ついにやった!
男子より先に世界のトップに立ったのは女子テニスプレーヤー大坂なおみ選手だった。
全米オープンと言えば、世界4大大会の一つで、決勝では米国女子プロの女王セレーナ・ウィリアムズに完勝した。
試合の勝敗が決まった直後に、大坂は涙ぐんでいたが、大坂にとってセレーナはテニスを始めた時からの憧れの人だったのだから、感極まったのだろう。
父親の強い勧めがあったようだが、姉のあとについて3歳から始めたテニスは苦節17年で世界の頂点の一角に立った。
17年は長いのか短いのか判然としないが、アスリートの世界ではフィギュアスケートの羽生結弦選手や水泳の池江理香子選手のように10代で世界のトップに立つことは稀ではない。
最近はとみにそのような境遇のアスリートが多くなってきたように思われる。
譬えて言えば「鼻先にぶら下がったニンジンを必死に追いかける競走馬」で、アスリートの世界は目標がタイムだったり、相手選手との競争だったり、非常に分かり易いのが特徴で、学問や文化芸術の分野と大きく違うところだ。
さらに特徴的なのが、家族の応援が不可欠ということである。
自分たちの身の回りにも多く見られるように、子供がやれ野球の練習だ試合だ、サッカーの試合だ遠征だという時に、大概の親は一緒について行って応援をする。またそれなりの準備や世話をしている。また、馬鹿にならない費用も負担している。
大坂なおみ選手も勝利後のコメントで、「お母さんが犠牲になって、一生懸命サポートしてくれたのが、ありがたかった」と言っていたが、この人の母親はまず黒人である父親との結婚に反対され、テニスのプロを目指すようになってからはスポンサーを探して契約したり、金銭的に苦労し、そのうえで普通の母親のように世話を焼いてくれたそうだ。
だが、母親は自分のしたことを「犠牲だった」とは露ほどにも思わなかったろう。自分の子が自分の進むべき道を決めた以上、そのサポートをするのは当然であり、むしろ喜び(快感)ではなかったか。
子供が思うようにいかなかった時でも、むしろ「私の世話が足りなかったのでは?」とか「もう少し励ましてあげればよかった」とか自分を責め、しかもそれを子供には気付かせないように配慮するのが母親というものだ。
これが父親ではそうはいかない。子供の成績が不調ならすぐに叱るはずだ。特にアスリートの男親はその点厳しいだろう。ビンタやゲンコツが飛ぶかもしれない。
同じアスリートを励ますにしても、このように男親と女親とでは大きく違ってくる。どっちがより子供を伸ばすかは、アスリートの種目にもよるが、おおむね母親の応援の方だろう。
要するに母親の結論(勝敗)を急がない粘り強いサポートの方が、長い目で見た場合、子供の心には効いてくるものだ。心の安定こそが勝負強さの根源なのだから。
昔風に言うと大坂選手の母親は「子供に尽くした」わけで、このように存分に尽くした親は、やがて子供から尽くし返される(孝行される)だろう。