鴨着く島

大隅の風土と歴史を紹介していきます

2回続いたロケット打ち上げの失敗

2023-03-14 12:00:00 | おおすみの風景
3月7日に種子島宇宙センターから打ち上げられた「H3ロケット」は順調に打ちあがったかに見えたが、3段目の切り離しに失敗し、10数分後に軌道破棄の指令が出されて太平洋の藻屑となった。

去年の10月12日に肝付町の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられ、やはり指令破壊された「イプシロン6号機」に続く失敗であった。

どちらも鹿児島県にあるロケット射場での立て続けの失敗は、県民として歯がゆい思いがある。

特にH3ロケットの場合、それまでの主力ロケットで打ち上げ成功率95パーセントを誇っていたH2ロケットの後継機であることからすれば、いきなりの失敗だったので不安が大きい。打ち上げを見守っていた見学者の中からも、驚きとも何ともつかない声が上がっていた。

部品の多くがH2ロケット仕様からの引継ぎであり、また新たな部品もその設計を3Dプリンターで行うという徹底的な「低コスト対策」を採用したので開発費がH2型の半分の50億円で済んだらしいが、低コストを意識するあまり何でもない機体制御装置の電源トラブルが発生してしまったというのでは元も子もない。

打ち上げにかかるコストの大幅な削減をしないとこれからの宇宙ビジネス(人工衛星打ち上げビジネス)に太刀打ちできない、と説明されるのだが、素人からするとそもそも人工衛星の打ち上げや宇宙ステーションの組み立て、維持などはビジネスではなく国家的なイベントではないかと思うのだ。

先日、テレビのニュースで日本人宇宙飛行士の野口聡一さんが鹿児島のどこかの小学校で講演をした際、講演後の質問時間で「君たちの修学旅行が宇宙旅行になる日が来るよ」と答えていたが、修学旅行積立にいったいいくら積み立てれば可能なのかまでは言及していなかった(笑)。まあ、数十億の資産家同士の新婚旅行なら「あり」かもしれないが・・・。

宇宙ビジネスが何十兆円規模になるか知らないが、ビジネスのことはアメリカに任せておけばよい。「金になるなら宇宙まで」という金主主義大国アメリカには太刀打ちできようもない。現に、宇宙ステーションへの往路に投入するロケットは、製造から打ち上げまで全部アメリカ仕様ではないか。

今度の2度続いた打ち上げの失敗は、そんな宇宙ビジネスにうつつを抜かすよりも、日本は地上の戦争・貧困・災害にもっと目を向けよ、関心を持てという啓示のように思われてならないのだ。

2011.3.11の12周年

2023-03-11 21:18:04 | 災害
2011年3月11日午後2時46分に発生した震度7、マグニチュード9.1という巨大地震「東日本大震災」から今日で丸12年が経った。

当日の午後は仕事車に乗って街中を走っており、車中で岡山にいる息子からの携帯電話により大地震の発生を知ったのだった。

そう言われても地震の巨大さには気付くすべもなく、ただ息子の勤務している会社の東北工場が津波に巻き込まれたとのことで、初めて災害の大きさに気付かされたのである。

仕事から帰ってテレビニュースを見ると、真っ黒い津波が東北の港町に流れ込む映像が流されており、息を呑むしかなかった。

2011年(平成23年)3月11日は、東北の太平洋岸地帯にとって悪夢の一日になった。

津波に襲われた町では夜になると雪が降り始め、命からがら避難して来た人たちの壮絶な避難生活が始まった。

当時の被害状況はメディアでもまちまちで、なかなか真相は明らかにならなかった。

それでも2週間か3週間かしてから、死者は2万人に達するという数字が報道され、その大きさには驚く他なかった。(※現在の確定値は死者が約16000人、行方不明者が2500人、災害関連死者まで入れると約22000人である。)

