大伴旅人が大宰(だざいの)帥(そつ)だったときに詠んだ中に酒を讃(ほ)むる歌があるんだ。
華女 どんな歌なの。
句郎「驗(しるし)なき物を思(おも)はず一坏(ひとつき)の濁れる酒を飲むべくあるらし」という歌なんだ。
華女 「驗(しるし)なき物」って、どんなものなの。
句郎 成果のでないもの、考えても甲斐のないものというような意味のようだけどね。
華女 それじゃ、思っていても仕方がないようなときには酒でも飲んで気を紛らした方がいいと、いうような歌なの。
句郎 おおよそ、そんな解釈でいいと思うけどね。
華女 男って、昔からだらしがななかったのね。苦しいときに男は享楽的になるのね。
句郎 この歌を享楽的なものだと解釈するのは疑問だね。
華女 なぜ、この歌は酒でも飲んでどんちゃん騒ぎをして楽しめば憂さもはれるという歌じゃないの。
句郎 そうじゃないんだ。哀しみに耐えている歌なんだ。旅人は大宰府で妻を亡くしている。亡くなった妻をいつまで思っていても、亡くなったものはしかたがない。更に大伴氏は宿祢(すくね)という姓(かばね)を持つ天孫降臨の氏にして大和朝廷の大貴族だったんだ。その氏族の長であった旅人にとって藤原氏の台頭によって大伴氏は衰退していっている。この哀しみがあった。このようなことをいつまでも悔やんでいても、どうなるものでもない。親しい仲間とお酒を楽しむ。酔いの楽しみに生きる力を育もうというような意味だと思うけれどもね。
華女 やっぱり、そうじゃない。哀しみを忘れるために酔っ払おうというんじゃないの。違うの。
句郎 うーん。難しいな。「哀しみを忘れるために酔っ払おう」というのじゃないと思うんだ。「一坏(ひとつき)の濁れる酒を」飲んでどんちゃん騒ぎをするのじゃなくて哀しみに耐えようという気持ちを表現しているように考えているんだけどね。
華女 句郎君がそういう気持ちはわかるような気がするわ。そういって、句郎君もまたお酒を飲もうというのじゃないの。高尚そうな理由をくっ付けてみても、ようはお酒を飲みたいわけよね。それにつきると私は思うわ。
句郎 お酒を楽しまない人には酔いの楽しみがいかに大事なものかわからないのかもしれない。
華女 何言っているの。

醸楽庵だより  340号  白井一道

2017-03-12 13:52:04 | 随筆・小説

 消費税は公平か?

 「消費税とは弱者のわずかな富をまとめて強者に移転する税制である。」
 このように斎藤貴男は「消費税のカラクリ」という講談社現代新書の中で主張している。この本を読み進み、このような言葉に出会うと納得するのである。
 年金生活者の私にとって年金額すべてを消費する。それでも足りない。それが実態である。預金など年金ではできない。収入である年金の8%は消費税という税金である。収入の多い人は収入のすべてを使い切ることはないだろう。収入の二十%いや三十%ぐらい預金するかもしれない。この預金には課税されない。収入の全額に課税される年金生活者のような人と収入の何十%かに課税される収入の多い人がいる。これは不公平である。
 今まで消費税ほど公平な税制はないと思っていたのは間違いであった。消費税は消費した人すべてに公平に課税される。だから公平だと新聞やテレビで言われているからそうだなと思っていたのが間違いのもとであった。預金に課税されては年金生活者は泣きっ面に蜂である。ここに落とし穴
があったのだ。
 我々年金生活者の雀の涙ほどの預金は回りまわって投資されるようだ。投資されることによって利子が付く。今では子供のお年玉にもならないような利子が付く。このように投資されるからこそわずかばかりの利子が付く。それでもこのようなお金があってこそ経済は成長・発展していくのだという。投資するお金の原資は預金なのだから投資したお金に課税するのはどうか。投資して得た富に課税するのは間違いだという結論になるという。なるほどねー。このような主張をする財政学者がいる。それらの人々は法人税は零にすべきだとも主張している。投資の結果得た富に課税するのは間違いなのだから。なんと恐ろしい結論なのか。
 法人税減税と消費税の導入は一枚の紙の裏と表の関係にあったのだ。だから財界は消費税導入を強く主張するわけだ。
 財政とは国民所得の再分配だと教わったがそれを壊す税制度が消費税だったのだ。このことを構造改革という言葉で表現していたのだ。この言葉で国民を騙したのだ。
 消費税を社会保障の財源にする。納得してしまいそうである。この言葉にも今までの財政のあり方を大きく変える毒饅頭が仕込まれている。社会保障とはそもそも収入の多い人からたくさん税金を徴収し、収入の少ない人の生活を保障する。ここに社会保障の基本がある。これを公助という。この基本を壊す税制が消費税なのだ。消費税はすべての人に平等に課税されるので年金生活者のような収入の少ない人にも課税される。だから自助もしくは共助ということになる。だから消費税を社会保障の財源にするという言葉は社会保障を公助から自助もしくは共助にするということを意味しているのだ。
 さすが財務省はずる賢い。政治家は毒饅頭を国民に食べさせる役割を担い、弁舌の爽やかさで国民を騙す。
「税と社会保障の一体改革」。上手いコピーだ。きっと大手宣伝会社のコピーライターが作った宣伝文句なのかもしれない。
 「消費税増税は待ったなし」と言った野田民主党政権の「偉業」を安倍政権は継承している。