昨日は「バレンタインディー」でしたよね。我が家は実はそれどころではなかったんです。
昨日の朝起きたらなんともう8時過ぎ…ビックリして〝エエッ、どうしたん?ラジオ体操は?〟……(無言)……〝雨が降ってるから起こしてくれなかったの?〟と聞くとやっとウンと。でも何だか元気がありません。〝どうしたの?〟と言うと、〝風邪引いたようだ〟〝熱は?〟〝ある〟と…まさか今話題の新型コロナウイルスでもないでしょうが。〝病院へ行って診てもらった方がいいわよ〟と言っても、体がだるいからか寝てるばかり。
そういえば、私も一昨日から喉の様子がおかしくてうがいをしていたんだっけ。大抵は息子が風邪を貰って帰り、それが移るんだけれど、今回はそうではなさそう。
あれだけ毎日ニュースで報道しているんですし、渡航歴も外国の人と接触する機会もないのに感染者が出ているという。山口県には結構外人の観光客も来るし、ましてや宇部には空港がある、100%あり得ないということもないわけだし、〝山口県で初めての感染者がでた!…なんて、ニュースにならないうちに早く病院へ行って来て〟と、冗談交じりに言うと、やっと腰を上げました。しばらくして戻って来た主人に聞くと、ただの風邪だろうって言われたと。ヨカッタ!
いつも主人は元気なので私の方が先に何でも罹るんですが、今回はどうしたことなんでしょう。これぞまさに〝鬼の霍乱〟ですね。薬のせいかしら、あれだけ食べたがる人が食欲もなし…ちょっと同情してしまいます。普通の風邪でもこんなんですから、あの新型コロナウイルスで肺炎になっている方々はどんなに大変なことでしょうか…お察し致します。この騒ぎの1日も早い終息を心から願っています。
ところで、昨日俳画で描いた「立雛」ですが、それを詠んだ句としてすぐに思い浮かぶのがあります。それは、水原秋櫻子の〈天平(てんぴょう)のをとめぞ立てる雛(ひいな)かな〉です。
この句について、『秋櫻子俳句365日』の三月三日の項に渡邊千枝子氏が次のように鑑賞されていますので、どうぞ。
絢爛豪華な景を好む秋櫻子はまた一方で、人の心の素朴さ、純真さに強く感受する人だった。「天平のをとめ」の中には前記、真間の手古奈の優しく純な面影をも重ねて見ていたに違いない。
この雛は三越の、雛市というより雛を主とした木彫の会で見たもので「冠もなにもつけぬ、日常のままの天平時代の少女の立ち姿が、一尺くらいの柔らかい材に彫られ、それに淡彩を施してあった。雛というにはいささか似合わぬのであるが、その清楚な風情がなかなか良かった」と『霜鶴集』に書かれている。
たぶん若手の彫刻家の会ででもあったのであろう。美術品に対しても優れた鑑識眼をもつ秋櫻子の目に叶った一点である。句の姿もまた「冠もなにもつけぬ」雛にふさわしく、すっきりと清楚だ。後にこの雛を買わなかったことを悔やんだ一文がある。( 昭和3年作・句集『葛飾』所収 )
更に三月四日の項には、〈立雛は夜(よ)の真闇(まやみ)にも立ちつゞく〉の句もありましたので、どうぞ…
前記の雛から四十三年経っている。雛への思い入れも、憧れから慈しみに変わってきているのに注目したい。
二月の末から三月初めにかけて喜雨亭へうかがうと低い書棚の上に、木肌の美しい立雛が飾ってあった。やわらかな円みの中に何ともいえぬ気品があり、部屋の一隅に匂やかな空気が漂っているようだった。
真夜、用を思いついて書斎の灯をつける。その瞬間壁の影とともに雛の姿が浮き立った。あ、そうか、お前は一晩中こうしてお行儀よく袖を揃えて立っていたんだね、と呼びかけているような響きがある。健康を誇った秋櫻子もこの年七十九歳、暖房を切った書斎の寒さを瞬時に感じる年になった。その中に一晩中立ち続ける雛へのいとおしみが、一息に口をついて出たようなこの句の裏ににじんでいる。
調理を施さぬ句がそのまま心に叶う年輪を重ねたということか。 (昭和46年作・句集『緑雲』所収)
昔、春郎先生に山口の大内雛を差し上げたことがありました。そのとき、〝僕も好きだけど、親父もお雛様が大好きだったんだよ〟と仰ったことがあります。この〝立雛〟はどんな雛人形だったのかしら? と、ネットで秋櫻子先生が好きそうな立雛を探してみました……。余り気に入ったものがなかったのですが、これなんかは近いかも。でももっとスラーッとしたもののような気がしますがね。
この立雛は、トモル工房の木彫作品です。その説明を見ると、〝トモル工房の木彫作品はすべて天然木を一作品ずつ制作しています。全く同じものにはならず、それぞれの作品に個性が生まれます。〟と。
また、〝歴史ある木彫の町、富山県南砺市井波。その一角の築大正15年の町屋古民家で木彫と漆の工房を営んでいます。〟とも。
ところで余談ですが、今日は本当に悔しくって……なぜかというと、この記事何回書いたと思います?これで4回目ですよ。クヤシイ!1回目は朝方半分まで書いて下書きにしておき、2回目にそのつづきを書いて中断したら、それがない!仕方なく3回目同じものを書き仕上げ、後は写真を探してUPしようと…元の画面に戻ったら、また最初のだけでつづきの文がない!クヤシイ!なぜ?
以前は確か〝自動保存された記事データが存在します〟の〝反映する〟をクリックすると出て来たような気がしたんですが…どこに消えてしまったのか。そこで3回目を書いたらまた同じ目に…もう腹が立って…。4回目は書いたらすぐに下書きで〝投稿する〟をクリックして他の作業をしました…そうしないと恐怖です。どこがいけなかったんでしょう。みなさんにはそういうことはないですか?一遍で書きあげればいいのでしょうが、忙しくて合間を縫って書いているもんですから…何かいい方法があれば教えて下さ~い。お願いします。