今日はやっと朝から太陽の顔が拝めました。久し振りに大洗濯です。何となく半乾きのようで…すっきりとしない洗濯物を着るのも気分良くありませんでした。やはり日の匂いのするのが一番!明日からも晴れマークが付いていますので、しばらくはいいのでしょうか。
カープ散々です!情けない…CSに入っていいとこなしですよ。去年は日本シリーズで無様な負け方をして…今年こそはその雪辱を果すと意気込んでいたのに、空振り三振ですね。シリーズ中もDeNAには弱かったから、もしかしたら…という私の悪い予想が当りました。まあ、勝敗には時の運もあるでしょうから…。また来年を期待しましょう。
今日も句会、兼題は「朝寒(あささむ)」で、秋の季語です。曇り日よりも秋晴の朝に感じる寒さで、日中は暖かく、日暮から夜明けにかけて著しく気温が下がり、その差で肌寒さを感じるのです。『源氏物語』野分の巻には、「今朝の朝寒なる」の用例がありますが、古歌には「朝寒」の熟語は見当たらないんだそうです。「寒き朝」というのはありますが、それは冬の季語になります。古くから「夜寒(よさむ)」という季語がありましたので、それに対応して立てられたものらしい。「寒き夜」といえばもちろん冬ですよ。
朝寒や生きたる骨を動かさず 夏目漱石
この句には、修善寺病中吟「わが全身に満ち渡る骨の痛み」の前書があります。漱石はもともと胃腸が弱かったのですが、明治43年にとうとう胃潰瘍で入院し、更には修善寺に行って転地療養をします。その時「余は生まれてより以来、この時ほど吾が骨の硬さを自覚したことがない。その朝(9月23日)目が覚めた時の第一の記憶は、実にわが全身に満ち渡る骨の痛みの声であった(略)」等と、大量吐血で危篤状態になった時の様子を書いています。このような状態でやせ衰えた身体には目覚めの朝寒は一段と厳しく感じたのでしょう。私でも雨が降ったり、急に寒くなったりすると、膝の調子が良くありませんものね。だから、全身の痛みで、「動かせず」ではなく「動かさず」と、自らの意思で動くことを拒否しているのです。ちょっとでも動くと耐えがたい痛みが走ったのでしょう。痛いときにはよく骨がミシミシ鳴るなどと言いますが、この時はただじっと動かずにいることがこの痛みに耐える最良の方法だったのでしょうか。しかし、このような場に及んでも、漱石は我が身を「生きたる骨」と表現するところに、子規から学んだ俳句の客観性が働いたのかも…。
「秋明菊(しゅうめいぎく)」。名に菊とあるが、キク科ではなくキンポウゲ科の多年草。晩秋の季語。古く中国から渡来したもので、京都の貴船に多く見られるところから「貴船菊」とも。その白と紅が秋雨で少し倒れ、もう散りかかっていました。澄んだ秋空に似合う花なんですよ!悔しい!
菊の香や垣の裾にも貴船菊 水原秋櫻子