自然災害としてはあの阪神淡路大震災の6800人を大幅に上回る数字で、戦後最大規模の災害である。(※阪神淡路大震災以前の大きな自然災害としては昭和34年(1957)に起きた伊勢湾台風による死者・行方不明者約5000人であった。)

大規模なプレート型の地震による津波で、一両日のうちにこれだけの人数の被害が起きたわけだが、その死に至る様々な形態が明らかになるにつけ、もっと早く高台に逃げられなかったのか、なぜ避難の車を海沿いに走らせたのかなどという話が所々で持ち上がった。

親族を失った人たちのそういった悔恨の心情を聞くのは胸が痛む思いだった記憶がある。


そうした地震と津波による直接の被害と同時に、巨大津波は福島第一原発にも襲いかかり、全電源喪失による冷却不能から炉心のメルトダウンを引き起こし、2基の原子炉が爆発し、莫大な放射能を周辺地区にまき散らした。

その結果10万人規模の避難民を生み出し、人々は故郷を離れ多くの都府県に移住せざるを得なくなった。

原発が立地する双葉町では汚染された土壌の除去が行われ、新たな街づくりが進んで、去年ようやく避難指定解除となったのだが、災害当時7000人いた町民のうちわずか60人しか帰還していないそうである。

津波に洗われた宮城県と岩手県の海岸部の市町村ではすでに防災の施された町に多くの人々が復帰して新しい生活に入っているというのに、津波の被害に遭わなかった福島原発周辺の町では外観上は無傷に見える町に帰る人はほとんどいないというのだ。

一言でいえば、町自体が原発事故によって死んだのである。地震と津波による被害はないにもかかわらず町は死んだも同然になったのだ。

原発の恐ろしさはこれによって証明されたと言ってよいだろう。

しかしその原発を廃炉にするよりも60年を超える運転に舵を切ろうとしているのが岸田内閣である。正気の沙汰ではない。

災害大国日本での原発運転は危険との隣り合わせなことは誰の目にも明らかではないか。しかも今現在のウラン燃焼後の高濃度放射性廃棄物の捨て場所(埋納場所)さえ決まっていないのだ。

これからの5年間で43兆円の軍事費を計上するというのも岸田内閣の構想だが、その金を思い切って自然エネルギーの普及に回したら大きな成果が得られると思うのだが、いったい何を考えているのか。

いたずらにアメリカに同調し、中国敵視政策まっしぐらの政府の動きには危惧を感じざるを得ない。日本には日本のやりようがあろうに、浮足立った軍備増強には反対する。




非時香実(トキジクノカグノミ)は橘か?

2023-03-07 15:38:33 | 記紀点描
この冬も多種多様なミカン類には随分と楽しませてもらった。

まだ青さの残る温州ミカンから、ポンカン、タンカン、サワーポメロ、デコポン、伊予カンなどそれぞれに由来のあるミカン類、それに貴重な伝統的なミカンである「辺塚ダイダイ」、ゆず、スダチなどきりがないほどだ。

おおむねそのまま食するが、小さ目で硬いタイプのは果汁を絞って焼酎に入れる。昨今は「サワー」と称して炭酸割が流行しており、自分も晩酌に取り入れた。特に辺塚ダイダイ入りのサワー焼酎は、香りがきりっとしていて湯上りにはもってこいだった。

このミカンだが、我が国への招来が伝説として記紀に記されている。

日本書紀によると第11代の垂仁天皇の時、天皇が臣下のタジマモリ(田道間守)に命じて常世の国に行かせ、そこから「非時香実」(トキジクノカグノミ=季節によらず輝くように実っている果実)を招来しようとしたのである。それは実に垂仁天皇90年のことであった。

