9月1日の防災の日から数えて5日目の夜中、北海道南部の胆振(いぶり)地方で震度7の大地震が発生した。
9月5日午前3時8分、胆振地方の厚真町が震源で、マグニチュードは6.7とさほど大きくはなく、震源の深さも37キロと深かったのに、揺れの方はすさまじかったようだ。
内陸直下型地震の特徴はここにある。
直下型の場合ユッサユッサと大きくゆっくり揺れるのではなく、ガクガクと小刻みだが振幅は同じように大きいから、地上の建物にしろ崖にしろ崩れやすくなる。
机の上に牛乳パックを立てて置き、机を揺さぶるときにゆっくり揺さぶってもなかなか倒れないが、振幅は同じにして今度は早くガクガクとゆすれば簡単に倒れるのと同じ理屈だ。
今度の断層は深かったので、果たして予測の範囲に入っていたのかどうか不明だが、同じような地震は首都圏内でも起き得る。
今回の震度7は北海道、一昨年4月の震度7は熊本県と、日本の南北はるかに離れた箇所で起きているので、何ら関係ないようにも思われるのだが、4つのプレートが重なり合う関東地方に影響を与えないはずはない。
もし今回と同じ規模の直下型地震が首都圏で起きていたら、津波による被害はごく限られるにしても、建物の倒壊と火災による被害は想像を絶するものになるだろう。
国家機能マヒに近い惨状が現実のものになるかもしれない。
その前に早く霞が関官庁や大手企業の本社機能を大幅に「疎開」させる必要がある。
自分としては皇居の移転、すなわち京都御所への「還都」を真っ先に行って欲しいと思っている。
もともと明治天皇を江戸城に据えたのは、幕府政治を完全に終わらせるための象徴だったのであり、もうとっくにその必要はなくなった。
明治憲法下で、天皇は陸海軍の元帥だったわけだが、そんな江戸幕藩体制の武力主義の延長のような恰好は、少なくとも平安京に御所を構えてからの天皇には全く似つかわしくない。江戸城内の皇居ではどうしてもその武断のイメージが付きまとう。
明治天皇自身、京都御所での穏やかな青少年時代をいつも懐かしんでおられたという。
京都府民も「明治維新後の世の中の混乱を鎮めるために、新政府に天皇さんをお貸ししていただけやから、早う返しておくれやす。こちらの方が安心でっせ。」と言うべきだ。
御所だけあって中身がないのは様にならない。皇居あっての世界の京都ではおまへんか?