ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

2017年10月07日 | 日記

 昨日の雨が少し残っていて、朝はパラパラとしていました。今日もテンちゃんの病院通いです。縫ったところが化膿していないかを診るためでしたが、それは異常なし。しかし、昨日から何度も吐くことを告げたら、今度は吐き気止めの注射をしてくださり、帰りに胃腸剤と制吐剤の錠剤をもらいました。

 ところで、10月から始まったNHK朝ドラが「わろてんか」で、主役の名前が〝藤岡てん〟。このところ毎朝、テレビで、てん、てん…という名前を聞かされ、それが済むと今度は猫のテン、テン…と、なんだか我家は一日中〝テン〟で終始しているようです。今は外に出してもらえないので、誰彼無しに甘えて出してくれと鳴きますが、ダメだとわかると、今度はふて寝をして、呼んでも何をしても知らんぷりですよ。猫もいっちょ前にはぶてるんですね。早く元気になってほしい!

 柿が熟れ始めました。でも、それは中に虫が入っていて傷んだのが早くに熟柿になるのです。その熟柿がすぐにポタポタと落ちてきますので、少しもいでみました。食べると今年の柿は甘いですよ。まともなのはもう少し置かないと美味しい色になりませんが、置きすぎると、今度はつい油断して鵯や烏に食べられてしまいます。困ったものです! 

 子規の好物の柿は御所柿ですが、我家のは富有柿です。東アジア温帯に固有の植物で、中国では紀元前二世紀に栽培の記録があり、日本へは奈良時代に渡来したもの。改良され多くの品種がありますが、大きくは甘柿と渋柿に分け、甘柿はそのまま、渋柿は脱渋をするか干柿にして食べます。また、柿渋を取ったり発酵させて柿酢を作ったりもします。

 さて、「柿」ですぐに浮ぶ句はというと、これではないでしょうか。

   柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺   正岡子規

 「法隆寺の茶店に憩ひて」の前書があります。明治28年10月19日松山出発、広島、須磨を経て大阪に至り、さらに奈良に3日間遊んで、10月30日に帰京した子規の、奈良で詠んだもの。すでに宿痾の腰痛に苦しみ始めていたのですが、奈良滞在中はその痛みもなく、思い出深い旅になったようです。後年の小品『くだもの』に、この時の旅を回想し、東大寺脇の宿で奈良名産の大好物の御所柿を、愛らしい女中にむいてもらって食いながら、初夜の鐘に聞きほれる話を書いています。この句の場合は法隆寺の茶店となっていますが、どちらにしろ楽しい旅だったのでしょう。

 この句の鑑賞で大事なことは、柿を食べたから鐘が鳴ったと解釈してほしくないということ。それだったら因果関係になって、なぜという疑問しか残らないですね。ここは、柿を食べることと鐘が鳴ったことは、たまたまであって、そこには何らの理由はないのです。その偶然を子規は感覚的に〝おもしろい!〟と直感したのでしょう。柿の色と味、それに重なる法隆寺の夕景、更にはそれを包む鐘の音という…視覚的、味覚的、聴覚的な偶然の重なりが、理屈抜きの詩の世界で響き合ったのでしょう。これはいわゆるだれしもが心の中に持っている、日本の〝原風景〟ではないでしょうか。

 そう思って読むとき、上五中七のAの母音が快く響き、リズムよく下五につながて流れるでしょう。そして、繰り返し目を閉じて読んでみて下さい。その情趣的風景(イメージ)が眼前に広がっていくでしょう。それが名句といわれる俳句ではないか…と、私は思うんです。    

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