<90年の春2月の1日、天皇は田道間守に命じ、常世国に遣わして、非時香実(トキジクノカグノミ)を求めしむ。いま、橘といふは是なり。>

しかし同99年7月に垂仁天皇は「纏向(まきむく)宮」で崩御する。時に140歳であったという。

(※この日本書紀に記された統治期間99年といい、崩御の歳が140歳という長期間・長寿はもちろん有り得ず、それぞれ引き延ばしされている。99年の統治期間の内、実に77年は何の事績も記されていないので、実際には99年から77年を引いた22年が統治期間であったとする見方を私は採用している。それによれば垂仁天皇の寿命は140-77で63歳ほどになる。リーズナブルだと思う。)

さて、タジマモリは垂仁天皇の崩御を知らずに10年かかって帰ってきたが、天皇の死を嘆き、持参したトキジクノカグノミを天皇の御陵にお供えしたあと自死したという(古事記では半分を皇后に捧げ、残り半分を天皇陵に供えたとある)。

後世タジマモリの高潔を慕った人々が、タジマモリを「菓子の神」として祭ることになったが、タジマモリは但馬国の出身であったため、現在の兵庫県豊岡市に「中嶋神社」という社名の神社があり、タジマモリを主祭神として祭っている。例祭には菓子工業会を始め菓子作りの業者の参拝が盛大だという(菓子の菓は本来は果物の意味で、ミカン類は今日の菓子=スイーツに匹敵した)。

タジマモリは、実は豊岡市の歴史的な地名である出石地方に垂仁天皇の父第10代崇神天皇の時に半島の新羅から渡来して来た「天日槍(アメノヒホコ)」の5世孫であった。

アメノヒホコと言えば和牛の原点である但馬牛の導入に関与していたらしいので、5世孫のタジマモリが菓子の原点であるミカンを導入したとなれば、但馬は今日においても食の最高峰とも言える和牛と柑橘類の両方のルーツとしての栄誉が与えられてよい。

ところが話はここでは終わらない。

和牛の方はさて置き、ミカンである。一般にはタジマモリが常世の国(神仙の国とされる。おそらく聖王母の住むという西域ではないか)から持参したトキジクノカグノミを「橘(たちばな)」に比定するのだが、実は橘は魏志倭人伝に登場しているのである。

倭人伝では、初めの方に九州内の邪馬台女王国に至る行程と倭人の国々のあらましを述べたあと、倭人国内の地理や風習・風物の描写に入るのだが、その中に次のように記されている(書き下し文にしてある)。

<真珠・青玉を出す。其の山には肉(動物=鹿・猪など)あり。その木には(クヌギなど9種類を挙げている)あり。その竹には篠竹などあり。薑(はじかみ)・橘・椒・蘘荷あり。以て滋味と為すを知らず。>

倭人国の特産や産物・植物を描いた中の下線で示した部分に「橘」があるのだ。しかも「滋味としていない」つまり食していないとも書いている。

橘がミカンの一種であることは間違いないから、トキジクノカグノミがもしミカンであれば倭人の国(倭人伝では九州)には橘が自生していたわけで、わざわざ10年もかけて常世の国まで行かなくてもよかったことになるだろう。

したがって通説の「トキジクノカグノミ=橘」説は揺らぐしかない。

橘ではないとすると、トキジクノカグノミ(非時香実)とは何を指すのか?

そもそも「常世の国」とはどこなのか。何なのか。

その点については次回の論考になる。

タイムリーなNHK番組「南海トラフ巨大地震」

2023-03-05 22:01:28 | 災害
NHKでは昨日今日と2日連続で「南海トラフ巨大地震」発生の様子をドラマ仕立てで放映した。

主人公は大阪の町工場(バネ工場)の経営者家族で、経営初代の父母は高齢のため引退し故郷の高知県の海沿いの町に帰っているという。また、現在の経営者の妹は気象庁の職員であり、このあたりはやや出来過ぎな設定であった。

南海トラフ地震が起きた夜の8時過ぎ、経営者家族の夫婦と中学受験性の息子はそれぞれバラバラな場所にいて連絡がつかなかったのだが、何とか無事に再開することができた。

今度のトラフ巨大地震は「西の半割れ」(南海)が先に起きたという設定で、西日本の和歌山県以西の府県では海岸部を中心に軒並み震度7となり、また大津波も発生したが、高知の海沿いの町では「避難タワー」が整備されていたため人的被害は最小限に食い止められた。

