鴨着く島

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倭人とは?(1)

2023-05-24 19:57:30 | 邪馬台国関連
邪馬台国研究者が追及しているのは「邪馬台国はどこか」であるが、そもそも邪馬台国(女王国)の研究が始まったのは中国の史書『三国志』の内の魏書の第30巻目にある「烏丸・鮮卑・東夷伝」の中に掲載されたからである。

「烏丸(ウガン)」は旧満州の北部、そして「鮮卑」はさらに北の内モンゴルあたりを領域とする騎馬民族国家であった。

残りの「東夷伝」には満州南部の「扶余」、朝鮮半島北部の「高句麗」、高句麗の東の「東沃沮(ヒガシヨクソ)」、沿海州沿岸部の「挹蔞(ユウロウ)」、朝鮮半島北部の「濊(ワイ)」、「韓(カン)」そして「倭人(ワジン)」の7種の国々が掲載されている。

これら7つの種族の分類を見ていて気が付くのが、「倭人」という表現である。なぜ「倭」ではなく、他の国々と違って「人」が付くのだろうか?

何となく見過ごしがちな表現だが、意外にも大変重要なメッセージが隠されている。

つまり他の国々は主として地名によって種族名が呼ばれているのだが、倭人だけはその範疇に入っていないのだ。

まず「倭」だが、倭という地名は存在しない。倭は「イ・ウェイ・ウォ」と漢音読みされるが、最後の「ウォ」から転訛されたと思われる。それは当時の中国人が倭人から直接自分や自国のことを「ワレ・ワコク」などと聞き、「倭人」が生まれたのであろう。

もともと漢字の「倭」には「従順な」という意味があり、当時の日本人全般に共通の「素直な」性質を特徴と見た古代中国の知識人が「倭人」と名付けたと考えられる。

以下ではこの「倭」をめぐって、日本の古書(記紀ほか)及び中国の古書(史記・山海経・三国志)の記述を取り上げ、なぜ「倭」ではなく「倭人」なのかについて考えてみたい。


【1、日本の古書に見る「倭」】

実は日本の古書では「倭」を「ワ」と読ませる記載はゼロである。

最も古い表記は日本書紀の景行天皇紀の27年の条の中に出て来る。それは景行天皇の命を受けてヤマトタケルが九州南部のクマソを撃ち、海路、都に戻る描写の所である。

<既にして、海路よりに還り給ふに、吉備に到りて穴海を渡り給ふ。その所に悪神有りしかば殺しつ。また難波に到るころ柏済(かしわのわたり)の悪神を殺しつ。>(景行紀27年条)

下線を施した「倭」は「やまと」と読ませている。後の「大和」と同じである。

また天皇の和風諡号に「若倭根子日子大毘毘(わかやまとねこおおびび)」(第9代開化天皇)など人名に「倭」を使用する場合もやはり「やまと」と読ませている。

要するに日本の古書では「倭」はほぼ「大和」の意味で使われているのである(私・我々の「わ」に対しては「吾」が使われている)。・・・「倭人とは?(1)」終わり