鴨着く島

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沖縄戦全戦没者追悼式2019

2019-06-26 13:29:18 | 日本の時事風景

6月23日は主として米軍による沖縄上陸作戦が終結した「沖縄戦没者慰霊の日」。

昭和20年4月から始まった沖縄本島への連合国軍の侵攻は沖縄県民側に当時の総人口の4分の一といわれる約20万もの戦死者を出し、6月23日には当時の沖縄守備隊総司令官・牛島中将等の自死もあって日本軍は降伏した。

今年は終結後74年となり、当時の生き残りの人々の数も少なくなった。

正確には「令和元年沖縄戦全戦没者追悼式」で、今年も新たに20名くらい戦没不明だった個人名が刻まれた。広島・長崎でもそうだが爆弾破裂や火災による遺体の確認すらできない死者がまだ多いということで、この作業はこれからも続く。

昨日の25日、鹿屋市吾平町で歌の同好会に参加し、海勢頭豊氏作詞作曲の「月桃」という曲をみんなで歌ったが、この歌は沖縄では小学校などで沖縄戦を偲んでよく歌われるらしい。

最初この歌に出会ったのはユーチューブで、ユーチューブでは歌のタイトルが「月桃の花」だったりただの「月桃」だったりどちらも使われているが、「月桃」が本来の曲のタイトルのようである。

1996年に文科省の映画として「ガマ・月桃の花」が製作され、その時に海勢頭豊氏が主題歌として「月桃」を発表したという経緯があったことを知り、了解できた。

「月桃の花」とは「サネン花」のことで、白い花が乙女の髪飾りに使われたりしたので「乙女」のイメージを持つ花である。香りもよく、現在ではアロマ製品になったりしている。

その若い乙女たちも戦争に巻き込まれ、例えば第一高女や第二高女の生徒たちのように白百合部隊として陸軍の医療部隊に配属されて、命を落としたり、地獄のような部隊生活を何とか生き延びた乙女もある。

そういったけなげな人々を「月桃の花」に譬え、乙女たちは命を落としたのに月桃の花は無心に咲いて芳香を漂わせているーーといった内容の歌である。

この歌は「反戦の歌」などと言われたりするが、確かに「反戦」とか「護憲」とかの集会でよく歌われたりするので、そう形容されるが、それは短絡というもので、強いて言えば「追悼の歌」「追憶の歌」だろう。「追悼・追憶」はいかなる政治信条にかかわらず人間だれしも持っている崇高な感情(理性というよりは感性)だ。動物にはこの感性はない。

 

玉城知事は県民投票及び市長選や補欠選挙の自民惨敗に基づく「辺野古基地反対。恒久の平和」と挨拶し、他方で安倍首相は「危険極まりない普天間基地を辺野古へ移設することが喫緊の政策」と噛み合わない。

沖縄への一方的な米軍基地負担が問われているのに、相も変わらず「モグラ叩きごっこ」的答弁だ。沖縄への過重負担はそのままで、同じ沖縄の中で場所を変えるだけの話。

根本的な解決は「日米安保の廃棄」しかないだろう。世界にも稀な「二国間のみの軍事同盟」は国連憲章違反なのだ。アメリカとの強固な安保及び地位協定という二国間同盟を結んでいながら、その一方で「集団的自衛権」を唱えるというのはおかしい。「二国」は「集団」ではないのだから。

いったん日米二国間同盟をチャラにして、アメリカをはじめ自由諸国多数との間で改めて「集団的自衛権」による同盟関係を築くというなら話の筋が通る。

トランプ大統領が公式の席上ではないが「今のように日本がアメリカを守らないような日米同盟は廃棄する」と言ったそうだが、実は選挙戦の時から彼はそう言っていたので、今さら驚くほどのことはない。

日米安保を廃棄したらどうなるかーー。多くの日本人は「冗談言われても困りますよ、トランプさん。アメリカが離れたらロシアや中国共産党政府が待ってましたと、日本を小馬鹿にして攻めて来ますがな」――こんなところか。

私は逆だと思っている。ロシアも中共も喜んで真剣にお付き合いしましょうとなるだろう。

安倍首相は外交が得意で多くの支持者がいるが、結局のところ対ロ・対中・対北朝鮮の外交では「何ら存在感なし」「右往左往外交」だ。すべて日本の背後にべっとりとアメリカが付いているからである。

アメリカへの忖度が強すぎて独自のカラーが出せないのを、ロシアのプーチンも中国の習近平も北朝鮮の金正恩もお見通しなのだ。

日米安保条約は廃棄すべし。その上で9条に「自衛隊・防衛軍」を明記すべし。