しかしそれでも、家屋の全壊や火災に巻き込まれて命を落とす人は膨大で、ドラマ後に行われた出演者を含めた対談の中で、西の半割れ(南海地震)では約10万人が、東の半割れ(東南海地震)では8万人の死者が出る予想とのことである。

その他に災害関連死も少なからずあり、もし南海地震と東南海地震が連動して起きたら、20万を超える死者数になることは間違いないようだ。単純に計算して東日本大震災の12倍ほどになるが、実際はもっと増えるだろう。

人的被害もだが、経済的損失も巨大で、ビルや家屋を含むインフラだけでも100兆円以上になり、経済活動(生産・流通)の停止を損失と見做せばけた違いの規模になる。

どちらか一方で収まって欲しいものだが、南海地震(西の半割れ)と東南海地震(東の半割れ)とは連動して起きた過去(1854年と1855年、及び1944年と1946年)があり、連動して起きるのはほぼ確実らしい。さらに富士山などの火山噴火も巨大地震に連動する可能性があるというから恐ろしい。

この番組の企画は、去年の2月から続いているロシアのウクライナ侵攻以降、日本が軍事的安全保障だ経済的安全保障だと躍起になり、軍事費の増大や原発の運転を60年延長するという動きが既定路線化しつつあることに対する、ある意味で警鐘を鳴らす、別の言い方をすれば「冷や水を浴びせ」ていると思う。

このブログのタイトルに「タイムリーな」と冠したのはその意味である。

日本が最大の注意を払うべきなのは今後30年以内には確実に起きるこの巨大な「海溝型トラフ地震」であり、まともに発生したら軍事費の増大も原発の安全性も反故にしてしまうような災害なのだということを肝に銘じなければならない。




根性ハクサイ

2023-03-03 21:13:47 | 日記


朝方はかなり冷え込んだが、日中は暖かくなり、桃の節句日和となった。

といっても桃が咲くのは旧暦の3月3日以降で、新暦にすれば4月の10日くらいの時期で、今はどこを見回しても桃の花は咲いていない。

その代わり、今最も咲き誇っているのが菜の花だ。近隣では畑の畔回りや公園の一角に咲いていたりする。車でちょっと外を走っただけで目にしない場所は無いくらいだ。


高隈山を望む菜の花畑

だから新暦の3月3日は桃の節句ではなく「菜の花の節句」がふさわしいのではないかと思う。

温暖な指宿では毎年1月の半ばに「菜の花マラソン」というのがあり、その日に合わせて菜の花を通常よりも早く蒔いて咲かせている。

霜さえ降りなければ真冬でも鮮やかな黄色の花を咲かせるので、人寄せにはもってこいの花である。

菜の花はアブラナ科の花で、大根や白菜と同じ仲間なので寒さにはめっぽう強い。

我が家の菜園ではやはり同じアブラナ科の小松菜が花を咲かせ始めている。こうなるともう食べるには硬くなりすぎているので、花の鑑賞を楽しむことになる。


ところで、2週間前に大き目のハクサイを二つ買ってきたのだが、何度も食べたあと、食傷気味になって残しておいた半割のハクサイに異変が起きた。何とにょきにょきと花芽が成長し、黄色の花を咲かせたのである。


4分の一に割ってあったハクサイの中心部より根元に近い所から、花芽がすくすくと伸び、菜の花とそっくりな黄色い花が咲いた。

このハクサイが畑に植わったまま立っていたら、中心部から真上にすうっと立ち上がって咲いただろうが、割ったハクサイは寝ているから先端部からではなく、ハクサイとは直角に上へ伸びて行ったのだ。見たこともない姿である。

このハクサイの生命力には脱帽だ。