先日の1月8日付ブログ「昨日・今日・明日」では、昨日は「きのふ」、今日は「けふ」というように歴史的仮名遣いでは「ふ」が共通で、「ふ」は「経(ふ)」の意味から来るのだろう――とした。
しかしそうなると、昨日はたしかに時間が「経て」いるので、「ふ(経)」が該当するが、今日はまさに今の時点なのだから「ふ(経)」だと矛盾するので、お手上げだという風に書いた。
ところが難しい論議になるが、「今」というのは「今この瞬間」ならたしかに「今」だが、時間(この瞬間)はすぐに経って行き、あっという間に過ぎて行くと考えれば、「直ちに経て行く」のだから「今日」という一日も「過ぎつつある時間の集合」ということになる。
したがってこの観点から見ると今日が「けふ」と「ふ(経)」が使われてもあながち間違いとは言えないのではないだろうか。
まあしかしこの論議は屁理屈と言われても仕方がないかもしれない。
その一方で「明日」だが、「あす・あした」には「明ける」の「あ」が使われており、「あくるひ」から「あす・あした」に転訛して行った可能性は高いように思われる。
ところで万葉集で「明日」はほぼ「飛鳥(とぶとり)の明日香」という使い方がなされている。「飛鳥(とぶとり)」は「明日香(地方)」の枕詞であり、ここから「飛鳥(とぶとり)」は「あすか」と同訓であるとしてよい。
類推すると「明日香」の「明日」が「あす」と読まれ、また同時に「飛鳥」が万葉集編纂時(760年代)のはるか昔から、おそらく文字通り「飛鳥時代」(ほぼ西暦600年代)から「あすか」と呼ばれて来たのは間違いないだろう。
「飛鳥」も「明日香」も「あすか」という訓なのは以上で明らかになったが、そもそも「あすか」とはどういう意味なのだろうか?
「あすか」という和語には漢字で表される「飛ぶ鳥」の意味も「明日香る」の意味もない。強いて言えば「明日香」の方が「あすか」と読ませるのに役立っており、これはこれで意義がある。
しかしそれはあくまでも訓読みに関して役に立っているに過ぎず、肝心の和語の「あすか」の意味まで表してはいない。
最も「あすか」の意義に近いと思われる解釈は「あ・すか」と分けて「あ洲処」という漢字を当てはめた解釈だろうか。
「洲(す)」とは川の浅瀬で、水の流れに抵抗して水面に現れた砂州であるという。そして「か」は「在処(ありか)」の「か」で「処(ところ・場所)」と考え、両方併せて「すか」は「砂州の所」であり、飛鳥地方の成り立ちが飛鳥川による「砂州状の場所」だったからとしている(仮に「砂州説」としておく)。
また砂州説では「あ」は接頭語であると解釈している。「あ」が接頭語というのには首をひねるが、どうも便宜的過ぎて腑に落ちない。
私の解釈は「あすか」を丸ごと解釈するもので、「あ」は漢字の「安」で、安全の「安」、安らかの「安」という意味。
次の「す」は「住む」の「住」、そして最後の「か」は上の砂州説でも触れたように「ところ・場所」と考えている。
総合して解釈すると「あすか」とは「安全に住むことのできる場所」ということになる。
飛鳥地方の北西に隣接する藤原京は持統天皇時代に唐王朝の長安を模して造営された倭人(日本人)による純粋な人工都市であるが、それ以前にあった飛鳥の場合、倭人のみならず朝鮮半島や大陸から渡来し、あるいは招聘した様々な人々が居着いた場所である。
倭人はもとよりそのような様々な出自の人々が混然一体となって安んじて住んだところが飛鳥(明日香=安住処)だった。
「あすか(飛鳥)」の和語(和訓)の意味はそこに求められると思う。
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